第74話・本当は凄い村上氏
実力の正しい評価って難しいですよね?
“人の値打ちと煙草の味は煙になるまで判らねぇ” なんて都都逸で謡われる位ですからね。
そうかと思えば アイツ運だけで世渡りしてるな って人もいらっしゃる。
“運も実力のうち” なんて言葉もありますからね。
…ついてるヤツに言われたら、ぶん殴りたくなる言葉ですけどね。
戦国奇聞! 第74話・本当は凄い村上氏
待ちに待ったと言うか、逃れ得ずついにと言うべきか 村上義清の佐久平侵攻が開始された。
しかし今回は先般の小笠原長時や高遠頼継の、軍勢が雪崩れ込んで来る と言う派手さが無い、ジワ~と滲んで来る 浸透作戦であった。
具体的には村上方に属している小領主を先頭に、佐久平を北から南へ軍を進め、敵と遭遇したら、柵を作らせ陣を張る…以上である。
村々を焼いたり乱取りを働いたりする事もなく…つまり武田方を積極的に挑発する事なく、領土宣言をするだけ。
村上方の真意も掴みかねる軍事行動で、望月盛時や大井貞清なども、全面衝突でなければ…と、おっかなびっくり軍を進め 武田方お稲荷山付近の防衛線で睨み合っている状態なのである。
対峙していた武田方の甘利虎泰も、防御に徹する様厳命されていたので、無理に押し返す事もせず 戦線は膠着した。
…困ったな。…膠着している場面は、やることが無い。
只 時の経つのを待っていても仕様が無いので、時系列を少し遡り、山本勘助が諏訪上原城に来る直前の様子をお見せしよう。
甲府で村上義清対策がどの様に検討されたか? の場面である。
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城西屋敷、御経霊所吽婁有無である。
最近では雪斎党(歴史干渉)絡みの案件が多くなり、最高機密の会合…って事で ここの使用が多くなっている。
参加者は ここの主 テクノクラートの駒井政武とスタッフ、甲斐国主 武田晴信とボディーガードの甘利信忠、それに情報機関の長 甲州透波の元締め秋山十郎兵衛である。
議題は当然 『村上義清の動向と対処』 である。
武田の軍議では最早定番となった、ヘックスシートに佐久平の情勢が中央の机上に並べられ、周辺情報が十郎兵衛から淡々と報告されていた。
と、板戸がノックされ訪いが入った。
ここ甲府では入室時のノックが定着しつつある様だ。
「遅くなり申した、勘助で御座る」
手に紙片を以て入って来るなり机上をチラと見た勘助が、途方に暮れた様に晴信に向け口を開いた。
「美月に捕まって居りまして…如何お伝えした物であろうか…」
消え入りそうな声である。
先日までは義清の居城葛尾城攻略を声高に述べていた勘助には似合わない声だ。
「如何した…手にしている物は城西衆の未来知識か? 美月から知恵を授かったのか?」
「これが知恵かどうか…美月は真田殿御妻女が亡くなられた事で、気が動転しておりましたゆえ、一概に信じ兼ねまして」
「勿体つけず見せてみよ」
「はあ…」
勘助は晴信の声に手にした紙を机に広げた。
そこには墨痕鮮やかに 『ダメ。ゼッタイ。』 と書かれていた。
「…何が、駄目なのじゃ?」
「…村上義清と戦わば、御屋形様が大負けする。 と、」
「?」
顔を見合わせている中から 口数の少ない信忠が反応した。
「…あり得ぬな。美月殿は村上と誰かを間違っておるのでは?」
「左様、今後得る年貢の量、調達出来る兵の数、飛丸などの武具の違い…どれを見ても武田が負ける目は御座らぬ。
ゆえにこの勘助、葛尾城攻めを進言して居ったのじゃ。
…ここは美月の言は無視し、佐久への陣立てをご裁可いただくが肝要と…」
「少し待たれよ」
コメカミに指を当て、話を聞いていた駒井が声を上げた。
現代なら絶対メガネのフレームをちょっと上げるタイミングである。
「美月殿の意見、無下に聞き流すは危険で御座ろう。
大体、我等甲斐の者は諏訪、佐久迄に注意を払うが精々で、村上は良く知り申さん。
善光寺平は遠いゆえ腰を据えた付き合いも無く、先代 信虎様が海野平攻略の目的で仮初の同盟を結んだ程度。
したが改めて村上家を見れば、鎌倉の頃より北信を支配し、この戦国の世でも領地を守って居る。
それなりの力を持った家と見るべきであると思うが如何に」
何事も慎重な駒井は、内心気掛かりであった事のチェックに美月の言葉を使った様だ。
山勘の語源とも言われる勘助の打算とは対極を成すのである。
鋭いパスを喰らい口籠った勘助を横目に見て、秋山十郎兵衛がニヤリと笑った。
勘助が登用される前は諜報・分析を一手に受け持っていた十郎兵衛は、最近 城西衆に押され気味であった。
特に諏訪上原城では中畑に顎で使われる等、いい所がなかった。
ここは長年の諜報の成果を示す良い機会と喋り出した。
「軍師殿は多忙ゆえそこ迄手が回らぬと見えますな。
ならば某から、義清の全てを報告させていただきましょう。
そもそも村上の祖は高句麗からの渡来人との説あり、または甲斐武田氏と同じ清和源氏が祖とも称し、その実 白河上皇を呪詛奉り、信濃村上郷に配流された罪人の子孫との説もあり…」
敏感に十郎兵衛の挑戦を感じ取った勘助が混ぜっ返す。
「つまり何も判らんと言う事じゃな。その様な話しで良ければ、我も山ほど知って居るぞ。
まずは義清の官位漁りじゃが…」
「話しはこれからで御座る!お静かに!」
―――――――――
えー中の人です。
十郎兵衛さんと勘助さんのマウント合戦になって来ているので、こちらから掻い摘んで村上家をご紹介させていただきます。
今までも名前だけは度々登場していました “村上義清さん” をさらっと紹介出来れば良いのですが、中々掴み所と言うか、実体が見つけ辛い人なんですね。
なので、最初に村上家から紹介いたします。
信濃村上氏の成り立ちは先程 十郎兵衛さんが語っていた様に諸説あるのですが、平安後期から信濃の国 更級郡村上郷に土着していたのは確かな様なので、そこそこ古い家柄です。
平安時代後期と言えば まだ貴族が支配する社会で、官位が幅を利かす世の中でした。
官位とは役目である官職とその職に就く為の位の総称で、官職とは “左大臣” とか “大納言” とか言うヤツ、そして位は “従五位上” とか言うヤツです。
信濃村上氏の祖とされる源仲宗は白河天皇の蔵人に任ぜられますが、位階は六位です。
正一位~少初位下 までの約30段階ある中の下の方、蔵人職では最下層です。
まぁ一般的な上級貴族は都から外には出ませんので、国司でも無いのに山奥の信州在住と言う時点でノンキャリアの家柄確定なんですけどね。
公家から武家へ権力が移行しだす平安末期、源平合戦の混乱期には木曾義仲軍に参加したと思えば、途中から後白河法皇の軍勢に味方し、義仲軍と戦いますが敗戦…
信濃に逃げ帰り、息を潜めている所に源頼朝が義仲討伐の軍を起こすとそれに参加…華麗なリターンエースですね。
その後の平家追討にも参加し一ノ谷の戦いで活躍した様で、信濃の領地をガッチリ死守します。
そしてやって来た新時代、鎌倉幕府の下では あんなに頑張ったのに一御家人という地位に甘んじる事となります。
平家追討に功績があり、かつ 源氏出自なのに何故? ですが、源頼朝の系統ではないと言う理由で一般人扱いです。
…モヤモヤしますね。
頼朝が急死し、2代3代将軍のどさくさに紛れて幕府の実権が北条氏の手に移ると、北条氏と血縁や姻戚関係のない村上氏は幕府の中枢からは忘れられます。
決定打は執権:北条義時と後鳥羽上皇の対決、承久の乱に参陣しなかったことでしょう。
村上氏の存在感は皆無です。
地縁血縁、盆暮れの付け届けは大事にしなければ…と言う事なのでしょうが、信濃の奥で村上家は孤高の存在となります。
しかし歴代の村上氏は鎌倉幕府に対して忠誠心も無くなり、不満を募らせていったんでしょうね。
世の中が鎌倉幕府討幕に傾くと、ここぞとばかりに幕府軍と戦い続け、討幕後の ”建武の新政” 下では誉ある 『信濃惣大将』 と称せられるんです。
…でも 『信濃惣大将』 って、なんか “いよ!お山の大将” って呼ばれている様で、可愛いなと思っちゃうんですけどね。
さて最初は有力国人として持ち上げてくれた室町幕府ですが、直ぐに南北朝争乱期に突入し、半世紀かけて南北統一させた頃にはすっかり考え方が変わっていました。
有力国人なんぞ邪魔だ!足利一族による守護支配強化に限る! と言う路線ですね。
ここでも重要されたのは血筋でした。
足利一族ではない村上氏は、厄介な国人衆の代表格と位置付けられ、またしても軽視される流れになるのです。
幕府から送り込まれた信濃守護が足利一門の斯波氏や小笠原氏な訳で、その後100年以上に渡り小笠原氏は言うに及ばず信濃のあっちこっちの名族と抗争を繰り返すと言う、結果 厄介な国人衆としての歴史を刻んでいる訳です。
で、現在の当主 村上義清ですが武田晴信より二回りほど年上の40代半ば、脂の乗り切った武将です。
代々悔しい思いをして来た血筋に拘りがあるのか、母親は室町幕府三管領家の斯波義寛の娘。
正室は信濃守護・小笠原長棟の娘、と 幕府に阿る様な血筋改造を行っているのですが、風下に立つ気は全く無いのです。
幕府に対するもう一方の権威、朝廷への付け届けも忘れません。
結果、順調に官位もゲットします。
元服するや否や中宮権亮を称し、翌年には従五位下に叙位し佐渡守に任官します。
6年後には従四位下に昇叙し、左衛門佐に転任。
更に6年後には左近衛少将に転任し、10年後 35歳の頃には正四位上に昇叙しているんですね。
…と言われても、何のことやら と思いますが、
中宮権亮は天皇の后に係わる役職ですし、左衛門佐は都のあちこちにある門を警備する衛士の職です。
どちらも都に居なければ出来ない役目ですね。
現代で例えるなら長野在住ですが、ロンドンバッキンガム宮殿の警備を受け持っています…と言う様な物で “出来る訳あるかい!” な設定です。
つまりナンチャッテの官位ですから、勝手に名乗れば良いとも思うんですが、そこはそれ。
権威付けの為には、お墨付きが必要なのですよ。
宮中と取り巻きの公家は官位を売って生計を立てているので、其れなりの財を積んでお許しを得る訳です。
先祖は六位でしたので役500年かけて正四位上まで よじ登ったんですね。
今更どうでも良いじゃないかと思うのですが、執念ですね~執拗いいですね~。
ここら辺の依怙地さ、執念深さが村上家の性質なのかもしれませんね。
ここで終わると幕府からも朝廷からも軽んじられた、可哀そうな地方豪族の話しになってしまいますが、本当の実力はここからです。
私たちが知っている武田晴信(武田信玄)は戦上手で負けない武将として名が通っています。
若き日の徳川家康をいとも簡単に手玉に取ったり、戦国最凶の信長を最も恐れさせたのが信玄です。
生涯戦績は72戦中49勝3敗20分 と言われていますが、その3敗を取ったのは誰あろう村上義清なのです。
これは武田にとって余程相性が悪いのか、呪われているレベルですよね。
歴史上の特異点だと思うんですが、一般的には左程知られていないのです。
あ!そうそう、村上神話をもう一つ。
村上氏と言えば瀬戸内海の海賊 “伊予の村上水軍” も知る人ぞ知る集団でよね。
あの村上氏も辿って行くと信濃村上氏の庶流ってぇのが有力説なんですって。
山でも海でも一泡吹かせますって、どんだけアウトローな家なんだって思うんですけど…これも大して知られていないんですよねぇ。
あれ?結局、可哀そうな地方豪族となってしまうのかな。
えー長い話しになってしまいましたが、以上 村上氏と義清さんのアウトラインの紹介を終わりたいと思います。
現状分析の方は御経霊所吽婁有無さんにお返ししまーす。
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御経霊所吽婁有無では秋山十郎兵衛からの調査報告が終わろうとしていた。
流石 甲斐透波の元締めが仮想敵と定めた相手に対する調査である。
義清の本拠 葛尾城に運び込まれた兵糧の種類や量から城内に生えている樹の本数、深志から離反し身を寄せた元小笠原長時の家臣の名前と家紋、義清軍の馬の体色と数まで、範囲も深さも多岐に渡る報告であった。
しかし村上義清と言う人物を類推するには、決め手に欠けていた。
瞑目し聞いていた勘助がボソッと声を発した。
「大層な調べではあるが…義清が何を考えて居るかを探るには、足らぬな。
義清が何を好いて居る…とか、怒りっぽい質…とか、その手の話しは聞いておらぬのか?」
人がどの様な行動を取るかを予測するには犯罪捜査でも利用されるプロファイリング手法が有効である。
それには個人の性格、価値観、知性を知る事が重要なのだ。
勘助はFBIでプロファイリング手法を習った訳では無いが、長年の軍師の修行から必要な情報を嗅ぎ取っているのだろう。
十郎兵衛が勘助の問いに答えようと、手元の書き付けをひっくり返しているのを横目で見ながら、信忠が助け舟を出す。
「葛尾城下での噂話は仕入れて居らぬのか? 得てしてその様な物から正体が判るものじゃ」
「噂話… “義清馬回りが持つ長柄は甚だしく長い“ とか ”越後の長尾為景と一日六度戦って六度勝った“ …などと言う話しは記されて居りますな」
「甚だしいとは、どの程度じゃ?」
「…四、五間(7~9m)とあります」
「…」
この当時の槍の長さは区々ではあるが、1.5間(2.7m)~3間(5.4m)程度が普通だ。
また、一日六度戦う と言うのも、盛り過ぎ或いは、逆に小競り合いレベルではないか…である。
どちらも何処まで尾ひれだか判らない物と受け取られるレベルだ。
勘助が再び声を発した。
「何を考えて居るか判らぬ相手…と言う事じゃな。 されば、佐久への陣立てを躊躇する必要は無いと…」
と、今まで黙って聞いていた晴信が初めて口を開いた。
「記録魔の政武に訊くが、村上義清の人となりを知る者は家中に居らぬのか?」
「左様ですなぁ、我が武田と村上の接点…
某が知って居りますのは、先代信虎様が義清の城、佐久平賀城を落とした…
その際の和睦の条件については、晴信様が御存知では?」
「ん? おぉ そうであった。 板垣の爺が交渉に当たったが…書面のやり取りだけであったな」
「成程、それで板垣様は村上など恐れるに足らずと申されて居るのですな…」
駒井と晴信の会話に勘助が割り込んだ。
「海野平に攻め込んだ際は如何されたので? 武田、諏訪、村上で同盟を結んだのでありましょう?」
駒井が少し首を傾け、当時を思い出し答えた。
「あれは…諏訪家を通じてのやりとりであったな。 つまり 我が家中には義清と言葉を交わした者は居らん、となるか」
「それは残念ですなぁ。 面と向かって語り合ったならば 相手の事がもう少し判ったでしょうに…
さぁて、これ以上語って居っても刻の無駄、佐久への陣立てを先に進めるが宜しかろうと存じます。
如何ですかな、御屋形様」
勘助に念を押された晴信は一旦髭を捻り
「そうか 対面して相手の真意を探れば良いのじゃな…
ならば勘助、先ずやる事は美月をここへ呼んで参れ。 巫女殿の御託宣を受けて見ようではないか」
「は? …仰せのままに」
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さて、御経霊所吽婁有無に呼び出された中畑と鷹羽である。
現代であれば疲労の色が浮かぶオッサンズにリポDかレッドブルの一本も差し入れて上げたい所ではあるが、手ぶらである。
晴信が張りのある声で美月に声を掛けた。 流石は一番の若手である。
「美月、呼び出したは ちと訊ねたき義があったからじゃ。
其の方は勘助に 村上義清を攻める事は罷り成らぬ と申したそうじゃが、その言葉 巫女の霊力なるか、未来の知恵なるか?
嘗て 真田幸綱を調略すべしと申した折も訊いたが、あの頃よりは随分と様子が変わったのではないか?
雪斎党らが勝手放題したゆえ 其方等の存じて居る歴史と変わって来るのではないか?
既に新しき歴史の流れに進んで居ると、先日 大輔が申して居ったであろう?
その上でなお、義清との矢合わせは避けよ と申すのか?」
問われた美月は眉間に皺を寄せ考え込んだ。
村上義清って名前を聞き 鬼門だと思ったのは真田オタクの知識であり、勘助に詰め寄ったのは本能の命ずる行動だ。
論理的に考えている訳では無い。
何しろ美月は音楽教師であり感性の人だ、理科教師の鷹羽とは違うのだ!
そこ迄思考が進んだ美月は隣の鷹羽を睨みつけ宣った。
「義清は鬼門なんです。 それは確実です!
それって教頭先生が信長を●した事と関係あるんですか? 無いでしょ?
そこら辺の難しい事は鷹羽先生が得意でしょ? 説明宜しくお願いします!」
「は?…うむ」
いきなりの指名であったが、鷹羽は鷹揚に頷いた。
この展開は何度目であろうか…さすがに慣れた。
室内のメンバーを見渡し、喋り出す。
「えーと確かに雪斎党が盛大に…厳密に言えばオレたち城西衆も多少、歴史に干渉して来ました。
その結果、我々が知っている歴史と外れつつある事が起きています。
事によると この時期に戦が起きたのも、そのせいなのかもしれません…」
探る様な目で駒井が問いかけた。
「ならば…村上と戦をしても、負けるとは限らぬ…と言う事か?」
「…そうですねぇ、只、変わらない事も有ります。人の持っている本来の能力です。
先日も言いましたが 勝つには勝つ理由、負けるには負ける理由があって…
勝つ理由が大将の能力だったら、戦う場所や時期が変わっても やっぱり勝つんじゃないかな…と」
と、鷹羽の言葉に晴信がニヤリとしながら突っ込んだ。
「ほぉ、大輔は村上義清が儂より強いと申すか?」
「え! いやいや そうは言ってませんって!
歴史に強い中畑先生が “武田軍の強さは天下一” って言ってましたから」
「ほぉ、天下一 か…はははは」
何の裏付けになるのか判らないが、美月の言葉に皆がご機嫌になった。
室内の雰囲気が良い所で鷹羽が言葉を続けた。
「その天下一の武田軍が村上義清に負けたのも、歴史的事実らしいのが、気になるんです。
蛇に噛まれるか噛まれないかは判らないですが、毒蛇と判ってるなら近づかない方が安全だ。
中畑が言いたいのは そう言う事では無いでしょうか」
鷹羽の説明に勘助は不満そうであったが、駒井と晴信は大きく頷いた。
と、十郎兵衛が遠慮がちに小さく挙手をした。
目聡く気付いた晴信が声を掛ける。
「どうした十郎兵衛?」
「はっ、御屋形様のお伝えして居らぬ事が御座りまして…
一時葛尾城に修験者が頻繁に出入りして居り、その者の人相が楯岡ノ道順と似ておったと」
「…誰であったかの?」
「はっ、雪斎党の一味では無いか…と思われる伊賀者に御座ります。
此度は高遠、長時が時と違い、野盗野臥が集まる動きが見えませなんだゆえ、ご報告は省いておりましたが、美月殿の申す事を聞いて居る内に、村上と雪斎党がくっ付くは 甚だ厄介と思えて参りまして…」
「うむ…」
晴信は暫し髭を扱いた後、勘助に宣言した。
「義清と正面からの戦は避けよ。
大輔らが申す様に毒蛇は往なすが得策じゃ。
したが、打ち掛かって来る者を往なし続けるのも無理な話。
義清と戦わずして打ち負かす策を考えよ」
勘助は天を仰ぎ 次に項垂れた。
数舜の後 晴信に向かい絞り出す様な声で
「刻を掛けて練りました村上への軍略をやり直せと?
…承知致しました!無論、御屋形様の命、嫌も応もある筈なし!
…したがこの勘助、一向に知恵も回り兼ねます。
何に喰いつくかも判らぬ相手に、戦わずして打ち負かす策 など、一朝一夕に湧き申さん」
すっかり臍を曲げてしまった様だ。
その様子に晴信も機嫌を取る様に
「勘助、文殊じゃ文殊。 皆で知恵を出せば良き策も見つかろう。
政武、考えは無いか?」
「…真田殿の知らせから見ると、村上は中々 銭勘定に渋い。 領地より銭が儲かる話しであれば…」
秋山十郎兵衛が豊富な調査項目から駒井案を裏付けるデータを出して来た。
「善光寺平は海野平や佐久平よりは肥沃ではありますが、米を育てるには些か寒く御座る。
代わりに麦、蕎麦を育てるは我が甲斐と似て居りますな。
名産と言える物は…梨しか無し」
十郎兵衛の最後の言葉に晴信が敏感に反応し、クックと笑いを嚙み殺している。
晴信は笑いの沸点が異様に低いのである。
話しが脱線しそうな流れを察し、甘利忠信が鷹羽にパスを出す。
「大輔! 義清を打ち負かす儲け話は 何か無いか?」
「儲け話と言われても… あ、駒井さんは しょっちゅう甲斐は貧乏だって言ってますよね?
で、勘助さんは湊が在れば儲かるのにって 返してませんか?
信濃も同じなんでしょ? 湊って作れないんですか?」
駒井と勘助がオッという表情となり、晴信の笑いの発作も消えた。
勘助は部屋の隅に常備している 『全国道路地図』 を取りに走った。 (※1)
そして善光寺平、今の長野市周辺を凝視し呟いた。
「ふうむ、村上の地を通る千曲川、犀川は随分と川幅が広いの…伊那の天竜川や甲斐の釜無川と比べると格段の差じゃ。
これならば、川船の水運が出来るやも…
大輔、これは盲点じゃった…我は湊と言えば、内心 駿河に出る事ばかり考えて居ったが、千曲川を辿り 越後へ抜けるも良いかも知れんの」
※1:久々の登場の 『全国道路地図』。 正確な地図は値千金なのだ。日本地図を持ち出そうとしたシーボルトも大事件に成ろうと言う物である。 この地図の有用性は第30話を参照。
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その後御経霊所吽婁有無では 対村上作戦のアウトラインは以下の方針となった。
①村上軍は佐久で受け止め、時間を稼ぐ。
②義清が振り向く 『事業計画書』 を作成し、プレゼンに向かう。
③成功すれば甲斐もそれで儲ける。 (Win winの関係)
と、①の案に従い村上勢を誘い込む為、敢えて南佐久まで後退し防衛線を張り、反撃も最小限とする作戦が立てられたのであった。
②の義清が振り向く 『事業計画書』 を書くには現地調査が必要であり、鷹羽たちが深志へ向かう事となった。
勘助は上原城に指令指示に向かうが、現状 相当ザックリした計画であった為、諏訪の信繫や幸綱にも詳細は伏せていたのである。
伏線回収?が完了した所で、今回は終了である。 お疲れ様でした。
第74話・本当は凄い村上氏 完




