第75話・楯岡道順 東奔西走
村上の動きにワタワタと対応してきた甲斐・武田でありましたが、他国もそれぞれの思惑でワタワタとしているのでありました。
お互いのワタワタが忙々を呼び、あみだくじの様に何処へたどり着くか見えなくなるのは、現代でも良く見受けられますね。
そう、大抵の事は計画通りには行かないのです。
なのに大層な計画を立てるのです。
今回はその辺りを俯瞰的に抑えて行きましょう。
…別に村上との対決を焦らしている訳じゃないですよ…いや、本当だって。
戦国奇聞! 第75話・楯岡道順 東奔西走
ここは駿河国 雪斎党の屯所の一つである。
香山たちが根城としている山寺で、ショッカーの秘密基地みたいな物と思っていただいて結構である。 (例えが古い…)
以前は多くの修験者(姿の伊賀者)が屯していた堂内は、今は人影も無くひっそりとしていた。
『青田刈り作戦』でフル稼働していた実働部隊はボーナス休暇に入り、殆どが伊賀へ里帰りしていたからである。
静まり返った中、奥から藤堂の不満気な声が聞こえて来た。
「香山教頭はちゃんと伝えたんですか? 武田を本気で潰すタイミングだって。
村上使って武田を潰して鷹羽君に火薬の製法を吐き出させないと、鉄砲持っている意味が無くなるっての…」
「その様な事、雪斎様に何度も申し上げて居るわ!
したが雪斎様とて、寿桂尼様が武田贔屓では仕方ないでは無いか!」
「いやいやいや、そこを何とかするのが香山さん…教頭先生の力なんじゃぁ無いんですかぁ」
「それを言うならお主こそ、今まで散々傭兵を集め 高遠だ小笠原だと嗾けて来たが、功を奏して居らぬではないか。
歴史の知識を使うから任せて置けとか申し、勝手放題 銭を使いおって…予算オーバーだ!」
「だから~鷹羽が想定外だってぇの。 投石器だの爆弾だの持って来るなんて、予想できっこないでしょうが」
香山の部屋で向かい合った香山と藤堂が揉めている…
信長暗殺が成功し、こちらの意図を隠す必要が無くなった今、打倒武田に押し進むべき! と、今川家に迫った方針が却下されたのであった。
雪斎のその先 今川家のラスボス、寿桂尼様は親武田であり、村上義清への工作資金も止められたのである。
二人のやり取りを呆れ顔で聞いていた楯岡道順がシラケた声を掛けた。
「…それで三虎殿、これから如何するつもりじゃ? 義清と憲政には景気よく野臥を三、四千連れて来ると吹きましたからなぁ。
村上は其れなりに佐久に軍を進める構えを見せて居りますが、上杉は出る気があるやら無いやら…何がしかの手を打たねば、尻つぼみとなるでしょうな…
それと話は変わりますが香山殿、藤林様からの便りで 堺津に鉄砲が出回っておる由。
放っておいて良いのか伺いを立てよとありましたゆえ 申し上げますが…こちらも如何いたしましょうな?」
道順に問い詰められ藤堂、香山は顔を顰めた。
人から面倒くさい話しを振られるのは大嫌いなのである。…こういう所の反応は良く似ている二人だ。
最初に返答したのは藤堂であった。
「雪斎和尚が銭を出さなきゃ俺に持ち合わせは無い!つまり、傭兵は手当て出来ませ~ん…なんて事は言えないだろうね。
そうだなぁ、南佐久のもっと先、鶏冠山に金山が在るぞ…何て言うのはどうかな。
欲に駆られて攻め込んで呉れないかな?」
「なんと! 三虎殿そんな所に金山が御座るのか?」
「うん?武田の隠し金山では割と有名…」
「何故それを知って居る?もしや我とは別に透波衆を雇ったのか?」
「あ?…それは…だなぁ」
思いつくままに喋っていた藤堂が口籠った。
道順や藤林たち伊賀者には自分や甲斐の城西衆が未来人とは知らせてはいない。
泥棒集団に金庫の在りかを教える様な、馬鹿な真似はしないのである。
藤堂に代わり、香山が口を開いた。
「まぁその様な物じゃ。 我等の特別な力は神のお告げと、念には念を入れた調べで強くなるのじゃ。
お主等伊賀者のみを信じる程、人好しではないと言う事じゃ」
揉めてはいても本能的にカバーし合う、悪だくみに長けた者同士である。
今度は藤堂が香山に代わり、藤林への対応を答えた。
「堺の鉄砲は捨て置いて良し! 数丁が出回った所で大した脅威じゃない。
…但し玉薬は買い占めろ。
その位の銭は和尚さんが出してくれるでしょ?ねぇ教頭先生」
藤堂の回答に香山は満足した様に頷き、道順へ指示する。
「藤堂の申す通りを藤林に返答せよ。 それと村上への返答も藤堂の案で答えて置け。良いな?」
と、上から目線の香山である。
道順は嫌な顔もせず、頭を下げ答えた。
「承知! 藤林様への返書は左様に致しましょ。
したが我はこれより雪斎様に呼ばれて御座る。 どうやら直々の御用を承る事となり申そう。
ゆえに村上、上杉へのお使いはそちらでご用意いただきたく。 では御免!」
道順は最後にニヤリと意地の悪い表情で笑い、部屋を出て行った。
残された二人は何故か 負けた気がした。
―――――――――
さて 次なる場所は同じ駿河でも今川館である。
密談用の小部屋に太守・今川義元、軍師・太原雪斎 そして寿桂尼様が集い、密談をしている。
雪斎が寿桂尼の指示で取りまとめた、対北条和睦案を説明している所であった。
ここでちょっと北条家と今川家の関係についての解説を挟む。
北条家と聞けば、鎌倉幕府の初代執権北条時政から17代北条貞将まで、日本の実質的支配者であったビッグネームの北条家を思い浮かべるかもしれないが、あそこは今川家の本家筋に当たる 室町幕府の足利家に滅ぼされている。
では今の北条家は何処から来たか? と言うと、知る人ぞ知る 風雲児・伊勢新九郎が一介の素浪人から伊豆韮山城を足掛かりに、相模の国を掠め取り 北条早雲を名乗った事で出来た家である。
下剋上の見本の様な、尾張織田家同様の新興大名家である。
実際は室町幕府の役人だった伊勢新九郎盛時が、幕府の承認を受けて相模に入った様であるが、その紆余曲折はとても長くなるので別の機会に譲る。
で、北条家と今川家の関係であるが、一言で言うとズブズブであった。
先代・今川氏親は北条早雲が育てた、と言っても否定できない程の関係である。
家督相続で劣勢であった氏親は伊勢盛時(後の早雲)の援助を受け、当主となったのだ。
また、幕臣でありながら堀越公方・足利政知の直臣となり 伊豆国に所領を有していた伊勢盛時は、時には今川の武将として出陣し遠江を制圧した。
その後も今川氏親は西へ、伊勢新九郎は東へ、連携しつつ互いの領国を広げる、共闘勢力であった。
つまり家格では将軍家御一門の超名家の今川であるが、北条家側では “駿河今川家は、伊勢新九郎が庇護し、整えてやった家” の認識だったのだ。
そんな今川が何の相談も無く、武田信虎の娘を今川義元の正室に迎え、甲斐と同盟を結んだのだ。
一方的な裏切りと受け取った2代目、北条氏綱は灸を据えるべく、河東(富士川以東の今川領)に攻め込み 占領を続けた。
しかし現当主 3代目、北条氏康は上から目線を続けられない、ヤバイ状況であった。
戦上手の先代 氏綱は相模国に続き武蔵国まで版図を広げたが、病に倒れ2ヵ月足らずで死去した。
氏綱に追い散らされ、互いに疑心暗鬼となりながら燻ぶっていた扇谷上杉、山内上杉が、北条家が代替わりしたと見るや手を組み、反撃に転じたのであった。
北条としては武蔵国の戦線と駿河河東の2方面の戦線維持が危うくなっていたのであった。
探りを入れると 寿桂尼の読み通り、北条氏康は今川との和睦を欲していた。
今川としては北条の窮状を利用し、河東からの撤兵を条件とした和睦案でゴリ押しする事も出来たが、雪斎の野望に鑑み北条を傷めない策を取る事としたのだ。
雪斎の野望を少し説明すると…
雪斎の宿願はこの戦国の世を正しい世に戻す事であった。
雪斎の考える正しい世とは、幕府が権威を取り戻し 諸国を強固に束ねる世である。
しかし今の幕府、足利将軍家は幕臣の権力争いに飲み込まれ、統治能力を失って久しい。
ゆえに乱世を正すのは将軍職を継ぐ家格を持つ今川家しかなく、愛弟子の今川義元こそ 適任者である。
今川家が上洛し天下を治めるには、背後の坂東を北条に抑えさせるが上策との判断であった。
そこで和睦の条件は武蔵国攻略の援軍を申し出、そちらの領地が取れたら河東を返して貰うと言う提案であった。
単に和議を得るだけで無く、長年事あるごとに上から目線で意見して来た北条家に恩を売り、マウントを奪い取る策なのだ。
説明を終えた雪斎に寿桂尼が満足気な表情を向けた。
雪斎案の正式採用が決定した。
―――――――――
場面は変わり今川館の一室、雪斎の書斎である。(ややこしい)
小さいが贅を尽くした造りの部屋に上品な調度品が並んでいる。
寿桂尼へのプレゼンが終わった雪斎が、疲労の表情を浮かべながらも 書きものをしている。
そこへ部屋の外から護衛の声が掛かった。
「楯岡なる者が控えて居りますが…」
「うむ、通せ」
戸が開き入って来た道順が深々と平伏し
「仰せに拠り罷り越しました楯岡道順に御座います。此度は直接のお声がけ祝着至極にて…」
「うむ、頭を上げよ、挨拶はその程度で良い。
其の方を呼んだは上野へ使いに行って貰いたいからである。
知っての通り今川は北条と戦を抱えて居るが、手打ちを致す。
が、武蔵、上野を手打ちの土産にしようと思うての」
雪斎は言葉を切り 理解しているか確認するかの様に道順を見つめた。
道順はおずおずと頷き、次の言葉を待った。
「…そこでじゃ、其の方に策略を伝えるゆえ、上州へ向かい 獲物に嵌め手を仕掛けよ。 良いな?」
「…その様な重きお役目、なぜ某の様な賤なる者に?」
「其方はあの三虎と共に上杉憲政に目通りして居ろう? それだけでも嵌め手には有利。
それに伊賀者は嵌め手搦め手に慣れて居ろうゆえ、呼んだのじゃ。
身分の貴賎など 何程の事があろうか。 天下の役に立つか否かが重要である」
「ははっ! …獲物は上杉で?」
雪斎は無言で頷き、堰を切った様に策を喋り出した。
「此度の策は遠交近攻を装い軽慮浅謀なる上杉憲政を誘い出し…」
「わわわ! もそっとゆるりとお話し下され」
大僧正の言葉を採録するのは困難なので、現代の読者諸氏には作戦の要点を整理しお届けしよう。
雪斎は付け焼き刃の同盟を誘い込み、撃破を狙っている。
具体的なターゲットは連合軍の要と目される、山内上杉憲政だ。
年若く優柔不断な上杉憲政に今川から 以下の誘いを掛ける。
①今川は北条との紛争地 旧領の河東を取り戻すべく、富士川沿いに兵を集める。
②北条は河東防御の兵が必要となるので、上杉との前線 河越城付近から兵を抜く筈。
③兵が少なくなったのを見極め、上杉等には河越城を攻め立てて欲しい。
④今川は時を同じくして富士川を渡り兵を進めるので、北条を東西から挟み撃ちとする。
⑤山内上杉が扇谷上杉と周辺国衆を取りまとめ、北条を打ち破った暁には 今川家より将軍家に “関東管領天晴なり” と報告を入れる。
オマケに、河越城の一番槍の家には今川から褒賞を出そうではないか!
と言う物である。
が、実は…
・今川と北条は和睦し、河東の睨み合いはフェイク。
・河越城の北条兵は退いたと見せかけて、付近で伏兵化させる。
・今川と手打ちし自由となった河東の北条軍と、富士川を渡った今川軍は河越城の邀撃に向かう。
・敵兵が少なくなったと油断し、褒賞欲しさに無秩序に攻め込んで来る連合軍を伏兵と河東からの軍勢で準滅する。
滔々と説明する雪斎の策を聞いていた道順は、恐る恐る口を挟んだ。
「その嵌め手を…某が上杉憲政に仕掛けるので?」
「左様じゃ。
扇谷の上杉朝定は病弱ゆえ放っておいても大過なく、古河の足利晴氏は北条の姫を室に迎え、北条寄りゆえ嵌め手を仕掛けるには色々と面倒。
…されば、山内の上杉憲政より居らぬであろう?」
「…否、その様な意味では御座りませぬ。
ああ…何と申し上げますか…実は某、上杉憲政に目通りした折、信州佐久へ攻め入るが良かろうと…兵の手当まで口に上げ申した次第にて。
あ、これは全て雪斎党の三虎殿の案にて…某は付き添って居っただけで御座りますが…」
「…それが何としたと?」
「佐久に攻め入れと煽った者が、武蔵河越が攻め時と申しても信用致さぬのでは?」
「信州への唆し、何か書状でも持参致したのか?」
「否、口約束にて…」
「ならばこちらは拙僧が書状を用意致せば問題なかろう。
兵の手当と申しても 其方等が用意しようとしたのは野臥が精々であろう?
こちらは今川の精鋭の加勢じゃ。
口約束と今川軍師の書状、野臥と今川精鋭軍、並べて見ればどちらを選ぶか悩むまでも無い事。
それに憲政は関東管領の威信を示そうと躍起になって居るようじゃ。
関東管領職は足利将軍直轄。 足利が滅ぼした北条を名乗る氏康は討たねばならぬし、庶流である扇谷の上に立つ為にも 河越城を取り戻して見せる必要がある。
喜んで乗って来るは必定…上杉憲政とはその様な者じゃ」
「憲政が乗ったとして…河越城への誘い込みは如何なりや?
恐れながら北条方と息を合わさねば、事の成就は難しかろうと存じますが」
「其れこそ其の方の得意とする事であろう? 其方は上杉の陣に留まり、ここぞと言う刻に攻め入らせるのが役割」
「は? 先ほど迄はその様なお役目は無かったと…」
「何を申す…嵌め手を仕掛けると言うは、嵌め手を成就させるが役目であろう?」
直接のご指名は出世の機会と喜んでいた道順であったが、かなり危険を伴う任務と成りそうな雲行きだ。
出来ればもう少し楽で安全な 後方攪乱的な任務が希望である。
「お役に立ちたいは山々なれど、某は藤林様の配下ゆえ、先ずはそちらの許しを得ぬことには…」
道順が保身に入ったのを感じた雪斎は事も無げに
「其の方は藤林某の下に立って居るのか?
常々某より腕も頭も上であると、藤堂に申しておったと聞いて居るぞ。
良い機会では無いか、その力量を見せては呉れぬか」
「…御意」
流石は雪斎、数枚上である。
伊賀者の人間関係まで掌握済みだ。
早速、道順は|上州へ走る…しかない。
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所変わって上州平井城、上杉憲政の居城である。
謁見の間では楯岡道順が直垂に引立烏帽子で身を包み、神妙な面持ちで目通りを待っていた。
普段は修験者姿を仕事着としているのだが、今回は今川宰相 太源雪斎の使いである。
威厳を演出する為の装束であるが、衣装に着られている感が半端ない。
荒々しく戸が開き、目付きの鋭い男に周囲を守られた年若い美丈夫が入って来た。
目鼻立ちの整った “貴公子” と言う単語が似合う若者である。
平伏する道順の前に気忙しく座わり、気忙しく声を掛けた。
「面を上げよ! …見違えたのうお主 本当に道順か? もう一人の、あの無礼な三虎とかは居らんのか?」
「は…お目通りいただき執着至極。 此度は、」
「挨拶など要らぬ。 待って居ったのだ! 約定いたした兵共は何処に居る?村上にせっつかれて居る。
我等の援軍は其の方が約した四千の兵を当てにしておったのだ」
危惧していた事が起きた。
先日の三虎の焚きつけにしっかり乗り、佐久攻めに向け動いていた様である。
ここは知らんぷりで押し通すしかない。
「は…先ずは落ち着かれませ。 此度はより良いお話を持って参りましたゆえ」
「ん…良い話し? 野臥四千より良い話しか?」
世間を知っている者であれば、良い話し とか 美味しい話し なんてモノは、苦労して探し出した末に手に出来る(かもしれない)物と知っているだろうが、憲政は躊躇なく喰いついた。
貴公子は脇が甘いのである。
雪斎からの書状を渡し、道順の解説付きで読ませる内に目が輝いて来たのが判る。
雪斎が予想した通り 口約束の野臥より書状と今川精鋭軍に飛びついたのであった。
道順としては 呆れ顔を向けない様に努力しなければならない程、疑いを知らぬ若者だ。
雪斎の餌を疑う気配も無く飲み込んだ憲政がキラキラした目で道順に喋りかける。
坂東の勢力を左右するキャスティングボートを握ったと、ご満悦なのである。
「なんと扇谷のみならず坂東をまとめる役を任せていただけるのか! 名誉な事である…
…して、河越の北条が兵を抜くのは何時になるのだ?!
我等としても兵を集めるには刻が掛かるからな!」
食い気味に喋る憲政に道順が抱いた思いは 獲物を釣り上げた喜びより、純粋な若者への心配であった。
“こういう若様には周りの者がしっかりしていないと駄目じゃないか” と、憲政の周りの護衛に目配せまでした。
そんな道順の親心に気付きもしない憲政は少し強めに問い直す。
「道順! 今川が富士川を渡るのは何時なのじゃ、 と訊いて居るのだが。
河越城を取り戻すを 扇谷に見せつけねばならぬのだぞ」
我に返った道順は内心ドギマギしながら、口からは抑揚を抑えた声で
「…あぁ、戦は相手があり申すほどに、何月の何日とは決められませぬ…
されど心配はご無用。 我等の手の者が河越を見張って御座る。
ここぞと言う時期に某がお知らせ致しますゆえ、憲政様は扇谷と古賀を率いて攻め込んでいただくのみで御座ります。
まだ暫し日が御座りますが、兵馬を整えお待ち下され」
「成程 左様か…先ずは兵馬を整え、 あっ…いかぬ」
「…どうなさりました?」
ついさっきまで目を輝かせていた憲政が眉間に皺を寄せ 爪を噛みだした
「箕輪城の長野業正じゃ…
乗り気でなかったのを 主命であると説き伏せ、一足先に佐久に送り込んで居ったのを忘れていた。
業正は弓矢巧者ゆえ頼りになるが、一々 儂の差配に意見をしおるゆえ、考えぬ様にしていたせいじゃな。
“己が目で見て判断せよ” だの “下知を出す前に三度考えよ” だの小煩い。
…そう言えば爾らの申した 兵四千 も疑って居ったのを、無理やり黙らせ 出陣させたのだったな」
憲政のボヤキに道順は 若様の周りにもしっかり者がいるじゃないか と、安心した。
が、我の役割を思い出した。
しっかり者の意見で憲政が慎重になられると それはそれで拙いぞ と。
道順も瞬時に顰め面となり、憲政のボヤキを肯定する。
「河越攻めは迷いは禁物。 憲政様の下知に素直に従う者のみを連れて行くが宜しかろう と存じますぞ」
「…否、扇谷や古賀を従がわせるには、業正を先頭に立たせるのが一番。
…連れて行かねばならぬが、素直に言う事は聞かぬであろうな…如何に説得するか…」
憲政と目が合ったのを道順は感じた。 …嫌な予感が走った。
「そうじゃ道順! 其許が箕輪…か志賀…かは判らぬが、業正を追いかけ、此度の策を説明して参れ」
「否いやいや…某は長野業正様とは面識も無く、その様な話し お信じにならぬと…」
「儂が書状を書けば問題なかろう。 それにこの雪斎様の書状も持って行くが良い。
北条に仕掛ける謀、一番知って居る其方の口から説明するが、一番判ると言う物である」
道順はデジャヴに襲われ、反論する言葉が出てこなかった。
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街道である。
上州を通る街道を急ぎ足で北上する数人の修験者。
ここ迄お付き合いいただいた読者なら察しが付くと思うが…そう、楯岡道順とそのサポートである。
上昇志向の強い道順は些細なチャンスも見逃さず、己の才覚を売り込んできた結果、駿河今川の宰相 太源雪斎の直々の仕事を受けるという大出世を遂げたのである。
しかし道順の心はモヤモヤが消えなかった。
上座に御座す人々に、良い様に使われているとしか思えないからである。
雪斎にしろ上杉憲政にしろ、なぜ人に命じるのに迷いが無く、どうして人が従うのが当然と思っているのであろう…
そしてなぜ自分は命じられるままに東へ西へ走っているのであろう…
今もなぜか箕輪城へ長野業正説得へ向かう道中で、道順は一人心に誓うのであった。
”見ておれよ、直ぐに雪斎も藤林も蹴散らして、一国の主になってやる”
それぞれの思惑と謀の連鎖、そして上昇志向の発露が重なると 下剋上の芽が発生するのである。
こうして戦国の世は 今暫く続くのであった。(なんだこの終わり方は…)
第75話・楯岡道順 東奔西走 完




