第52話・損得勘定 と書いて 外交交渉 と読む
禰々逝去に沈む諏訪と武田。
しかし政治の世界は止まらない。
諏訪の動揺を抑えらるのか…
今川の謀り事を武田は暴けるか…
戦国奇聞! 第52話・損得勘定 と書いて 外交交渉 と読む
小笠原による諏訪・高遠侵攻を撃退し、長時と信定兄弟を捕虜とした武田は、戦術的には大勝利と言える結末あったが、被害も甚大となった。
下、上、両諏訪地方の乱取(略奪行為)による被害、戦場となった田畑の荒らし、諏訪大社の損害、そして何よりも大きな悲劇は禰々の死であった。
甲府より全権大使として派遣された山本勘助が気にしたのは 諏訪衆の離反であった。
武田信繫の経緯報告や高遠城の攻め手に名を連ねた下諏訪西方衆を見れば、諏訪地方が本音では武田を認めていない事が明らかとなった。
何よりも武田に一度は牙剥いた諏訪頼重を討たず、上原城に残した真意が諏訪一族にも伝わっていなかったのが勘助としては計算外であった。
今回は信繫の機転で諏訪満隣、満隆の謀反は抑えたが、武田の諏訪支配を再度、厳しい目で見れば、未だ諏訪全体を抑えたとは言い難い。
そして禰々を失った今、容易く誘拐される様な環境に幼い虎王丸を置いておくのは、甚だリスキーと言えるのだ…が、甲府に連れ帰るのは、新たな謀反の引き金になり得る行為でもあった。
武田晴信と湖衣姫の婚姻の噂が、諏訪衆謀反の切っ掛けである事は聞いていたが、今となっては切れかかった諏訪との縁を繋ぐには中々良い手と思われて来た。
担げる神輿となり得た小笠原が居なくなった今こそ、逆に晴信と湖衣姫の婚姻を進めるべきではないだろうか?
上原城の客間で一人 甲斐の戦略を練る勘助であった。
―――――――――
ここは上原城、真田幸綱らが使用している一角である。
幸綱と中畑美月が海野十座から、小笠原長時捕縛時の状況報告を受けている最中であった。
「…と言う塩梅で、夜中の陣所を火矢で襲い、一人逃げる長時をまんまと召し取ったのじゃ (`^´) ドヤッ!」
「ほぉ、長時は誰よりも逃げ足が早いからの…それを利用したのじゃな。して、その策は誰の策じゃ?」
「…それは…十郎兵衛殿じゃ。 が、長時を捕らえたはこの十座ぞ!」
「ははは、判った判った。 十座は大したものじゃ」
「うむ、判れば良いのじゃ。 (`^´) ドヤッ! …ん?」
大きな体で偉そうに胸をそらし、腕を組んだ十座であったが 何か違和感を感じた様である。
ガサゴソと懐を探る姿に幸綱が声を掛ける
「どうした?懐に何ぞ隠れて居るのか?」
苦無だの、吹矢だの物騒な物に紛れた、クシャクシャの紙を引っ張り出し
「?…何じゃったかの、これは…思い出した。 本宮で倒した乱波が持って居ったのじゃ。
倒れた拍子に飛び出たで思わず拾うた…と思うが、忘れとった」
「虎王丸様を救った折にか?」
無言で頷く十座。
「見せてみよ…」
幸綱は手を出し受け取ると、中をサッと改め、眉間に一瞬皺を寄せたと思うと、十座に向かい笑顔を見せた。
「面白い物を拾って来たの…これは今川を締め上げる物になるやも…早速 勘助殿に見せねば!」
―――――――――
灯篭を手に十座と美月を伴い勘助の部屋まで来た幸綱は、室内から聞こえる声に動きを止めた。
高さを抑えた声音は信繫と思われたが、珍しく怒気を含んだ声である。
後ろを振り返ると美月も首を傾げ、訝しげな表情で室内の声に耳を欹てている。
訪いを入れるべきか躊躇する幸綱を追い越し、美月が勘助の部屋の戸をノックした。
「美月です。 真田様が何やら面白い物をお見せしたいそうですよ。 …開けますよ」
室内には険しい表情の勘助と信繫が向かい合っていた。
灯火に影が揺れ、重苦しさが倍増されている。
勘助が美月をギロッと睨み口を開いた。
「信繫様と内密の話をして居る。 皆 外していただこう…」
「勘助さん、怒り声が外まで聞こえてますよ。…禰々様がお亡くなりになって、皆気分が落ち込んでいるんですから、もう少し穏やかに話して下さいよ」
「女子が口出す事ではない! 早う席を外せ」
勘助の物言いに美月がムッとした顔をしたのを認め、信繫が
「否、まずはここ 上原城の様子を良く知る幸綱にも意見を聞きたい。
そして女子の心持ちは我等男では判らぬゆえ、巫女殿にも話しを聞いて貰おうでは無いか」
美月たちを巻き込むとは思っていなかった勘助が驚いた顔で信繫を見た。
信繫は勘助が反対意見を喋り出す前に状況説明を始めだす。
「我が武田の軍師、山本勘助は諏訪と武田の縁が途切れそうな事を憂慮して居る。
それは勘助ならずとも、武田・諏訪の行く末を大事に思っている者全ての心配事じゃ…
そこで、勘助は兄 晴信と諏訪頼重が娘、湖衣姫の婚礼を進めると、言って居る。
…湖衣殿がどの様に思うであろうか」
「( ゜Д゜)ハァ? 何言ってんですかぁ?! バッカじゃないの!
そんな事 絶対、ゼーッタイ やっちゃダメです! ホント勘助さん、軍師失格! 馬鹿でしょ!」
夜の上原城に美月の声が響き渡った。
晴信と湖衣姫の婚礼は 武田勝頼 の誕生を意味する。
それは偏った戦国知識しか持たぬ美月にとっては “武田家滅亡!!” であり “バルス!” と同様の、滅びの行動である。
「…いや、美月 馬鹿って…そんなに駄目な事か?」
美月の強烈なダメ出しに勘助は面喰った。
諏訪衆謀反の切っ掛けとは聞いていたので、当然 反対意見はあるとは予想していたが…想定以上だ。
隣にいた幸綱も美月の反応に驚いた様である。
彼は戦国の世での 血縁の重要性は理解しており、勘助の意見には 一定の説得力はある事を認めていたのだ。
「美月殿、それほど酷い手とは思わなんだが…そりゃあ、禰々様に代る武田の姫が諏訪に嫁ぐが一番とは思うが、他の家臣との縁談が進んで居るし、諏訪家にもう一人…と言う訳にもいかぬじゃろ」
「幸綱様までそんな事… そうか、これがどういう事か、知らないのか…」
武田信玄(晴信)の後を継いだ武田勝頼が、武田家最後の当主となる歴史は幸綱も勘助も知らない話しである。
だからと言って、皆に話して聞かせる訳にもいかないのが未来人、美月のつらい所。
歴史的悲劇の件は言えないが、この案は絶対潰さねばならない…どう説得すれば…
使えるモノは無いかと美月は室内を見渡し
…勘助は、睨み返してきた。…幸綱は腕組んで考えている。
…信繫を見ると、俯いて何だか葛藤しているみたい…声掛けられないな…
…後ろを振り向き、座高も高い十座と目が合った。 (⌒∇⌒)ニコ…って、そうじゃないのよ。
どうしよう…
と、十座がのんびりとした声で信繫に問いかけた。
「信繫様はどうお思いなのじゃ?随分とお悩みのようじゃが…」
声を掛けられ、ハッと顔を上げた信繫の目が泳いだ。
数舜の後、ギュッと結んだ口を開き、ゆっくりとした言葉で
「儂は…武田と諏訪の縁を強くする事に異存は無い。
諏訪満隆らの気持ちも知っているゆえ、諸手を挙げての同意は出来ぬが…幸綱の申す事も尤だと…」
喋りながら、信繫の声がか細く、目線が落ちて行く…
その様子を見て十座が不思議そうな顔で口を開いた。
「縁を結ぶのであれば、信繫様と湖衣姫様が夫婦になれば良かろうものを、なぜ 晴信様なのじゃ?
御屋形様は既に室が居られるが信繫様は独り身じゃ。
それに湖衣姫様も信繫様も互いに好き合って御座ろう程に、なぜそれを言わぬ?」
「…(//・_・//)カァ~ッ…」
信繁が見る間に赤くなった。
勘助と幸綱は色づく信繁を見て、唖然となりながらも
「お、おぉ…左様か。 いやはや、それは…良いではないか!」 (勘助)
「おお、成程…信繫様なれば、諏訪の衆も異論は無かろう!善き案じゃ、十座でかしたぞ!」 (幸綱)
「オー、その手があったか…十座、ナイスGOAL!」 (美月)
「…(//・_・//)カァ~ッ…」 (信繁)
「 (`^´) ドヤッ!」 (十座)
しばし、高揚感、多幸感に包まれる室内であったが、皆のニヤニヤから逃れる様に、信繫が幸綱に問うた。
「そ、そうじゃ幸綱、何かを見せに来たのでは無いのか?」
「お?…そうじゃ、忘れて居った。コレコレ」
懐から書付を取り出し、座の真ん中に広げた。
皆が灯火に浮かぶ、そこそこの達筆を覗き込み、勘助が問いかけた。
「これは、何の文じゃ?」
「虎王丸様を拐かした者が持って居った書状じゃ。十座が奪って参った…」
「おお、これも十座か。…大活躍じゃな」
「 (`^´) ドヤッ!」 (…ワカッタワカッタ、もういいから)
幸綱が書状の最後辺りを指しながら
「具体的に誰を拐かせ、とは書いて居らんが 攫った者を長時に渡せ、とは書いて居る。
して問題はここじゃ、この文の書き主。
藤林保豊 とある。…藤林と言うは、この前 駿河で聞いた名じゃ」
駿河からは美月も十座も一緒に戻ったが、知らない名だ…幸綱の顔を見返し、首を傾げた。
それに答える様に幸綱が言葉を継いだ。
「雪斎党とつるんで城西衆の女子を連れ去った者じゃ。
あと一歩で取り逃がして仕舞うたが、偉そうな伊賀者が藤林と名乗って居った」
幸綱は “取り逃がして” と言っているが、客観的に見れば幸綱たちが “取り逃がされた” のであったのだが…
まぁ、とにかく 草薙紗綾奪還に失敗した秘在寺で、偉そうな厳つい男が 藤林を名乗っていた。
が、現場には居なかった美月と十座は初めて聞く話しである。
それを聞いた勘助からは意外な言葉が出て来た。
「ほぉ、藤林保豊殿か。 懐かしいの…」
「…知って居るのか?」
「うむ、今川に仕官しようと庵原伯父の厄介になって居った折、しょっちゅう城取談義をした仲じゃ。
顔は厳ついが、酒を飲ますと良く喋る男であった、あれは伊賀者であったか…」
「忍びの頭の様で御座ったが…そうか、酒に弱いのか。 覚えておこう…」
すっかり顔色が戻った信繫が幸綱に確認する。
「駿河に居る伊賀者が、長時に手を貸して居った…と、言う事だな?」
「左様で御座ります。 重ねて申さば 駿河の雪斎党が長時を唆し、騒ぎを起こさせた証拠となるのでは…」
「成程、此度の騒動は今川が書いた筋書きと…そうであれば、伊那松尾城に今川の兵が先回り出来た事も説明が付く…勘助、今川は武田に対し、何を仕掛けるつもりなのか?」
「雪斎和尚が何を企んで居るか、正直判りかねますな。
したが、この書状やら松尾城の仕儀やらで、使えそうな手札は出来申した。
近々、禰々様の弔問などで使者を寄こすと思われまするに、これを使って釘を挿しまくってやりましょう」
先刻までの怒気含む雰囲気から、一転 納得の方針に内定し、充足感に包まれる室内であった。
―――――――――
ここは甲斐、躑躅ヶ崎館である。
禰々を失ってから2カ月ほど経ったが、甲斐でも喪失感は消えてはいなかった。
しかし諏訪復興の取り組みは粛々と進められ、諏訪の村々、宿場に向け、甲斐から救援物資が 明野君設計の “運べる君” に積まれ、迅速に送り届けられていた。
輸送力向上とは凡ゆる場面で役に立つものなのである。
それはともかく、本日は隣国 駿河からの使節が、禰々逝去の悔やみと、伊那・諏訪の戦勝祝いに訪れていた。
謁見の間には 当主晴信を初め、一門衆の穴山信友、両職の一人甘利虎泰等々、主だった家臣が居並ぶ中、広間中央に今川家使者の一宮宗是 と 富士信忠 が畏まっていた。
禰々の悔やみ、小笠原軍撃退の賛辞、見舞いの品の目録渡し など一通りの儀式が済んだ後が、外交の本番である。
饗応の膳が運ばれ、禰々および 戦の犠牲者に献杯が済んだのを見計らい、使者一宮宗是 に向かい、駒井政武が口火を切った。
「一宮様は深志小笠原家の縁者と伺っておりますが、長時挙兵に誘いなど受けられたのでありましょう?」
宗是は口に運びかけていた盃を止め、駒井を見、ニヤリと笑みを浮かべながら返答する。
「我が一宮家は小笠原の縁者とは申せ遠縁。 どちらかと言えば京の都に居る、幕府に近い小笠原と懇意ゆえ、長時が事はとんと知らずに過ごしておりました、ははは」
「ほう左様で…今川様の伊那松尾への出兵、如何にも早う御座りましたゆえ、声掛けの一つも有ったかと…はは」
「いやいや、何も知り申さん」
盃を口に運ぶ宗是に勘助が追い打ちを掛ける。
「されば、如何にして長時が動きを掴まれましたかな? 出来れば我らも手本と致したきゆえご教示願いたく」
勘助の眼光に宗是は返答に詰まる。
が、横に座るもう一人の使者 富士信忠が、鷹揚に返答した。
「これは噂にて、確たるものでは御座らぬが…雪斎僧正子飼いの者が占ったとか。
儂も浅間大社の大宮司を務める者、日々精進し神仏の声に耳欹てて居りまするが、耳が遠御座ってな、ははは」
勘助は表情を変えず、富士信忠を見据え、言葉を繋いだ。
「成程…占いとな…どの様な卦が出た物か。
僧正子飼いの者と言えば、雪斎党とか申す者を庵原館で見かけた事が御座る。
したが、武田の要請無しに伊那に攻め込むは約定破りでは御座らぬかの?
それも怪しげな旗を掲げ、町を焼き、城に籠ったと聞いておりますが、これは御存じか?」
勘助の圧しに 今度は富士信忠が返答に詰まる。
すると空かさず、宗是が口を開いた。
「それは義勇兵に御座る。
武田の凶事を示す卦に、心ある者が上の者の裁可も受けず、飛び出した由。
褒めこそすれ、咎めるものに非ず と心得まするが、山本様は如何?」
綺麗に打ち返され、勘助は渋々
「それは、尤も…
したが、今は伊那平も我が武田が抑えて御座るに、重ねて加勢はお断り致す。
今後も心配無用と心得あれ」
「それは喜ばしき哉、今川が加勢した甲斐があったと申しておきましょう、ははは」
勝ち誇った様に笑顔を見せた一宮宗是に、今まで黙していた晴信が口を開いた。
「神仏の声を聞くと言えば、我が甲斐にも飛び切りの巫女が御座る。
先だっては駿河に参り、寿桂尼様に誼を戴いたと聞き申した。
実に重畳。
その巫女が此度の元凶、小笠原長時を島に流せとの託宣を受け申した。
が、承知の様にこの甲斐には海は無し、島も無し。
しかし寿桂尼様から “甲斐壱の巫女” とお褒め預かりし巫女の卦じゃ。
努々、無かった事には出来ぬ。
そこでじゃ、神仏の声を大切にされる今川衆に頼みがある。
長時を今川の海から、何処ぞの島に流しては呉れぬか?」
思わぬ角度から、とんでもないお荷物が飛んできた。
権威が低下したとはいえ、室町幕府お気に入りの信濃守護・小笠原長時を許しも得ず流罪とするのは 色々波風が立つ事案である。
それに今川も加担せよ という話しだ。
駿河の港から船を出せば “今川が流した” と噂されるは必至であろう。
一宮宗是と富士信忠の顔色は見る見る青白くなってくる。
目を泳がし、断わりの方便を捜している一宮宗是に向かい、晴信が止めの言葉を発した。
「女子、童への加護篤い義元様ならば、否とは申すまいと思うて居るし、幕府管領・細川家と昵懇の一宮宗是殿であれば、必ずや神仏の道、示していただけようと信じて居る。
仔細を記した書状も寿桂尼様に差し上げるゆえ、良しなに頼む」
甲斐国主、武田晴信にここ迄言われ、寿桂尼様という外堀まで埋められたならば、只々 頭を下げ “力の限り” と言うしかない 一宮宗是であった。
使者との交渉は別もあり、例えば 雪斎僧正建立の秘在寺が火矢で焼失したが、犯人は甲斐の者がやったと噂が出ている…等々が上がったが、十座が拾った藤林の書状等とバーター 、不問に付して終わった。
他にも信州伊那平は武田領とする事、深志小笠原宗家惣領識は 伊那松尾で降伏した長時の弟、小笠原信定に継がせる事など 各種政治的決着を以て今川の使者訪問は終了したのであった。
第52話・損得勘定 と書いて 外交交渉 と読む 完




