第70話・ポイントカードで富国強兵
諸々雑事に追われ、遅筆となりました。 すみません…
さて今回は本国の状況を振り返ってみたいと思います。
八幡部隊を追い、1クール以上甲斐を離れていましたが 城西屋敷の生徒たちはどうしていたのか…
古澤先生不在で荒んでいないと良いですけどね。
戦国奇聞! 第70話・ポイントカードで富国強兵
読者諸氏はお忘れだと思うが、鷹羽大輔や山本勘助たちがガンバっているのは、御屋形様:武田晴信の夢 “民が戦で死なぬ国” を実現する為である。 (私も危うく忘れる所であった…)
非常に崇高であるが漠然とした目標であり、どこから手を付ければ良いか…な、案件である。
戦争は残酷であり、やってはならない事だ! と、現代日本人は条件反射的に思うのであるが、それは世界的、歴史的には必ずしも常識では無い。
誤解を恐れずに言うと 武器の性能・価格が桁違いになる近代までは、戦争は儲かる(かもしれない)事業であったのだ。
ましてや鉄砲出現以前の戦国時代であれば、新たな農地を開墾するより 隣国の農地を占領する方が確実! と言う理屈である。
しかしその様な世界でも、心ある者であれば 戦の悲惨さ理不尽さに痛みを感じるのである。
ゆえに歴史上数々の思想家、政治家、起業家が思考を重ね、対策を実施して来たが、成功例は心許ない。
そもそも、起きてしまった戦いを終わらせるにも、決定打に欠けるのである。 (これは現代でも言える事であるが…)
人類の理性と英知を以て、外交的方法で紛争を終わらせる試みは幾度となく、今現在も行われているのだが 結局どちらかが “もう限界…やーめた” と音を上げるまで終わらない…
所詮 人類の理性と英知は本能と体面に敗れるのかと思うと、圧倒的な力に拠る制圧と威嚇が 魅力的な解決策と思えるのも 判る気がして来る。
古今東西、この考えにハマった者たちは多い。
古代中国の秦の始皇帝は、武力による中華の統一が戦乱を失くす策であると思っていたし、古代ローマは武力+文化の力で周辺の蛮族を併呑し パクスロマーナ=ローマによる平和を目差した。
日本でも織田信長は天下布武を旗印に、武力による戦国の収束を推し進めた。
(こちらの世界では吉法師は暗殺されてしまったが…)
兵を雇い、他国を攻め滅ぼし、奪った財力で兵を増やし次の国を攻め滅ぼし…例えていうならば モンゴル帝国方式は短期間で群雄割拠の戦国期を終わらせる最適解かも知れない。
が、それも時と共に次なる勢力が台頭し、新たな戦国期が繰り返されたのが、歴史的事実でもある。
…うーむ、堂々巡り。
と、話しが大きくなってしまったが 本筋は甲斐の国であった。
城西衆、鷹羽先生が戦は中長期的にジリ貧であると力説し、教育こそが国力を上げ、他国を圧倒する力になると、寺子屋政策を進め、武田家は前途洋々…の筈。
だがしかし…である。
実は領民への寺子屋政策(基礎教育)は、当の領民から受けが悪いのであった。
理由は読み書き算盤を覚えても、食い扶持は増えないからである。
甲斐の国は四方を山に囲まれ、全土がほぼ傾斜地で農地が狭く 土地も痩せている。
以前より財務官僚の駒井政武は常々 “甲斐は貧乏で御座る” と言っているがその通り。
基本的な農業生産力が低いのである。
朝から晩まで家族総出で働いて、やっとやっと喰っている状態…貧乏暇なしを実践しているのが、甲斐の国なのであった。
そんな状況で貴重な労働力を奪っていく “基礎教育” は、無理やり動員される兵役と同様、厄介な押し付けであった。
基礎教育も兵役も うたい文句は “より良い未来の為に…” であるが、兵役の方が勝ち戦の時の 乱取り などの実利がある。
そんな訳で “基礎教育” は履修者が頭打ちの状況であった。
更に武田家中でも実利の見えない “基礎教育” は賛同者が少なく、評定で晴信が対策を求めても有効な案は出ず、政策として風前の灯火なのである。
―――――――――
ここは城西屋敷、第一教室である。
鷹羽先生による 『自然エネルギーの活用』 の授業が終了した所だ。
山本勘助と連れ立った駒井政武が見計らった様に入室して来た。
何事かと生徒たちの視線を集めた勘助が鷹羽に話しかけた。
「ちょっと良いか? 知恵を借りたい事が出て参っての…」
「はぁ…なら、別室へ」
「あ、否 これは文殊案件じゃで、皆が居るここが良いかもしれんな」
授業が終わり 遊びに出ようと腰を浮かせていた生徒たちであったが、知恵を借りたい等と言う言葉に興味を持ち 目をキラつかせ座り直した。
その空気を逃さず勘助が現在の武田家の課題を説明し出した。
「我が甲斐では大輔発案の “寺子屋” を開いて居るのは皆も知っての通りじゃ。
が、実は芳しく無くての…
寺子屋で読み書きそろばんを習っても、何も良い事が無い と申しておって、皆 通わぬ様になって来た」
「ワーオ不登校だ!こっちでも居るんだ!」
「やっぱ学校はメンドイもんねぇ」
生徒の誰かが咄嗟に反応、賛同する声も聞こえた。
混沌となりかけた時、教室の後ろにいた中畑先生が勘助に質問した。
「えー! 寺子屋が始まった時は皆喜んでたじゃないですかぁ。 何があったんですぅ?」
「あぁ…先般諏訪、高遠で戦があったじゃろ?
あれで諏訪満隆殿が深志の小笠原信定に詫び銭を出せと迫ったり、板垣様が伊那衆に新たな税を掛けたりと、揉めて居っての。
…武田家中でも兵の数が足りぬで 寺子屋どころでは無いでを閉めろ と…」
勘助の説明を聞き、珍しく鷹羽が怒り声を上げた。
「はぁ?どういう事です?
大体、細かい戦いはジリ貧だと何度言えば…そんな馬鹿な事を言っているのは誰ですか? 御屋形様ですか!」
「あ、否。 …無論 晴信様は申しておらんぞ。その様な声も家中からチラホラと…
まあ信方様も高遠で苦労されて居るのは判るが、取り立てを厳しくされてばかりで…いやはや」
「板垣様が言ってるんですか? もう少し、話が判る人だと思っていたのに、がっかりだな…」
「えー!ガマ様悪代官じゃん!」
生徒たちの野次に話しが逸れつつあるのを 駒井政武が立て直しにかかる。
「ウホン! 板垣様はさて置き、寺子屋の人気が失せたのもある。
呼び掛けても足軽には出て来るが、寺子屋には集まらん様になって来たのじゃ」
駒井の言葉に中畑先生が口を尖らせ喰ってかかる。
「危険な戦には出るけど安全な学校には来ないって事ですか? おかしいでしょ…」
「…戦で勝てば褒賞やら乱取りが出来るやも知れぬ。
読み書きが出来ても腹が膨れぬ、時間の無駄…があの者たちの言い分じゃ」
「お腹が減ってるの?…寺子屋に来たら給食、ご飯を出してあげるとか 策はあるんじゃ?」
「…炊き出しをせよと言うのか? その蕎麦だの粟だのは誰が出すのじゃ? 時も作物も取られ損と思うじゃろ…却下」
考え込む中畑先生に駒井が言葉を続ける。
「御屋形様は民草の教育が国を強くする事と、充分ご承知じゃ。
したが民に実利を見せねばその気にならぬ事も判って居られる。
そこで文殊案件なのじゃ。
声を大にして言う事では無いが、我が甲斐は貧乏じゃ。
銭を掛けずに民草がその気になる、良き方策が無いか 城西衆に尋ねてみよとの仰せなのじゃ」
駒井の説明を聞き、一様に腕組みし考え込む教室である。
生徒たちを眺めていた鷹羽は 徐に口を開いた。
「つまりだ “学校に行こう!キャンペーン” の案を出してくれ って事だ。
これは学校側の先生じゃなくて、生徒側の君たちの斬新なアイデアが求められているって訳だ。
( `・∀・´)ノヨロシク」
鷹羽の言葉に な~るほど…と頷いた生徒たちであったが “丸投げだね…” との冷静な声も聞こえた。
そんなこんなで久々のブレインストーミングの開始であった。
ブレストの詳細は時間を喰うので以下に流れを記す。
Q:寺子屋の学習は本当に役に立たないのか?
→A:算盤は役に立っていると聞いている(by中林巴)
Q:なら、なぜ時間の無駄と言われるのか?
→A:労働でやる事が沢山あり、時間が足りないから(by山本勘助)
Q:なぜ時間が足りないのか?
→A:労働効率が悪いのではないか?(by明野秀哉)
Q:労働効率を上げる方法は?
→A:作業の集中と機械化が図れないか?(by春日昌人)
Q:機械化って?
→ A:動力水車があるじゃないか! (by鷹羽大輔)
一同 “オオー” となったのだが、水車の建設はそれなりの技術と資金が必要であり、城西衆だけでポコポコ建設できる物では無い。
それに今回の命題 “学校に行こう!キャンペーン” と結びつかない。
名MCの古澤先生が居ない事もあり、迷走したままブレスト終了となるかと見えたが、和菓子屋の娘で歩く掲示板 中林巴の意外な一言から、突破口が開かれた。
ここに その言葉を採録する。
「うちの店で以外に効果があったのは “ポイントカード” だったよ!」
…ご理解いただけたであろうか? (判るか!)
うむ、難しかった様なので 今回まとまった “学校に行こう!キャンペーン” の全容をもう少し詳しくお知らせしよう。
まず領民にとっての実利とは、寺子屋で使う時間以上の労働成果だと仮定した。
そして教育受講者には水車の利用により、学習に使った時間以上の実利を与えようと言う考えである。
この当時の水車利用は第54話でも触れた通り、揚水が主であったが、城西衆の動力水車が稼働すれば状況が一変する。
現在 鷹羽設計の動力水車は実証実験を兼ね、城西屋敷の馬場近くに建設中であった。
用途は脱穀、製粉、製材などを想定していたが 他にも菜種油絞り、針金づくり、鉱石の粉砕、ふいごの動力、撚糸、漢方の生薬挽きなどにも利用可能であり、その生産力はこちらの世界では常識外れと言っても良いであろう。
そんな水車の使用権は絶対魅力的な筈である。
ただ、受講者全員に使わせるほどの水車はまだ、用意出来ない。
そこで考案されたのが “ポイントカード” であった。
読み書き算盤の進捗度を級付けし、教育ポイントを付与するのだ。
ポイントカードは村落単位に発行し、教育ポイントの多い村から、優先的に水車の使用権を与える。
また、水車の使用権を他者に転売する事も許可し、教育ポイントと村落の利益を結びつけたのだ。
機械化の実利を得る為には教育ポイントを集める必要があり、村人の “学校に行こう!” が促進される。
この制度が回り始めれば当然ながら 水車が足りなくなる筈であるが、水車普及にもポイントカードを絡める事を考えた。
水車建設、維持管理には水車の構造、動作原理を理解した者が必要で、別途技術者の教育は計画中だ。
技術者教育は無料とするが、受講条件は基礎教育履修者とし、教育ポイントの高い村落から水車の建設を許可するのである。
水車が村に有れば労働が楽になるだけではなく、近隣から収入を得る事が出来る。
機械化の実利を永続的に得るには、教育ポイントが必須になるのだ。
戦に出る方が利が有ると言っていた者たちも、一か八かの乱取りより、安全で永続的な実利が得られると納得すれば、率先して教育ポイント取得に動く筈である。
効率の良い維持管理も、学力が必要とされるので、学習が村の収入に直結する事となるのだ。
と、制度設計をしたが実際水車は建造にも維持管理にもお金がかかるので、必然的に裕福な村しか作れない状態になってしまう。
そこで今回の案では、初期建造費は領主(公費)持ちで、維持管理は村持ちとした。
領民教育に否定的な家臣は文句を言うであろうが、領地の生産力が上がれば年貢の額も増えるので抑え込める筈である。
余談であるが、日本の水車は村で共同利用されることが多いのに対して、ヨーロッパでは領主や教会などが製粉事業を独占し、水車に高い税金をかけた歴史がある。
水車小屋の番人は税の徴収人を兼ねたので、水車には悪魔のイメージが付き、『ドン・キホーテ』が粉挽き小屋の番人を悪魔と間違えて攻撃するシーンもこれが背景と言われている。
話しを戻し ポイントカードであるが、寺子屋を運営する寺にもポイント評価を導入する案が出された。
学校に点数を付けると言うのは、日頃一方的に評価されている生徒の逆襲的発想か、文科省の役人目線の案である。
具体的には 寺社ごとにポイント取得者数を記録し、武田家中に発表するのである。
通常寄進先は縁故に拠るものであるが、人目を気にする者は高ランクの寺社を選ぶであろうと言う心理を利用した制度である。
魅力的な授業をする寺にも、間接的な実利が向くシステムである。
斯くして 領民教育の寺子屋制度へのテコ入れ策は、ポイントカード運用と決したのであった。
―――――――――
話しの流れで甲斐が貧乏である理由をもう一つ紹介しよう。 (と、ふんぞり返る話しでは無いが…)
武田家では諏訪や伊那に領地が増えたが、地域経済は思う様に活性化してこない。
大きな理由は先に挙げた労働力不足だけでは無く、物流路の細さであった。
現代でも輸送コストが一番安いのは船、水運である。
陸路を運ぶとすると荷車などの車輪である。
前話までの舞台であった尾張の国は多くの港と湊を抱え、陸も大きな街道が通り、強大な経済力を持っていた。
それに比べ甲斐・諏訪の河川は急流で水運が出来ず、街道と言っても登山道に毛が生えた様な物である。
四方を山に囲まれ、平坦地が少ない甲斐、信濃は荷車が使える場所は僅かで、輸送は人が背負い 担ぎ上げるしかないのだ。
つまり、物流の高コストが原因で地域経済は停滞しているのである。
動力水車で生産力を上げても物流量が上がらなければ経済力は頭打ちとなる…
財務官僚である駒井は当然そこに気付き、後日 城西衆に物流効率向上のお題をぶち込んで来た。
当然の様に迷走したブレインストーミングであったが、画期的な案も飛び出した。
どの様に迷走したかを書き記したい所ではあるが、紙面の都合もあり採用されたアイデアの紹介に止める事とする。
出されたのは大林渉や明野秀哉などの案。
物資輸送用カーゴのケーブルカーであった。
斜面に竹のレールを敷き、その上をロープに結ばれた駕籠が行き来する装置である。
そんな大層な物、彼らに作れるのか? と訝しがる読者もいると思うが、甘く見て貰っては困る。
幼少期からLEGO・TECHNICの歯車やクランク等機構部品で機械工学に親しんだ城西衆は、いとも簡単に滑車やギアを組み合わせ、少人数の力でも貨物の上げ下ろし可能なケーブルカーを設計したのだ。
これに明野君設計の “運べる君” 荷馬車仕様を組み合わせる事で、物流量は大幅に増える算段がついたのだ。
とにもかくにも城西衆と武田家は、科学技術とポイントカードで富国強兵を目指すのであった。
第70話・ポイントカードで富国強兵 完




