第79話・義清の正体
引っ張るつもりは無かったのですが、村上義清との対決が進みませんね。
しかし遅々であっても頓挫していた訳では無いんですよ。
事業計画を携えて、軍師山本勘助が動き出します!
…テキパキ話しが進めば良いんですけど、まずは深志の小笠原から根回しです。
戦国奇聞! 第79話・義清の正体
勘助は小笠原信定を待っていた。
装束は素袍に侍烏帽子の礼装である。
勘助の隣には駒井政武も礼装で取り澄まし、床几に腰掛けている。
ここは拡張工事真っ最中の深志城、通された場所は周りの喧騒が筒抜けの仮小屋である。
旧家臣団による破壊工作や襲撃が日常茶飯事になっているここ深志では、長時の居城であった林城は却って危険であった。
城の定番である 万が一の際の秘密の抜け穴だとか、城内の隠し部屋だとかの情報が反乱軍に筒抜けであるからだ。
どうかすると最近移り住んだ信定より、長年 城に親しんだ反乱軍の方が極秘情報に精通しているのである。
そんな訳で敵の大軍に攻め寄られた時の防御力が高い山城を捨て、人の動きを監視しやすい 深志平の中心に平城を整備しているのだ。
勘助が控えている小屋は板壁も板間も無く、筵で囲われただけの土間に床几が並べられた空間であるが、人が潜む事も出来ないだけ、安全性が高いとも言えた。
そんな喧噪の中でも勘助は小屋の中を歩き回り、筵の隅から四方を眺めている。
城の縄張りには一家言ある勘助は、ブツブツ独り言を言いながら採点している様子である。
そこへ同じ柄の衣服を着た、同じ体躯の者が三名到着した。
念の入った事に三名とも埃避けの面布を付け、人相が判らない。
どうやら襲撃に備え、影武者を連れ歩いているようだ。
勘助たちが頭を下げているうちに真ん中の一人が相対した床几に着き、声を掛けた。
「色々と忙しゅうしておりお待たせ申した。 …何やら改まった話しで御座ろうかな?」
頭を上げ 正面の信定に返答しようとした駒井を勘助は手の平で制し、左に持した男の腰に視線を流した。
釣られて注視した駒井は何か気付いた様子で体を左の男へ向き直し、答えを返した。
「本日は喜ばしき知らせと 重き願いを携えて参りました…
少々長き話しと成りますれば、先ずは信定様にはお座りいただきたく」
話し掛けられた左に立った男は身を固くし、おずおずと面布を外した。
現れた顔は信濃守護職(仮)の小笠原信定であった。
「何故 儂と判ったのじゃ? 人は正面に座った者が位有る者と思う筈じゃが…」
「腰の物に御座います。 信定様が提げて居るは見事な太刀…正面に居る者の刀は、左程の物ではありませぬな。
身代わりをお使い召さるのであれば、身に着ける物は拵え物から匂い袋まで、揃えて置かねば正体を見抜かれまする。
今すぐには間に合いませぬので、ここではせめて…
床几を三つ用意され、皆でお座り召さるが宜しかろうと存じます」
「…流石は生き馬の目を抜くと噂される駒井政武であるな…」
駒井に指南された通り、信濃守護職(仮)と影武者2名が勘助たちと相対し、会談が再開された。
「改めまして、喜ばしき知らせからお伝え申し上げます。
将軍家より信定様を信濃守護職に任じるとの一報が、今川家に届いた由。
御目出とう御座います。
更に合わせて 朝廷からは 従五位下、民部大夫に叙するとの事。
信濃小笠原家は盤石で御座ります」
駒井が深々と頭を下げ、祝辞を述べた。
先程迄(仮)であった信濃守護職が本決まりとなった と言う知らせであるが、情報ルートは駿河今川家からである。
小笠原家へ直接届いても良さそうな物だが、これには色々と事情があった。
掻い摘んで説明すると、駿河今川家の幕府・将軍家への忖度である。
今川家は室町幕府の将軍、足利の御一門であり、何かと不穏の温床となる坂東(関東以北)の抑えとして駿河の地に置かれ “御所(将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ” と言われていたように、特別な家柄であった。
そんな今川家が武田の煙に巻かれ、先の信濃守護職 小笠原長時を遠流 (島流し)としてしまったのだ。 (※1)
戦国時代は勝手に守護職を名乗る “下剋上” が横行した時代であるが、本来 守護職の任命権は将軍家の物であった。
信濃小笠原は将軍家が任命した、本家守護職の生き残りであったのだが、その長時を将軍家御一門の今川が、幕府の許しを得ない処分に加担したのだ。
これは、将軍家を蔑ろにする行為と見做されるのではないか?
ハタと気付いた太源雪斎は武田家の処置は真っ当と思われたので協力したまで、幕府体制に逆らう物では無い、とあちこちに弁明し、晴信が決めた小笠原信定の跡目相続を後押しする根回しに走ったのであった。
※1:武田晴信が今川を丸め込んだ経緯は第52話参照。
今川家からの強烈なプッシュもあり、何かと動きが遅い幕府が数カ月で小笠原信定の守護職を任命し、権威付けの官職までオマケして呉れると言う大サービスである。
きっと今川家から可成の銭があちこちに巻かれたのであろう。 随分の散財であった筈だ。
それはともかく信定は、本人が知らない所で信濃守護が本決まりとなり、それなりの権威付けも整い、面食らう。
ドギマギしつつ駒井に今後の行動について訊ねだした。
「それは…思いの外 早うに沙汰が出され申したの。
…儂は何をすれば良いのか?
今川家への謝礼などは如何程が妥当であるのか?
あ! 武田家へのお礼も考えねばなるまいの」
訊かれた駒井は鷹揚に頷きながら
「今川家には 通り一遍の礼状で宜しかろうと存じます。
この大盤振る舞いは将軍家への申し開きの結果で、あちら様が自分の都合で行った事。
恩義に感じるは不要でありましょう。
武田に対しては…
些か 厚かましく聞こえましょうが、信濃小笠原家の首は晴信様の慈悲心で繋がったと申せましょう。
そこで、これから申し上げます事、是非とも御受けいただければと」
信定は顎を引き身構えながら答えた。
「な…何が望みじゃ」
「…村上で御座ります。
葛尾城より深志を狙い、今や不俱戴天の敵とも御思いの村上義清殿と、酒宴を設けていただきたい」
「ふへ? わが命を明白に狙って居る村上と 盃を交わせと申すか!」
睨みつける信定に駒井は無言でアルカイックスマイルを返す。
駒井に代わり勘助が答えを返した。
「信定様の御命を狙って居るのは 長時が家来である。 自分の指示では無い。 と義清は申しましょうな…
なれば村上義清殿と信定様は義兄弟の間柄。
此度、目出度く信濃守護職を御継ぎ召されたのですから、親類縁者を集めて祝賀の宴を設けるはある意味 当然で御座りましょ?」
「屁理屈じゃ… 村上は儂が栄達など祝う筈無かろう。
それに義清は馬鹿では無いぞ、呼んだとて のこのこやって来るものか!」
「呼ぶのではなく こちらから参るのです」
「ふへ? 敵地へ宴会しに行けと申すか。 儂が馬鹿と思うておるのか!」
「まぁ お聞き召され。
朝廷からは信定様の叙位と共に、小笠原と村上は仲良くする様にとの 綸旨も頂戴しておりましてな。
今川の臣一宮宗是と、冷泉為和が幕府と朝廷の使者として同道致しまする。
義清殿も幕府・朝廷の顔に泥は塗りますまい…御身の安全は 武田が請け負いまする」
「今川の臣が何とした。 その様な事で義清が乗って来るとは思われぬ」
「いやいや、村上は幕府・朝廷を恐れ入る家では有りませぬが、かと言って無駄に喧嘩を売る事もせぬ家柄。
それに義清様の武者振りを駿河に見せつける良い機会じゃと…焚き付ければ、必ずや」
信定は疑う目をして勘助を見つめ言葉を継いだ。
「武田は何を狙って居るのじゃ? 義清の首であるか?
儂を死地に送るのならば、儂には真意を知らせるべきで御座ろう!」
「いやいや、その様な物騒な考えは持って居りませぬ。
儲け話を持ち掛けるだけ! 義清殿を酒席に連れ出せれば、互いに損はしない算段で御座る」
より一層 勘助に疑いの目を向ける信定である。
そこへ駒井がさり気なく 慈愛溢れる笑顔で話し掛けた。
普段の家中では見せない、武田の外交官として赴く時だけ見せる とっておきの笑顔である。
「晴信様は手荒い事はお嫌いなのです。
諏訪に御座す諏訪頼重様をご覧になれば、お判りいただけましょ?
一度武田に背いたとて、改心したればそれで良し。
村上に対しても同じで御座る。
信定様にはその手伝いをいただければ、恭悦の至りで御座います。
今はまだ、義清殿とは槍を交えたる訳でも無し、お互い腹割って話せば 要らぬ戦は避けられまする」
信定は腕を組み考える目となり
「腹割って話しを…か。
これが 其方等が申した “重き願い” か?」
駒井が再びアルカイックスマイルで頷く。
「承知…と言わねば、先に進まぬのであろう?」
「御承知賜り、正に恐悦至極! 何卒良しなに…」
駒井が透かさず言葉を被せ、頭を下げた。
―――――――――
ここは信定の屋敷である。
勘助&駒井連携の抑え込み一本! の会談が終わり、武田の随員も交え宴である。
酒も入り 信定の本音が出て来た。
「駒井殿は村上義清と腹割って話しをせよ と、申すが 相手は天を突くほどの大男ぞ。
いくら義兄弟とは言え、あの偉丈夫と まともに言葉を交わした事が無いゆえ 落ち着かぬ」
こちらも酒が入り 口が軽くなって来た勘助が返答する。
「左様ですな…何しろ七尺(約2m)ですからな…
猫に木天蓼の様な 骨抜きになる程の好物とか、蛇に睨まれた蛙の様な 大の苦手とか、御存知ありませんかの?」
「あの様に大きな蛙が居ったら…儂が動けなくなる。儂は蛙は好かぬ…
あ、そう言えば姉上からの便りで、最近 義清は干し柿の食べ過ぎで歯痛が出て居るとか。
下関を押しすぎて痣に成ったと書いてありましたが
…左程の弱味では無いな」 (※2)
信定の姉は義清の正室である。
この姉弟は仲が良く、重要機密とは思われない程度の日常の話しは書いて寄こして来ていたのだ。
七尺の大男が歯痛で苦しんでいるのを想像し、駒井が笑いを噛み殺し
「ほほぉ これは鬼の霍乱で御座るな ふふふ」
勘助もニヤついて聞いていたが不意に真顔になり
「甲斐には特効薬が有りますぞ…
歯痛に限らず 腹痛 腹下し、悪心 何でも瞬く間に消え去ると言う薬が。
それを此度の祝宴の案内と一緒に送れば宜しいと存じまずぞ。
薬の効き目にも興味を持たれましょうし、一つ貸しを作る事にもなりましょう」
賢明な読者はお気付きであろうが、勘助の言う特効薬はセイロガンである。
城西衆鷹羽先生の指導で生産されるセイロガンはすっかり武田家中に広まり、生産が間に合わない状態であった。 (※3)
勘助は持ち歩いているセイロガンを居並ぶ小笠原衆に見せびらかし、得意満面で効能を述べ始めた。
信定たちは主成分 “木クレオソート” の刺激臭に若干引きながらも説明を熱心に聞き入り、宴は進むのであった。
※2:下関では無い、下関である。 これは耳朶の付け根から指4本開けた所にある頬のツボで、中指で押すと、歯や歯茎の痛みを素早く緩和できるのだ!(…虫歯が消える訳では無いが)
※3:武田家外交の特効薬となりつつあるセイロガンであるが、生産の切っ掛けは第31話のプロジェクト:寺病院を参照。
―――――――――
律儀な小笠原信定は北信の雄、村上義清に祝宴開催のお誘いを出した。
信定家臣団からは(当然ながら)実質的な敵地である村上領での宴会には大反対の声が上がったが、なんやかんやあり 武田家の要求通り 村上領内で催される事となった。
また、信定家臣団の “どうせ義清には無視されるだろう” の予想も外れ “喜んで参加” の返事が来たのである。
招待状に列挙された参加者(幕府や朝廷の名代)の権威が効いたのか、大宴会の費用は小笠原の奢りが効いたのか…参加動機は不明であるが。
開催場所については、当初義清の本拠地葛尾城 城下を打診したが、拒否された。
まぁ、これは想定内の反応である。
この当時の城は最終防御施設であり、通常は客人にジロジロと観察されるのはNGである。
城を権威の象徴、周囲への威嚇装置として利用するのが常態化するのは信長以降なのだ。
そこで次案として出したのが葛尾城から5里程離れた、犀川が善光寺平に流れ込む 川中島であった。
実は武田としてはこれが本命なのであるが、そこは搦め手で本意を悟られる事無く 目的の会場を押さえる事に成功した。
と言う事でここは川中島、犀川の河原に設営された宴会場である。
何重にも張られた陣幕には諏訪満隆ら周辺の主要国人も招かれた大宴会である。
会場の中心には高殿が組まれ、席が円形に配されている。
身分の上下を表さない、国際会議形式である。
そこには宴会主催である小笠原信定とその側近、幕府・朝廷の使者役の一宮宗是と、冷泉為和が直垂(武家の礼服)で身を包み着座していた。
事務局兼 司会進行の駒井政武と武田家数人は彼らの間を忙しく行き交い、村上義清を待っていた。
待つ事 随分。 漸く多くの騎馬と人目を引く四、五間(7~9m)柄を持つ槍を担いだ部隊を引き連れ、村上義清が到着した。
相手を待たせ、約束の刻限過ぎに悠々と現れるのは一種のマウント行為なのであろう、現代でも独裁者が良くやる行動である。
遠目でも一発で判る大男、七尺の義清が数名の取り巻きと高殿に上がって来た。
彼等の服装は揃いの黒。 略式の水干姿である。
これもマウント行為なのか、現代ならばスーツ着用の会場にブレザーで来た様な物と思っていただきたい。
出迎えた信定に挨拶するでもなく、漫然と見下ろしている。
と、集団の後ろの方から一人、白い浄衣を纏い 舞楽で用いる一つ目の様な奇怪な雑面を付けた小柄な男が進み出て来た。 (図1)
図1:雑面の紋様
雑面を付けた男は義清の横にヒョイと立ち、信定たちにヒョコと頭を下げ 徐に名乗った。
「我は義清様にお仕えする陰陽師で御座る。
本日は吉日、信定様は目出度けれ、良き日であると義清様も仰せである」
その間も義清は無言で見下ろしているだけである。
礼法を無視した登場に虚を突かれた駒井であったが、即座に立ち直り義清たちを円卓に誘い、開会を宣言した。
宴も酣となっていたが、義清は一言も喋らず、周囲を睥睨するばかりであった。
義清の側近も口数少なく、相槌を打つ程度である。
一人陰陽師だけが会場内を飛び回り、歓談に花を咲かせている有様だった。
何やら準備をしていたのか 遅れて会場入りした勘助が駒井に近づき、状況を確認した。
「義清の様子はどうじゃ? 盛り上がっては居らぬ様じゃが…」
「うぅむ、全く喋らぬし、にこりともせぬ。
こちらの言葉が判って居るのか…壁に向かって居るようで不安になる」
「周りは随分と出来上がって居る様に見えるがの…儲け話を切り出せそうか?」
「無理じゃな…取り付く島もない。
何より目が死んで居る…あれで家臣を束ねて居るとは信じられぬが」
「…何か気に入らぬのかの? 奥方様からの文には喋り好きとあったと聞いていたが」
「…歯痛が止まぬのかの」
コソコソと情報交換している勘助と駒井の所へ、ヒョコヒョコと陰陽師が近づき、やり手の営業マン的なトーンで話し掛けて来た。
「おやおや、その何とも頼もしい面相。 最近噂に名高き甲斐の軍師、山本勘助殿では?
雷を自在に扱う城西衆なる一族を使い、向かうと所敵無しと伺っておりますぞ、ははは」
明るい声であるが雑面を付けているので表情も年の頃も判らない。
薄気味悪さを感じ、勘助は御座なりな返事を返した。
「あぁそれは何とも 痛み入りますな…
義清様は何やら不機嫌なのでしょうか、こちらに手落ちが有ったれば直ぐにでも善処致しますが…」
「は? 否、いつもの事にてお気に召す事も在りますまい、はははは」
と、雑面の端がめくれる程に豪快に笑い、次の話題を出しそうな雰囲気だったが 何を思ったか横に居た駒井が割り込む様に勘助の腕を引き、陰陽師に断わりを入れた。
何事かと、勘助が駒井に向き合うと耳元でヒソヒソと話し出す。
「勘助、気付かぬか!」
「何がじゃ?」
「臭いじゃ…陰陽師の息、判らぬか?」
「…ん、! セイロガン!」
駒井は離れて行く陰陽師を目で追いながら、再び勘助の耳元に口を寄せる。
「もしやすると…あの陰陽師が義清では無いか?」
「いやいや、あの者は腹痛でも起こしたやも知れぬではないか」
「ならば、試して来よう」
駒井は呟くと円卓の義清にズイズイと近づいて行った。
深々と頭を下げ、外交官としての微笑みを浮かべながら義清に問いかけた。
「義清様には歯痛でお苦しみと伺い、心ばかりの薬をお送り致しましたが、あれは大層 酸っぱい薬でありましたゆえ、却ってご迷惑では無かったか、気を揉んでおりました。
薬は効きましたでしょうか?」
義清は駒井に目線を送りもせず、ボソリと答えた。
「…酸っぱかった…効いた」
「それはよう御座いました。 僅かでも義清様のお役に立てれば恐悦至極で御座います。
再びご入用の際は この駒井に申しつけ下さりませ」
駒井は頭を下げると退席し、優雅に勘助の許へ戻って来た。
勘助の耳元に口を寄せ
「鎌掛けたら薬は酸っぱいと申したぞ、武田の毒消しは苦いのじゃ。
あれは薬の味を知らぬ…か、馬鹿だ。
それに薬の臭いもせなんだ、あれが義清であろう筈は無い」
「あれは影武者と申すか? ならば本物の義清はどこに居る? 七尺の大男はそう何人も居らぬぞ」
「義清はあの陰陽師じゃ」
「…あのチビか?何故その様な事をする?」
「知らん! じゃが、そうであれば 奥方様の文にあった “義清は小柄で良く喋る” との話しと辻褄が合う」
「…俄かには信じられぬの」
勘助と云い合っていても埒が明かないと思った駒井は目で陰陽師を捜し、宣言した。
「ここで御手前と云い合っても詮無き事。
これからの仕掛けは義清その人に見せねば意味が無いのであろう?
ならば少なくとも円卓に居る木偶の坊では意味が無かろう。
あの陰陽師の雑面を外させ、しっかりと顔を見れば判り申そう」
「…いつも慎重なお主に似合わぬ素早い動きじゃな」
「儂もやる時はやるのじゃ!」
駒井は傍にあった酒器を持ち、陰陽師に近寄って行った。
改めて陰陽師を観察すると、白い陰陽師には付かず離れず薄青の浄衣を着た者が2名、影の様に付き従っているのに気付いた。
この者たちは雑面を着けていないが、恐ろしく目付きが鋭く 顔の威圧度が半端ない。
本物の護衛であろう。
駒井は彼らの指す様な眼光を受け流し、白い陰陽師に酒を勧めながら声を掛けた。
「白き人、一献受けてはいただけませぬか…それとも酒を召されると、歯痛が疼きますかな?」
陰陽師はその言葉に動きを止めた様に見えた。
駒井は返答を待たず、目の前の陰陽師にだけ聞こえる程度の声で言葉を重ねた。
「此度の祝宴、甲斐の国より良き話しを持参して参りました。
小笠原も今川も知らぬ儲け話で御座ります。
これより驚天動地な見世物をお見せいたしますが、義清様に直に見ていただく様 お願い申し上げます」
陰陽師は先程までの快活な声では無く、警戒する様な小声で答えた。
「…儂は只の陰陽師ぞ。 何故儂にその様な話しを致す」
「ふふふ、義清様にお聞きいただくには貴殿を通すが良かろうと思った迄の事。
是非とも義清様にご覧いただく様、お取り計らい下さりたく」
駒井は陰陽師に盃を渡し、なみなみと酒を注ぐと呑む様に促した。
陰陽師は対応に悩んだ様だったが、雑面をめくり盃を口にした。 が、その瞬間、陰陽師の方頬が腫れているのを駒井は見逃さなかった。
駒井は陰陽師(義清)に頭を下げつつ
「然らば、犀川にて大層大きな音が致しますが、肝を飛ばさぬよう お気を確かに御愉しみ下さりませ」
駒井はそのまま後ずさりする様に陰陽師(義清)から遠ざかった。
体の向きを変える際、チラと目を上げると、陰陽師はそそくさと円卓の巨漢の方角へ進んでいる様だ。
直接伝えた実感を得、こちらもそそくさと勘助の許へ速足で戻る駒井である。
勘助は傍まで駒井が戻ると
「どうであった、義清か?」
「頬が腫れて居った…まず間違い無い」
「ヤバイな本当か?」
「本当だ!」
“マジ” と “ヤバイ” は武田家中にジワジワと侵食している。
最近では駒井も違和感なく使用している様だ。
二人の会話は続く
「こちらが鎌掛けた言葉に目敏く気付き居った。 あの聡さこそ村上義清であろう」
「したが、あれが義清本人であるとすれば…似ても似つかぬ者を影としたのか?
それでは影の役目は果たせぬであろう…何を考えて居るのじゃ?」
「知らん! 突拍子も無い事を考え付くのが義清なのじゃろうて。
さて、準備は整ったぞ。 あとはお主に譲るゆえ 存分に驚かせてやれ」
勘助は頷き 円卓の中央に進み出ると大声で
「さて皆様方! そろそろ酒にも飽きた頃にござりましょう。 これより余興が御座る!!」
村上、小笠原 そして今川衆の視線が勘助に集まった。
と、ここで紙面が尽きた。
宴会場から望む犀川で何が起きるか?
逸る心で次号を待て。
第79話・義清の正体 完




