第43話・それぞれの胎動
緊急事態を知らせる狼煙が曇りで見えない! と言う 雲行きが怪しい状態で始まった小笠原の侵攻。(誰が上手い事言えと…)
悪い事は重なる物で、勘助の事前準備は皆外れ、アワアワ状態。
その上、凡将と思われていた長時も やればできる子 と判明。
そんな長時が10日で武田の城を落とすって言うんだから、ここからは緊張感を持って、見守っていただきたい。
戦国奇聞! 第43話・それぞれの胎動
さて、小笠原長時の諏訪侵攻開始から3日目、上原城を囲んでから2日目の朝である。
読者各位は、一向に戦が進展せず、イライラしているかもしれないが、これが本来のスピードとご理解いただきたい。
では、前書きの宣言通り、両陣営を覗いて行くとしよう。
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【武田サイド:上原城】
上諏訪、上原城である。
実質的城主 武田信繫は長時侵攻の知らせを聞くや、甲州街道で躑躅ヶ崎館へ、杖突街道で高遠城へアラートを上げ、城の要所要所に兵を配置した。配備されている飛丸4基のメンテナンスも万全であった。
対応に漏れは無い筈…
敵将・小笠原長時の武田家中での評価は “名門を笠に着た凡将” であったが、昨日の身のこなしを見た限りでは 戦の駆け引きも知って居る、そこそこの武将と思えた。
それが証拠に竜弾乱射の威力を理解した今では、射程外から城を囲み 城内を窺うだけで 寄せては来ない。
奇襲に拠る上原城奪取に失敗したと悟ると、力攻めは放棄し、真綿で首を締める様な作戦に切り替えて来たのだ。
具体的には周辺の村を焼き、女子供、よぼよぼの老人や怪我人など 人足として使役出来ない者を集めては、上原城の目の前の広場に放置するのである。
帰るべき家を焼かれ、行く当てのない者、自身で動けない者は 眼前の城に助けを求める。
長時は信繫の性質を読んだ上で、この真綿で首を締める策を指示しているのだ。
被災民を城内で保護する様に仕向け、彼らへの食糧、怪我人手当の薬草などの、上原城の兵糧を減らす作戦である。
これは有能と言うより、陰険な武将と言うべきかも知れないが…
目の前で嫌がらせを受け、腹を立てた諏訪満隆は “諏訪の民を守る為に城から打って出るべし” と、息巻いたが、それは向こうの思う壺である。
敵本陣の陣容が少なくなった様にも見えたが、未だ向こうが多勢であり、此方から打って出る時期ではない。
信繫は冷静に情勢を観察していた。
が、武田信繫は慈悲の武将でもある。 奥歯を噛み締め、心の中で狼藉を止められぬ事を詫びながら 眼前の領民全員の収容を命じた。
すると長時はこちらの覚悟を試す様に、昨日は2回 今日は既に3回と、領民を追い立てて来る。
物見櫓から城下の様子を見ていた田中淡路が、そそくさと信繫に報告に駆け込んできた。
「信繫様!また、領民が放置されております。 今日だけでも三度目に御座ります。
長時をば早く追い払わねば、諏訪は甚振られるままでありますぞ…」
「淡路殿、済まぬ。 数日のうちに甲斐より援軍が来ますゆえ、もう少しの辛抱。
その時は此方からも出陣し、散々に追い払う程に、 先ず、広場の者たちを引き取る様に」
「は…したが、女子供、老人たちで二千に届く勢い、二の曲輪は既に人で溢れる有様で御座る。
これ以上 何処へ収めますやら…兵糧もいつまで持つ物やら…」
「うむ、兵糧は心配めさるな。この城は佐久、高遠の要ゆえ、ちまちまと兵糧は蓄えて居りました。
この程度で飢える事は無いでありましょう。
それと…避難所の方は、諏訪家の方々を奥へ移し、屋敷内にも避難者を入れるが良いのでは?
少々手狭となるが、大祝様の評判が上がると言えば、諏訪家の方々も否とは申すまい」
信繫は傍らの側近 山高親之に振り返り、指示した。
「満隆殿へ事情を伝えれば、頼重様へ取り成してくれようから、淡路殿と 共に話して参れ」
我慢の上原城である。
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【小笠原サイド:高遠攻略軍】
こちらは岡谷道を進む、小笠原高遠攻略軍である。
主力は神田将監が指揮する小笠原正規軍 約2,000。
これに矢島氏等の諏訪西方衆 約1,500を加えた3,500の勢力となる。
長時を今回の高遠攻略に踏み切らせたのは、雪斎党からの甘い誘いが大きいが、それだけではなかった。
一つ目は雪斎党が巧くばら撒いた “武田晴信と諏訪頼重の娘、湖衣姫 婚姻説” だ。
この偽情報は諏訪満隣、満隆を謀反に走らせただけでは無く、下諏訪の国人にもインパクトを与えた。
諏訪家の様に上諏訪の次は下諏訪が、蚕食されるのでは? と疑心暗鬼となった諏訪西方衆が苦も無く靡いたのである。
二つ目は高遠城の元の城主、高遠頼継からの、とっておきの情報であった。
城の生命線とも言える 水の手の場所と それを潰す手段を聞き出したのである。
籠城戦は籠る相手の数、兵糧の多寡で耐えられる日数に違いが出るが、水の手が一番大切である。
空腹は絶えられても、断水では命を維持出来ないのだ。
この二つの打算に4,000の傭兵がダメ押しとなり、今回の出陣であった。
そんな長時を動かした大きな打算・頼継は、漏らした情報の重さを知ってか知らずか “城の弱点に案内する” と得意顔で同道し、弱点を吹聴して回っていた。
城を取り戻す為に手段を選ばないと言えば、それらしい動機に聞こえるが…そんなに喧伝していては首尾よく取り戻したとしても、弱点を突かれ 落城待ったなしと思うのだが、そこには気付いているであろうか?
…高遠頼継、残念な武将である。
それはそれとして、伊那高遠城までは下諏訪 岡谷宿から八里チョイ(35㎞)程度で、真っ当な行軍が頑張れば一日で行ける距離である。
しかし同道する諏訪西方衆は、正規軍と言え 寄せ集めであり、また 今回の侵攻は奇襲を旨とするので、沿道への根回しは出来ていない。
ゆえに 行く先々の伊那衆に 敵襲では無い旨、説明しつつの進軍で 速度は上がらない。
結局 初日は上伊那の辰野辺りで停止し、野宿となった。 その距離 三里(12㎞)程度である。
長時の指令では二日で高遠を囲み、七日で落とせと言われているが、このペースでは初手から怪しい。
また、共に高遠を囲む予定の松尾城の小笠原信定は、連絡が取りづらい。
何しろ松尾城は伊那平の一番奥で、長時本拠の深志 林城とは二十五里弱(100㎞)も離れて居る。
将監の居る辰野からでも十五里弱(60㎞)で、指令のやり取りも片道 2~3日は掛かる。
このまま本体到着が遅れ、功を焦った小笠原信定が単独で城に打ち掛かれば、戦巧者の板垣信方に 痛い目に遭わされるかも知れない。
しかし予定より遅れそうで気が急くと言っても、LINEで調整の連絡は取れないのである。
なんとも不便でイライラするが、人類の歴史に於いて、ケータイで “ゴメーン、今起きたから遅れる~。後から追い付くから先行っててぇ” などと土壇場の連絡が付くようになったのは、つい最近なのである…
従って、予定は未定、多少の誤差は織り込み済みで物事を進めるのが当時の常識だが、高遠攻略軍を預かる神田将監は、大変 几帳面な性格であった。
言葉は言葉通り、予定は予定通りでないとストレスを感じる性格なのである。
今回も痛む胃の腑を押さえたいが、着込んだ鎧が邪魔となり手が届かない。
そのイライラでさらに胃が痛む悪循環に耐えながら、先を急ぐ将監である。
そんな将監の許に、偵察&説明に出ていた征矢野宗信が、状況報告に戻ってきた。
「将監殿、朗報ですぞ。藤沢頼親殿、合力いただけるとの事ですじゃ。
高遠城の弱点を匂わせれば、一も二も無くお味方いただけますで、実に楽。
この様な調略なれば、何時でも御座れじゃ、ははは。
それにじゃな…今宵は福与城で一席設けるゆえ、立ち寄って下されとの申し出で御座る。
いやぁ、昨夜は野宿で体が強張り申したゆえ、有難い事じゃ」
「…うむ、承知した。 調略 お見事で御座った」
将監は言葉では褒めつつ、渋い顔であった。
皆 一様に緊張感が足りていない!
どの様な戦いも 油断が一番の大敵である。 事あるごとに言っているが、皆 どこ吹く風とそっぽを向く。
あぁ、胃の腑が痛い…
原因は判っている。 …高遠頼継だ。 あの御仁が 自分が高遠に着きさえすれば、弱点を突いて三日で落とせると 吹いて回っているのだ。
“お前のその迂闊さで弟が死んだのだ!” と言ってやりたいが、相手は主君 長時様の客将。苦虫を嚙みつつ行軍を続けるしかあるまい。
今は早く福与城に入り、鎧を脱ぎ捨て 胃の腑を押さえる事だけを希求する将監であった。
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【小笠原サイド:砦構築班】
ここは甲州街道 金沢宿近くの宮川土手である。
上諏訪 上原城から二里(8㎞)程度の距離だ。
長時の命により砦を築くべく、側近の水竹や親衛隊から50騎ほどが、縄張りの最中であった。
この辺りであれば、宿場に近く両側に建物が並ぶ道で軍勢は広がれず、一列での行軍となり速度が落ちる。
そこを射かければ攻撃の効果が上がるし、その先の宮川に掛かる橋を取れば、足止めするには最適である。
水竹は設営場所をここと決め、部材調達の号令を掛けようとしている所に10人ほどの傭兵が近づいてきた。
皆 のんびりとした体であるが、発する気は剣呑で、山犬の群れの様な集団である。
先頭はズングリした体格で糸の様に細い目をした、見覚えがある男である。
数カ月前に、4,000の傭兵調達を持ち掛けて来た今川の使者、楯岡道順であった。
その道順が笑いながら水竹に声をかけた。
「陣地作りの大将はあんたかい?」
水竹は道順とは面識は無かったが、やり合ったらこちらが怪我をする ヤバイ連中である事は判った。
一瞬目が合ったが、即 目を逸らしながら答えた。
「い 如何にも儂が奉行じゃ。 な爾は、何奴…否 何用じゃ」
「…そう怯えんでも良かろうが、…ちょこっと気になる事があっての。砦を まさかこの辺りに作ろうなんぞ、考えては居らんよな?」
「!」
まさにこの地に砦を作る気でいた水竹は わーヤバいのに因縁付けられたよ、どうしよう…と、返答を躊躇した。
が、考えて見れば自分の方が立場は上である…上の筈である…
なけなしの勇気を振り絞って、威圧感を出し(目は合わせず)回答した。
「こ、ここ…、こここに作ると申したら、な 何とする!」
「…こっこ こっこと、お主 ニワトリか?
まぁ別にどこに作ろうと そちらの勝手じゃが…ここじゃと穴が開くぞ」
「穴?」
「そうじゃ。…小笠原は諏訪の土地は良く知らん様じゃな。杖突街道に繋がる峠道は この先 一里ほどの青柳村から金沢峠を越えていく筋もあるのじゃ。
高遠城への道を塞ぐが目的ならば、そこも押さえねばな」
「な、何とその様な注進であったか…ありがたや。…その様な事であれば、青柳村に兵を送ろう!」
「ほう、思ったより物の道理が判る大将じゃな。 ならば、事の序でじゃ。青柳村の砦は我等が請負ても良いぞ」
「…つかぬ事を伺うが、其許は何方じゃな?」
「ふん、扱いが急に変わり居った。
まぁ良い…我は楯岡道順と申す。伊勢北畠、近江六角に軍学を少々指南して居った者じゃ」
「おぉ、それば心強い。 こちらも手一杯ゆえ、お任せして宜しいかな?」
「おぉ請負た」
今回の今川(雪斎党)の関与は、傭兵手配に留まっていなかった。
これは前回の高遠頼継 扇動時の失敗(兵隊調達だけで有効打なし)を学習した結果であり、戦訓が活かされた行動だ。
その成果が雪斎党 藤堂の歴史知識を基にした情報戦、一線級の伊賀者の派遣 などの強力なサポートである。
藤堂は歴史教師としての記憶 “武田は騎馬隊が強い” から “武田を防ぐのは馬防柵” の知識を引っ張り出し、助言(予言?)をしたのだ。
楯岡道順はその言葉に従い 街道筋の青柳村に何重かの柵を設ける防御陣地を作ろうとしている。
実はこの当時の武田では大規模な騎馬隊運用はされておらず、武田の最強騎馬隊伝説は今回の臨時編成がその始まりであったのだが、期せずして助言(予言?)が図星を指し、結果的に強力な縦深防御陣地 (※1)が作られる事となったのだ。
…これを偶然と呼ぶか歴史的必然ととらえるか、意見は分かれるがその帰趨は何処へ向かうか ドキドキものである。
※1:縦深防御とは、多層の防御線で敵の前進を遅らせる事を目的とする陣形である。時間を稼ぎつつ、敵の犠牲者を増加させる戦略で作られた、長時が好みそうな陰険な陣形である。
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【武田サイド:甲斐府中(甲府)】
ここは甲斐、躑躅ヶ崎館である。
数々の想定外のトラブルの中、迎撃作戦をまとめ上げた勘助は各所と調整の上、晴信の出陣発令まで漕ぎつけた所だ。
上原城救出の騎馬隊は急場であったが、晴信花押の指図書の威信で躑躅ヶ崎館周辺の馬が迅速に集められた。
が、ここで揉めたのは騎馬隊大将の人選であった。
『緊急即応軍』 には無関心であった重臣が、いざその派遣軍の規模を見ると いきなり名乗りを上げたのである。
晴信嫡男 武田太郎の傅役で、猛将として知られる飯富虎昌が “騎馬隊なら儂にやらせろ!否 儂しか出来ぬ” と強烈な押しであった。
どうやら騎馬オンリーの編成は 以前から狙っていた戦法だった様である。
派手好きの飯富虎昌は、コッソリと騎馬隊の装備を準備していたらしく、サプライズを台無しにされた仕掛け人の様に、手柄を取られたと感じ、不機嫌であった。
が、晴信と勘助が その先見性や仕掛けを褒め、 “是非使わせて欲しい” と言われると、一転ノリノリでまとめ役を買って出た。
虎昌は飯富家で大量に準備していた赤母衣を持ち込み、一の曲輪に集められた武者たちに自ら配って回った。
(後の “武田の赤備え” の原型がこれである!)
虎昌の意図が掴めず受け取りを拒否しようとする武者には以下の様に一喝した。
「馬鹿者!戦は見栄と勢いで決まるのじゃ! 初見の敵は派手な出立に腰が引け、裂帛の勢いで腰が砕ける! 本当は鎧、兜 全てを朱塗りで揃えたかったのじゃが、此度は突然過ぎで間に合わんかった…
兎も角じゃ、ごちゃごちゃ言わず、騙されたと思ってこの赤母衣を背負って行け!」
結果 躑躅ヶ崎館の馬出しに終結した 500を越える騎馬武者は、虎昌の勢いに押し切られ “赤母衣備え” の大変インパクトの強い軍団となった。 (※2)
頃は良し。城門の櫓に上った晴信が、眼下に勢揃いした騎馬隊に向かって、檄を飛ばした。
「深志小笠原は長年 信濃守護を名乗って居るが、その実 国を安んじる事なく争いを続ける不実者である。
此度は野盗野臥を使い、諏訪の地を侵し、上原城を囲み 諏訪大明神を守る諏訪氏を手に掛ける暴挙に出た。
これは神仏を恐れぬ所業、到底見過ごす事は出来ぬ。
此度の出陣は虎王丸らの救出のみに非ず。
諏訪の神々をお守り致すが為、破邪の剣を振るうが為の出陣じゃ!
神のご加護は我にあり。 皆の者、悪逆非道の長時の成敗致すのじゃ!」
「うおおおぉ!」
武田の騎馬軍団が地響きを立て、諏訪上原城を目指し 駆け出した!
※2:母衣は 後方からの弓矢や投石を防ぐ補助武具である。ググって見れば判るが、役割を知らないと空気抵抗の大きい バカみたいな物を背負った、目立ちたがり屋さんにしか見えない。
さて、午の刻(正午頃)に躑躅ヶ崎館を出た騎馬軍団は 韮崎、台ケ原と駒を進め、酉の刻(18時頃)教来石宿に到着し、武川衆の飛丸隊を待った。
ここで “運べる君” と合流し、子の刻(真夜中頃)に教来石宿を出立、夜明け頃に強襲する計画であったが、遅れていた。
新型マシーンの調整に手間取るのは今も昔も同じ。今回がデビュー戦の “運べる君” 調整に時間を喰ったのである。
これに痺れを切らしたのが、騎馬隊の一翼を担う 飯富源四郎(飯富虎昌の甥)であった。
上原城救出に気が逸る源四郎は、自分の隊 約200騎の先行を大将 甘利信忠に進言した。
通常の戦作法であれば、騎馬の突出は許可しない所だが、騎馬のみの新戦術で当りが掴めず、刻を急ぐ作戦の思いから甘利信忠は、使い番を多めに付ける事を条件に、これを許した。
望の日 (十五夜:満月の夜)、粛々と進む源四郎の騎馬隊は月光に浮かび、幽鬼の様でもあった。
諏訪侵攻3日目はこうして更けて行った。
4日目の朝を迎えた時、どの様な展開が広がるか? …と言う所で、スマン次回へ続く。
第43話・それぞれの胎動 完




