第80話・川中島水運
小笠原と武田の命運を賭けた大宴会。
村上義清はこちらの誘いに乗って来るのか?
それ以前に義清はどっちだ?
勘助演出の渾身のエンタメが幕を開ける…(何かこの展開、上原城でもやったよな)
戦国奇聞! 第80話・川中島水運
ここは川中島を見下ろす茶臼山の麓に設けられた、小笠原信定:信濃守護職任命の祝宴会場である。
川中島と言えば戦国時代の超有名な、武田信玄と上杉謙信による合戦の場であるが、川中島という呼称は武田信玄が合戦の途中で言い出したとされており、この当時の呼び名は “奥四郡” であった。
正確を期すならば “ここは信濃奥四郡” と言わねばならないが、話が判りづらくなるので川中島で通すので悪しからず。
話しが蛇行した…前話の続き、宴会場に場面を戻す。
宴会場の一番奥、高殿に設けられた円卓の中心で山本勘助がエンタメ開始を宣言したのであった。
北アルプス立山連峰に日が傾きかける頃、勘助の合図で花火がシュルシュルパーンと打ち上がった。
昼間からの宴会で其れなりに酒が回り、注意力散漫となっていた参加者も目が覚める仕掛けである。
特に火薬関係に初めて遭遇した村上勢は床几から落ちる者も居た位だ。
と、会場から望める犀川に音曲と共に宝船の様な竜頭船がゆっくりと現れた。
会場から見下ろす川は直線距離にして五,六町(5~600m)である。
ディテールは判らないが、竜頭船の船先に真っ白な羽の生えた天使が立っている様だ。
目を凝らして見れば修験者姿の男であり、まるで白い烏天狗 (…言語矛盾を起こしているぞ)である。
種を明かせば大きな羽の作り物を背負った鷹羽大輔である。
この羽は諏訪頼重を捕らえる為、諏訪上原城へ押しかけ祭りを仕掛けた際の コケ脅し用に城西衆女子部が作成した小道具であったが、鷹羽導師が恥ずかしがり 頑として装着を拒否した物であった。
歳月が人を変えたのか、将又押しの強い勘助たちに影響されたものか、今回は結構やる気の様だ。
犀川の流れの先に視線を動かすと、竜頭船の半町(50m)程先に一際大きな岩があった。
その巨石の天辺に不自然な金色の大壺が刺さっている。
徐に鷹羽が両手を広げると、軋みながら竜頭船が停止した。
そのまま鷹羽が手を前に振ると、巨石に向かって一条の火が飛んだ。
会場から見ていると白鳥天狗…(ダッサいネーミングだ)の腕から火が飛んだ様に見えたが、会場から死角になる位置に乗船している教来石景政が火矢を放ったのである。
火矢は狙い違わず金壺を射抜くと、砕け散った壺からは青白い炎が立ち昇った。
ここ迄の流れ全てがイリュージョンである。(現代の人間からすればとてもダサいが)
巨石の上を流れ落ちる青い炎に目を奪われていると、岩のあちこちで立て続けにパパパと光が走り、次の瞬間 岩全体が煙に包まれた。
数舜遅れパンパンパンと乾いた音が宴会場に届いた。
固唾を飲んで見守る中、煙りが晴れると無数に割れた、元巨石が在るばかりであった。
何が起こったか理解できず、響めきが起こる宴会場であるが、賢明な読者諸氏はお判りと思われる。
そう、前々話で紹介した “マイクロ発破” を仕掛けて置いたのである。
そしてただ導火線に火を点けたのでは派手さに欠けるとの教来石の指摘と、どうせ見せるのであれば観客の度肝を抜く様に との勘助のリクエストに答えた結果のこれであった。
多数の “マイクロ発破” を仕掛けた岩の上に高純度メタノール詰めた壺を置き、それを火矢で射抜いて見せたのである。
燃えながら岩肌を流れるメタノールが導火線に引火し、巨石全体が爆発したかのように粉砕されたのだ。
作り込まれたイリュージョンを見慣れた現代の人間からすれば、スカスカなエンタメであるが、この当時では充分な衝撃度があった様だ。
何が起きたか理解しかねている観衆に向け、宴会場の真ん中で勘助が大きいが落ち着いた声を上げた。
「さてさて、今ご覧いただきましたは城西衆の導師が起こせし雷火の術に御座る。
犀川の流れを遮る大岩を砕いてお見せいたしましたが、ご理解いただけましょうや。
あの術で如何なる巌も石榑とする事が出来ますれば、あの様な舟も容易く通せますのじゃ」
勘助は周りを見渡し、事の次第を理解しているか観衆の表情を読み、今一刺さっていないと判断した。
そこでダメ押しのクイズを出す事とし、目の合った冷泉為和 (正二位、権大納言)に声を掛けた。
「さて権大納言様、一つ謎解きをお願い致します。 あの風雅な竜頭船、何処から来たとお思いか?
よもや京の都からとはお思いにならぬと存じますが、ならば何処でありましょうな」
冷泉為和は如何にも貴人然として、全て判っている風にも見えるが、、朝廷の使いの正装 白塗り麿眉、鉄漿の顔では表情は読みにくい。
暫く考えた末
「この辺りの土地は判らぬゆえ、ようは知らぬが…見ればあの船、五丈(約15m)は有り申そう。
山道を担ぎ上げたは大変であったでおじゃろう」
狙った通りの回答に勘助はニンマリとしながら
「然に非ず。 あの竜は深志より犀川を下って参ったので御座る!
ここに至るまでの川筋は急流、浅瀬数知らずなれど 雷火の術にて巌を砕き、川底を浚い ここ迄の水路を通し申したので御座る!」
会場に騒めきが広がった。
日本の河川は水深が浅く急流が多いのは誰もが実感している所である。
ゆえに治水、水路の変更や浚渫がいかに大変で、時間の掛かる事業かは説明を待たない常識であった。
それを長時排除から信定へ代替わりまでの短期間で、深志平からここ善光寺平までの水路を開くなど…鬼神の技である。
勘助は四方に目を配った。
ここでいたずらに武田の力の誇示に走れば、畏怖では無く恐怖を抱かせてしまう。
恐怖は人を頑なにし、拒絶を生むのである。
武田が目指すのは覇道では無く協調だ。
勘助はより一層、微笑みを浮かべた。
(髭面隻眼の勘助の微笑みは恐怖を抱かせるかもしれないが…)
と、茶臼山の麓から、異質な それでいて陽気な音曲が聞こえて来た。
竜頭船から火矢を放った教来石が、妙なる調べを奏でていた音曲師たちを引き連れ、行進してきたのである。
観客…と言うかこの時代の人間は初めて聞く事間違い無し、笙や篳篥で演奏されるjazzの旋律 “聖者が町にやってくる“ である。
何故かと言えば、恐怖心を呼び起こさない楽曲が良いと言う駒井のリクエストに、中畑が出した答えがこの曲なのだ。
ここまで、綿密に計算された演出で進行してきた宴会であったが、いよいよクライマックス、村上義清との同盟交渉である。
この雰囲気のまま団体交渉…とは行かないだろうと、個別会談用の場所も用意している。
中々に用意周到である。
勘助がその旨を伝える口上を述べ始める。
「さて、本日我等が雷火の術をお披露目したは、皆様方と手を携えるが為。
あれに見える陣幕は邪魔が入らぬ様、腹割って語るが為の物。
話し合っていただける方は居られるかな?」
喋りながら高殿の横の一角を指した。
そこにはいつの間にか3間(約5m)四方の2重の幕が張られ、中には床几と机が置かれているのが認められた。
まるで業界イベントの個別商談ブースである。
今川の臣一宮宗是と、冷泉為和は幕府と朝廷の使者としての立場を一時置き、勘助に面談を申し入れた。
理由は武田の動向は細大漏らさず確認しろ と太源雪斎僧正からの指示も受けていたからであり、何やら良くは判らないが、武田の仕掛けには乗らずには居られなかったのである。
それが切っ掛けと成り矢島氏等の諏訪西方衆など、中小の国人領主も我先にと面談希望の列に並んだ。
―――――――――
会場の流れを受け、駒井が村上衆の一角に目を遣ると、白の陰陽師と目が合った。
駒井は準備しておいた村上用ブースの幕を上げ、村上を誘った。
牧羊犬と放牧中の牛の様に、村上義清とされる巨漢が白い陰陽師に追い立てられ、個別ブースに入って行った。
後から陣幕に入った駒井は二人と対面し床几に座った。
徐に駒井は陰陽師に向かい
「改めまして、義清様とお見受けいたします」
「…何故判った? 今までは皆この木偶に目を奪われ、儂に目を向ける者は居らなんだが」
「手掛かりは薬の香りで御座ります。 あれは武田製でありますれば気付いた次第。
それと…何を考えて居るか凡人には理解出来きぬ振舞いこそ、義清様ならではと心得ましたゆえ 似ても似つかぬお二人が怪しいと思うたまで」
アンタはおかしいと云われた訳だが 凡人には理解出来きない の表現がお気に召したのか、陰陽師(義清)は満更でも無い顔でニヤついた。
そこで止めて置けば会話の掴みはOKで進むのであるが、駒井は気になる事は訊かずには居られない性格なので質問してしまう。
「されど御身と似ても似つかぬ影…些か度が過ぎて居られるのでは?
…何故に左程の大男をお使い召さるのか」
「人は大きなものには萎縮するのじゃ。 さすれば本性が出やすい。
それを傍目八目で見て居れば、大概 相手の程度が見えて来る。
此度は逆に其方等に八目読まれた様じゃが…」
義清の答えに呆れつつも納得し
「はぁ、何とも突拍子も無い事で…
それはそれとして、義清様に目通り叶いましたからには、今後の事を話しとう御座ります。
信定様は戦は望んで居りませぬ。 槍を合わせずに済む事はお考えに成りませぬでしょうか」
陰陽師(義清)は目を細め駒井を睨みボソリと言った。
「信定は味方を裏切ったゆえ信用が置けぬ」
「裏切ったとは…長時が諏訪、高遠へ攻め入った時の事で御座ろうか?
兄である小笠原長時は色々と汚き策を弄しましたが、信定様は真っ当な戦をされたと存ずるが…」
「神田将監が事じゃ。
村上には将監に従い戦った者共が頼って来ておる。
その者たちからは信定は高遠で将監を見捨て、松尾に逃げ帰りおったと聞いて居る。
ゆえに信定は裏切り者と言うた迄」
駒井は当時を思い出す様に中空を見つめ、返答した。
「あれは確か…高遠城を囲んだ小笠原勢と諏訪西方衆を武田の原虎胤と横田高松が急襲致したのでしたな。
あの攻め口は我等 武田の者も思っても居らぬ手でしたゆえ、将監殿も驚いたでありましょうな。 (※1)
したがあの時逃げ帰った西方衆からは、将監殿は退いた時の策は全く考えて居らなんだと聞いて居りますぞ。
その様な時の総崩れ。
大将の将監殿の生死も判らず、事後の取り決めも無い中で 領地の松尾を目指した信定様を責めるは酷と申す物。
左様にはお考えになりませぬか?」
※1:高遠のクリティカルは第47話後半を参照。
駒井の反論に義清が言い淀んだタイミングを逃さず、言葉を重ねる。
「義兄弟の義清様には諏訪・高遠へ攻め込む際、長時より相談なり、誘いなりが御有りに成りましたでしょうに。
その時は合力されず、今になって長時の旧臣を唆すとは…
それこそ小笠原家に対する裏切りではありませぬか。
義清様も狡いと言うか…悪ですなぁ」
と、義清(陰陽師・本物)の横でボーと座っていた義清(七尺・偽物)が突然、立ち上がり叫んだ。
「この義清を悪党と申すか! 許さぬぞ!!」
駒井が思わず身を竦めた。
確かに大きな者には萎縮してしまう。
恐る恐る巨漢を仰ぎ見ると、隣の陰陽師が冷静に七尺の袖を引っ張り座らせている所だった。
駒井をチラと見るとバツが悪そうに
「驚かしたな。 此奴は悪口を云われたら、取り敢えず叫ぶよう躾けて居る」
「…つかぬ事を伺いますが、その 大男が影である事は 家中の皆さまは御存知なのでしょうな?」
「否、知らぬ。 儂の姿を見知って居るのは兄弟と室等だけじゃ」
「ははぁ、それは随分と窮屈で御座りましょうな…」
「…ゆえに秘密を知られた其の方等を無傷で返すか、首刎ねようか思案中じゃ」
「…冗談はさて置き、小笠原家の骨肉の争いは年期が入っておりますぞ。
三家に別れた小笠原が一つに戻るまで、百年掛ったと聞いて居りますが…またぞろ 村上家はそれに巻き込まれたいと?
いやはや、それで何を手に入れるおつもりで?」
「…」
陰陽師(義清)はムッとした表情で反論して来た。
「他国で火事場泥棒を働いて居るのはどっちじゃ。
武田が信濃を奪おうとしておるから信濃惣大将として村上が働かねばならぬのじゃ」
「武田の御屋形様、晴信様は他国を奪ってなど居りませぬぞ。
諏訪の領主は頼重様のまま、信濃守護は小笠原のまま。
互いに啀み合うのを止め、手を携える事で利を得ようとしておるだけ ですぞ」
「ふん、御為倒かしを。
先程の雷火の術なる物も、諸侯を屈服させる見せ付けであろう」
義清は常識には捉われないが、疑り深い性格の様である。
駒井は深く息を吸い、平行線を崩す話題を捜した。
「そこ迄義清様がお疑いならば、本音をお話し申そう。
武田は領地に左程興味は持って居りません。
なぜなら 信濃にしても木曽にしても山国は儲からんのです。
そんな所を取った取られたとやっておっても、労多く利少なし で御座る」
財務官僚でもある駒井はこの手の話しとなると、迫力が増して来る。
義清も思わず引き込まれ話題に乗ってしまった。
「ならば武田は何を望むのじゃ?」
「水運で御座る。
深志平の小笠原、善光寺平の村上で犀川整備を分担し 水運で結ばれれば、互いに豊かになれますぞ。
その先、千曲川の下流 越後とも繋がれば、生まれる利は何倍にもなりましょう。
村上家には越後との橋渡し役となっていただけぬか、というご相談で御座る」
義清にはピンと来ない話しである様だ。
探る様な口振りで
「水運…か?左程利が有るとは思えぬが…」
「ふ…村上は水運の凄さに気付いて居らぬとは…」
駒井が外交官の顔から冷徹な財務官僚の顔に変わり、ニヒルに笑った。
「…村上家は越後の長尾家に手古摺って居る由…左程に長尾はお強いので?」
「長尾などは大した事は無いが、後ろに控える上杉が厄介なだけじゃ…何の話しじゃ?」
「越後は此処より雪深く、米も麦も育ち難い土地。 なぜ斯様に強いのでありましょうな?」
「…」
「某が思うに強さの秘密は水運!
上杉の金子の元はカラムシと見て居ります。 (※2)
カラムシを今町湊から廻船で京の都に運び、高値で売っておるのをご存じか?
ざっと試算した所、その儲けは越後の実入りの二割以上となり申そう。
その上・・・・」
斯々然々、駒井は水運の経済性を説いた。
流石 財務官僚、駒井の熱量に当てられた陰陽師(義清)は黙って説明を聞き入っている。
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※2:横から失礼します、中の人です。
“カラムシ” って何だ? という読者にご説明をしようと出て来ました。
因みに “カラムシ” とは唐の虫ではありません。
大陸では薬として色んな虫を飲んだり食べたりする様なので、漢方の一種かと思う方も居たかもしれませんが、違います。
何かというと別名、紵、苧麻、山紵などと呼ばれる 学名:Boehmeria nivea var. nipononivea、イラクサ科の多年生植物です。
南アジアから東アジアまで広く分布する、麻などと同じく繊維が採れる植物なんですね。
で、この植物から取り出した繊維を青苧、あるいは苧と呼んだんです。
苧は紡いで糸、糾 って紐や縄、荒く組んで網や漁網、機って布にすれば衣類や紙に…と、とても幅広く利用できる原料なのです。
今でこそ しつこい雑草として嫌われる場合もある様ですが、木綿が日本に移入され広く普及する迄は、それはそれは重要な衣料の主原料だった訳です。
日本全国、あちこちで育てられていたのですが、越後国は有数のカラムシの産地でして、現代でも新潟の名品 『小千谷縮』 や 『越後上布』 は苧で織られているのです。 (原料の栽培地は福島県会津地方辺りなんですけどね…)
ついでに越後の苧貿易についてもお話します。
苧は鎌倉時代には広い地域で流通しだしますが、商人の多くは座を結成し、売買権を独占し権益の確保に走りました。
多くの座は支配者層を本所と呼ばれる役に付け、権威で他の商人を排除しました。
大坂天王寺青苧座の商人たちは後ろ盾に公家の三条西家を立てまして、越後の苧を優先的に買い付けていました。
三条西家は摂家・清華家に次ぐ 大臣家の格式を掲げて市場を牛耳っていた訳ですね。
いつの時代も名門、大御所は利権の拍付けに欠かせないという事です。
ですが、15世紀になると、越後の守護上杉氏の下で “越後衆” と呼ばれる人々が台頭し、天王寺商人の優先的な体制を崩して行きます。
そして守護代長尾為景 (上杉謙信の実父)が享禄3年(1530)に越後の実権を握ると、天王寺商人を追出し、越後全体の苧の流通および課税を統制しました。
こうして上杉家は日本海交易を通じて商品を京都まで運び、直接売り捌く体制を作ったのでした。
それで三条西家はどうなったか? と言うと、結果的に本所に居座っているんですねぇ…
一旦出来上がった権威ってヤツは簡単には消えないのですね。 (虚しい…)
以上 横から失礼しました、戦国雑記帳でした。
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駒井の貿易講座を受講し、水運の経済性は理解した義清であったが、具体的なイメージが湧いてこない様である。
村上の領地は千曲川(信濃川)の中流、水運をするにしても中間点でしかない。
おずおずと駒井に質問する
「海に出るには長尾が居るぞ…一緒に長尾を戦で追い散らし、今町湊を手に入れようとの相談か?」
駒井はゆっくり首を振り答えた。
「晴信様は力尽くは下策とされております。 今日の村上と同様、理を説いて利を取る道を選びます」
「…ならば、尚の事 村上に何を望む? 我と手を携えるとは何をする? 武田の利とは何じゃ?」
駒井は再び柔和な外交官の顔に戻り
「武田の利を幾つか申さば…まず一つ。
甲斐は山国ゆえ余所から充分な喰い物を運ぶには苦労が多く、貯めておくにも苦労が絶えぬのです。
水路を広げれば物流は随分と楽になり、飢えの備えの憂いも消え申す。
次の一つ。
甲斐は信濃に増して土地が痩せて御座る。
しかし工夫を重ね蕎麦、小麦などの実入りを増やし、越後を見習い 苧作りにも励んで居るのです。
したが 甲斐一国では腐らすばかり。 諏訪や深志に置いても違い無し。
村上の地を通し、海まで運んで初めて大きな利が生まれまする。
村上家の利を申さば、物の流れの真ん中に居て、長尾からも小笠原・武田からも 手間賃を取れば宜しい。
戦など労多く利少なし で御座る」
義清は頷きながらも考える顔をし
「成程…しかし 長尾は今でも充分儲けてお居るのであろう?
こちらの話しに乗っては来ぬのでは無いか?」
「ほほぉ、相手の心を読まれるとは流石で御座りますな。
恐れながら義清様、品揃え と言う言葉をご存じですかな?
商いと言うのは品数を増やすのが儲けを増やす近道。
上杉は苧だけの商いは今が限度。
甲斐、諏訪、伊那、深志の品々に加え、ここ村上の名産も加われば、上杉が扱う品数は数倍。
乗って来ぬ筈がありませぬ」
義清は顔を俯け熟考モードに入った。
ここは最後の一押しが効く場面である。
駒井は今までのグイグイ行くトーンから、呟く様な 一人言の様な声音に変えた。
「千曲川を使い今町湊に至る水運が、小笠原も村上も潤う 良き話しと信じての策で御座りましたが…
未だ心が決まらぬならば 致し方在りますまい。 此度の話しはお忘れ下され。
この近くで我等が軍師、山本勘助が今川の方々と話をしておる所で御座ろう。
御承知の様に今川にも海があり申す。
あちらは富士川を使った水運にきっと興味を持たれ様ほどに、武田はそちらで海を目指すと致します…」
陰陽師(義清)はキッと顔を上げ、七尺の義清がビクッとする程の音量で吠えた
「ちょっと待った! 話しは終わって居らぬぞ」
駒井は小首を傾げ、片眉を上げた。(内心では獲物が網に入った事を確信した瞬間だ)
何も言わぬ駒井に陰陽師(義清)が忙し気に言葉を吐いた。
「長尾とは手締め(休戦)致す。 村上は他に何をすれば良いのじゃ?」
駒井は外交官の微笑みに戻り、
「然らば我が軍師が纏めました “水運事業計画書” が御座りますれば、そこに血判を」
頷く義清に重ねて
「川中島に船着き場と蔵屋敷を作らねば成りませぬな。
それと 手を携えるのであれば、今やって居ります佐久での睨み合いは無駄な事。
早速に互いの兵を引くが良いと考えますが」
「承知じゃ!」
「ならば、これで手打ちと致しましょうか」
駒井と義清はそれぞれ両手を出し いよぉパン!
ここに武田・村上の合弁事業 『川中島水運』 が爆誕したのであった。
第80話・川中島水運 完




