8 東の高原②
天に一番近い島は横に長い菱形の小さな島だ。
天に一番近い島の街はその南側にあり、はじまりの塔は島の一番南端にある。
島の西側は平地で、海沿いには港がある。そして街のすぐ北側。島の中央には大きな森が広がっており、北側へ抜ける為にはこの森を通過しなければならない。その北側には大きな遺跡があり、ダンジョンとなっているようだ。
ヴォックとロクローが現在いる街の東門の先、島の東側は丘陵地帯になっており、丘の上には高原が広がっている。
「おや。君達は神兵さんかな?」
門の両端に立つ衛兵のうちの一人が笑顔で声を掛けて来た。
「おう! お勤めご苦労」
ロクローが偉そうに言いながら手を上げる。
「まさか、お二人で魔物討伐に向かうおつもりですか?」
黒い円の中に白い十字の紋章が胸に刻まれた立派な甲冑に身を包む屈強な衛兵が、二人に向かって心配そうな声色で問いかけて来る。
「ええ。この先に俺達みたいな新米にお勧めの狩場とかありますか?」
ヴォックが尋ねると、二人の衛兵はお互い顔を見合わせた後、一人が島の東側を指で示す。
「そうですね……。本来なら西門から出た先にある西の平野をお勧めしたいとこですが、……こちら側となると、この先を進んだところにある高原の端辺りならまだ大丈夫かと。奥に進むと魔物が群れで出没しますが、端の方なら単独でまばらに出現するだけですので」
「ほほーう。その高原にはどんな魔物が出るんだ?」
ロクローが門から半身を出し、東側を覗くように尋ねる。
「獣型の魔物ですよ。素早い動きをするのでご注意下さい。それとやつらは高原からは降りてこないので、危険になったらすぐに逃げて下さいね」
「わかりました。色々ありがとうございます」「説明ご苦労!」
ヴォックとロクローは衛兵に礼を告げ門を出た。
門の外は平原が広がっており、少し離れたところに切り立った丘が見える。
「あそこの上が高原になっているみたいだ」
ヴォックがマップを開きながら丘の方を指す。
「そんじゃ天気も良いし、ピクニック気分で行こうじゃねーか」
今にも鼻歌でも歌いだしそうな足取りでロクローは歩き出す。
「分かってると思うけど、最初は単独でいるMOBを狙ってじっくりやっていこう」
ヴォックは、そんな浮かれた気分のロクローに念のため釘を刺しておく。放っておくと一人で突っ込んで行ってしまいそうな気がした。
「わーってるよ。奥に行くとPTMOBが出るんだろう」
PTMOBのモブとは、MMO用語でモンスターの事を指す。この場合はパーティと付くので群れで行動するモンスターを指す。初めての戦闘でいきなり多数を相手にするのは、いくらMMORPGに慣れたヴォックでも難しいと考えていた。
何しろ実際の身体を使っての戦闘だ。ヴォックは少なからず緊張してしまっていた。
「……ああ、そうだ。パーティで思いだした」
前を歩くロクローを呼び止めるヴォック。
「まだなんかあんのか?」
「パーティをまだ組んでなかった。組んでおこう」
「おお。パーティか。そりゃ重要だ。――で、どうやって組むんだ?」
「ちょっと待って。今から俺がロクローを勧誘するから」
ヴォックはシステムウィンドウを開いて【アクション】という項目を選択する。続けて表示された項目の中にある【パーティメンバー勧誘】をタッチして半透明のホログラムウィンドウにロクローを透かすようにかざした。
すると、ロクローの腕輪からシステムウィンドウが自動で開く。
「――うぉっ」
驚いた様子のロクローが自身のウィンドウを覗き込む。
「び、びっくりさせんじゃねーよ。なになに……」
ヴォックもロクローのウィンドウを覗き込む。そこには『Vocからパーティを招待されました。パーティに参加しますか? Y/N』と表示されていた。
「そこのYESを押してくれ」
「あいよ」
ロクローがYESアイコンをタッチするとウィンドウは自動で消えた。
「これでオーケー。ほら、ここ見てみ」
ヴォックは視線の左上辺りを指で示す。
そこには、自身のステータスバーが表示されているのだが、現在はその下に、半分程のサイズで新たなステータスバーが追加されていた。
「お、下のがヴォックのHPとSTか」
自身のステータスバーより簡略化されてはいるものの、パーティメンバーの名前とHP、STの確認が出来る。
「うん。パーティメンバーの分までここに表示されたら視界の邪魔になるかなーっと思ってたけど、別にそんなことないな」
ステータスバーはどこを向いても視界の左上に固定されているが、意識して視線をそちらに移さない限り、半透明になり、ほとんど気にならない程度だった。
「見ようと思って見ないと、ほとんど見えないわけか。こりゃ便利だ」
ロクローはきょろきょろと辺りを見回す仕草をしながら感心する。
「そこらへんは普通のMMORPGと一緒だな。つねにモニターに表示されているけど、気づいたらHPが少なくなってるとかあるもんな」
「そうそう。オレもそれで何度死んだ事だか……」
ロクローがうんうんと頷きながら腕を組む。
「とにかく、これでモンスターを倒した時に入る経験値は均等になるはずだからバシバシ狩っていこう!」
「おうよ!」
「……ピクニックじゃなくてハイキングだったな」
「まったくだ。狩場に来るだけでSTゲージが減っちまったじゃねーか」
丘陵地帯まで上がってきた二人は手頃な岩に腰かけていた。
「思ったよりここまで来るのに時間がかかったな」
ヴォックは少し傾いて来た太陽を仰ぐ。
「なんでこっちの狩場にしたんだ? 確か、西の平野の方が初心者向けの狩場だったよな」
ロクローが首を傾げて問いかける。
街の西門から出ると平野が広がっており、港へ向かうための街道から外れた所には弱い魔物が出没するというのは買い物中に聞いた情報だった。
「簡単な理由。狩場が混んだら嫌だろ?」
ゲームスタート初日。これが普通のゲームだったら狩場は大混雑。モンスターの奪い合いになる事は間違いなしと言えた。
しかし、このゲームは普通ではない。なんと言ってもゲームの世界で実際の肉体を使うという異常さだ。
まだほとんどのプレイヤーは困惑していて狩りどころではないはずだ。それでも、ヴォック達のように初日から狩りに出かける豪胆なプレイヤーも少なからずいることだろう。それも、時間が経つにつれそういったプレイヤーが増えてくるのは明白だった。
そんなプレイヤー達と狩場が被らないようにと、ヴォックはわざわざこちらの狩場を選んだというわけだ。
「ああー。そりゃ言えてるな」
あっさりと納得したロクロー。狩場が混むというのはそれほどまでにプレイヤー達から嫌悪される。
横殴り(他のプレイヤーが戦闘中のモンスターに攻撃し、獲物を奪い取る行為)、狩場主張(ある一定範囲に出没するモンスターは全て自分の獲物と主張する行為)など、MMORPGでプレイヤー間で起こるトラブルの最大要因と言っても過言ではなかった。
最近のMMORPGではそんなトラブルを避ける為に、IDと呼ばれる隔離された空間で狩りが出来るシステムが主流になっているが、少なくとも今の所はそういったダンジョンは確認出来ない。
「……さて、STも戻った事だし、早速モンスターを探そう」
二人のSTゲージが自然回復した事を確認したヴォックは、腰を上げ、魔物を探して高原の端を歩き出した。
「――お。あれじゃないか? ほら、あそこ」
後ろを歩いていたロクローを手で制して、ヴォックは高原の茂みに身を隠すようにしゃがみこむ。
「お? どれどれ。……うへ。あのヒツジみてーのか」
ヴォックに倣ってしゃがみこんだロクローが目標を確認して気の抜けた声を上げた。
黒い体毛を持ち、異様なまでにねじ曲がった角を持つ羊のようなモンスターだった。
「デビルシープ。レベルは2か」
ヴォックは腕輪からシステムウィンドウを呼び出し、それをモンスターに重ねるようにして呟いた。
「お? それ、そうやって見るとモブの情報とか分かるのか?」
「うん。俺も今初めて使ったけどね」
腕輪から呼び出すホログラムのシステムウィンドウは、メニュー画面のままモンスターを映すと対象の名前とレベルが分かるようになっていた。
「レベルはこっちより高いな。どうする? 二人で一気にやっちまうか?」
ヴォックと同じようにウィンドウに表示されるモンスターの情報を確認しながらロクローが問いかける。
「いや、相手がどんな動きをするかも分からないし、ここは先に俺が行って様子を見るよ」
ヴォックは腰に下げた鞘から剣を抜き出しゆっくりと立ち上がる。
「おう。気張ってけよ」
ロクローは茂みにしゃがみ込んだまま手をひらひらと振る。
「あれ。てっきり自分から行きたいとか言うと思ったんだけど……」
「……あ? ああ。相棒の実力を確かめておきたいってわけよ。……なんだ? いざ実戦ってなったらびびっちまったか?」
ロクローは挑発するようにニヤリと口元を上げる。
「……そんなことはないけど、まあ、とにかく頑張ってみるよ」
初の実戦に緊張しているのか手汗がべっとりと付いた剣の柄を握りなおして、ヴォックはデビルシープにじりじりと距離を詰める。
デビルシープはまだヴォックに気が付いていない。いびつな角の付いた頭を下げて草を食べている。
音を立てないようにゆっくりと背後に回り込んだヴォックはそこで一気に駆けだすと同時に剣を振り上げる。
「『スラッシュ』!」
刀身の届く範囲まで近づいたヴォックはスキルを使用して力一杯剣を振り下ろす。刀身が青白く発光し、無防備のデビルシープに直撃する――
「――なっ!?」
刀身が触れる寸前、ビクっと身体を震わせたデビルシープが素早く地面を蹴り、真横に跳躍した。ヴォックが振り下ろした刀身は空を切り、そのまま地面を叩く。
――避けられた!
ヴォックは慌てて地面に振り下ろした剣を持ち上げる。
「ヴォック! 歯ぁ食いしばれ!」
茂みから顔を出してロクローが叫ぶ。
「ぶ、ぶえーー!」
低く野太い鳴き声を上げてデビルシープが再び跳躍。
「――ぐはっ!」
反復横飛びの要領で剣を避け、そのまま攻撃に転じて来たデビルシープ。
ヴォックはまともにその体当たりを受け、地面に転がり込む。
「ぐぅ……」
剣を杖代わりになんとか立ち上がるヴォック。
東門の衛兵が言っていた素早い動きをするモンスターが多いという言葉を思い出した。
デビルシープは愚鈍そうな見た目に似合わず、かなり俊敏に動けるようだった。
「ヴォックー。交代するかー?」
ロクローが茂みから声を掛けてくる。
首を横に振ってそれを拒否したヴォックはデビルシープに向かって剣を構える。
「ばぁ! ばぁ!」
ヴォックを威嚇するように鳴き声を上げるデビルシープ。
少し痺れるだけで痛みはない。ヴォックは自身のHPを確認する。
ゲージが二割程削られていた。
ちなみに、ゴッドソルジャーアイランドでは戦闘中にダメージを負っても痛みはそれほど感じない。例えHPが全てなくなって死亡したとしても、その場で動けなくなるだけで実際に死ぬ事はないとヘルプにははっきりと記載されていた。
しかし、痛みがないと言っても、こうして実際のモンスターに対峙するというのはかなりの迫力と緊張感があった。
ヴォックは息を飲んで地面を蹴った。
距離を詰め右手に持った剣を左から横に振るうも、俊敏な動きでバックステップしたデビルシープに難なく躱されてしまう。
「――まだだっ! 『スラッシュ』!」
右足を一歩大きく踏み出し、右に振り切った剣を返して今度は左に向かってオーラアタックを一閃。
「ぶえ!」
踏み込みが甘く、デビルシープの鼻先に少しかすった程度で大したダメージは与えられなかった。
「――くっ」
モニターの中のアバターを半自動的に戦わせるのと、実際に自分で剣を持って戦うのはやはり違う。最初からうまくいくとは思っていなかったがこれほど難しいとは思わなかった。
「ヴォック! 横に飛べ!!」
ロクローが再び叫ぶ。
「ばあ! ばあ!」
大きな鳴き声を上げながらデビルシープを身体を沈める。
「ぐっ……」
大振りに剣を振り回したせいで体勢を崩していたヴォックに、押し付けたバネが弾けるようにデビルシープが猛突進を繰り出した。
「ぐはっ――」
正面から体当たりを受けてヴォックの身体は後方に吹き飛ばされた。
「ぐはっ、うげっ。……かはっ」
何度も地面を転がって、仰向きに大の字になって寝転んだヴォックの視界には青い空だけが映っていた。
HPゲージは一気に削れて残り三割程。合わせてSTゲージも半分程まで減少していた。
情けない。ヴォックは思った。
かつてプレイしていたゲームでは、ヴォックは英雄だった。対人だろうが、対モンスターだろうが遅れを取る事などほとんどなかった。
だが今はどうだ。始めたばかりとは言え、初期モンスター相手に完膚無きまでに叩きのめされたのだ。
「くっそ……」
ヴォックは悔しさに歯を食いしばる。
「交代だ。ヴォック」
青空を遮ってロクローが上から覗き込んできた。
「……ああ。気を付けろよ。あいつかなり機敏に動く」
手を貸して貰って上半身を起こしたヴォックはロクローに告げる。
「ははは。オレを誰だと思ってんだよ」
デビルシープに向けてホームラン予告をするバッターのように剣を掲げロクローは笑った。