第24話・論功行賞と戦後体制
戦国奇聞! 第24話・論功行賞と戦後体制
佐久方面の山本勘助一行が新たな戦力、真田幸綱を連れて帰陣したのを受け、躑躅ヶ崎館では 新たな戦後体制の発表と論功行賞が行われた。
ほぼ一方的な勝ち戦の作戦立案、軍略指示、そして調略まで行った山本勘助は 軍師としての地位を確立し、武田家中のネガティブ評価もほとんど消えた様だ。
そんな気分最高な戦勝の宴から屋敷に戻った勘助は、ほろ酔いで城西衆の教師3名を呼び出し、色々と報告をしていた。
「此度の戦で一番の成果は、お味方の損害がほとんど無かったと、言う事じゃ。
それに引き換え、高遠頼継は弟頼宗が討ち死し、本城を奪われ、藤沢頼親の居城、福与城に逃げ込んだ。…高遠は消えたも同然じゃな」
高遠戦は飛丸が活躍したと聞いていたので、作成者:鷹羽としても情勢が気になる所である。
「その頼宗さんは、竜弾で亡くなったんですか?」
「否、竜弾を浴び 総崩れで逃げ戻る所を、己が雇った兵に討たれた…大将の首は高く売れると、裏切られたのじゃな」
「うわーそんな危ないヤツラ、雇っちゃダメでしょうに…」
「寄せ集めの軍には良くある事じゃ。然れば一軍の将には人を見抜く眼力と、力を預ける胆力、油断せぬ知力が必要なのじゃ。」
取り敢えず自分の作った兵器での被害ではない事に安堵し、鷹羽は質問を重ねた。
「で、あの辺りはどうなったんですか?」
「うむ、未だ伊那方面は きな臭さが残って居るが、高遠城に板垣信方様が入られた事で、鈴岡(飯田地方)の小笠原にも睨みが効き 暫くは大人しゅうなるじゃろ」
「なるほど…」
高遠には興味なさげにしていた美月が話の切れ目を見計らい、気になる件を勘助に訊ねた。
「真田様はどうされていますか?」
「うむ、幸綱殿は信繫君の与力とし、上原城に詰め 海ノ口城の増強に努める事となったわ」
「え!真田の荘を返してあげるんじゃないんですか? 晴信様もそう約束してたでしょ!」
「いやぁ…それは、そうなのじゃが。なにぶん真田の荘は今、村上義清の所領となっておっての。
まぁ諏訪から掠め取った物であるゆえ、返すよう村上に使者を送って居るが、中々に埒が明かんのじゃ」
「えぇ何それ~。村上ヒド~イ! 村上義清 潰す!」
「…美月、其方 真田殿が絡むと…怖い の」
古澤がいつの間にか全国地図をテーブルに取り出し、勘助の話を聞きながら指差し確認しているが、混乱している様である。
「わっかんね~。 ウンノクチってどこ…山梨?長野?」
「うーむ、その地図は細かすぎるかの。こんな感じじゃ」
勘助はテーブルに在った紙に試作品の鉛筆でスラスラと地図を描き、高遠、上原、海ノ口を書き込んだ。(図1)
図1:
鷹羽は地図を覗き込みながら、勘助に訊ねる。
「真田の荘ってどこです?」
「入りきらんな…この地図のもっと上じゃ」
「へぇ、遠いんですね。 …中畑先生、良く行けたな」
「え?まぁなんとか…死ぬかと思いましたけど…で、幸綱様には佐久の入り口を?」
「取り敢えず、そういう事じゃ。
それにしても美月。真田幸綱殿は其方の申した通り、中々のお人じゃ。
御屋形様も随分とお気に召したご様子で、今回の信濃の一件は、真田衆を手にしただけでも儲けものと、こそっと我だけに仰せになられた」
「ふふーん、当然ですよ。なにしろ あの、真田様ですからね♡」
「…どの真田殿かは知らぬが、女子の身ながら美月は良く頑張った。
行きかえりの馬には色々と肝を冷やしたが、あの、刀身の如き甘利信忠殿も “巫女殿の度胸と根性は猛将並み”と褒めて居ったぞ。
まぁ次は相乗りは勘弁こうむると申しておったがの、ははは」
「へー凄いじゃないですか美月先生! で、行きかえりの馬って 信忠さんと何があったんです?」
勘助が軽い気持ちでリークした言葉に さっそく喰いついた古澤であったが、美月の狂暴な目線に気付き 口を噤んだ。
美月は二人を見据えたまま、低い声で一言。
「それ以上触れたら… 潰す!」
「…」
鷹羽は殺伐とした空気を変えようと地図を指差しながら勘助に質問した。
「あれ~? 諏訪上原城の武田信繫って、割とここにも入り浸ってた信繫さんですよね? 諏訪頼重さんじゃないんですか?」
「お?おぉ、その信繫君で合って居るぞ。御屋形様の弟君の信繁様じゃ。
大輔も知っておろうが信繁様は此度、諏訪の旗を背負い、諏訪神軍となり高遠を蹴散らしたのじゃ。
総崩れの切っ掛けは飛丸であったが、止めを刺したが信繁隊であったそうじゃ。
諏訪頼重は輿に乗り 目の前でそれを見て居ったが、その武者振りにすっかり惚れ込んでしもうて、下諏訪の抑えに信繁様を是非に、と御屋形様に強請ったのじゃ」
「ふーん。でも信繁様って若いでしょ? うちの生徒と大差ないですよね?」
「そうじゃな…本来であればもう少し歳の行った、武辺で名の売れた者が城に入るのが定石。
したが、形の上では諏訪頼重が城主のままが問題…判るじゃろ?
板垣信方様や、原虎胤様が入っては揉めるが必定じゃ。
そこへ行くと信繫君は歳は若いが、人あしらいは 余程 上手。
諏訪の抑えには、またと無いお方であるな」
「なるほどね…人は年齢じゃないんですねぇ…立場が人を作るんですねぇ。
ところで、今回 鷹羽先生も新兵器を発明したし、美月先生も大活躍でしたけど、僕たちにご褒美はないんですか?」
世界が変わっても、良く言えばブレない、一般的表現で言えば成長しない古澤が、良く言えば現実的、一般的表現で言えば下世話な疑問点を確認した。
「おぉ有るぞ!喜ばせようと 取っておいたのじゃ。
まずは我、山本勘助には此度の軍略と、上杉勢を追い返した事など 功績大なり とのお褒めを頂戴し、知行、六〇〇貫じゃ。 凄かろう!」
「凄いじゃないですかぁ。 で、僕らは?」
「まぁそう急くな。
大輔、高遠戦では竜弾が大した威力であったそうな。板垣様も駒井様も絶賛で御座ったぞ。
それに美月、先にも申したが真田幸綱殿が調略、見事なりとの仰せで御座った。
これで口性無い者も、ずんと減るであろう」
鷹羽は まんざらでもない顔でニヤつき、美月は頬を赤らめ、古澤は自分が優勝したかのようにガッツポーズである。
古澤先生は今回、どこにも絡んでいないんだけどね…
「それにお褒めの言葉だけでは無いぞ。
鷹羽大輔の城西衆は四〇〇貫に どぉぉんとご加増じゃ! 凄かろう!」
古澤が腕を高々と突き上げ、鷹羽に声を掛けた。
「鷹羽先生、やりましたね!やっぱ、目に見える評価はモチベが上がりますね。…で、400貫っていくらなんです?」
問われた鷹羽は首を捻りながら、中畑を見る。 が、中畑も肩をすくめ 無言である。
「…さぁ?実は俺もどれ位のモノか、知らないんだ…勘助さん、銭400貫って凄いんですか?」
「…」
えー中の人です。
勘助さんが答えに困っているようなので、こちらから解説をいたしましょう。
時代劇などで、ウン十万石の藩、とか 三十俵二人扶持の同心とか、経済力を表す単位が色々と出てきますね。
これは石高(米の量)が経済の基準として定着した世の単位でして、時代で言えば 秀吉が全国統一を果たし、太閤検地により単位が統一された後の話しになります。
それより前の戦国時代では石高制以前の貫高制でして、銭XXX貫が基準となります。
ますます判らなくなって来たと思いますが、ご安心ください。私自身もうろ覚えです!
(深呼吸)
ガンバって進めて行きましょう…
まず、単位から攻めてみますが 千両箱だの千両役者で出て来る “両” 。
これは元々は質量の単位 つまり重さを量る単位でした。
これが通貨の単位となるのは、武田信玄が作った甲州金で確立され、江戸幕府に継承されたという流れがあるのです。(あらびっくり!)
で、この物語のタイミングではまだ確立していないので、通貨単位は何かというと、 “貫” です。
こちらは銭の運用方法から派生した単位で、銭の持ち運び方法から出てきます。
大量の銭を携帯するには 銭を束ね、銭 1,000 枚を一まとめにする方法が一般的でした。
当時の銭は、織田信長が旗印にもしていた、永楽通宝など、大陸からの輸入品がほとんどで、穴あき硬貨です。
余談ですが、当時の日本では鋳造技術が未熟で、国産の銭は低品質でした。
良質の輸入銭に対しで国産の粗悪銭は価値が低く、鐚銭と呼ばれました。時代劇などで出て来る “びた一文渡さねぇ!” なんてセリフに残っているのは、コイツです。
話を戻し、この穴に紐を通して 銭を貫いて束ねたので、銭 1,000 枚=1貫という単位が発生しました。
また銭1枚(1文)の重さが1文目=1匁であり、尺貫法における1,000匁=1貫(3.75Kg) に繋がります。
“両” にしても “匁” にしても、貨幣単位と質量単位が連動するのは違和感を覚えますが、現在使用されているメートル法も1Kg=水1リットルの質量、と定義されており、それはそれで理由が判らんので、慣れの問題でしょうか。
ちなみに、意識してか、単なる偶然かは判りませんが 2023年時点で鋳造されている5円玉硬貨も1枚の重さは3.75gで1匁となっています。
これを1,000 枚束ねて1貫を持ち歩いてみれば、戦国時代の生活が実感できるのではないでしょうか。
さて、本題の銭 1貫 の貨幣価値ですが、インフレ、デフレで変動しますので、算出がムズイ。
現在の各国の物価比較では “ビッグマック指数” なんて物がありますが、残念ながら戦国時代には売っていなかった。
しょうがないのでネットで色々調べて見ると、2020年水準で見ると 銭 1貫=12万円~15万円 が妥当っぽいので、間をとって 13万5千円としてみましょう。
“早起きは3文の得” 何て言葉がありますが、この計算では405円。
おぉ、ビックマックが喰えるか?
ちなみに、これが “二八そば” が出現した江戸中期の価値であれば、3文は約50円。
インフレが進んだんですね。
またズレたので話を戻し、改めて見直すと鷹羽大輔の年収は、銭400貫≒5,400万円。
個人の給与と見れば、かなりの高給取りと思えますね。
ですが 『城西衆』を小企業と見ると、総勢20数名強で年商5,400万円。
これではやっていけませんね。最低でも1.5億から2億は稼げないと、存続が難しい。
『城西衆』を大家族と見れば、20数名強を養うだけなら楽勝かな?とも見えますが、色んな試作品の開発費も掛りますからね…
年金、保険料、税金が取られなければ大丈夫ですかね?
なんか最後に世知辛い話となりましたが、以上 戦国雑記帳でした。
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論功行賞などの報告も終わり、まったりと雑談モードとなった応接室の戸がノックされ、吾介が声を掛けた。
「鷹羽先生、御屋形様がお見えなのじゃが、こちらへお通しして宜しいかの?」
「え?今日もまた 突然だな…勘助さん、心当たり あります?」
「うんにゃ…」
鷹羽たちが吾介に答える前に、廊下から近づいて来る足音が聞こえた。
そして、問答無用のノックが鳴り、甘利信忠の渋い声が掛けられる。
「御屋形様である。入るぞ」
勝手知ったる他人の家 とはこの事で スタスタと応接室に入って来る晴信であるが、いつもの寛いだ笑みは見えない。
勘助たちも手慣れた動作で上座を空け、晴信を向かい入れるが、雰囲気の違いに戸惑いが走る。
屋敷の主、勘助が改まった声で問いかけた。
「御屋形様、何やらお急ぎの事が起きましたかな?」
「うむ、寛ぎの所 邪魔したが、気掛かりな事が出て参った。
…実は城西衆に係わりが在りそうゆえ、皆の意見も聞きたくて押しかけた次第じゃ」
晴信の言葉に顔を見合わせる城西衆。
武田家との融和を進め、居場所を築きつつある城西衆であるが、平安は得られるのか?
新体制となった甲斐の国の平和は保たれるのか?
詳細は次回を待て!
第24話・論功行賞と戦後体制 完




