第31話・徒然なる事をまとめみれば
戦国奇聞! 第31話・徒然なる事をまとめみれば
ここは甲斐の国、城西屋敷である。
最近は戦も無く、鷹羽たちも生徒への授業、乗馬練習、そして生活を便利にするアイデア出しに勤しむ日々である。
富国強兵の各プロジェクトは駒井を中心とした官僚が、詳細計画の立案から職人手配などの現場を回し、着々と進んでいた。
戦の絶えない時代なのにそんな余裕があるのか…と思われるかもしれないが、戦国時代だからと言って 毎日大合戦をしていた訳では無い。 まぁ、日本全国を眺めれば、どこかしらで 小競り合いは起きていたであろうが…。
戦国時代と言うのは、幕府によって保証されていた権威が否定され “地域勢力が自力で支配権を宣言する” 事が日常になった と言うだけで、日々の暮らしは粛々と進んで行くのである。
逆に戦国時代が遥か昔の事と思っている人には、視点を変えて 今を見る事をお薦めする。
第二次世界大戦後、幸運にも国際紛争を回避し続けられた日本ではピンと来ないと思うが、平成以降は戦国時代なのである。
戦後体制でアメリカとソビエト連邦がやらかした、東西冷戦後の現在は、戦後体制の抑えが消え 地域や民族 宗教対立などの解決に “力に拠る一方的な現状変更” が日常的に取られるようになった。
まさに戦火が絶える刻が無い21世紀 なのだ。
昔との違いは冷戦では西軍が勝った事位で、国連による停戦提言が虚しく多発されているのも、いつか見た光景。
ほーらそっくり…戦国の人々も21世紀の人々も、先が見通せず、日々不安な生活を過ごすのは同じと ご理解いただけるであろう。
…個人的には 今が戦国時代との認識が 誤解であって欲しいと思うばかりである。
さて、モヤモヤとした気分を変えて 今 甲斐の国で平和裏に進められているプロジェクトがどの様なものか、確認していこう。
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プロジェクト:寺病院
前話で紛糾し文殊案件となった古澤先生発案の “寺病院” のその後である。
それにしても “寺病院” の文字を改めて眺めると違和感しかないな…
現代人の感覚では坊さんが営む病院は、あの世に直結している様で 縁起でもない と思うのだが。
しかし、当時の医師は僧籍が多かったのも事実。
医者に掛かる=あの世に近い=坊さんの領分 って事で、それなりの説得力があったのかもしれない。
それはさておき、病院開設の懸案 医者不足をどうするか…であるが、これへの回答は “正しい知識と薬” とした。
具体策は以下の3点を骨子とする。
①薬草データベースの構築
②応急処置手引きの配布
③新薬開発
まずは①。
人は昔から自然界を注意深く観察する事で、色々な薬草を見つけ、利用して来た。
しかし、土地毎に自生している植物は違い、利用法も違いがあった。そしてその知恵は秘匿されている物も多く、尾根がひとつ違えば薬草の存在は知られていない状況も起きていた。
その秘薬を公開させ、データベース化し、薬草の研究と最適な処方の普及 を目的とする施策である。
次が②。
これも薬草と同じく、知識の整理と開示である。
前話でも触れたが “血止めに馬の糞を飲む” などと言う、無茶苦茶な処置法が実しやかに広まっているのである。
放っておくと死人が増える。
対策は 古澤が学んでいたスポーツ医学や、ライフセイバー、救命術から実践的な技術を “応急処置手引き” としてまとめ、衛生観念と併せて教育するのだ。
そうそう、衛生と云えば鷹羽は 薫ちゃん、桜子ちゃんたち 女子部のリクエストに応え、石鹸を作っていたのであった。
最近は令和の世界でも特産の何とかオイル使用の地域限定石けんとか、使用済み植物油再利用のエコ石けんとか見かけるが、石鹸は初歩の化学知識があれば割と簡単に作れるのである。
とは言え材料のヒマワリオイルとか苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)とかはAmazonでも戦国時代の甲斐の国には届けてくれない。
ここで手に入る素材で作るとなると、
竹を燃やし、竹灰を煮て灰汁を取る。 竹はカリウムを多く含んでいるので苛性カリ(水酸化カリウム)が出来る。
↓
菜種油に苛性カリを加えてよく混ぜる。
↓
混合物を加熱して鹸化させ、型に入れて乾燥。
↓
完成!
現代の物と比較すれば、未反応の油脂や油脂中の不純物も多く、汚れを落とす能力はあまり高くないが、残った不純物が保湿剤の働きをして肌に優しいかもしれない石鹸が出来上がるのである。
この石鹸も併せて寺病院に配り、治療前の消毒や包帯の洗浄に使う事にしたのだ。
最後が③。
これはいくつかの偶然と未来知識のひらめきによるものだ。
古澤と男子生徒が遠乗りに出た際、炭焼きに出会い、その匂いが正露丸だと気付いた事が切っ掛けであった。
話が鷹羽に伝わり、彼の化学知識が発揮された結果、
木材乾留(炭焼き初期)の際に水蒸気とともに留出する油層(木酢液)を、高純度アルコール精製用に作っていた蒸留器で蒸留すると “木クレオソート” が出来る。
これを主成分としたお腹のクスリが “正露丸” であるし、消毒液としても利用できる。
一旦気が付くと 副次元的にあれこれ思いつくのは良くあることで、木酢液は化学の宝庫であった。
まず木酢液自体が農地の土壌改良剤として利用できる。
松の樹の木酢液から水分を除いた油状物 “木タール” を精製すると “テレビン油” が取れ、これは虫除け、止血剤、消毒剤に使える。
落葉樹木の木酢液からは “メタノール” が得られ、以前 金の掛かりすぎで中止していたエタノール精製 (※1)に代わるアルコール製造の一手段となった。
正に城西衆の未来知識の先取りであった。
村々の炭焼き窯に装置を仕掛け、大量の木酢液を採取し 薬を製造するのである。
“寺病院” では配布された村々の薬草、城西衆開発の薬の処方 そして応急処置法を学び、傷病人の手当をするのだ。
より高度な医療を行う医者の育成は将来に託すにしても、医療体制は かなり充実するであろう。
※1:板垣屋敷で悪評が立った蒸留酒実験である。 詳しくは第6話参照。
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プロジェクト:甲斐士官学校
家臣の家毎に流儀が違った戦い方を整理し、武田家全体として効率の良い軍団運用が出来る様に、用兵思想の統一を目指した施設で、武田家中では名門足利学校に倣い “武田学校” と呼ばれだした士官学校である。
学校名については、発案者である城西衆、春日昌人がアメリカ陸軍士官学校 (※2)をもじり “武田ポイント” と命名し、通称 “Tポイント” と呼んだのだが 同級生の面々から “オワコン感が強い” との指摘を受け、落ち込んだ末、命名撤回された模様である。…蛇足である。
士官学校開設案を持ち込んだ当初、晴信からは 軍師を作る学校は要らないと申していたのに ブツブツ…と云われた様だが、用意周到な駒井が提示したキャッチコピー が大いに気に入り、GOサインが出た。…これも蛇足であった。 (※2)
※2:アメリカ陸軍士官学校は通称 ウエストポイント。 パラドックスじみたキャッチコピー と合わせ、詳しくは第23話参照。
いきなりミリオタ的話となるが、現代西側の軍で重視されている理論にMissionCommand と言う物がある。
元々は19世紀のプロイセンで開発された “訓令戦術ドクトリン” から派生した手法だが、それまでの集中指揮では間に合わないケース向けの、集中指揮型と分散指揮型を組み合わせた理論である。
近年ウクライナ辺りで旧東側の集中指揮型の軍が芳しく無い有様を見せた事もあり、注目度が増した手法でもある。
具体的には色々と難しい定義もあるが、こいつを実践するには “各レベルの指揮官が作戦の意図を正しく理解し、相互の信頼と理解に基づいた指揮環境を構築することが肝要” とされている。
共通基盤となる “武田学校” で学んだ、各家から集まった次世代リーダーが指揮官となった時、MissionCommand が実践できるかもしれない。
それを信じ 知識の共有、技術の鍛錬にと 切磋琢磨しているのである。
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プロジェクト:合気道教室
城西衆の生徒から生まれたプロジェクトもひとつ、ご紹介しよう。
女子部の中で一番アクティブと言えば、カミツキガメの異名を持つ、格闘系女子の佐藤有希ちゃんである。
諏訪攻略では諏訪頼重の刃を躱し、特技の合気道で頼重を取り押さえるという 大金星を上げた。
まぁ相手は二日酔いではあったが… (※3)
その名声は武田家の中でも知れ渡り、家中の婦女子羨望の的となったのだ。
以前の巫女行列では、親衛隊が後ろをついて回ったが、諏訪戦以降は有希ちゃんの後ろは家中の娘が列をなした。
※3:有希ちゃん以下、城西衆の活躍は第11話参照。
武家の女性のたしなみと言えば “薙刀” と思われがちであるが、戦国時代の薙刀は僧兵やら盗賊やらの主要武器で、嫋やかなイメージは無い。
薙刀術が武家の女子の教養や護身術として受容されたのは江戸以降である。
また大正時代から太平洋戦争後にかけては、政府の政策の影響もあり 女性のたしなむ武道として “なぎなた” が普及し、女性が主に使う武器というイメージが定着したのだ。
と言う事で この当時の女性の護身術は “懐剣” を使った体術などであったが、有希ちゃんの特技、合気道はまだ 存在していない。
明治生まれの武道家・植芝盛平が、日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直したのが “合気道” である。
未経験者が稽古風景を見ると やられ役の人が自分で飛んでいってる 殺陣じゃないかと思える武道であるが、修練を積めば本当に相手が自分の力で飛んでいくそうである…知らんけど。
そんなこんなで 是非とも我が娘にも伝授願いたい 等々の声が止まず、城西衆の馬場近くに道場を建て、武家の娘に限らず、近所の農家の娘にも技を伝授している有希ちゃんなのであった。
余談ではあるが、合気道創始者 植芝盛平が修行中に学び、武術的開眼を得たと伝わる大東流は 甲斐武田家の祖である新羅三郎義光に由来すると言う。
城西衆の誰も知らない話だが、不思議な縁を感じる巡り合わせである。
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プロジェクトでは無いが徒然の最後に、鷹羽の中でモヤモヤしている事柄を確認したいと思う。
それはたぶん、読者の皆さまも気になっていたであろう、隣国 駿河に巣食う『雪斎党』である。
鷹羽は生徒奪還交渉で直談判した時の、雪斎党・藤堂健一の何かを企む、勝ちを確信した様な表情が、ずっと引っかかっているのだ。
相手は日本史専攻の教師、言うなれば外れ知らずの占い師、偉大なる予言者だ。
“絶対、ヤバイ手を考え付いている筈だ!” と確信し、勘助や晴信 中畑たちに危険さを訴えたのだが、具体的に何か手を打つでもなく、いたずらに時が経っている状態だ。
不安をぶつけられた晴信や勘助は、一応話しは聞いたが、それだけである。
別に鷹羽を無視している訳では無いが、周辺の状況を俯瞰して見れば、対応を後回しする理由は明らかであった。
周りには駿河以上にヤバイ国が有るのだ…もっと、有り体に言えば、警戒すべき国しかない状態である。
信濃、深志の小笠原長時、その奥の村上義清、上野の上杉家、関東相模の北条家…と、虎視眈々と甲斐を狙う輩ばかりだ。
彼等と比較すれば駿河の今川家は、同盟も生きているし、人的交流もスムーズ。一番リスクの低い国と言える。
何か具体的な脅威が見えなければ、動く必要は無いと判断されるのは当然だろう。
とは言え鷹羽としては、不安のままで居るのが一番 心を蝕まれる。
ということで『雪斎党』の動向を知る数少ないルートである、周辺国の動静を探っている透波からの定期報告に、自分も混ぜて貰う事を願い出た。
情報を仕切っている透波の元締め 秋山十郎兵衛は、行動が読めない城西衆は苦手であり 本音を言えば報告会には入れたくないのだが、御屋形様から彼らの意見も参考にしたい と言われてしまい、城西屋敷で報告会を行う事となってしまったのだ。
特に美月は十郎兵衛を見つけると、推しである真田幸綱情報を聞き出そうと追い回してくるのだ。(※4)
配下の透波に笑われるので 近づきたくは無いのだが、御屋形様の下知である…宮仕えの辛いところだ。
※4:…またもや蛇足であったが、美月の推し活の顛末は 第20話参照。
さて、透波の報告を聞くには、紙面が足らないようだ。
周辺諸国の状況を知りたい方は次回にて…
第31話・徒然なる事をまとめみれば 完




