避難
ロシアの戦争に何を見るか、その3回目。
今回は「避難」を語ります。
ここ数日になって「人道回廊」という言葉がニュースに上がるようになりました。
これは戦地から一般人を逃がすための安全な経路を確保するために、一時的に戦闘を停止する措置のことです。
その人道回廊を双方で約束して一般人を逃がそうとし、結局失敗に終わったことがニュースになっています。
戦争時の約束が守られる可能性は低いと思いますが、ロシアもウクライナ人を殺すことが目的ではなく、抵抗する武力に対する攻撃によって巻き込まれる人がいることは不本意なのでしょう。親ロシア派の人間も同地区にはいるわけで、逃げる人を後ろから撃つメリットは考えられません。
にもかかわらず、約束は守られず、双方が相手が攻撃してきたと訴えています。戦争時の証言程あてにならないものはありません。情報は混乱し、双方が相手の責任を言います。
現時点でキエフは戦場になっていません。一部建物が壊されたりはしていますが、ライフラインは生きている状況で、鉄道も動いています。
それなのに、国境までの移動は困難な状況が続いています。
自国民の命を守る組織である軍。その軍を維持するために男性の出国を認めないウクライナ。国境までの警護や移動手段の確保に軍が動いているように見えません。ここに強い違和感を感じます。夫や息子を残して妻だけ避難なんてできるのでしょうか。
ウクライナの西側は、それほどロシア軍が入ってきている状況ではなく(3/10現在)、列車で何時間も移動しながら、その間に攻撃を受けたと言う話もない。そもそも、人道回廊を認める状況であるロシアが、民間人しか乗っておらず、ロシア軍に向うでもない交通機関を攻撃するメリットが見えない。報道では無差別攻撃が続いているとされていますが、人道回廊で何千人か避難が避難できたとの報道もあります。戦時に使われる言葉の印象には注意が必要です。
自国民の命を守る組織は、戦時に民間人を安全な場所に運ぶための手段こそ訓練しておくべきだろうと考えています。今ウクライナで死んでいる人は、戦地から逃げられなかった人たちです。戦って死んでいる人もいますが、逃げられなかった人がいなければ、戦わずに引く事だってできたはずです。
戦わなければ、逃げ遅れた人が犠牲になる、自国民の命を守るために銃を持たなければならないと考えた人が戦っているのだと思います。もちろん、エリアを守る戦いもあるでしょうが、不利な状況で留まる必要がないだけでも違います。
裏返せば、的確な避難を実行できれば、人的損害は最小限にできるし、残った人が無理な交戦を避けて引くことも可能でしょう。戦時には避難こそ最重要課題であると考えます。
子供がロシア軍の攻撃で死んでいます。それは、子供が戦地から逃げられなかったからでもあります。軍の存在は敵を殺すためではなく、自国民の命を守るものだと今一度認識しておくべきだと考えます。
日本であれば、どこからの侵略が想定され、どこにどうやって逃げるべきか。いくつかパターンを考えておく必要があるでしょう。今の私には想像すらできませんが。
でも考えておかなければならないでしょう。そして、その手段を自衛隊がどれだけ指揮し、効率よく行えるかが死者を減らすポイントとなるでしょう。自衛隊が避難誘導の訓練をしていればいいのですが、どうなんでしょう?
天災時のハザードマップのように、戦時の避難マップがあればいいのですが。
また、自衛隊が戦うことに感謝するのもいいですが、自衛隊員も日本人であり、人間であることも忘れてほしくありません。私は出来る事なら戦わず逃げてほしいと思っています。そのためにも足手まといにならないよう、自分自身がどう避難するのか考えておくことは大事だと思います。
日本は、まだすぐに戦争とはならないでしょう。でも、今回のロシアの侵略でかなり近くなったと思います。これを機会に戦時の避難について考えてみて欲しいのです。