論理の中の感情
今回のテーマは「論理の中の感情」です。
前回から間が空いて頭の中で見え方がフレーム化しており、内面に向かった話になります。
ものすごく単純な話にしてしまうと、理不尽に殴られた時の反応。
ケンカをしたことがない人はいないと思いますが、手を出さずとも理不尽な攻撃を受けた場合、とっさに反撃しようとするのは自然だと思います。小学生ぐらいの時、3発叩かれたから3発返す、みたいなことを言った記憶があります。
やられたことをやり返す。
これは感じた痛みを相手にも感じさせることで、相手の行動がどういう結果になったのかを因果関係として伝える手段のように感じます。これは「繰り返しの囚人のジレンマ」というゲームで最善手とされたこともある戦略でもあり、おそらく人間の深い部分に備わっている本能だと思います。
問題なのは感情です。
私が感じていることと、相手が感じる事を比較することができません。
今回のロシアの侵略は、いきなりロシアが狂暴になって世界を征服しようとしている、というわけではないはずです。一部の親ロシアな方々の口から出るのは、NATO(=ロシアと敵対する軍事組織)が拡大を続けたことを受けての攻撃だと説明します。
つまり、ロシアが感じていた痛み、ロシアが失いたくない世界を西側は理解していなかったという説明。
ウクライナがNATOに加盟するということは、兄弟のような国が敵に回ることであり、NATOの不拡大はロシアがずっと要求していた事案でもあります。
だからと言っても侵略をしていいわけではないですが、それぐらいウクライナを失いたくなかったことを西側が理解できていなかったことが誤算だったとも言えます。特にウクライナは、ロシア系の国民も多いのに反ロシアに政治的に方向転換してしまったのが逆鱗に触れた印象を持ちます。
それでも、論理的に考えるならば、侵略の選択はないはずでした。
ロシアの感じていた痛みはどんなものだったのか。それを理解する必要があると思います。
今、ロシアは孤立しています。世界との繋がりを断たれ、手を差し伸べようとする国に対しても圧力をかけて止めています。アメリカを中心とした西側にいなければ、ロシア同様に干されるという恐怖による支配を受けています。
痛みに対抗するために侵略を選択したロシアをさらに締め上げている状況です。
論理では戦争はなかったはず。論理では今すぐに軍を引く事が正解。経済、人命、国民生活、そんなものに立脚すれば当然の論理が成立しない。それを凌駕する感情の支配が行動を決定していると感じます。
相対する相手の痛みの見積りを見誤らないためには、相手の理解が必要です。
行動の善悪だけを見て、力ずくで抑え込むだけでは同じことを繰り返します。
ロシアが首都に迫ると思わなかった理由は、ロシアの感情を見誤っていたからと考えるのが妥当だと思います。
安定した世界を維持するためには、個々への理解が大切なのだと改めて感じます。