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第56話・織田の三郎

二つ名に憧れた事ありません?

ど真ん中の中二病ですよね?

でもカッコいい名乗りを捜して こねくり回した結果、意味不明かギャグになっちゃうんですけどね、多くの場合。

戦国時代も似たようなもんだったのかしら?

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第56話・織田の三郎


 前話に引き続き 甲斐 城西屋敷である。

 紗綾(さや)探索の方針会議が終わった後の、鷹羽の部屋だ。

 躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に向かおうとしていた山本勘助を中畑美月が引き留め、鷹羽と共に 密談に及んでいるのである。

 駒井を待たせている勘助は、気忙しげに問う


「美月、密なる相談とは何事じゃ? 色々と急がねばならん事は お主も存知(ぞんじ)ておろう?」

「えーと、皆さんの話しでちょっと引っかかる事があって、織田と今川の歴史的できごと…って言うか、藤堂先生が考えそうな事を 勘助さんには言っといた方が良いかなぁと」

「藤堂とは雪斎党の一人じゃな? 歴史的できごと? 先年 三河小豆坂で、織田が今川勢を打ち破った事か?」

「…あずき…豆? …多分そうじゃないと思います。 えーと、さっき鷹羽先生が口走った桶狭間 ってヤツです」

「おけ…?」

「そうです。信長が今川義元(いまがわよしもと)を討ち取っちゃった桶狭間です!」

「義元様を討ち取る?! 待て待て、急すぎる」

「あぁそっか… お・だ・の・ぶ・な・が・が、 い・ま・が・わ・よ・し・も・と を、う・ち・とって…」 


 鷹羽が見かねて口を挟む


「中畑先生…そうじゃないと思う。

勘助さん、オレから話します。

オレ達の知っている歴史では、今川義元は織田信長と言う武将と戦います。

圧倒的に有利と見えていた今川勢が信長の奇襲で大将を討たれ、総崩れになるんです。

歴史的エポックメイキング…つまり、大まかに言うと 今川は織田に滅ぼされる。

歴史教師である藤堂なら先回りして、織田を消してしまおうと 考えるんじゃないかと思ったんですが」


 鷹羽の言葉に美月も頷きながら


「そうそう、藤堂先生なら歴史ひっくり返す事 考えるじゃないかって。

やられる前にやれ!って…先生、逆転満塁ホームランが大好きなんですよ!

でもさっき皆さんは信秀とか言ってたでしょ…人違いだよって」

「…織田は最近名が売れ出した家での…似たような名が多いでな…のぶなが か?」

「…そうです、織田と言えば 信長 です」

「…引っかからんの。 他の呼び名…仮名(けみょう)とか、綽名(あだな)とか 判らんか?」


 この当時は実名((いみな))は表立って呼ばない風潮であったので、本名が知られていない事は珍しくは無かったのである。

 特に武将は綽名、二つ名 “鬼ナントカ” だの “ナンチャラの虎” の様な名が通り良かったのだ。

(現に信秀は “尾張の虎” と呼ばれていた…ド直球だな)

 美月は中空を見つめ記憶を探っていたが、パッと顔を輝かせた。


「三郎! “織田三郎信長伝” って漫画、読んでた!」

「おぉ、三郎なればやはり信秀の通名の筈じゃ。

で、お主等の知って居る歴史では、織田三郎が今川義元様を討ち取るのじゃな?」


 美月が勘助の言葉を へぇ という顔で聞きながら


「そうです。それが桶狭間です」

「ふむ、土地の名か?聞き覚えは無いな…それは何所(どこ)じゃ?」

「さぁ?尾張か三河か…」

「…知らんのか? ならば、それは何時(いつ)じゃ?」

「…(⌒∇⌒)」

「笑って誤魔化すな! …判らんのじゃな。

まぁ良い…雪斎党が織田の三郎を討とうとする理由は判った。

…藤堂とやらはお主等より歴史に詳しいのであったな…ならば、先手を打つのは中々難儀じゃな。

紗綾を取り返すのは急いだ方が良いな…他に気掛かり事はあるか?」


 勘助は腰を浮かせながら鷹羽たちに問いかける。

 美月は少し考える風に


「やっぱり名前が引っかかるなぁ…」

「のぶなが…か? したが三郎なのじゃろ?

探らせては見るが…名乗りを変えるのは良くある事じゃで、この後 信長を名乗るかもしれんの。

名前の違いは余り気にせんでも良いじゃろ」

「ふーん…」


 勘助の言葉に納得し切ってはいないが、真田家の事しか詳しくない美月には これ以上の信長情報は持ち合わせが無かった。

 また 同席している鷹羽は歴史に興味が持てなかった人種であり、美月以上の情報などある筈も無く、勘助の言葉に納得するのであった。


―――――――――

 えー突然ですが、中の人です。 御無沙汰しておりました…

 現代の人間からすれば、織田と言えば “信長” ですよね。

 ですが、信長は武田晴信の一回りも歳下で、名が知られるようになるのは もう少し後なんです。

 この時点では元服前の “吉法師” という幼名で呼ばれておりまして “信長” なんて名の武将は、まだ存在していないのです。

 なので勘助が知らなくても当然なのですが、ややこしいのは 当時の人間は幾つもの呼び名があった…と言う事なのです。

 例えばその家の長男であれば “太郎” で次男なら “次郎” と呼ばれるのが一般的。

 女性の場合はもっと ぞんざいな扱いで、家名とか父親の名の後ろに娘を付けて “〇〇の娘” 的な記録しか残っていないのが普通です。

 歴史的な女性、北条政子ですら 実は後世の歴史用語で、本名ではありません。

 ずっと名無しで通してきたのですが、朝廷が官位を授けるので 記録に残さないといけない。

 名前が無いと恰好が付かず拙いと言うので、父親・北条政時の娘=北条政子 と表記されたに過ぎないのです。

 若干 話しが脱線しましたが、噂の織田家の場合 “吉法師” は信秀の三男でありました。

 いやいや当主を継ぐんだから嫡男(ちゃくなん)=長男だろ! と、ツッコミが聞こえますが “吉法師” の前に、側室が生んだ 信広、信時を名乗る、男子が二人いたのです。

 この 正室と側室の子で継承権が…と言うのも厄介な習慣なのですが、それば後日に回しましょう。

 …で信長の通称と言うか、通名と言うかは “三郎” で、美月先生が読んだ漫画も “織田三郎信長伝” で正解なのですね。

 しかし話しはここで終わりません!

 現当主の織田信秀(のぶひで)の通名も “三郎” だったんです。

 きっと、彼も三男だったんでしょう…知らんけど。

 なので物語世界の時点で “織田三郎” と言えば “織田信秀” を指し、後年の歴史で “織田三郎” と言えば “織田信長” の事と受け取られる ややこしい事態が発生するのです。

 そんな事とは露知らぬ勘助と美月、ややこしさが伝染しなければ良いのですが…

 以上、戦国雑記帳でした。


―――――――――

 ここは駿河、安倍川の源流に近い 梅ヶ島である。

 双子の伊賀忍者に受けた傷を癒す為、ここ 梅ヶ島温泉で湯治を続けていた城西衆生徒坂井忠(さかいただし)であったが、長逗留を詮索される事を想定し、偽名を名乗っていた。

 何しろ駿河で雪斎の寺を火矢で焼いたのだ。

 指名手配が掛かっていても不思議では無い。

 それに(ただし)と言う名は現代のキラキラネームの様に目立つのだ。 

 なので こちら風の忠継(ただつぐ)と称し、坂井忠継を名乗った。

 彼に付き添い、身の回り世話などしてくれている望月千代は、表向きは信州佐久望月城主 望月盛時(もりとき)の妻であるが、その実 真田の女忍者である。

 と言う訳で(どんな訳だ?)ここでは坂井の母という役回り、坂井千代を名乗り すっかり馴染んでいた。

 紗綾捜索隊の実質的リーダーであった 真田忍者の家元、禰津神平(ねずしんぺい)はどうなるかと言うと…坂井忠の伯父の触れ込みで、本来の名を使い、坂井政直(まさなお)を名乗った。

 もう一人居た忍び、望月源三郎は紗綾探索で出払っているので、外すとして…城西衆の残り 古澤亮先生はどうなるか?

 彼はスポーツ医学と救命術の知識を活かし “按摩” の亮按(りょうあん)を名乗ったのであった。 (彼はファミリーじゃなく…主治医か?)


 話しは少し外れるが  “按摩(あんま)” は令和の時代では放送禁止用語なのだそうだ。

 理由は視覚障害者が生業(なりわい)とする職業の代表であった為、按摩=視覚障害者を指す単語と想起され、差別用語となるから…だそうだ。

 ならば按摩はなんと放送されるようになったか? と言うと “マッサージ” だそうだが、いやいや それって英語じゃん!

 それに厳密に言えば “按摩術” は心臓に近い方から遠い方(遠心的)に施術するのに対し “マッサージ” は指先から心臓に近い方(求心性)に施術するのが基本であり 別物の技術。

 納得がいかず 日本語で何と呼ぶのが正解かさらにググると “指圧” とか “もみもみ” と出て来る。

 “指圧” は 按摩の一つではあるが、全てでは無いし “もみもみ” に至っては、違う意味を含んでしまう。

 差別を失くそう! が切っ掛けであったのだろうが、誰か止めてあげろよ…とも思う事象である。

 話しの逸れついでで続けると “放送禁止用語” と言う表現も揉めているそうである。

 NHK及び民放各社では戦々恐々と放送用語を選別しているのだが、現代の日本ではごく一部を除き、法によって明文化された禁止用語は存在しない。(表現の自由は憲法で保障されている訳だし…)

 だがしかし放送では、禁止はしていないけど流せない(流さない)用語がある。

 さてこれを何と呼べば良いのであろうか?

 “放送注意用語” あるいは “放送自粛用語” などと呼ぼう! と言われ始めている様であるが…キリが無いな、もう いいんじゃないか?


 さて、話しを戻し 梅ヶ島の坂井ファミリーと主治医亮按である。

 剣道部キャプテンであった坂井はこちらの時代に来てからも、日々木刀を振るい 修行を欠かさなかったのであるが、叩き込まれていたのが “剣道” であった為、伊賀忍者との実戦で手傷を負ったのであった。

 と、こう書くと 剣道が使えない武道と受け取られかねないが、成り立ち上の宿命である。

 “剣術” は日本刀=反りのある彎刀(わんとう)(しのぎ)造りのカタナ が出現した、平安時代まで遡るが “剣道” の発祥はなんと、20世紀の大正時代なのである。

 その目的は 乱立した流派を統合し日本刀による技と心を後世に継承する事 などで、修養の意味を強調するために 剣“術” ではなく 剣“道” の名称に統一したのである。

 その後第二次世界大戦の敗戦で日本刀は日本軍の象徴として規制され、剣道も抑制されたが1952年に「全日本剣道連盟」が結成され、心身を鍛える “体育・スポーツ” として甦ったのだ。 (全日本剣道連盟ホームページ辺りより抜粋)

 つまり “剣道” は己を鍛える物であり、相手を倒す物に非ず! と言う、平和前提の競技なのだ。

 何がなんでも生き延びる為に手段を選ばず相手を倒す術である、忍びの “剣術” 相手ではハンデがあり過ぎであった。

 それを痛感した坂井忠君、(ゆえ)あって坂井忠継は 忍びの家元、禰津神平こと禰津政直、又の名を坂井政直に連日特訓を受けているのであった。 (アーこの当時の名前は面倒である)


 などと話題ブレまくりの梅ヶ島であったが、いくつかの情報から紗綾たちが西に向かった事は神平たちも掴んでいた。

 そろそろ次の行動に移る事を考えている所に、甲府(甲斐府中)より 捜索隊強化メンバーが到着した。

 メンバーが誰か興味が湧いているであろうが、神平とのやり取りを先に見る事とする。


―――――――――

 強化メンバーたちの先頭を歩いて来たのは、常に微笑んだ印象の 望月新六であった。

 お忘れとは思うが、甲斐に戻る真田幸綱や美月と共に、一旦この地を離れた真田忍者である。

 新六から武田晴信、山本勘助の書状を受け取った神平が素早く目を通し、坂井と古澤に内容を伝えた。


「紗綾殿は尾張に向かったと思われるそうじゃ…そして、熱田で織田家当主 三郎信秀殿を狙うと読んで居る。

このままでは織田襲撃は武田のせいにされるであろうから、我等の手で阻止せよとの仰せじゃ。

何やら藪から棒じゃが、御屋形様の命 承知仕った(つかまつった)

我等は即刻ここを引き払い、尾張に向かう。 忠継 支度せよ!」


 頷き席を立とうとする坂井忠に望月新六が声を掛けた。


「忠殿の傷は癒えられましたかの? 差支え(さしつかえ)無ければ城西衆の忠殿と亮殿は我と一緒に甲斐に戻っていただくので…」


 新六の言葉に坂井が動きを止め、反問した。


「どういう事ですか? 私では雪斎党を渡り合えぬ、足手まといと言う事ですか?

確かに手傷を負わされ、皆さまにはお助けいただきましたが、こちらで精進を重ねて参りました。

次はお役に立つ所存にて、お連れいただきます様 お願いいたします!」


 …なんかすっかり、現地人化が進んだ坂井君であるが、身体つきも一回り大きく、逞しくなり、表情も随分大人びて来た。

 中学生の子供は危ないよ…とは言えない雰囲気である。

 問い詰められた新六は頭を搔きながら


「いやぁ 忠殿は見違えたのう。足手まとい等とは(だぁれ)も、言って居らんぞ。

只 此度(こたび)は伊賀者を追いかけるゆえ…顔がバレておる忠殿は行かぬ方が良かろう と、軍師殿が仰せでの」

「勘助さんが…あ!でも、紗綾を取り戻すなら、顔見知りの俺が居ないと面倒なんでしょ?」

「うぅむ…」


 新六が言い淀んでいると今回到着した一団の中から笠を被った男が


「ハーイ、オレが居るからダイジョーブ!」

「はぁ? あ、お前は! 一輝!」

「そうでぇす。 城西衆で一番体が丈夫な達川一輝(たつかわかずき)クンでぇす。

勘助さんが忠と交代してこいって、オレをご指名!」


 思わぬ人選に坂井は口が開いたままである。 顎が落ちた状態と言うヤツだ。

 が一瞬後、坂井は絞り出す様に声を出した。


「お前じゃダメだ…

相手は本気で殺しに来るヤツだ…お前じゃ勝てない…」


 甲斐帰国を納得しそうにない様子である。

 そんな坂井に声を掛け(そび)れている新六に向け、兄嫁の千代が問いかけた。


「新六殿は尾張に同道して下さらんのかえ?」


 唐突に質問にも新六は微笑みながら返答する。


「古澤殿と忠殿を連れ帰るがお役目じゃ。 我が同道せぬは不都合か?」

「人探しの旅ゆえ、ゆく先々で訊ね回らねばならぬであろう?

…見た所 尾張行の者は 神平様を始め、皆言葉が堅いのじゃ。

あれでは聞かれた方が口を閉ざしてしまう。

そこへ行くと新六殿は(ほが)らかなれば、聞き出すのが上手(じょうず)ゆえ 同道いただければ 本に有難いと思うたまでじゃ…」

「…」


 千代が何を狙っての発言か断じかねた新六が黙っていると 神平が口を開いた。


「秘在寺の雪斎党は二十を超える人数であったの…忠継が居れば心強く(こころつよお)思うのは 儂だけではあるまい?」


 要は坂井に情が移ったのだろう。

 一緒に尾張へ連れて行きたいという事なのだ…

 狙いを理解した新六がニッコリ笑いながら


「回りくどい事を…

左様で御座れば、この新六 甲斐より尾張で役立つかの?

…そう言えば、軍師殿からはどの様な道筋で甲斐に戻るか 指図を受けずに来てしもうたわい。

然らば心沸き立つ方角を選んで帰るが吉 と思うが如何かのう」


 神平と千代が真顔で頷き、状況を理解した坂井の顔が輝いた。

 新メンバーたちは しょうがねぇなぁ の苦笑い。

 取り敢えず まとまったかな…と、思った所に間延びした声が


「あのー、僕は、何処へ向かうのでしょうか…」


 …古澤先生であった。

 これに対して坂井が答える。


「先生、生徒二人残してどこに行く気ですか。一緒に行って下さい」

「あ、そうだよね…OKでーす」


 笑っていいような悪い様な、グズグズになりそうな所、禰津神平が全体を締めた。


「紗綾殿奪還は武田家の名を守る仕儀と相成った。

各々方、事の重さを肝に銘じ、抜かりなく勤めよ」


 キマッタ! が、アワワ…捜索隊強化メンバーを紹介する紙面も無い!

 次回こそ、今度こそ、新展開! …行けるといいな。



第56話・織田の三郎 完

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