はじまり
時計は、11時59分を指していた。
(そろそろ…かな。)
今日は黒いスーツに青いネクタイを付けていると事前情報に書いてあった。
いつもの恰好だ。
あのちょっと想像できないお値段のもので身を固めてくるんだろうなとか考えていたところに、無言で黄色い封筒が差し出された。
しっかり、決まり通りだ。
「確認します。」
そこには、私がまだ知らなかったこと、そして知りたいことが書いてあった。
「確認しました。これが今回の情報になります。ご確認ください。」
私が渡したのは100均でも売ってるような茶色い封筒。封の字が書いてあり、密封してあることを示している。
私は、この渡した情報が何に使われるかは知らない。正確には“知らされていない”。それでもある程度の目星はついているのだけど。
今回の仕事相手は所謂常連さん。度々私の元へ来て情報を買っていく。買うといってもメインは情報同士の物々交換のようなもので、現金の取引や人の紹介といったほかの方法を用いているのは非常に稀だ。
相手が書類を確認して頷いた。取引成立だ。
「では、またご利用ください。」
そういうと、その常連さんは帰っていった。
親もいなく、兄弟親戚どころか身寄りのなく。頼れるところのない私が、この比較的安全とされている国の中ででもいわゆる裏の仕事を始めるのは遅くなかった。あの時は、知らない外の世界へのあこがれがあった。でも現実は残酷で。施設育ち最終学歴中卒の私は普通に生きていくことはおろか、表の世界で生きていくことができなかった。
今生きているのは奇跡だろう。
ここはそんな私がやってる情報屋。
人々は私を“スイレン”と呼ぶ。
「それにしてもさー。スイレンって誰が言い始めたの?」
そう問いかけてきたのは、コウさんだった。私が信じられる数少ない人であり、すべてを知っている人。なぜかいっつも事務所代わりの部屋に居座っているのだ。
「知らない。いつの間にかついてたから。」
「でもかわいいからいいよね…。」
「名前はね。っていうか今度はいつまで居座るの…?」
仕事終わりの一時。私はコウさんと過ごしていた。私が大きな仕事が終わるたびに絶対事務所に顔を出している。なんだかんだでいつも文句を言ってはいるが、この仕事のことを忘れられる時間が結構好きだったりする。調子に乗るから言わないけど。
「うーん。今度は1週間くらいかな」
「あっそ。じゃあせめて少し働いて。ご飯作って。」
「炊飯器爆発させていいなら!」
「やっぱりやめて。事故起こさないで。」
「それが賢明だと思うよ」
すごくいい笑顔だった。これをもう何度繰り返したのだろう。でも、これに安心している自分がいることが少し悔しいのだ。ちなみにこの炊飯器爆発させていいなら、という発言は本物で過去に何度かボヤ騒ぎを起こしている。今まで火事になっていないことは奇跡だ。
「それで?今日のお客の目的は結局なんだったの。」
資料を整理しているとき、コウさんが尋ねてきた。
「はっきりは来てないけど。多分前に聞いてた仕事の続きだよ。大変だよね、裏の清掃屋ってのも。」
「ぶっちぎりで物騒だよね。清掃屋って言っても、ねえ。」
「ようは暗殺者だもんね。こんなのがまだこの国にいるんだもんね。」
お茶をすすりながら答えた。民主主義で戦争を放棄して、犯罪率が世界レベルで見て少ないとはいえ、犯罪がなくならないしすべての人に光が当たるわけではない。そんな掃き溜まりのようなところでもまだマシな方に普段はいるのが情報屋だ。任務によっては一番暗いところに行くのも珍しくはない。
「まあ、そんなこと言っても仕方がないし。次の仕事に向けて準備でもしようかな。仕事の準備くらいじゃあ手伝ってくださいよ。」
「そこは任せな。家賃と食費の分は仕事するから。」
「頼んだ。」
今回の情報をまとめて、裏を取る。ある程度は信用している相手ではあるが万が一ということもありうるし、情報すべてがこの世界に生きる私にとっての価値になるからだ。あくまであくまでもこの世界では私ではなく情報が目当て。少し寂しくならないことはない…けれど、そんなことを最後に考えたのはいつだっただろうか。
「はいはい、そんな悲しいこと考えないの。」
「…心読まないで。」
「別に読んでないし。あんた私の前に立つと考えてることバレバレなだけだよ。まあいいわ。さっそくあんたに仕事来てるけど?」
PCの画面が、1通の新着メールの通知をしていた。
(着いたわ。時間には…まだ余裕ね。)
今日は初めての方からの依頼だった。
紹介元はこの前のお客様。欲しい情報は直接話をしたいとのこと。
依頼者の目印は青いネクタイでボーダーの入ったスーツ。先に入ってアイスのレモンティーを頼んでるという。
今回の合言葉は“先日はどうも。おかげで購入できました。”昔好きだった小説にあこがれて合言葉のシステムを導入したのは誰にも言ってない秘密だ。
(見つけた。)
「あそこの人と待ち合わせです。注文はホットのミルクティーで。」
「かしこまりました。」
店員にドリンクの注文をし、そばに近づいて席に座る。うつむいていた依頼者は顔を上げて綺麗な笑顔で言った。
「先日はどうも。おかげで購入できました。」
その人は軽く会釈をして続けた。
「最近よく耳にすると思うんです。PC関係や携帯の関係、それらの会社ごと買い取って詐欺やそのほかの犯罪に使われるという事件。今回もそれです。少し捜査に手間取っていまして。以前に倒産したこの会社の情報を少し見直していたんですが、いかんせん機密事項以外にもわかっていないことが多くて、ですね。そんなところにあなたの話を聞きました。その私にあなたを紹介してくれた方の名前はもうご存じなんですよね。」
「ええ。メールは確認しました。」
笑顔をキープして、相手に余計な情報を与えない。それでもしっかり相手の質問に答えていく。最初こそ苦戦したが、あの頃に比べれば最低限で済んでいる。
「そうですか。あ、ドリンク、届きますよ。」
店員がいる側が背中向きだったため、彼女が教えてくれた。ありがとうございます、そう店員に伝えた。小さく白い湯気が出ているポットからダージリンのいい香りがした。
「それで、続きを話させていただきますね。あ、でも続きといってもあとは依頼だけです。この資料を見てください。」
「拝見させていただきます。」
彼女が渡してきた資料には彼女の管轄と思われる範囲のチェーン店からそうでない店すべてのPCショップの住所、電話番号が書いてある。最後のページには地図があり、赤い印でそれぞれの場所が記されている。
(思ってたよりはしっかりと調べられているようね。)
もともと彼女に私を紹介してきた人の素性を考えれば当然なのだが、それにしてもよく調べられている、というのが最初の印象だった。
「確認させていただきました。具体的な依頼を教えていただけますか?」
「はい。その資料にある会社の元の会社について、調べて欲しいんです。今わかっているのはこの資料に書いてあることのみ。これ以上はちょっと専門のルートが必要とのことで…」
「そこで、私のことを伺ったというわけですね。」
ここにきて初めて言葉を少し濁らせた彼女に、私は続けた。確かにこれらの案件は少し調べるだけでは欲しい情報は出てこないし、素人が知りすぎても身に危険が及ぶ。下調べがほぼ完璧といっていいほどに済ませたからこそここで詰まってしまったのだろう。私が言葉を続けたことで伝えたかったことが伝わったことに安堵したのか、表情が曇りかけた彼女は顔を上げ先ほどまでの人当たりの良い笑顔を戻していた。
「そうです。お願いできますか?」
「依頼内容は把握しました。ですが、基本的に私への依頼は一度持ち帰りさせていただいています。また、調べても限界がある、ということもあるかもしれません。それを調べるためにも、今日お返事をすることは不可能です。そして、これももうすでに聞いていると思うのですが、私自身からも話させていただきます。ここからが一番大事なお話なのです。」
「はい、何でしょう。」
しっかり私の目を見て話を聞いてくる。見ているだけだと引き込まれてしまいそうな大きな目を少し避けるようにドリンクに口を付けた。さっきも話した通りここからが一番大事なところだ。マグカップをソーサーに置き、一息ついてから私は話を続けた。
「この情報に対する対価。これの概要は先に伺うのが決まりになっています。」
「対価の概要。ですか。」
「ええ。まず大前提として私は情報屋と一般的には呼ばれる職種に身を置いています。この仕事を続けていくにはたくさんの情報を集めなければいけません。職種が職種なだけに危険も伴っています。これらを自分で回避するためにも情報が必要なのです。ここまではご理解いただけますか?」
「はい。理解しています。」
少し真面目な表情になった彼女が相槌を打ったことを確認して、私はしっかり彼女の瞳を見つめた。
(この人は、何を出せるのだろうか…いや、出させてもらえるのだろうか。)
ある程度は彼女に対しての下調べはしてきている。いつもやっていることだ。相手の素性によって出す情報、出せる情報も、依頼を受けるか否かも変わってくる。
「ありがとうございます。すでに準備はしてきていただいていますか?」
「はい。大丈夫です。少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか。」
『依頼人:イチノセさん 依頼内容: PCショップの情報』