第29話・部活で富国強兵
戦国奇聞! 第29話・部活で富国強兵
鷹羽はスランプであった。
勘助たちからあれやこれやと相談事を受けているのだが、解決策が思いつかないのである。
まず、勘助からのリクエスト、遠距離通信の方策であるが、通信と言えば電信(電気通信)を発想し、トンツートンツーのモールス信号機を作る事を考えた。
しかし、そのためには 電池、コイル、電線等々、数百年に渡る発明と技術革新を一人でやり遂げる必要があり、実際問題 絶望的であった。
目先を変えて晴信からのリクエスト、釜無川の治水を考えてみたが、何も思い浮かばない。
“治水” は古く弥生時代から手掛けられている技術なので、何とかなるのでは と請け負ったが そんな甘い物では無かった。
そもそも鷹羽の守備範囲、化学や初等物理学だけでは太刀打ち出来ない課題であった。
仕方がないので駒井からのリクエストにも手を出すが、教員育成だとか新たな支配地の訴訟対応などは、具体的な問題点が何か もイメージ出来ず、どこから手を付けるかさえ思いつかない。
この様な効率的な組織運営や人間関係が重要な問題は、実は鷹羽が一番苦手なジャンルであった。
絶対 自分より僧侶や神官の教団が得意とするドメインだと思うし、司法や警察公安事案は駒井の様な官僚向きと思え、彼より巧く捌ける気がしない。
…雑然と書き散らかされたメモをぼんやりと眺める鷹羽である。
「ダメだ、煮詰まった…」
自室の机に突っ伏して 独り言を呟く。…ふて寝でもするか。
とグダグダしていると、戸がノックされ、古澤が声を掛けて来た。
「鷹羽先生、出てきませんかぁ。教師が引きこもってちゃダメですよー」
言われるままに戸を開け、廊下に顔を出す鷹羽。
と、古澤は間髪入れず 鷹羽の腕を掴み、部屋から引きずり出し、外へ…屋敷外に連れ出した。
―――――――――
庭に何かあるのかと古澤にくっ付いて外に出た鷹羽であったが、屋敷を出て 山の麓に向かって歩き続ける。
「ちょ、どこまで連れて行く気だ?」
「みんなで乗馬部を作ったんです、優雅でしょ? で、この先に馬場も作ったんです。鷹羽先生もやりましょ、部活!
あ、理由付けて逃げる気でしょ。 ダメですよカラダ動かさなきゃ。
古代ギリシア人も言っています。“健全な肉体に健全な精神が宿る” …あれ、ローマ人だったかな?」
馬場に着くと達川、猪山、神宮寺といった男子生徒の主だった面々が乗馬のまま、隊列行進をしていた。
よく見ると板垣屋敷近くにあった『城西宿坊』に通っていた板垣衆や、教来石と慶浚和尚の警護に当たっている武川衆の若侍も居て、轡を並べて行進している。
鷹羽が思った以上に生徒たちもこの時代の人々と関係を築いている様だ。
視界の先、小高い丘の上から一人の騎馬が こちらに向かって疾走して来るのが見えた。 少し遅れてもう一人の騎馬が走り出した。 追いかけているようだ。
先頭の騎手は鷹羽も見覚えがある男である。
男は鷹羽たちを目がけ、速度を落とさず突進してくる。
身構えつつも見守る古澤と鷹羽の横を走り抜けざま、何かを投げつけて来た。
咄嗟に避けた古澤の傍には紅白の小旗が転がった。
後ろから追いかけて来た騎手は古澤の前で馬を止めた。前の馬を追うのをやめた様だ。
乗っていたのは城西衆の坂井忠である。馬上から古澤に向かい声を掛けた。
「先生、大丈夫?当たらなかった?」
「うん、大丈夫だ。 当てる気は無かったみたいだし…今のは弥次郎君、かな?」
「そう…あれ、鷹羽先生もいたんだ。珍しい」
「お、おう。オレは引きこもりだからな…て、教師に言わせるなよ。
ところで、今の誰だっけ?なんか見覚えはあるんだけど…」
「え?弥次郎だよ… カラーガードで一緒に諏訪に行ったじゃん。 忘れたの?」 (※1)
※1:板垣弥次郎は晴信の守役にして武田24将の一人、板垣信方の長男だが、残念ながら出来は余り良くない。 が、紆余曲折の末、子孫は明治の偉人 板垣退助だったりする。本当はやればできる子だったかもしれない。
「あ!あぁ…板垣信方さんの息子さん…だよね?」
隣の古澤が鷹羽に頷き、坂井に向かい問いかけた。
「また喧嘩したの?…て言うか、弥次郎君が来てたんだ。 この前、 “二度と来るか” って啖呵切ってたでしょ」
「知らねぇよ。 ガマサマに命令されたんじゃないの?ビュンビュン丸の改修テストやってるから。
あいつ、ほんと怒りっぽいからなぁ…子ガマだからしょうがなく、付き合ってるけどさ、俺だって相手するの嫌なんだよね…本音では」
鷹羽は足元に投げつけられた小旗を拾い、眺めた。
「なんか、こっちはこっちで 大変なんだな。…で、これで何やってるの?」
「え。 今ビュンビュン丸の飛距離と命中精度アップの実験やっててさ。
俺と弥次郎で着弾観測やってたんだ。
でも大声で連絡するのって、疲れるじゃん。 で、手旗信号使おうってなって。 弥次郎に教えてたんだけど…覚えられなくて、キレた」
「?!!!」
鷹羽の顎が落ちた。
古澤が思わず振り向いた位なので、顎が落ちた音がしたかもしれない。
口を開け目を見開き固まった鷹羽の口元を見つめ、古澤が
「開いてますよ…口。 固まっちゃってどうしたんですか?」
「…その手があった…」
鷹羽は馬上の坂井を凝視し、走り寄った。 話しかけた古澤は目に入っていないらしい、無視である。
「坂井!お前、手旗信号使えるのか?!」
「え? うん、ボーイスカウトで習ったから。あ、でも全部は覚えてないよ あれ数が多くて難しんだ」
「オレにも教えてくれ! って言うか、みんなに教えてくれ!…これで遠距離通信が解決できるぞ!」
「え! ダメダメ。 ア行と数字しか覚えていないもん…」
「…」
えー、中の人です。
ここで坂井君がボーイスカウトで習った “手旗信号” について、少々解説いたします。
日本のボーイスカウトで扱うのは “和文手旗信号” と言われる物で、明治期に日本帝国海軍で考案された物です。
右手に赤旗、左手に白旗を持て行う、日本特有の視覚通信で “赤上げて、白上げないで赤下げる!” などの旗上げゲームの元祖みたいなやつです。
無線など通信手段が発達した後も、電波を出せない状態での必要性から生き延び、帝国海軍が消滅した後も紅白の旗さえあれば使用できるお手軽性から、引き続き日本の船舶信号として採用され続け 海上自衛隊や海上保安庁の特技となっています。
海洋少年団やなぜか ボーイスカウトの訓練科目にも入っており、信号用の紅白旗が「携帯品」に含まれる事も多い様です。
動作としては 両手を下ろした “基本姿勢” から1~3動作でカタカナの型を示します。
例:ナの場合 (図1)
図1:
同様の視覚通信はイギリスでもセマフォア信号が考案され、20世紀以降でも諸外国海軍等で使用されています。
しかし、英語はアルファベット。基本文字数は26文字でまだ簡単。
それに対しカタカナはイ・ロ・ハ48文字と濁点、半濁点、長音を表す3記号を加え51種もポーズが必要で、これに数字やら記号やら、通信の開始・終了・訂正など 周辺のポーズを加えると 65ポーズにもなります。
つまり、文をそのまま送れる様になるには、65ポーズを覚え、瞬時に型が作れ、読み取る訓練が必要となります。
坂井君が言っていた “ア行と数字しか覚えていない” というのは、ほとんど覚えていないという意味ですね。
通信手段としては有効なのは実証されていますが、こちらの世界では既にロストテクノロジーになっています。
鷹羽先生、どうするのでしょうか…
「あれ?でもさ…着弾連絡はア行だけで伝えてたの?」
「えーと 着弾は目標から “右、左、長い、短い” しかないじゃん。 数字の1~4で伝えた」
「…お前、頭いいな。 4種類だけだから読み替えね…
ん…待てよ、て事は暗号表使えば 数字10ポーズの組み合わせで文書が送れるじゃーないですか!」
「?…どういう事。数字だけで文書が出来るって?」
「2桁の数字、00~99で100種類だろ? それぞれに文字を割り当てれば…」
鷹羽はしゃがみ込み、手にした白旗の柄で地面に表を描きだした。 (図2)
図2:
「この表の横縦番号を使って “ヤジロウノバカ” を作ると
81,3216,95,14,55,6116,21 となるんだ。
通信の始めに 19 をつけ、最後に29 を入れれば通信完了だ!」
「ふーん、そうだね。コンピュータの文字コードみたいなもんだね」
「その通り!一種のデジタル通信…では無いな。
けど、数字の型だけなら みんな手旗を覚えられるだろ。大量育成も可能だ!解決だ!!」
期せずしてスランプを脱し、興奮している鷹羽であったが、状況を知らない坂井は不思議そうに見ている。
「なんか、テンション上がってるけど何が解決?手旗信号で何する気?」
「え?通信網を作るんだよ。
今でも周りの山の上に狼煙台があるのは知って居るだろ?
“敵が攻めて来た!” って時は狼煙で知らせる訳だが、どの位の規模でどの程度のスピードかは 煙で伝えるのは無理だ。
細かな情報は紙に書くか、人が記憶して駆け降りるか、早馬を使う。
でも、この方法なら文書が伝えられる。 今と比較にならない位のスピードでだ!」
「おぉ、通信革命じゃないですか!」
鷹羽の横で古澤も興奮気味に反応した。
話を聞いていた坂井はゆっくり馬から降り、手をかざし 遠くの狼煙台を見ながら鷹羽に問いかけた。
「狼煙台って、あの 山のてっぺんに立ってるヤツだよね?
こっちの山のヤグラは見えるけど、あっちのは手前の樹に隠れて見えないね。
…遠すぎてあそこで旗振っても見えなくね?」
古澤が坂井の横に行き、同じように眺めて見る。
「あぁ本当だー遠いー。 こっち来てから緑を良く見るんで、随分 眼が良くなったんですよ、僕。
でも、遠いなぁ、見えるかなぁ旗?」
二人の言葉に鷹羽も狼煙台を仰ぎ見る。
確かに煙は見えても手旗は見えそうもない。 このアイデア、ダメか?しかし簡単に諦めるには残念過ぎる。
「くぅ、見えないか…そうだ、旗を大きくすれば良いんじゃないか!坂井、大きさ2,3m位の手旗、振れないかな?」
「…手旗じゃないね、大漁旗通信だね、それは。
振るだけなら振れるだろうけど、型が作れるかなぁ? もはや応援団でしょそれ」
付き合い良く坂井が答えてくれるが、ポジティブとは言い難い反応である。 当たり前だ…
「そうだよなぁ、あっ!もっと簡単に考えて、大きな旗に番号書いて、順番に挙げるのはどうだ!
これなら型を作らなくて良いぞ!」
「ハハハ、本当に大漁旗通信になって来た。 …それでも一文送るのに何十回も大漁旗振るんでしょ?きっつ!」
「うーむ、視覚通信がダメだと…電信? いやいや無理。…なんかないかなぁ」
またスランプの穴に叩き落されそうで、イライラしだした鷹羽である。
そんな鷹羽に古澤がお気楽な声で問いかけた。
「そんなに悩まなくたっていいじゃないですかぁ。旗を大きくしなくても見えればいいんでしょ?」
「あのなぁ、遠くの小さい旗をどうやって大きく見るんだよ…」
「それはぁ…望遠鏡 とか?」
「…古澤先生にイラついてもしょうがないけど、望遠鏡には大きいレンズが必要なの。で、大口径のレンズが作れないんだよ」
「あぁそうなんですねぇ、残念。 じゃ鏡で太陽を反射してモールス信号とか?」
「…いいセンスだけど、通信可能な方角と天候、時間が限られ過ぎる…ん?」
「ん? どうしました?」
「いや、古澤君! 君はスバラシイ…かもしれない」
再度スランプから脱出した鷹羽がニコニコと古澤の肩をバシバシ叩き出した。
古澤もニコニコと叩かれながら
「僕はスバラシイんですか? 痛いんですけど…」
「鏡だよカガミ! 反射式望遠鏡だ!
銅製の凹鏡なら今の技術でも作れる。 それを組み合わせれば望遠鏡だ。
手旗+暗号表+反射式望遠鏡 を狼煙台に設置すれば、遠距離通信網が出来る!
古澤、スゴイじゃないか!」
ハイテンションの鷹羽は上機嫌で古澤の肩をドツキ続けている。 (これは完全なパワハラ…だよな)
見かねた坂井が鷹羽の手を押さえ、やっと気付いた様だ。
「あ、ゴメンゴメン。 いやぁトンネル抜けた。 早速 戻って企画計画書 書くぞ」
馬場から城西屋敷に戻ろうとする鷹羽の肩を、古澤がガシっと掴んだ。
不審顔で振り向いた鷹羽にニッコリと微笑み返す古澤。
「ダメです。乗馬訓練が先です。
これから先、遠距離通信網整備であっちこっち 行かなきゃいけないんでしょ?
馬に乗れなきゃ 足手まといです。3週間合宿コースで集中教習です。
覚悟はいいですね?」
返す言葉は無かった。
引き攣った笑顔を返すしかない鷹羽であった。
第29話・部活で富国強兵 完




