第50話・三虎の旗
小笠原の野望の結末は…
直観の武将・原虎胤は何処に居るのか? そして何処へ向かうのか?
今回は虎尽くしで…
戦国奇聞! 第50話・三虎の旗
時は前話から少し戻った、高遠城で神田将監を急襲した日の夜。
場所は高遠城から二里半(10㎞)ほど下流、三峰川と天竜川が交わる伊那部である。
そう、原虎胤隊の休憩地だ。
将監の本陣を襲い、総崩れの小笠原本隊を追い散らし、勢いに任せてここ迄来てしまったのだ。
当初の段取りでは囲みを破ったら、高遠城に入る筈であったが…忘れていた。
実を言えば敵の大将、神田将監は城から一里半(6㎞)程の森で身を潜めていたので、遥か先まで追い越していたのであるが、気が付くと横田高松の隊も見当たらず、虎胤隊のみ孤立した様相であった。(そりゃそうだろう…)
かと言って今来た道を引き返すのも面倒ではあるが、決戦の場に先回りしようにも、今一つしっくり来ていないのだ。
いつもの様に敵方の武将と戦場となる土地の名前を呟き、己の進むべき方向を探るが “将監と福与城” と呟いてもトキメカナイ。
虎胤の逡巡を見て取った家臣たちを代表し、嫡男 彦十郎が次の目的地を尋ねて来た。
「親父殿、高松様との取り決め、如何いたす御つもりか?
これから高遠城へ戻るか、一足先に将監が逃げ込みそうな城を抑えに行くか…」
「ん?皆が楽しそうであったでここ迄来たが、彦十郎はどう思うのじゃ?」 (嘘を付け…)
「…そうですな。ここから高遠城へ戻るのは些か面倒かと…今宵はここに陣を張り、明朝高遠へ向かっては如何で?」
「ふふ、皆で相談して参ったな…儂に異存は無いぞ」
決定しかけた時、暗がりの中から大柄の熊の様な家臣が、猿の様な小柄の兵を摘まむように連れて来た。
目の端で姿を捉えた彦十郎がすかさず問いかけた。
「何かあったか?その者は?」
「は、松尾小笠原の兵です。道に迷って居る所を捕らえました。
我等を味方と間違えた由、何処へ向かうか喋り申した」
「何と!それは僥倖。…したが見た所、その者は駆り出された農民兵であろう?
お主を味方と間違えるにはちと 無理がある…何をした?」
「…別に、暗がりで震えて居りましたで、猫撫で声を掛けたまで…」 (大熊が猫なで声…大熊猫か?)
「…まぁ良い、して 何処へ向かうとな」
「勝っても負けても松尾へ戻れと定信より命じられておるとの由。小笠原本体には従わぬ様で御座る」
「ほほぉ、勝っても負けても本拠を固めるとは、信定は中々手堅い質の様じゃの」
「見ての通りの農民兵。一刻も早く 田畑に戻りたいのが本音でありましょうからな…」
「成程…親父殿、敵の数を読むに必要な事。急ぎ 高松様へ知らせねば…
高遠城へ戻ると致しますか?」
彦十郎は一応、父親に伺いを立てるが 虎胤は首を傾げながら、何かブツブツ呟いていたかと思うと
「否、待て。 これより我等のみで松尾へ向かうぞ」
「…高遠城へは知らせぬのですか?」
「高松殿には “信定は松尾へ逃げた” と使いを出せば良い。
信定一党は騎馬であろうが我等は徒士。
松尾城に逃げ込まれる前に捕らえるには、これより追うが理に適うであろう?
小笠原本体を叩く役目は向こうに任せ、我等は一網打尽から漏れた松尾勢を叩く。
直ぐに出立じゃ。皆に言って参れ」
実を言えば虎胤は “定信と松尾城” と呟いたのであるが、モヤモヤと気味の悪い感じがしたのだ。
こんな感じは初めてで、今後の為にも確認したくなったのである。
斯くして原虎胤隊は、伊那平の奥 松尾に小笠原信定軍を追う事となった。
南アルプスを越え、敵本陣を急襲し、一刻の休息を取ると即 追撃に入る…つくづくタフな連中である。
松尾兵が帰るとすれば三州街道(伊那街道)を使うのが一番早いが、三州街道は天竜川の右岸を通っており、虎胤隊が今居るのは左岸であった。
この当時は橋の掛かっている河川は稀である。
急流の天竜川を夜中に渡河するのは猛者の集団とは言え、流石に無謀過ぎる。
沢渡(地名である)辺りで夜明けを待つ虎胤隊であった。
伊那郡伊賀良荘松尾城は伊那平のほぼ南端に位置しており、高遠城付近からの距離は、13里(約50㎞超)もある。
と言われてもピンと来ないと思うので、今の地名で説明すると 長野県飯田市、JR飯田線飯田駅の付近である。
ここ迄イイダが続くとイイダでイイじゃねぇかと思うが、松尾である。
この長距離を逃げ帰る小笠原兵を追い越して、松尾城を取る意気の虎胤隊であるが、途中小笠原勢を発見しても、殺さない。
考えがあるのだ。
散り散りに逃げる兵は大抵、反撃はして来ないものだ。
それを追いつめ 殺そうとすれば、死に物狂いで抵抗して来る。 …面倒である。
なので “負け戦が伝われば、落ち武者狩りに遭うぞ。大人しくしていれば、松尾まで送ってやる” と、猫なで声で優しく呼びかけて(威嚇?)、捕虜にするのである。
捕虜にしたと言っても縄で繋いだりはしない。
虎胤隊は急いでいるのだ。 連行などしていたら進軍速度が落ちる。
槍だの弓矢だの武器を取り上げ “守って欲しければ自分の足で付いてこい” で、終わりである。
逸れたら沿道の者に狩られる恐怖から、虎胤隊を必死に追う敗残兵。
13里の道程を進むにつれて、虎胤隊の後ろにヘロヘロでヒョロヒョロな男の長い列が続くという、東京マラソンのゴール付近の様相であった。
さすがに小笠原信定とその馬回りは 人目を避け逃げているのか、未だに補足出来ないままに 松尾城下に到着したのだが、そこは既に戦禍に覆われていた。
町は燃え跡が広がり、焼け出された人々が徘徊している状態であった。
その焼け跡で幟を立て、指揮を執る一団が居た。 旗印は “三階菱紋” 、小笠原家の紋である。
向こうも虎胤隊を認め、双方に緊張が走った。
が、虎胤が時候の挨拶でもする様な、のんびりとした声音で呼びかけた。
「そこに居るのは 信定殿かの? 逸れて居った松尾勢を連れて参ったのじゃが…これは、一体どうされたのじゃ?」
信定の馬回りは尚も警戒し、太刀の柄に手を掛け 此方を睨んでいる。
が、虎胤隊の後方からヘロヘロながらも、縄打たれもせずに集まって来る松尾兵の姿を見て、呆然とし 柄から手を下ろした。
床几に座っていた小笠原信定は立ち上がり、無言で虎胤たちが近づくのを待った。
二間(3mチョイ)程で向き合い、お互い目礼する。
端からも憔悴の色が見て取れる信定が口を開いた。 しゃがれ声である。
「原虎胤殿とお見受け致す。 我らに追い打ちを掛けに来られたのでは無いのですか?」
「左様じゃ…そのつもりであったが、解せぬ様子じゃで、追い打ちは止めた。
…で、何が起きたのじゃ?」
「それが…我らが留守にした隙に…焼き討ちされ申した…」
「うむ、で 相手は?」
「松尾城に籠って居る者共が町を焼いたと見て居りますが、見慣れぬ旗で…」
「先に申しておくが武田では無いぞ。 武田はここ迄手は伸びぬ」
焼け跡から回収したと思われる旗を、信定の馬回りの一人が広げた。 (図1)
図1:謎の旗
「虎の字が縦に三つ…確かに見慣れぬ旗じゃが…信定殿に心当たりは無いのかの?」
信定は無言で首を横に振る。
そして意を決し、虎胤を正面から見据えた。
「虫の好い願いで御座るが、武田との戦、暫し待ってはいただけぬか。
留守を荒らされ、家臣の家族も連れ去られたと思われるまま、これを捨て置いては末代までの恥。
まずは城に籠る奴儕を打ち払わねば家名も地に落ち申す」
「成程、その意気や良し! この虎胤も助太刀致そう!」
「あ、いや それは…戦途中の相手に助太刀いただくは…それはそれで恥となり申す。
まずは我等小笠原が決着をつけるべき物」
「左様か、承知した。 ならばこの原虎胤が見届けるゆえ、存分に戦い召され」
―――――――――
伊那松尾城は天竜川によってできた河岸段丘の東端に築かれ、南の毛賀沢川を挟んで鈴岡城と相対する位置にあった。
主郭は東端にあり、西に二の丸を配し、更にその西に三の丸などが続く、領地が狭い割に広大な城である。
その城のあちこちに例の見慣れぬ旗(三虎)がはためいている。
小笠原信定に追い打ちを掛けに来た筈が、期せずして信定の城攻めの見届け役となった原虎胤は、信定軍の数町後ろから城攻めを見守っていた。
やっとマラソンが終わった信定の兵たちは、今度は自分の城の取り返しに駆り出され、散々であるが これは領土防衛戦である。
自分と無関係な高遠攻めとはモチベーションが変わって来る戦いで、それなりに戦意は高い。
取り敢えず 当時の|合戦の作法に則り、攻め手の小笠原側が鏑矢を射った。
…小笠原は本来、作法にウルサイのである。(長時は騙し討ちが得意だったが…)
作法では敵陣から同じく鏑矢で “答えの矢” が放たれ、戦が始まる筈であった。
が、帰って来たのは “パン!” と言う乾いた破裂音と、人の頭ほどの岩であった。
鏑矢を射た小笠原の射手が弾かれる様に倒れ、その後ろに控えていた兵たちに岩が降り注いだ。
矢避けの盾を持って前進を始めていた信定軍に動揺が走った。
が、背後で見守っていた虎胤隊にも同様の動揺が走っていた。(ダジャレじゃないです…許して)
あの岩の飛び具合は… “飛丸” ではないか?
飛丸は武田の秘密兵器である。 それが信定軍に放たれたと言う事は…城に籠るのは武田の者か?
高遠城で飛丸の洗礼を受けていた信定軍は状況を察知し、盾を投げ捨て、後退しだす。
再度、破裂音が響き 逃げる兵士数人が蹴躓いた様に倒れた。
前線から虎胤隊に向かい小笠原信定と馬回りの者が走り寄って来る。 怒りの形相である。
「あの岩繰を飛ばす術、あれは武田の攻め手! 城に籠るは武田ではないか!
おのれ…我等を謀ったな!」
虎胤に掴み掛らんばかりの勢いの信定に、彦十郎が立ちはだかり、抑えにかかる。
「信定殿、お待ちあれ。 あれは我等も知らぬ事」
「信じられぬわ! 良くも虚仮にしおって!」
信定の周りも興奮しており、既に太刀を抜いている者も居る。
それまで床几に座り静観していた虎胤がいきなり立ち上がり
「良し判った! 言葉で申しても信じられぬであろう。ならばこの虎胤隊があの城、取り返して進ぜよう!
皆の者、戦じゃ!
弐の隊は右に回り込め!参の隊は左の茂みに潜め、壱の隊 儂と共に正面から行くぞ!」
虎胤の号令一下、隊の兵士が一斉に、小山が胎動するが如く動いた。
みな背中に虎胤の旗印 “八曜に月” を挿し、隊伍を整える。
彦十郎が先頭で盾を持ち、迷いなく大手を進む。
投石の射程に入りそうな距離まで大手門に近づいた時、城内から大音声で呼ばわる声が響いた。
「暫し!暫し待たれよ!! そこな軍勢、暫し!
そちらは甲斐武田、原美濃守虎胤様の軍とお見受け致す。
城攻めは暫し待たれよ!」
虎胤隊は路に散乱している盾を拾いながら尚も前進を続け、返答する。
「人に正体を尋ねるならば、まず 己の正体を明かすが先!そこな火事場泥棒は名を名乗れ!」
すると、驚いたことに松尾城の正面、大手門があっさりと開き、中から一人の武将が諸手を挙げ、小走りに出て来た。
後ろからは数人の兵士が大きめの旗を振っている。
文様は “丸の内に二つ引両” 今川家の紋である。
「我等は駿河今川家の者。 武田様へ合力の為 遣わされた軍勢に御座る。
我は義元様が臣、御宿藤七郎と申す者。
武田家きっての猛将 鬼美濃様と矢合わせなど、滅相も無い」
虎胤は取り敢えず隊を止めたが、警戒は解かず詰問する。
「我が武田が今川へ合力を頼んだなど、我は聞いて居らぬ。
それに今川の旗を掲げず、怪しげな旗で惑わすは如何な了見!
大名の真似事を致す野盗の類は成敗してやるわい!」
「あぁ、あの旗は…」
―――――――――
息詰まる場面であるが、場面描写は行き詰るので、いきなり解説となる。悪しからず…
伊那松尾城を占拠していたのは御宿藤七郎なる者が言っていた通り、今川の軍勢であった。
正確には雪斎の指図…と言うか、雪斎党・藤堂健一の画策で 藤堂隊が動いていたのだ。
雪斎の策では小笠原長時を唆し、諏訪&高遠に危機を起こさせ、援軍の条件に火薬の製造法を聞き出す筋書きであったが…藤堂健一がそれを利用したのである。
今川版飛丸の実戦検証、そいつをやりたかったのだ。 (※1)
武田からの援軍要請の返答を待たず、秋葉街道を通り、松尾に抜け進軍したのだが、まさか武田がアルプス越えして高遠を救うとは予想すらしておらず、鬼美濃と対峙するのは想定外であったのだ。
※1:飛丸の設計図を手に入れた経緯は第27話参照。
話しは多少脱線するが、今川遠征軍・藤堂隊の与力、実質的指揮官、御宿藤七郎は、今川義元から感状をバンバン貰う様な、スーパー武将なのだが、この時は絶賛売り出し中!30になるかならないかの まだ駆け出しであった。
で、その藤七郎憧れの武将が誰あろう、甲斐の原虎胤である。
そんな訳で、憧れの武将突然の降臨!に我を忘れ開城してしまう御宿藤七郎なのであった。
話しを戻し、松尾城の扱いであるが、小笠原信定と原彦十郎は “そのまま返せ、火事場泥棒!“ を主張し、御宿藤七郎は ”これは戦、城を返す謂れはない“ の平行線となった。
虎胤隊も甲斐躑躅ヶ崎館を出てから、十日近く野宿生活である。いい加減体も痒くなってくるので早く戦は切り上げたい。
と言う事で、虎胤が取った手は
・小笠原信定は虎胤に降伏する。
・虎胤は同盟の今川から松尾城を受取る。
・虎胤は信定を甲斐に連行し、城受け渡しの人員を派遣するまで 松尾勢に城の維持管理を委託する。
で丸く収めた。
鮮やかな手腕に今川臣・御宿藤七郎は 憧れを強くし “座右の銘とするお言葉を頂戴したく” と強請った。
原虎胤は照れながらも 美濃紙に墨濃く 『出たとこ勝負』 と書き、渡した…うむ、色々と奥が深い。
こうして伊那平の平定は成ったのであった。
え?怪しい旗の正体?
読者であればお気づきでしょう?
雪斎党 藤堂健一の名乗り 藤堂三虎 の旗ですって。
第50話・三虎の旗 完




