表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/101

第26話・駿河レスキュー

戦国奇聞!(せんごくキブン!) 第26話・駿河レスキュー


 晴信が微かな違和感から察知した “城西衆への監視” であったが、改めて周辺の動きを検証すると、城西衆のセキュリティはユルユルでスカスカである事が明らかになった。

 中学校では生徒たちにSNSや怪しげなサイトへの注意事項や ネットリテラシーなどは口やかましく言っていたが、対人関係についてはオープンマインドが基本の城西衆である。

 民衆からの受けは抜群に良いが、見方を変えれば 探られ放題、見られ放題であった。

 そんな人を疑う事をしない生徒たちが、駿河に取り残されていると想像すると、どんな扱いをうけているのか、鷹羽は気が気では無かった。

 今まで思い至らなかった罪悪感もあり、鷹羽たち教師は 一刻も早い庵原忠胤(いはらただたね)(今川)との接触を主張したが、山本勘助が超多忙の為、直ぐには動けなかった。

 かと言って、このまま漫然と過ごしていられない鷹羽は、商人に化けて駿河に向かうと言い出した。

 馬を飛ばして行けない鷹羽なりの作戦であろう。

 いざとなると何を “かます” か判らない城西衆なので、駒井は渋々と許可を出した。

 しかし今川の狙いがハッキリしない以上、用心しなければならない。

 旅の途中は身分を隠す事、甘利信忠と教来石景政が護衛に就く事を条件とされた。

 監視の眼を誤魔化す(身分を隠す)方法を あーだこーだと検討した結果、仕官を希望している浪人と その荷持(にもち)に扮装する事に決定したのである。 ※1


 ※1:荷持(にもち)とは荷物を持ち運びする人を卑しんでいう語。


 早速、鷹羽たちは身延道(みのぶみち)で駿河と甲斐を行き来する、武田家出入りの商人の隊列に紛れ、駿河に向かった。

 信忠と景政は、自分の腕のみを頼りに諸国を回る浪人役で、旅費を浮かすため旅の商隊に用心棒として雇われる設定だ。

 無精ひげを生やし、擦り切れた着物に身を包み、生活の苦労を滲ませた、中々の役作りである。

 鷹羽は尻端折り《しりばしょり》で鎧櫃(よろいびつ)を担い、彼らの後ろを付いて歩く荷持(シェルパ)役であった。

 当然、鷹羽はこの役振りには不服であったのだが、甘利信忠の以下の言葉に押し切られたのであった。


「我らに貼り付いて居って(おって)も、礼儀を知らんでも、馬にも乗れんでも怪しまれず、狙われもせぬ者となれば、荷持(にもち)じゃろ」


 …正解ではあるが、ヒドイ言われ様ではある。


 甲府から身延山久遠寺を経て駿河国へ至る全長約20里を超える街道を、途中の宿場で商品を売り買いしながら緩々(ゆるゆる)と行く旅であったが、鷹羽一行は身延道を着実に進み、駿河へ入った。

 駿河の興津宿で商隊と別れた鷹羽一行は、今川の地で監視がきつくなる懸念もあったが、興津宿にある秋山十郎兵衛の隠家 透波(すっぱ)のセーフティーハウスで勘助を待つ事とした。

 一方、山積みの仕事を片付けた勘助は、ようやく城西屋敷を出て駿河に向う。

 供侍(ともざむらい)数名を連れ、多忙なビジネスマンの出張の様な雰囲気を醸しつつ、途中途中で馬を乗り継ぐ。

 これも今川の監視を意識した演出である。

 最終的に、興津宿で鷹羽たちと供侍が入れ替わり、庵原館に入る算段であった。

 そして、合流した勘助一行は、今で言う静岡県 清水市辺りの庵原館に到着したのだ。

(鷹羽たちは扮装を解き、正装に改めた事は言うまでもない)


―――――――――

 庵原氏は歴史の古い、由緒ある一族であり、今川家で譜代の家老を務めている。

 名門ではあるが、当主庵原忠胤(いはらただたね)は錚々たる家臣団の中では目立たぬ、質実剛健、謹厳実直で地味な人物であった。

 そして隣国甲斐で念願の軍師となった甥を上機嫌で迎え、大歓待する好々爺であった。

 …そんな庵原伯父が誰の差し金で、甥に探りを入れて来たのか?

 勘助はまず、そこから問い質さなければならない訳だが、ニッコニッコの伯父を見ていると、差し障りのない挨拶しか出てこない。

 相手が手練手管の使い手であれば、躊躇なく嵌め手を使う勘助であるが、人の好さと勤勉さが服着て歩いている様な伯父には どう切り出した物か、逡巡していたのだ。

 甲斐から持って来た土産や板垣信方からの書状などを渡し、只々 世間話を重ねる。

 信忠や教来石たちも名乗りをしたのだが、城西衆に触れる事も無く、時が過ぎた。

 同席している甘利信忠が勘助に盛んに目配せしているが、勘助は敢えて信忠と目を合わせようとはしない。

 端で見ている鷹羽が “どーすんだよ…” と気を揉んでいると、その空気を読んでいたかの様に 館の表から訪い(おとない)を入れる声が響いた。

 庵原伯父が怪訝そうにそちらを気にしていると、家人が急ぎ足でやって来て、忠胤に耳打ちした。

 すると庵原伯父はびっくりした表情で勘助に顔を向けた。


「雪斎殿がお見えじゃ! どこでお聞きになったか、勘助が来ておる事をご存じで、会いたいとの事じゃ。

…お通ししても良いかのう?」


 勘助たちは顔を見合わせた。

 今川の監視を誤魔化したつもりだったが、黒幕と(おぼ)しき雪斎が早速乗り込んで来るとは、すっかりバレていた様だ。

 (…ダメじゃん。あの、変装とかは何だったんだ?)


(われ)は構いませんが…伯父上と雪斎殿とは懇意で(あら)れますのか?」

「うーむ、懇意などとは…言い難いのぉ。雪斎殿とは歳は近いが、形の上では儂の義叔父に当たるお方になる。

したが、儂は養子、雪斎殿は幼年の頃より出家されていたゆえ、あまり付き合いは無いのじゃ。

…何用かは判らぬが、わざわざお尋ねいただいたのじゃ、お通しいたすぞ」


―――――――――

 奥座敷に通された太原雪斎(たいげんせっさい)は、四十代半ばの眼光鋭い 僧侶である。

 僧侶であるが 駿河の国 国主:今川義元 家督相続の立役者 かつ 教育係 かつ 軍師 かつ 諸々で、現代の役職で表すならば、キングメーカー兼 内閣総理大臣兼 統合参謀本部議長兼 外務大臣兼 文化振興担当大僧正 となる。

 とんでもない大物である。

 庵原忠胤は雪斎の本家筋の当主ではあるが、すっかり気を呑まれ、雪斎を見たとたん、平伏してしまった。

 そんな忠胤に雪斎は柔和な笑みを浮かべ、深みのある声で語り掛けた。


「忠胤殿、御手をお上げ下され。本家の御当主に頭を下げられては申し訳ございません」

「いやいや、前もって言って下されば、もそっと用意などできましたのに…」

「なんの、押しかけて参ったはこちらの不調法で御座いますから…」


 雪斎はあたふたしている忠胤越しに、室内を見渡し 目ざとく鷹羽を見定めた。

 そして目線を隣の勘助に移した。


「おぉ、其方(そなた)が忠胤殿の甥御(おいご)殿で御座ろうか?」


 呼びかけられた勘助は慇懃に頭を下げ 名乗った。


「山本勘助で御座ります」

「うむ、晴信殿の軍師になられた由、聞き及んでおりますぞ。われら庵原の者が駿河、甲斐両国の軍師となったとは、素晴らしき哉。

また此度(こたび)は高遠どもを一撫で葬った(いくさ)、お見事で御座った」

「痛み入り申す…」


 雪斎はまた鷹羽に視線を戻しつつ、天気の様子でも聞くように問いかけた。


「して、勘助殿の隣に居られる美丈夫は、何方(どなた)かな?」

「…この者は、甲斐で出会った(でおうた)異国の者にて…」

「ほほぉ、それが噂の…」


 鞘から刀身を引き抜いた様な緊張感が室内に走った。

 甘利信忠が脇差に伸ばしかける所を、勘助が片手で制する。

 空気が変わった事に気付づき庵原伯父が思わず腰を浮かした時、雪斎が穏やかな声で勘助に言った。


「奇遇じゃな、実は拙僧も異国の者を連れて来ておるのじゃ…これも何かの縁じゃろうか。

忠胤殿、ひとつ部屋をお貸し願えるかの? 折角の機会、異国人同士で会わせてやりたいのじゃが…」


 庵原伯父は浮かしかけた腰を戻し、勘助に雪斎の要求に応えて良いか、目線を送って来た。

 どうやら雪斎は鷹羽が居る事も把握し、準備万端で庵原館に乗り込んで来た様だ。

 先手を取られた勘助たちは答えを迷い、互いを見合った。


「それは是非会いたいですね。私からもお願い致します!」


 口を開いたのは鷹羽であった。

 勘助は鷹羽を振り向き、声を出さずに口だけで “ダイジョーブか?” と訊ねた。

 鷹羽は勘助の耳に口を寄せ、小声で手早く会話した。


「彼らを迎えに来たんです。手間が省けていいじゃないですか」

「左様か…まぁこちらの屋敷内で会うなら、手荒な事にはならんじゃろ」


 勘助は改めて庵原伯父に向かい、大きく頷いた。


―――――――――

 雪斎の要望に応え、急遽、会見用に小者部屋が準備された。

 羨ましい事に大きな屋敷には、あれこれ 余っている部屋が有るのである。

 鷹羽が一人 用意された部屋に案内されると、意外にも 男?一人だけが座っていた。

 (はぐ)れた女生徒を引き取る気でいた鷹羽は予想が外れ、部屋の入口で立ち尽くした。

 鷹羽を見上げた男?は無言で向かいの席をさし、着座を(うなが)した。

 渋い色の着物で身を包んだ、小柄な人物は、醸し出す雰囲気から鷹羽より歳が上の様に感じられた。

 改めて男?を観察する鷹羽であるが、正体が判らない。

 なぜなら相手は丸頭巾を被り、白い布で顔を覆っていて、人相がわからないのだ。

 取り敢えず座ったが不安に襲われる鷹羽である。

 悪役(ヴィラン)感が半端ない人物に 話しかけて良い物か悩んでいると、悪役が くぐもった声で喋りかけて来た。


「やはりのぉ、其方(そなた)であったか…」


 “…ダレ?” 低い声はやはり男のようだが 誰かわからない。 この場合出来る事は…


「失礼ですが、どなたです?」  訊くしかない。


 男は肩を細かく震わせた。 笑った様だ。


「これはすまない。 言葉遣いがあちらの世界と違ったな。すっかりこちらの世界に馴染んでしまったのだ。

これで判るかな?」

「…いえ、言葉遣いは関係無くて …声では判りませんし、顔 隠されたら誰か判らんでしょ普通。 …名乗ってもらえます?」

「…私だ。香山(こうやま)だ」

「…どなたでしたっけ?」

「…」


 男の肩が明らかに落ちるのが判った。


「城西学院教頭の香山。3号車に乗っていた香山だ!」

「あっ、教頭先生?…お久しぶりです…て、なんで先生がここに居るんです?

 …え!うちの生徒じゃないんですか?…て、言うか うちの生徒は何処に居るんです?

 …え?…3号車がこっちに居るとしたら、2号車もこっちに居るんですか?」


 想定外の展開にプチパニックを起こした鷹羽が、あらゆる疑問を口走った。

 目の前に現れたのは元の世界での鷹羽の上司、香山だと言うのだ。

 香山は城西学院の教諭を取りまとめる教頭であり、鷹羽と同様 校外学習に向かっていた3号車を引率していたのだ。


「鷹羽君、相変わらずだな。…ちょっと落ち着きなさい。

まず、私がここに居るのは、多分 君がここに居るのと同じ理由だろう」

「はぁ…え?じゃぁ 3号車もタイムスリップ?!」

「そう言うのか?あの現象は…君は1号車だったか?そちらは何があったか聞かせてくれ」

「…えーと、凄い雷雨の中を走行中、落雷に遭ったと思われます。車体は谷川に放り出され、気が付くとこちらに居ました。しかしバスの後ろ半分の消息が判らず、生存確認が取れているのは教師3名、生徒15名です。

そこで現地の人に助けられ、…今は武田家の保護を受けています。

…こっちに居るのは当然、(はぐ)れた1号車の生徒だとばかり…あっ、3号車はどうなったんですか?」

「うむ、こちらも凄い雷雨だった。たぶん落雷だったのだろう。視界が真っ白になった所までしか 私の記憶は無い。

3号車は崖下に落ちたが、こちらは左半分だったそうだ。

…私は怪我をして気を失っていたので、後から聞いた話だが」


 話しながら香山は顔を覆っていた白い布を外した。

 右顎から右目にかけ、大きな傷痕があり、顔の右半分が歪んでいる。

 声がくぐもっていたのはこの傷のせいであった様だ。


「命は助かったが、こんな姿になってしまった…」

「…それは、大変な目に。…他の皆さんは?」

「教師では藤堂が生き残った。生徒たちはどうなったものか…数名は一緒に行動しているが」


 鷹羽は耳を疑った。

 香山は教師である。 それも城西学院の全教諭をまとめる立場の、重い責任を背負う教頭である。

 そんな人間が事故にあった生徒たちの動向に無関心なのだ。

 湧き上がる怒りを抑え、より多くの情報を引き出すために、鷹羽は質問を続けた。


「大貫先生は?…3号車でしたよね」

「運転席の後ろに座っていたんだ。 …消えてしまったよ、右側は全部ね」

「…でも、左側の生徒は?無事だったんでしょ?」

「藤堂から聞いた話だが…

左半分の車体が崖を転り落ちたんだ、律儀にシートベルトをしていた者だけが車内に残れたんだよ。

私は勿論シートベルトをしていたよ、教頭だからね。それでも怪我をしたが…

大半の生徒はそんな物していなかったんだろうな。放り出され、死んだか大怪我をした。

この時代の怪我は…判るだろう、ほとんど助からない。

偶々(たまたま)、転がり落ちた崖の上に寺があって、そこの僧侶に助けられた。

意識を失っていた私は数日後に目覚めたが、動けるようになるまで10日以上掛かった様だ」

「生徒は…それでも生き残った生徒は居るんでしょ?生存確認が取れているのは何人なんです?」

「…女生徒は尼寺に預けられたと聞いている。後は…今 言ったろ?私と藤堂、そして数名。…それ以外は知らない」

「…知らないって」

「怪我で生きるか死ぬかだったのだ、仕方なかろう」


 香山は顔を布で再び覆い、話を続けた。


「私たちは直ぐに異形の者として雪斎殿の監視下に置かれたそうだ。

しかし藤堂の知識に救われ、保護を受け、今や特権階級だ」

「藤堂先生は確か…」

「日本史が専門だ。

この時代の状況を全て解説し、武田の信濃侵攻を予言して見せた。すっかり雪斎殿のお気に入りだ」

「それで武田を監視していたんですね。謎が解けました」


 香山は一旦言葉を止め、声を改めた。


「予想外だったのが鷹羽君、君たちだよ。

藤堂の知識ではこの時代に投石器なんて物は登場しないし、火薬を使った砲弾も早すぎるそうだ。

まぁ城西の名と、この時代に無い科学知識を使う奴が居ると聞けは、鷹羽君だと、直ぐに判ったがね。

…“城西衆”を名乗るなんて、ガードが甘い君らしい、ふふふ」

「まさか他のバスもこっちに来ていたとは、考えても居なかったので…」

「ふふ、出会えて良かったよ。…所で、なぜ君に判りやすくアプローチを仕掛けたか、判るかね?」


 香山の口振りでは 鷹羽たちに 判り易く探りを入れた…つまり誘い出されたという事で、鷹羽は身を固くする。


「…さぁ、ガードが甘い物で、さっぱり判りませんが」

「まぁそれも君らしいかな…単刀直入に言う。私と組まないか?」

「組む?…どういう意味です?」

「君の力を評価しているのだよ。投石器を作ったから言っている訳では無いんだよ。元の世界にいる時から、君の事は認めていたんだ」


 ふーん “ビュンビュン丸を見て評価した” と言う事だな と思いつつ


「…それはどーも。 で、何をされたいかは判りませんが」

「ふふ、飛丸と言う名だったか?投石器を作った人間が、判らないとは 面白いよ、鷹羽君。

君はこちらの世界に来て、何を思ったのかね? 自分の知識を使えばこの世界を変えられると思ったのだろう?」

「そんな事は考えていませんよ。生徒と自分の安全を確保するために知識を使ったに過ぎません」


 香山は肩を細かく震わせた。


「嘘をつかなくてもいいんだ、鷹羽君。投石器を作り戦闘に投入するなんて事は、自信と優越感がなければ出来ない事だよ。

そう、君は力を持っているんだ。

…そして、藤堂の歴史知識、君の科学知識 私の調整力があれば 何が出来るか。君も判るだろう?」


 確かに香山に指摘された通り、この時代がまだ知らない知識を持っている事に、優越感を持ったのは事実であった。

 藤堂の歴史知識があれば、先手が取れるであろうし、香山の人の弱点を見抜き それを最大限利用する処世術はこの時代でも 強力な能力であるだろう。

 それに自分の科学知識が加われば、何かが出来そうな予感はする…が、香山には信用できない臭いがあった。

 気持ちが表情に出ていたのだろう、鷹羽の返答を待たず香山が言葉を重ねて来た。


「おっと、歴史への干渉がどうのこうの 何て話は無しだよ。君だって甲斐の国で好き勝手なことをしているじゃないか。

だから、もっと効率的に事を進められるように、手を組もう と、言っているんだよ」

「別に好き勝手している訳では無いです!生徒たちの安全を確保するための活動で…」


 香山は片手を上げ、鷹羽の言葉を止めた。


「まぁここでは、壁に耳あり障子に目あり だからね。

しかし 甲斐の国で自分を売り込んだのは事実だろう?甲斐より駿河の方が、経済的にも文化的にも優位だよ。

私と組めば今より好い立場に上がれるのは間違い無いんだ。冷静に考えれば判ると思うのだが」


 鷹羽は嫌悪感を覚えた。

 こいつは藤堂や鷹羽を利用し、自分が成り上がる事しか考えていないのだ。

 そしてあちらの世界と同じく、こちらの世界でも自分は鷹羽の上位に居るのが当然と思っているのだ。

 そう思うのはまだ良い、確かに年齢やキャリアは鷹羽より上だろう。

 しかし香山からは生徒を思う意識が一切感じられない。

 これは教頭を名乗った者として、許しがたい態度であると鷹羽は思った。


「…なるほど。 教頭先生の申し出は理解しました…会えて…良かったです…

今日は別室で供の者が気を揉んでいますので、返事は後日と言う事で…」


 鷹羽は邪悪な物から逃れ、一刻も早くこの場から離れたく、立ち上がった。

 香山はこれも想定していた様に落ち着いた声で暗号を伝えて来た。


「了解だ、鷹羽君。

それでは、私の提案を受けてくれるなら 書状に “ニイタカヤマノボレ” と書いてくれ。

…意味は知らんが藤堂のこだわりだ。

受けてくれると信じているよ」


―――――――――

 元の奥座敷に戻ると、雪斎相手に勘助が天下国家を語っている最中であった。

 かなりテンションが上がっていた様ではあったが、鷹羽の顔色を見た勘助は論を止め、鷹羽を迎い入れた。

 目で状況を問いかける勘助に鷹羽は軽く頭を振り、末席についた。

 その様子を無言で見ていた雪斎が(おもむろ)に声を発した。


「さて、我が供の者も願いが叶った様でありますな。

甥御殿の御高説、中々に愉快でありましたが、この続きはまた、次の機会の楽しみと致しましょう」


 席を立った雪斎に鷹羽が投げつける様に言葉を発した。


「雪斎様!我らの仲間をお助け下さり、有難く存じます。

甘えついでに尼寺に入れたという女生徒を、連れ帰る事をお許し願いたく」


 雪斎は鷹羽を見下ろし、静かに返した。


「ほほぉ、我が方の異国人とは話が付いたのですか?」

「いや…まだ。 が、我が生徒をこのまま捨て置く事は出来ません。

それとも雪斎様は我が生徒を人質にされるおつもりなのですか?」

「何やら思い違いをされて居るようじゃ。

我らは難儀しておった異国人を助けたまで。

彼らがどうしたいかは彼らが決める事。

…したが、その異国人が今川に仇為す意図あらば、躊躇うことなく排除いたしますぞ」


 話が(こじ)れそうな流れを読み、勘助が割って入る。


「あいや、暫く。

どうやらお助けいただいた者共は、武田に寄宿しておる者と (えにし)深きと見えます。

そうであれば、武田としても併せて面倒見たいと、晴信様はお考えでおられます。

(それがし)はその書状も持参しておりますので、ここはひとつ…」


 雪斎は視線を勘助に移し


「成程。

…この件は義元様はご存じ無き事ゆえ、事を大きくするつもりは御座りません。

そちらのご希望を伺い、こちらで吟味いたすが、如何かな?

後ほど使いを寄こして下さるが良かろうと存じますが」


 雪斎はゆっくりと体を回し、鷹羽たちに背を向けた。

 その背中から楽し気な声で


「異国人同士の事で駿河と甲斐が揉める事もなかろうて。

勘助殿、緩り(ゆるり)と駿河を楽しまれるが良かろう」

 と言い終えて退室して行った。


 雪斎の姿を見送り、一斉に力が抜けた鷹羽たちであったが、庵原伯父は激おこである。

 何があったか知らないが、いきなり宰相にケンカを売ったと見えたのだから、当然ではあった。

 鷹羽たちの前で伯父と甥の口喧嘩が始まった。


「勘助! 一体どういう事じゃ! この異国人は何を雪斎殿に凄んで居ったのじゃ!」

「いきなりですまぬ事ではありましたが、…そもそも、伯父上が意味深な手紙(ふみ)を寄こされるが、事の始めで御座る!」

「な…何の事じゃ?」

「“家中の者が増えた様だが何者か” と(われ)を探る手紙(ふみ)を出されたでありましょう!あれは雪斎殿の差し金ではないのですか!」

「?雪斎殿がなぜお主の暮らし向きなど知っておろうか。 あれは吾介から手紙(ふみ)で知らせて参ったのじゃ」

「ふぇ?吾介?」

「そうじゃ、勘助は便り一つ寄こさぬが、吾介は律儀に二カ月(ふたつき)に一度は便りを寄こす。

甲斐で屋敷を貰い、人も大層増え、家宰(かさい)の働きを任されたと自慢して来たので、嬉しくなって手紙(ふみ)を書いたのじゃ!」

「あっ、…」


 勘助の背後から甘利信忠が言い放った。


「勘助、便りを出さぬお主が悪い」


第26話・駿河レスキュー 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ