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第60話・草薙の罠

いきなり縄打たれ、連行された神平と源三郎。

そして事情説明に向かった彦十郎と籐七郎。

過酷な取り調べを阻止できるのか!

複雑な状況をしっかりと説明できるのか?

コミュニケーション能力が試される回であります…(え、そうなの?)

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第60話・草薙の罠


 前話に引き続き 尾張・古渡(ふるわたり)城である。

 織田信秀(おだのぶひで)の家臣、平手政秀(ひらてまさひで)が独断で捕縛した禰津神平(ねずしんぺい)望月源三郎(もちづきげんざぶろう)の扱いについて、色々と揉めている最中であったが、更に織田の使いを名乗る者が面会を求めて来たのである。

 やって来たのは二人の若侍。

 素袍(すおう)侍烏帽子(さむらいえぼし)と言う、一応 礼服で身を包んだ 原康景(はらやすかげ) と、工藤昌祐(くどうまさすけ) だ。

 読者諸氏に置かれましては、誰だコイツ? と思ったであろうが、彦十郎と籐七郎と言えばお馴染みであろう。

 真田忍芽(さなだしのめ)の言いつけ通り、宿場の貸衣装屋で偉そうに見える装束を調達し、身なりを整え、本丸 古渡城へ(おもむ)いたのだ。

 そもそも彦十郎や籐七郎は幼名、通称で堅苦しい場所で名乗る、堅苦しい名前 (いみな)を持っているのだ。

 原康景=彦十郎、工藤昌祐=籐七郎であり、判りにくい事となるが、正式の場である。

 少々ご辛抱願いたい。

 暫時後 二人は謁見の間に通された。

 通常 飛び込み営業的な訪問は追い返される可能性が高いが、武田の名を出したのは正解だった様だ。

 一段高くなった上座に織田信秀と太刀持ち、下段の両脇に平手政秀と林秀貞(はやしひでさだ)が、更に下座には取次兼警護の者数名が座っている。

 原康景と、工藤昌祐が平伏したまま、挨拶を述べ 身分を保証する書付を渡した。

 書付を改めた平手が静かに信秀に頷き、取り敢えず問題が無い事を伝えた。

 信秀が目の前の二人におもむろに声を掛ける。


「儂が織田(おだ)三河守(みかわのかみ)信秀(のぶひで)じゃ。

そこの二人、(おもて)を上げよ!」


 まじまじと二人の顔を見た信秀は呟いた。


「若いな…」


 間を置かず 下段の林秀貞が目を細めながら、康景(彦十郎)に言葉を浴びせる。


其方等(そちら)は甲斐、武田家の臣との事であるが、突然の訪問 何事で御座るかの?」


 康景(彦十郎)は体を少し 林に向けながら返答する。


「本日、鷹匠禰津と望月なる者がこちら織田家に捕らわれました由。

何かの行き違いと思われまするゆえ、お返し願いたく(まか)り越しました」

「ほぉ…あの、鷹使い、武田の家の者であるか?」

「は、左様に御座います。…禰津は我等の隊の(おさ)で御座る。

が、元を辿れば諏訪大社をお守りする諏訪神党の一族。

鷹を操るは諏訪神への奉納の技で、これを伝承しておるは禰津のみなれば、是非ともお返し(たまわ)りたく」


 林の対面に坐した平手が鋭い調子で問いかける。


「その様な者がなぜ尾張の地に御出(おいで)ました?

諏訪…のみならず武田にとって大切な者なれば、鷹を(たずさ)え 気ままに諸国を旅する様な身分では無かろう?」

「それは…」


 出たとこ勝負の場面は虎胤(とらたね)のアドリブで慣れている康景(彦十郎)ではあったが、理詰めは虎胤の最も嫌う所であったので、不慣れであった。

 嫌な間が出来そうな所、昌祐(籐七郎)が話しを継いだ。


「それは、主君 武田晴信様からの密命で御座ります…

御屋形様が見初(みそ)めた巫女が(かどわ)かされましたゆえ、その者共を追いかけ、こちら迄…」

「ほぉ、土岐(とき)頼芸(よりのり)が巫女を(かどわ)かして居ったのか?」

「あ…否、追って居る者共は伊賀者で人数も多いゆえ、織田様の御助勢を乞いたく、まずはお近づきにと…

あ、巫女を取り戻したなれば、銭をお支払い申す所存…あ、この件はご内密に…」

「…」


 なんだか気まずい雰囲気である…(だろうね)

 禰津里美(ねづさとみ)に教えられた通りのセリフで締めたつもりだが、相手は “何だこの馬鹿は…” の目である。

 いやいや、咄嗟のレシーブってのは判るが、順番とか言い方とか…色々間違っているぞ、昌祐(籐七郎)クン。


「ぶ…ぶははは」


 突然上座から爆笑が湧いた。

 織田信秀が昌祐(籐七郎)を指差し、笑っている。


「武田の当主は巫女を買い戻すと申しているのか? 随分の名家じゃの…

其の方(そのほう)…その口上(セリフ)、誰に教わって来たのじゃ?

多分 違って居る(ちごうておる)と思うぞ…」


 信秀の言葉に室内の織田家は俯き失笑…武田の使い二名は顔真っ赤 となった。

 笑い終わった信秀は左右の平手政秀と林秀貞を見た。

 平手は武田の使者をニコリともせず睨んでいるが、林は心ここに非ずの感で顎を掻いている。

 つまんない奴らだな…と思いながら、いたずら心が湧いたのか、信秀は林に話しを振った。


「秀貞、この者共の言い分 如何(いかが)いたそうかの?」


 名を呼ばれ、改めて下座の若い使者に目をやった。

 如何(いかが)と問われても、林秀貞に取っては 実はどうでも良い事柄であった。

 信秀が狙われて居ると平手は息巻いていたが、殿が狙われているのは今に始まった事では無い…

 目の前の若い使いは、甲斐の国主の惚れた女子を追ってきたと言っている…話しが嚙み合わないが、そこに触れると話しが長くなりそうで面倒だな、と考えていた。

 林の本心は武田の連中を追い返し、山積みの案件を早く片付けたいのであった。

 “こちらで処理するから” と幕を引くべく、暗殺計画には触れず 彼らが追っている女子の情報を聞く事にした。


「お使いご苦労。話しは判り申した。

鷹使いはお返しいたすゆえ安心いたせ。

それと…怪しき者どもを見つければ織田で取り押さえるゆえ、その(かどわ)かされたと言う女子の事を述べられよ。

名は?姿形の特徴は?」


 色々詮議されると身構えていた康景(彦十郎)は 余りの呆気なさにびっくりしつつ、返答の言葉を捜した。

 女子の名と容姿である。…が、八幡部隊のメンバーの大半は草薙紗綾(くさなぎさや)を直接見た事が無い。

 どうしよう…彦十郎と籐七郎が目線で会話した。

 良く言えば 回答の譲り合い、有体に言えば 返答の押し付け合いである。

 当然の事ながら、嫌な間が生じた。

 すると今まで黙して彦十郎たちを睨んでいた平手政秀が良く通る声で


「まだ聞く事が御座る!

其方等(そちら)(おさ)は我が殿が狙われておると申しておったぞ。

其方等(そなたら)は知らぬのか? それとも黙して居るのか?

こちらにも、色々と沙汰されて居る事があり、符合する物もある。

その辺りの話しを聞かぬうちに帰す訳にはいかぬ…

まずはお主等の話しを聞き、あの鷹使いの話しと照らし合わせ、噓偽りが無いか吟味した上で扱いを決めさせて貰う…

取り押さえるで覚悟いたせ!」


 今度は対面の林が焦った。

 殿が狙われるのは今や日常茶飯事であり、それに対しては充分な警備体制は取っている。

 それを何故、今回に限り 大事(おおごと)にしようとしているのか…

 北畠家の書状が引っかかっているのか?


「お、お待ちくだされ平手殿。先程の話し、真に受けなさるか?只でさえ忙しい時に些末な事に手を取られて何とする」

「殿のお命が狙われて居るのを…其許(そこもと)は些末と言うか!」

「そうでは御座らん…なぜ北畠の文だけ気に掛けるのか?と申しておりますのじゃ」


 揉めだした平手と林を彦十郎と籐七郎が唖然と見守っている。

 上段の信秀は俯き、眉間を揉みながら止めに入った。


「林、平手…止めい! もう良い…早う終わらせるつもりで居ったが覚悟を決めたわ。

誰か(くだん)の鷹使いを連れて参れ。 まとめて話を聞いた方が早そうじゃ」


――――――――

 暫くして獄に繋がれていた禰津神平、望月源三郎が連れて来られた。

 信秀は下座で平伏する神平に声を掛けた。


其方(そち)が諏訪の鷹使いか?

苦しゅうない、(おもて)をあげよ。

其方(そなた)を返せと、甲斐武田の使いが来た。

女子を取り戻したいとの申し出じゃが、儂は武田に狙われて居るとやら、武田が儂を守りたいと言うやら、訳が判らん。

其の方(そのほう)が一番賢そうなれば、其方(そち)に聞く。

理屈が通らば放免すゆえ、判り易く(やすう)述べてみよ…」


 顔を上げ、信秀の言葉を聞きながら、状況を探る神平である。

 凄い目で睨んでいるのは平手一人。他の側近と見える者は腕を組み天上を見ている…上段の信秀も左程 興味は無さそうだ。

 信秀の声のトーンと若い家臣の表情等々からは “メンドクサイなぁ…” 感、ビンビンである。

 何がどうなったかは判らないが、追い返されようとしている雰囲気だ。

 しかし紗綾を取り戻す為には雪斎党のターゲット、信秀近くで網を張っているのが理想である。

 主命を帯びた神平としては “こっちで適当にやっとくから帰って…“ と言われても、あっさり頷く訳には行かない。

 自分たちを近くに置くメリットをアピールせねば、と意識し話し出す神平である。


「使いの者がどのように申したか判りませぬゆえ、改めて我等の目的をご説明申し上げます。

我等は草薙紗綾 なる巫女を追って居ります。

その者は駿河にて今川に雇われた伊賀者に(かどわ)かされ、織田様に仇為す企みに利用されて居ります。

甲斐本国の見立てでは、彼奴等(きゃつら)は三郎信秀様を狙い身を隠しておると読んで居りますが、未だ行方が掴めませぬ。

非情な者共なれば事が起きれば、信秀様諸共 草薙紗綾の命も無き物とされるかと…

さればこそ、事前に取り押さえよとの、晴信様の命を受け ここ迄来た次第で御座る。

一命を掛けてお守りいたしますれば、我等を警護の任にお加えいただきたく。

何卒 良しなにお願い申し上げまする」


 一応 簡潔に目的、危機感を伝え、要望を過不足なく述べた。

 筋は通っている筈だが、平手は納得していない顔であった。

 と言うより、目を見開き 決定的証拠を見つけた様な表情である。

 平手政秀が吠えだした。


「お聞きになられましたか 殿!

追って居る巫女の名をなんと申したか? 事もあろうに クサナギ ですぞ!

これ見よがしと申すか、舐めておると申すか…正に儂が得た知らせを裏付ける物じゃ」


 平手は対面の林と上段の信秀を交互に見、敵将の首を取ったかの様であるが、よく見ると林と信秀は困惑の表情である。

 下座に居る武田の者たちも 同じく困惑である。

 判り易く言えばこの部屋の中で、盛り上がっているのは平手政秀だけな訳だ…

 場の空気に漸く気付いた平手が苛立ち半分で神平に指を付きつけ言い放つ。


「武田と今川の(はかりごと)は露見しておるぞ!観念し企みの詳細を吐け!」

「?何の事で御座ろうか…我等も草薙剣に絡め、何か画策して居ると予想はして御座ったが…仔細は掴んで居りません」


 平手と神平で押し問答するうちに、平手の口からチクリメールの内容がぽろぽろと語られた。

 …チクリメール と言うのも軽いので、ここは “北畠きたばたけ文書(もんじょ)” と表記する事とする。

 うむ、ずっと重厚になった気がする。

 で、 “北畠文書(チクリメール)” に何が書かれていたのか?

 あらましは、前話を見直していただくとして、細部の一端を紹介すると、


 熱田神宮に奉納されている草薙剣は 飛鳥時代には新羅の僧・道行に盗まれたり、平安末期の源平合戦では平家に持ち出され 壇ノ浦に沈んだり、南北朝のどさくさには後南朝勢力に持ち去られたり… 割と行方不明になっていたのである。

 が、その度にいつの間にか戻っていたり、沈んだ剣が波で打ち上げられたりしている。

 そんな訳あるか!と言う状況で、帝の証は既に失われていると思われるのだが…天皇家が滅びていない。

 これは持ち去られたのが形代(かたしろ)(コピー)だったからであり、本物は駿河・草薙神社で保管されていたからである。

 その、真の宝剣が自国にある事に気付いた太原雪斎は、今川義元と武田晴信を焚きつけ、偽物を祀る旧権威である尾張と伊勢の社を焼き、天皇家に代わりこの戦乱の世を鎮める行動に至った。


 と、これを様々な記録、状況証拠を挙げ、説明したのが “北畠文書(きたばたけもんじょ)”(チクリメール) だそうだ。

 誰かに言いたくて仕方なかったのか、平手政秀は敵対勢力と思われる神平たちに滔々と解説した。

 話を聞いた神平は色んな意味で感心した。

 中々に作り込まれている…事実の周辺に虚偽を混ぜる、上手な嘘のつき方の見本だ。

 今川を悪役としているは本当の事であるので、話し全体が本物に思えて来るし、自らを悪と白状せぬだろうとミスリードさせ、作者が雪斎党とは思わせない、良くできた作品だ。

 それに、流石、太原雪斎作、知識量が半端ない。

 練り込まれた虚々実々に、ハマる人が目にすれば夜も眠れなくなる、古代文明の予言書位のインパクトがある文書(もんじょ)である。

 平手政秀はそのハマるタイプだったので、ズッポリであった。

 ただ、神平としては感心している場合では無い。

 “北畠文書(チクリメール)” では武田は今川の共犯とされている。

 この文書(もんじょ)は真っ赤な偽物と言い切るだけでは、神平たちが信秀に張り付く理由もなくなってしまう。

 今川の悪だくみは本当で武田の共犯は嘘、と納得させなければならない…部分否定は難しいのである。


「お待ちください。武田が織田様を狙って居るなど、根も葉もない言い掛り」

「何が根も葉もない じゃ。

武田と今川は(よしみ)を通じ、同盟を組んで居る仲であろう。知らぬとでも思って居るのか?

そしてこの織田は今川と争っておる最中。

武田が織田に(やいば)を向けても不思議は無い」

「…確かに今川家と武田家は同盟の間柄。

なれど、甲斐武田が尾張織田を襲った所で 何の得が御座いましょう?

わざわざ火中の栗を拾うほど、武田は阿呆では御座りませぬ。

…大体、織田様はその夢物語を信じて居られるのか?

今時 須佐之男命(スサノヲノミコト)日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)に憧れるは、(わらべ)だけで御座ろう」

「何を申すか!人の力を越える霊験を信じぬのか」


 白熱と言えば白熱、不毛と言えば不毛。

 幽霊や未確認動物(UMA)の画像を本物だ、偽物だ、と主張し合うバラエティー番組の様相である。

 この場合、場を仕切れる強力なMCが居ないと延々と主張合戦となるのだが…

 上段から信秀の声が響いた。


「止めい! もう良い…

平手、そう熱く(あつう)なるな。今川が儂を目障りに思うは当然じゃ。

北畠に言われんでも儂の周りは常に用心しておるから安心いたせ。

それにしても雪斎坊主は学が有り過ぎるかの…織田を攻める口実が草薙剣とは、何とも回りくどい事じゃな…

さて、禰津とか申したか。

其の方(そのほう)が申す様に、宝剣なんぞに憧れるは(わらべ)だけじゃ。儂は三種の神器など どうでも良い。

したが熱田神宮の草薙剣が偽物などと怪事(ケチ)を付けられては 熱田の人出が減ってしまう。

さすれば織田の実入りも悪く(わるう)なるのは、捨て置けぬ。

身に掛かる火の粉は払わねばならぬが 他家の手を借りるつもりは無い。

ゆえに其方等(そなたら)の警護は要らぬ。

これが儂の考えじゃ。

得心したか?

まぁ元々武田には手を貸す(いわ)れは無い…が、(いさか)う必要も無い。

なれば…儂の得になる事が在らば、手を貸しても良いが…何が出せるかな?」


 おっとそう来たか…神平は改めて織田家の家風を思い出した。

 織田弾正忠家は銭勘定に聡い家で、織田信秀は実利主義の当主であった。

 そう言えば、源左衛門に成功報酬の贈答品を用意する様、指摘されていたが まだ手配は終わっていなかった。

 どうするか逡巡していると、すっかり影が消えかけていた使いの昌祐(籐七郎)が声をあげた。


「さ、されば。 銭 じゅ…五貫、お支払い致す!」


 信秀は昌祐(籐七郎)に目を移し、


「お主 今、十と言いかけたであろう? 武田ともあろう名家が出し惜しみするな。

それに…さっきは鷹使いを買い戻すと申しておったでは無いか?

銭十貫はそこの禰津の代金じゃ。 当然貰って(もろうて)おく…他には?」


 昌祐(籐七郎)は目を伏せ呟いた


「て…手強い!」


 心して掛からねば 身ぐるみ剥がれる…

 神平は居住まいを正し、呼吸を整え 口を開いた。


「旅先で手元不如意にて、銭の用意はこの程度で御座る。

したが、ここに居る四名は皆、腕に覚えの使い手。 命に代えても信秀様をお守りいたします」

「腕が立つ者は織田にも居るわ…うーむ、左程の得では無いな…」

「…甲斐では神仏にも勝ると評判の毒消しの薬(セイロガン)と、洗濯物が驚くほど白くなる丸餅(石鹸)など、珍しき品をお持ち致しますが、如何!」

「うーむ、実物を見ぬとどうにも…もう一声! 剣より役立つ者は居らんのか?」


 オークションかテレビショッピングか、と言う展開になっている。

 これ以上のお得品は…神平は考え込み、膝を打った。


「居ります、役立つ者が。…医者を連れて参りましょう」


 神平の言葉に昌祐(籐七郎)康景(彦十郎)がざわついき、小声で神平に訊ね出す。


「医者って、まさか古澤先生を?」

「古澤先生はダメでしょ…」

「五月蠅い、静かにせぬか」


 そんな下座を見据え、信秀が


「どうした、隠し事の相談か?…それにしても、武田は医者をつれて歩くのか? 贅沢な事じゃ。

少しばかり得な気がして来たわ…取り敢えず、珍しき品々と医者を付いて参れ。

我が目で吟味いたす」


 やっと結論が出た!と思った矢先 今まで成り行きを静観していた林が声をあげた。


「殿、本当に武田の者たちをお信じになるので? 御側に(はべ)らすのは厄介と存じますが…」


 対面で平手も大きく頷いている。

 …再度、面倒な交渉事となるのか? と身構えた神平であったが、目線の先 上段の信秀のうんざりした表情も見て取れた。

 信秀は口髭を何度か(しご)くと、命令口調で


「武田の者たちは織田に仇為さぬと起請文(きしょうもん)をあげよ。 さすれば儂の近くの控えの間への立ち入りを許す。

…これで良いか秀貞。

…政秀、もう何も言うな、儂は忙しいのじゃ。

…禰津、明日からは寝ずの番じゃ、ネズだけに… ぶははは

この件は以上じゃ」


 最後の一言を言い放つと、信秀は退出した。

 太刀持ちと林秀貞が慌てて後を追いかけて行った。

 “ネズだけに…” 武田晴信に通じる何かを感じながら、どっと疲労感を感じる神平であった。


 雪斎党が草薙剣を使い、織田に近づいて来たのは読み通りである。

 想定外の出たとこ勝負の交渉であったが、紆余曲折の末 神平たちは信秀の側近くに置いて貰えそうだ。

 ならば これで雪斎党を待ち受ける体制が取れる。

 これで草薙紗綾奪還の目鼻も付けられるのだ。

 今度はこちらが罠を張る番だ。


 八幡部隊をここに集結させねば。

 急ぎ状況を(したた)め、中間(ちゅうげん)として古渡城の玄関脇で控えている海野十座を真田忍芽の許に送り、ここ古渡城に呼び集めねば。

 だかそうなると…坂井や達川、城西衆の奇異な行動を、織田の人間になんと説明すれば良いだろうか。

 一つ進むとまた新たな悩みが出て来る八幡部隊である。


第60話・草薙の罠 完

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