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第78話・敵も振り向く 『事業計画書』

皆さまは武田の対村上義清戦略を覚えていますか?

そうそう、村上はケチだからきっと儲け話に乗って来るだろう…ってヤツです。

それにしても織田にしろ、道三にしろ…戦国大名っての銭勘定しか頭にないのでしょうかね?

まぁ(いくさ)ってのは、べらぼうにお金が掛かりますからね、実はこの時代 超絶資本主義だったのかも。

…で、今回は村上相手の作戦で何が起きているのか?の様子です。

思い付きの一言が大変な事となる一例であり、大事業は往々にして思い付きから始まる一例でもありますね。

何の話だっけ…と、記憶が無い方は第74話でご確認を。

では本文をお楽しみください。

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第78話・敵も振り向く 『事業計画書』


 渓谷である。

 深志平の中程から山間を抜け、善光寺平へ通じる犀川(さいがわ)を辿る道筋だ。

 手にした地図に何やら書き込んでいるのは城西衆の鷹羽大輔である。

 傍らで人足に指示を出しているのはゴリマッチョの教来石景政(きょうらいしかげまさ)だ。

 この犀川の始まりは北アルプス南部の槍ヶ岳(標高3,180メートル)である。

 槍ヶ岳の数々の(せせらぎ)を集め 深志平に流れ込む際は梓川(あずさがわ)と呼ばれ、塩尻方面より北流してきた奈良井川が合流した所で犀川と名前を変え、同じく槍ヶ岳を水源とする高瀬川や穂高川等々と合流。

 蛇行しつつ聖山(ひじりやま)の裾野の犀峡を抜け、最終的に川中島で千曲川へ合流するのが犀川である。

 因みに信濃守護が置かれていた深志のある盆地を今まで “松本平” と呼んでいたが、これからは “深志平” と呼称する。

 現在国宝松本城の聳える地が “松本” となったのは、武田に追われたかつての信濃守護職・小笠原長時(ながとき)の三男 小笠原貞慶(さだよし)が1582年に旧領を回復した時と言われている。

 父、長時が追われて以来 “待つ事久しくして本懐を遂ぐ” と述懐し改名したとされているのだ。(諸説あるが…)

 つまりこの話しの時空では松本なる地名は存在せず、深志平であったと思われるので、これより後は深志平と記すのでよろしく。


 さて、目を鷹羽たちに戻すと、川舟を浮かべ 川幅や流れの深さを測量している様である。

 なぜこの様な事をやっているか? と言えば 御屋形様の無茶振りが事の発端である。

 村上義清(よしきよ)との対決を目前にした武田晴信(はるのぶ)が涼やかに “戦わずして打ち負かす策で勝て” と、軍師勘助へ命じたのであった。

 だがしかし、この様な魔法が使える軍師は滅多に居ないのである。

 歴史上数多(あまた)いる軍師、戦略家やその類の中でもこんな芸当が出来るのは 諸葛孔明(しょかつこうめい)安倍晴明(あべのせいめい) 位であろう。(何しろ彼等は時空も越えられるみたいだし…)

 後世では名軍師と持ちあげられている山本勘助ではあるが、この世界にいる勘助は充分な戦力で押し切るか、勢いで乗り切るか、の2パターンの戦略しか持っていない。

 そんな勘助はどうするか?…無茶振りを誰かに丸投げするしかない。

 そこで思いついてしまった鷹羽先生が悪いのか、思い付きに全乗っかりする武田家が軽いのか…意見は分かれる所であろうが、結果、鷹羽大輔が犀川で水運事業が可能かどうかの調査に赴く流れとなったのだ。 (鷹羽の間の悪さは定評のある所では、ある)

 鷹羽が今 計測している場所は遠く聖山を望み、大岩が重なり、大きく蛇行し、大小の滝や淵が舟の行く手を遮っている。

 同道している教来石が溜息を吐きつつ、鷹羽に喋りかけた。


「大輔殿、大岩に塞がれた場所は これでもう十には成りますぞ。

一ケ所の岩を退()かすに人足が三百や四百は要り申そう。

御屋形の命であっても二年や三年では終わりませんぞ…」

「そうですねぇ…この辺でみられる石の比重は、大抵 水1に対して2.5だから。

この岩だと縦90㎝、横300㎝、奥行き120㎝位だから…8,100㎏、8.1tだな。

細かく割れば…」

「何をごちゃごちゃと…それよりもこれだけ急流、通せても小舟で御座ろう。

小舟が何の役に立つと申すのか?」

「景政さんもここ迄の路、見て来たでしょう? 馬一頭がやっと通れる所が殆どじゃないですか。

馬一頭と小舟一艘ではどちらが荷物を運べるか、考えて見れば判るでしょ?」

「ふん、したが馬は手綱を取れば坂を駆け上る事の出来ますが、小舟は流れを上っては呉れませんぞ。

甲斐、信州は名馬の産地、慣れぬ舟など作るより、路を整え荷駄隊を増やした方が良いと思われますがなぁ…」

「いやいやいや、そもそも舟は浮力が使えるんで、重い物でも運べます。 で、計算上は…」


―――――――――

 えーと、中の人です。

 犀川調査に駆り出された教来石さんは納得していない様ですが、陸路で物を運ぶより舟で運ぶ方が 輸送コストは大幅に安くなります。

 鷹羽先生が講義しかかっていた様に、舟は浮力、水の抵抗値の低さと言う物理的メリットがあり、重量当たりの移動エネルギーは物凄く小さくなるのです。

 古今東西、大文明は全て大河の側で発展していますよね?

 大きな都市を築くには大量の物資が必要で、その物流を支えたのが舟だった訳で 太古の人も水運の有用性には気付いてたんですね。

 ですが、水運の圧倒的輸送力を成り立たせるには幾つかの条件がありまして、山育ちの教来石さんが疑うのも判らないでは無いのです。

 ご存知の通り日本列島の地形は起伏に富み、山地の面積は国土の 約75%を占めます。

 また、 山地は谷によって細かく刻まれ、斜面は一般に急傾斜なので そこを流れる河川は急流性で水深は浅く,流域面積が小さいのです。

 流域面積が小さいと言う事は経済圏が小さく、必要物資の量も限られるので、大量輸送はそこ迄必要としないのですね。

 そして水深が浅いと言う事は大型船の使用は不可能で、吃水の浅い小型舟では当然 輸送能率は落ちます。

 また冬期渇水期には水深が更に浅くなり、水路使用が不可能となる事も起きるかもしれません。

 急流と言う事は水難の危険性が高く、遡行には多大な労力が必要となります。

 つまり…日本の山間部は、暮らして行くには陸路運送でも何とか必要量は確保できているから、そこ迄して水路が必要か? と思わせるバランスなのですね。

 有り体に言えば ゆったりと舟遊びが出来るような穏やかな川でなければ、水運が便利とは言い切れないのです。

 川と言えば山の湧き水を集めるせせらぎや、普段は浅く嵐が来れば直ぐに溢れて田畑や家を流す釜無川しか知らない教来石さんには、舟で物資を運ぶ方が面倒に思えるでしょう。

 ならば日本の場合は陸路運送が適しているのか? と問えば、それはそれで大変なのです。

 内陸部と海岸部との間を往復するには,いずれの場合も険しい山道や峠を越える事になります。

 中には川以上に危険な場所も多くある訳ですし、牛や馬 または人が背負っての輸送ですので、運べる量は微々たる物ですね。

 と…何だかんだ言って来ましたが、結局 どうなんだ! とイライラし始める頃合いですね。

 結論を発表いたしましょう!

 陸運水運の両者をシミュレーションいたしますと…トラック輸送の無い時代では水運に軍配が上がるのです。

 急流の難所は人手による積替えをする手数を考えても、河川水運の輸送能率は陸運を遥かに凌ぎます。

 そしてこの犀川で舟が使えれば、信濃半分の物流量は劇的に上がる筈なのです。

 犀川が合流する千曲川は佐久を貫き流れるので、こちらの整備も進めば 善光寺平、深志平、佐久平と信濃の3つの盆地が大きな経済圏となるであります!

 大きな国でありながら四方を山で塞がれ、四つの盆地が別の国の様であった信州が、河川水運により一つの経済圏となるのであります! (ジャジャーン!!)


 なんか、1人盛り上がっている様に見えるでしょうが、これは単なる夢想では無いのです、実は。

 時代は随分と後になりますが江戸時代後期、犀川の河川水運は幕府の許可を得て実現されているのです。

 犀川通船と呼ばれ、ルートは松本の白板から信州新町までの14里チョイ(約60㎞)を7時間かけて下り、信州新町からは長野盆地や上田方面には馬によって運搬される物流路です。

 このルートは明治35年(1903年)に鉄道・篠ノ井線が開通したことで衰微し、犀川沿いの道路が完成したことで廃止されてしまいましたが、それ迄は信濃の物流を支える重要なルートでした。

 ここで一つの疑問が湧きます。

 Q:そんなに重宝な物ならば、なぜ江戸後期になるまで作られなかったのか?

 きっと、当時の土木技術では難しかったんでしょ、江戸後期になるまで実現不可能だったんだよ…と考えた人、 “ブブー” です。

 調べて見ますと犀川通船開通は天保3年(1832年)ですが、最初の申請は1730年代で開通の100年近く前なのです。

 ならば100年に渡る大工事だったのか! とも思ったのですがそれも違いました。

 申請は却下されていたのです。

 理由は付近を通る北国西街道や千国街道宿場の伝馬役や、中馬業者が猛烈に反対した為でした。

 沿岸部と信濃山間部の物流利権を既に抑えていた彼等は、河川水運に利権を奪われるのを機敏に感じ取り イノベーションを潰したのです。

 …つまり水運のポテンシャルには随分前から気付いていたのですが、公衆の利益より業界団体の生き残りに走った。

 いつの時代にも繰り返される構図であったのですね。

 最終的には商品流通促進を図る松本藩の思惑で、勘定奉行が既存勢力と新興勢力の間に入り犀川通船が開設したのですが、最初の通船願が出てから実に94年を要した訳です。

 しかし今回(…が正しいのか?)は江戸期の平和な時代では無く、やった者勝ちの戦国時代です。

 陸路の流通も未発達で業者が利権を主張する事も起きないでしょうし、起きたとしても力ずくで抑え込める(でしょう)

 …戦国時代ですし。

 と、長くなりましたが 深志から川中島迄の水運は短期間で可能となるんじゃないでしょうか。

 後は治水技術の問題でしょうね。

 では、測量現場にお返ししまーす。


―――――――――

 教来石や傍にいた武川衆も鷹羽による河川水運優位論を聞いていたのだが、今一納得はしていなそうな表情である。

 一同の気持ちを代表し教来石が鷹羽に問いかけようとした時、上流の路から鷹羽を呼ばわる声が聞こえた。


「おおい大輔! 舟はいつ通る!」 


 声の主は山本勘助であった。

 黒毛の馬に跨り、数人の供を従がえて狭い山道をこちらに向かって来る。

 村上調略で色々と多忙な筈なのだが…

 にこやかに近づいて来た馬上の勘助に教来石が声を掛けた。


「これはこれは…甲斐で一番忙しい軍師殿がこの様な山奥へ参られるとは。

嫌な予感しか致しませぬが、何事で御座ろうか」

「おう景政殿、いつもながらに息災の様で結構!

嫌な予感とは挨拶じゃのう…大輔が寄こした文にあった品を持って参ったのじゃ。

ついでに水路は出来そうか 様子も見たかったでの」


 鷹羽は馬から降り傍らで体の埃を叩き落す勘助を薄目で眺め訊ねた。


「…で勘助さん、何があったんですか? 今から昼飯休憩に入りますから、あっちでゆっくり聞きましょうか」

「お、おう」


 皆と少し離れ、鷹羽と教来石の三人となった勘助は握り飯を片手に甲府であった事を語り出した。


「先日 小笠原信定(のぶさだ)様が躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に訪ねて来られたのじゃ」

「へぇ…信定様はこの犀川調査に出かける折、深志の(はやし)城で目通りしていただきましたぞ。

お忙しそうでとても甲斐に出掛ける暇は無さそうでしたが…使いの者では無く、信濃守護が直々に甲府に来られたのですか?」


 教来石が驚いた声を上げた。

 守護ともなれば、他国を訪ねるには何かと形式が煩い筈であった。(戦の場合は除く)


「内密にじゃ。

それに、信定様が信濃守護を兄、長時から継いだと言っても、実際は守護職となる願いを幕府に出して居る所で、まだ裁可は下りて居らんのだ。 …それが騒ぎの元での」


 話しの先を促す様に教来石が身を乗り出す。


「長時の家臣…と言うより小笠原家に居った国人らは揉めておっての。

信定様に付いて深志に入った伊那平の家臣団と領地を巡って諍いが絶えぬらしい。

その筆頭が長時正室の父である仁科盛能(にしなもりよし)だそうでの」


 教来石が相槌を打ちながら言葉を添えた。


「身内争いは小笠原家のお家芸の様な物でありますな…」


 勘助も頷き話を続けた。


「長時の室と舅である盛能は信定様が跡目を継ぐを良しとせず、長時嫡男を押し立て付近の国人を集め、深志奪還を叫んで居るそうなのじゃ」

「長時にはそんな跡取りが居たので?」

「うぅむ、歳は十を過ぎたか過ぎぬかの童なのだが、長時が武田に捕まるや否や盛能が強引に元服させ長隆(ながたか)を名乗らせた。

長時の跡は信定より長隆の名の方が座りが良いからの…

長時の家臣の多くが善光寺平の村上に身を寄せたとの噂を聞き、何か起こりそうとは思って居ったが、火種はもそっと大きい様じゃ」

「して、信定様の用向きは?」

「お? それは話して居らなんだな…

兄嫁の父やら幼い甥やら旧臣やら、剣呑な動きが捨て置けぬが、信定様の家臣が事に当たるとまたぞろ骨肉の争いじゃ。

ここは甲斐から兵を出して深志の騒ぎを治めて欲しいとの要請での」

「しかし…ここで武田が兵を出すは火中の栗を拾うが如しでありましょう?」

「言うが通りじゃ。 信定様の家臣とは反りが合わぬ程度であるが、相手が武田ならば恨みを持った者も多かろう」

「事に当たるが信定様でも武田でも揉める、頭が痛い話しで御座るな。…実に仁科殿は厄介な」

「否、裏に居るは村上義清であると儂は読んで居る」


 村上勢の佐久侵攻が消極的なのは矢張り見せかけで、深志を武田から引き剥がすのが本命と思わせる動きである。

 裏で義清が糸を引いている匂いがビンビンするのだが、雪斎党の影も見え隠れするし、悩ましい状況である。

 何より義清の実像が見えないので、相手の意図を読む決め手に掛けている。

 孫子の兵法で有名な “敵を知り、己を知 れば百戦危うからず” で言う所の第一歩、敵が知れないのだ。

 そこら辺の事も思わず愚痴る勘助に教来石が言葉を挟んだ。


「そう言えば…村上義清の室は小笠原の出では有りませなんだか?」


 その言葉を待っていたかの様に勘助はニヤっと笑い


「そうじゃ。 儂も当然、その事を考え付いたぞ。

ゆえに信定様に義清が事、根掘り葉掘り伺ったのじゃ…」


 会話だけでは判りづらいので少々解説すると、村上義清の正室は信濃守護であった小笠原長棟(ながむね)の娘で、信定の姉である。

 つまり義清は長時、信定とは義兄弟の間柄なのだ。

 義清と繋がりが薄い武田家からすれば、情報の鉱脈である。

 その事は指摘されるまでも無く自分は気付いたぞ! と、勘助は自慢気に話しを続けた。


「まぁ義兄弟とは申せ、信定様が義清と体面したのは数度であったとの事じゃ」

「して、義清はどの様な者で?

滅多に姿を見せぬとの噂を聞いて居りますで、臆病そうな者でありましょう?」

「そう急くな。 まずは目を引くは身の丈で、七尺に届こうかと言う大男だそうじゃ」

「な…七尺!(約2m)」

「そうじゃ。 武田家中には偉丈夫も多いが、流石に七尺の大男は居らんな…」

「七尺…」


 ゴリマッチョの教来石は己が肉体に自信があるのだが、背丈は精々五尺チョイ、七尺に打ちのめされた様だ。

 しかし気を取り直して次の問いを発した。


「な、なれば (うつ)けで御座りましょう? 大男、総身に知恵が回りかね と申しますからな、ハハハ」

「…それがな、丹精な面立(おもだ)ちで目付きは鋭く、寡黙であったそうな。

虚けには見えぬな…すまぬの景政殿」


 黙ってしまった教来石に代わり、二人の会話を聞いていた鷹羽が感心無さげな声で


「バケモノみたいな体で冷たい目、それにめちゃ強いって…ラオウか?」

「…誰じゃ?」

「あ、いえ こちらの話しで。 でも そんな恐怖で支配する様な人を頼って小笠原の家臣が集まるんですか?」

「そこなのじゃ…」


 勘助が顎に手を当て 考えをまとめる様に間を置いた。

 そして迷いがある声で


「信定様の元に何度か姉君から文が届いたそうなのじゃが…

そこに記された義清は、ガッチリとはしておるが姉君より背が低く、キラキラした目で口数の多く語るとあり、そこが可愛いらしい…とまで記されて居ったそうじゃ」

何ですと(なんだって)?!」


 教来石と鷹羽の声がユニゾった。

 鷹羽が今度は前のめりでの発言である。


「信定さんのお姉さんって七尺以上あるんですね!」

「はぁ、そんな訳あるか! 信定様より小柄…五尺も無いと聞いて居る」

「五尺って150㎝位だろ。 なら、おかしいじゃないですか…あっ! 厚底サンダル いや、シークレットブーツか」

「…何じゃそれは」

「あ、いえ こちらの話しで。 えーと、義清さんは竹馬にでも乗っているんですかね?」

「馬鹿を申せ。 その様な仕掛けであれば目通りした者も見抜くであろうが」

「なら、どういう事です?」

「儂も訳が判らぬのじゃ! 信定様が偽りを申される筈は無いが、どちらも本当では筋が通らぬ…」


 無言で俯き考え込む3人である。

 が、教来石が顔を上げ勘助に進言した。


「考えて答えの出ぬ事は考えずとも良い事なのです。 止しましょうぞ」

「お、おう…そうじゃな」


 三人は手に持った握り飯に齧り付いた。


―――――――――

 昼飯休憩が終わり午後の作業となった犀川では、新たな工事法の実証実験が行われていた。

 勘助が届けた鷹羽注文の品と言うのは “手回しドリル” と “マイクロ発破” であった。

 手回しドリルは城西屋敷出入りの鍛冶屋に図面を渡し、鋼鉄製のドリル刃と共に作って貰った物だ。

 これを使うと石灰岩や砂岩・泥岩などの比較的柔らかい岩石に1㎝弱の穴を簡単に穿(うが)つ事が可能である。

 そこに細い金属の筒に火薬を詰めた “マイクロ発破” をセットし、爆発で発生するガスを逃がさない特殊な蓋で穴を塞ぎ点火すると、少量の火薬でも岩に亀裂を入れる事が出来るのだ。

 現代の発破(ダイナマイト)の様な、巨岩を一瞬で吹き飛ばす様な威力は無いが、これはこれで役に立つのである。

 巨岩を細かく割ったり砕いたりする場合、目利きが岩の筋を見極め そこに(たがね)(くさび)を打ち込む。

 するとその筋に沿って岩は割れるのである。

 筋を間違えると欠けるばかりで岩は割れない。

 “マイクロ発破” を使った場合、高圧ガスの力で岩の構造的に弱い部分に亀裂が入るので、目利きが居なくても鏨や楔を打ち込む場所が明らかになるのだ。

 亀裂の延長線上に再度 “マイクロ発破” を仕込めば 更に省力化が可能であり、初手から鏨や楔で岩を割る労力に比較すると数十倍も楽である。

 昼飯前に教来石が溜息をついて見上げていた大岩に鷹羽がよじ登り、適当な場所にドリルで穴を穿った。

 そこに教来石の家の若者が “マイクロ発破” を仕掛ける。

 大岩周辺から避難したのを確認し、数本の導火線が点火された。

 暫しの後 皆が見守る中でパンパンパン と乾いた音と共に大岩の表面数か所にピシッとヒビが走った。

 そして複数のヒビが繋がり、ゆっくりと広がって行き、大岩はゴロンと二つに割れた!

 出来た亀裂に鏨や楔を打ち岩を割る想定であったが、一発で割れてしまい、思った以上のデモンストレーションとなった。

 皆の歓声が上がり、口々に雷使いだの雷神だのと唱え、鷹羽を拝む者まで出て来る有様である。

 中でも一番興奮しているのが勘助であった。

 髭面に笑みを浮かべ、鷹羽の許へ駆けよって来た。

 鷹羽の背中をバンバン叩きながら喋り出す。


「これば使えるぞ大輔!」

「い、痛いんですけど…何が使えるんです?」

「この大岩割り じゃ。 義清に見せつけるのじゃ」

「は?」

「実を申さば、七尺の大男に川の小舟の話しなんぞしても 鼻で笑われそうな気がしての。

巧く行く気がせなんだが、義清の目の前でこれをやれば勝てる!」

「いやいやいや、村上へ持って行くのは共同事業の案でしょ? 勝ち負けは関係無い…」

「いんや、交渉事は勝ち負けじゃ! 相手を呑んで掛からねば事は成らず じゃ。

さて、目途は立った。 我は甲府に戻り義清を誘い出す招待状を考える。

大輔、計画書の形が見えたの、早急に纏めよ。

犀川の水運の儲けなんぞどうでも良い、書面に書くな。

それより水路整備が目玉じゃ。 神速で岩を砕くとぶち上げよ!

…義清の目の前で大岩を確実に割る算段も付けておけよ、良いな!」

「えぇー、そんな難しい事を…」


 勘助は風の様に去った。

 鷹羽には村上義清の度肝を抜くような破砕シーンの演出が厳命されたのであった。

 彼の脳裏には上原城の広場で繰り広げられた、諏訪頼重(よりしげ)との法力合戦の悪夢が蘇るのであった。 ※1


※1:思えば鷹羽先生は初手から火薬を使った目眩(めくら)ましで世渡りして来たのだな。 法力合戦は第12話を参照の事。


第78話・敵も振り向く 『事業計画書』 完

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