3 ゲームスタート②
「――ぬぅあぁんじゃああああああああああ!! こりゃああああああああああああッ!!」
広大な景色に見惚れていたヴォックの背後から、突然大きな叫び声が聞こえた。
「…………っ!?」
驚いたヴォックは、危なく足を踏み外しそうになる。目の前に伸びる大階段から転げ落ちたらいくらゲームとは言え洒落にならないだろう。
「あ、あっぶな……。なんだよいきなり……。 ――げぇ! 変態だっ!!」
振り向くと、そこには半裸の男性が踏ん張るようなポーズで空を仰いでいた。
「――ぁッ!? 誰が変態だコラッ!?」
下着。ボクサーパンツしか身に着けていない半裸の男は、ヴォックに向かってずかずかとガニ股で近づいてくる。
染め上げた金髪は、パーマなのか寝癖なのか乱雑なボサボサ頭。細身だが筋肉質な身体を持ち、背はヴォックより高い。ヴォックの身長が百六十八センチなので百七十五センチ程度はあるだろう。
歳は二十代前半から半ば程に見えた。
「あ、あんた。な、なんでパンツ一丁なんすか……?」
「あ? 男は家の中じゃパンいちって決まってんだろッ!」
ヴォックが後ずさりながら訪ねると、男は恥ずかし気もなく胸を張って答える。
ここは家じゃないんだが、と思ったヴォックだったが、すぐに考えを改める。
「……ああ。そうか。あんたも家でゴッドソルジャーアイランドの登録をしてたんすね」
ヴォックも部屋着のジャージ姿のままだ。ゲーム登録時の姿のままこの場所に連れてこられたという事だろう。
「あー。それよそれ。パソコンで名前を入れたらいきなり目の前が真っ暗になってよ。……そんで気づいたらこれよ。まさかおめーもか?」
身振り手振りで大仰なジェスチャーをしながら答える金髪の青年。
「ええ。俺もそうです」
「そうかそうか。…………ところでお前さ」
まるで値踏みでもするようにヴォックをじろじろと眺める青年。
「はい?」
「そのジャージの上貸してくんね?」
「――は?」
「なに。この下は街になってんだろ? 良く見りゃ住人みてーのもちらほら見えるな?」
青年の言葉に眼下の街並みに目をやると、小さくて見えづらいが、確かに街の住人らしき人々が動いているのが見える。
「…………えーっと、つまり、ぱんつ一丁で街に行くのは恥ずかしいから服を貸して欲しいと?」
ヴォックが尋ね返すと、男はうんうんと頷きながら、にこやかに手を差し伸べてくる。
「うむうむ。察しの良いガキは嫌いじゃないよ」
「い、いやっすよ!! 俺もこれ脱いだら下はタンクトップなんすよっ!?」
ヴォックは自分の身体を抱くようにして、着ているジャージを死守しようとする。
「んだと! がりひょろのくせにタンクトップなんて着てんじゃねーよ!」
金髪の青年は眉間に皺を寄せ、眉をハの字にして、子供が見たら泣きそうな程険しい表情でヴォックに掴みかかろうとする。
「が、がりひょろ!? ぱんつ一丁の人に言われたくないですよ!」
咄嗟に飛び退いて男から距離を置くヴォック。
「ちっ! ケチくせーガキだな! ……ったく。しょーがねぇなぁ」
男は金色の頭をぼりぼり掻きながら階段に足をかける。
「ちょ、あんたどこに行けば良いか分かってるんすか?」
ヴォックはすたすたと階段を下り始めた男の背中に声を掛ける。
「あ? とりあえずどっかで着るもんかっぱらいに行くんだよ。あばよー」
振り向きもせずに、ひらひらと手を振りながら男は軽快に階段を降りて行った。
「かっぱらうって……。大丈夫かよ、あの人」
ヴォックは嘆息混じりにその背中を見送った。
◆ ◆ ◆
――30分後。
「……よし。大体分かった」
ヘルプ内の項目に粗方目を通したヴォックは目の前にホログラムで表示されているシステムウィンドウを閉じた。
半裸の男と別れた後、一度建物の中に戻り、手近にあった椅子に腰掛けシステムウィンドウ内のヘルプを読んでいたのだった。
ヘルプの内容はかなり重厚で、詳細なゲームシステムの説明から、このゲームのバックグラウンドだろう世界観の説明まで色々と網羅されていた。
すぐに読み終わる量ではなかったので、まずは、ゲームを始めて何をすれば良いのかを重点に置いて読んだ。細かいゲームシステムの説明などは今すぐ覚えなくても、後々必要になったら見返せば良いだろうとヴォックは考えた。
そして、まず、する事と言えば何と言っても冒険の準備だ。
街の「神兵詰所」という施設に向かい、「神兵登録」を行うと、支給品が貰えるとヘルプには書かれていた。
同じくヘルプ内に記載されていた世界観によれば、プレイヤー達は「魔物に侵略されている世界を救う為に神よりこの世界に遣わされた兵士達」ということになるらしい。
他のゲームで言うところの神兵は冒険者。神兵詰所は冒険者組合やギルドのようなものと解釈すれば分かり易いだろう。
当然、今のままではジャージ姿の丸腰。それも無一文状態なので、早急に支給品を貰う必要がある。ヴォックは早速神兵詰所に向かうため、広間の椅子から立ち上がった。
「――おっ」
気づけば広間にはプレイヤーらしき人々が集まりだしていた。
落ち着かない様子でそわそわしてる人もいれば、つい先程までのヴォックのように熱心にシステムウィンドウと睨めっこしている人も見える。
ゴッドソルジャーアイランドの先行プレイヤー募集は五千人だった。
その全てがプレイを開始していて、さらに全員が同じ場所からスタートしているとしたら、この建物の中に五千人も詰め込まれていることになる。
「……あんまりゆっくりしてられないか」
悠長にしていると、神兵詰所とやらは登録に押し掛けたプレイヤーでごった返しになってしまうだろう。
混む前にさっさと登録を済ませてしまおう。ヴォックは足早に建物の外へと向かった。
門を出てすぐにある長い大階段を下りながら、今出て来た建物をヴォックは振り返る。
それは、丘の上に建つ巨大な塔だった。眩しいほどに陽光を反射する真っ白な石の塔はどことなく神秘的に見えた。ヘルプに書かれていた通りの名前なら「はじまりの塔」という建物らしい。
長い階段をようやく下り終えたヴォックは、右手首に巻かれた腕輪を軽く叩いてシステムウィンドウを表示させる。
そして、そのメニュー内にある項目の一つ【マップ】をタッチすると、ウィンドウは街の地図に切り替わる。
表示された地図の中で、街の南端に近い位置に緑色の丸い点が点滅している。これがヴォックの現在位置だ。
現在位置の真下、つまり街の南端には、今出て来たばかりの「はじまりの塔」が描かれている。
「この通りをまっすぐ北に向かえばいいだけか……」
目的地である神兵詰所は街の中央広場のすぐ傍に大きく記されていた。位置を確認したヴォックはシステムウィンドウを閉じて歩き出す。
それにしても、結構な人数の村人がいる。
ヴォックは石畳の通りを歩きながら街のそこかしこにいる人々を意外そうに眺める。
人と言ってもヴォックのようなプレイヤーではない。右手首に銀の腕輪を付けていない事から見てNPCなのだろう。
普通、ゲームのNPCと言えば、棒立ちでプレイヤーが話しかけてくるのを待っているか、決まったプログラムに従った行動しかしない物だ。
しかし、このゴッドソルジャーアイランドではどうだろうか。NPC達はまるで、この世界に生きる普通の人々の如く自然に振る舞っているように見える。子供の手を引き、買い物カゴを胸に抱える女性。肩を組み合い樽ジョッキを呷る中年男性二人。それぞれが自立思考で動いているとしか思えない様子だった。
ヴォックは試しにNPCの一人、果物がたくさん詰まった籠を広げた店の主人らしき男に話しかけてみることにした。
「こんにちわ」
「いらっしゃい!」
笑顔の接客でお出迎え。不自然な仕草は一切ない。
「果物の店ですか?」
「ああ。見ての通りさ。あんた神兵さんだろ?」
「ええ。って言ってもまだ詰所で登録してないんですけど」
「それなら早く詰所に行ってきなよ。登録したらまた来てくれよな」
「はい。是非」
物凄く自然な受け答えだ。ヴォックは店主に軽く会釈をしてその場を立ち去った。
今のやりとりだけではヴォックには彼等NPCが、プログラムされたAIなのか、本当にこの世界に生きる住人なのかは完全には分からなかった。
もっと趣向のある話題でも持ち掛ければ良かったなと思ったヴォックだった。
日本の都市育ちなヴォックにとって新鮮な街の景色を堪能しながら歩くこと10分。街の中央広場が見えて来た。
中央広場の付近には、人通りが多い事もあり様々な店が並んでいた。
剣が描かれた看板を下げる店や、ナイフとフォークが描かれた飲食店らしき看板下げる店などがいくつもある。
既に神兵登録を済ませたのだろうか。プレイヤーと思わしき人達がちらほらと店を覗き込んでいる姿も見える。
その様々な店を眺めながら歩いていると、
「――けッ! わーったよ! 出てけばいいんだろッ!?」
ヴォックの進む先にある一件の店の扉が勢い良く開いた。
「――あ」
盾が描かれた看板を掲げる店から出て来たのは金髪に半裸の男。ヴォックが最初に出会った青年だった。
「ハゲオヤジめ! 覚えてやがれッ!」
青年は吐き捨てるように叫びながら店の扉を蹴って閉める。
不服そうに地面に唾を吐いて、きょろきょろと周りを見渡していた柄の悪い青年は、近くにいるヴォックに気が付いた。
「――お、さっきの小僧じゃねーか」
半裸で外にいるというのに関わらず、少しも恥ずかしがる事なく、むしろ堂々とした様子で手を振りながらヴォックに近づいてくる青年。
「……どうも」
ヴォックはぺこりと頭を下げる。
「まったく血も涙もない店だぜここはよぉ。オレ様がこんな格好で頼んでるっつーのになんもくれねーでやんの」
恐らくは防具屋だろう店の扉を睨み付ける青年。
「……えーっと。神兵登録はまだなんすか?」
ヴォックはきっと知らないんだろうな、とは思いつつも青年に尋ねてみた。
「あん? そういや、ここのハゲオヤジもそんなこと言ってやがったな? なんだよそれ」
きょとんとした顔で答える青年。
やっぱりな。きっとこの人は、最初に塔の前で分かれてから、闇雲に街の中を半裸で駆け回り、この防具屋に辿り着いたのであろう。
そう推測したヴォックだが、一応青年に確認してみることにした。
「……あんた。ヘルプ読んでないんすか?」
「あ? なにそれ?」
予想通りの返答。
しかし、驚くような事ではない。この手のタイプの人はMMORPGでは実は結構多い。
新規でゲームを始めるにしても、アップデートで追加された新たなコンテンツに挑戦するときにしても、なんの予備知識もないまま、とりあえずやってみようという人が一定数必ずいるのだ。
対してヴォックは、公式サイトや攻略情報サイト、ゲーム内のNPCからの聞き込みや掲示板などで充分に予備知識を蓄えてから挑むタイプだった。
「システムウィンドウの中にあるんすよ。読んだ方が良いと思いますよ。良くあるMMORPGと似たシステムが多いですけど、このゲーム特有のシステムとかもあるんで」
「ふーん。例えば?」
「アイテムの扱いはかなり違うと思いますよ。あと、デスペナルティなんかもかなり特殊なタイプだったし」
「ほほう。まあ、その辺の七面倒臭い事は後でいいや。んで、さっき言ってた神兵登録ってのはなんなんだよ?」
「……この先の広場に神兵詰所っていう場所があって、そこで神兵登録をすれば、冒険に必要な支給品が貰えるんすよ。ほら、ゲームで良くある冒険者ギルドに登録すれば旅の支援金を貰えるとかって奴じゃないすか?」
ヴォックは話しながら、かつてやっていたMMORPGの事を思い出していた。
あのときも、良くこうして、この手の先走るタイプのプレイヤーに色々と説明をしてやっていたものだ。
「おお、まじか。なんだよ、そういう事はもっと分かりやすいところに書けってんだ。それこそ看板でも立てやがれ。……んで、お前はもう済んでるのか? その神兵登録っての」
「いえ。俺もこれから向かうところです」
青年はその返事を聞くと、にやりと微笑みヴォックの肩に手を置いた。
「そりゃあちょうどいい! 一緒に行こうじゃないか少年! 案内したまえ!」
「え? ……は、はぁ。……別にいいっすけど」
教えた手前だ。無下に断るのものなんだと思ったヴォックは小さく頷いた。
「そうこなくっちゃな。オレはロクローってんだ。お前は?」
「……俺は……ヴォックです」
ヴォックは少し口ごもってロクローと名乗った青年に自分の名を告げた。
以前プレイしていたゲームのオフ会に参加したときも感じた事たが、こうしてハンドルネームを名乗るのは妙に恥ずかしい。
普通のMMORPGでは、ゲーム内では余程読みづらい名前でない限り自分から名乗る事などそうはない。
名乗る必要がないからだ。
大抵はキャラクターの頭の上にプレイヤーネームが表示されている。例えるならば、常に名札を付けているようなものだ。
しかし、このゴッドソルジャーアイランドには実際の身体を使っているという事もあり、そういった機能は搭載されておらず、他のプレイヤーの名前はこうして聞かないと分からない。
パーティを組んだり、フレンド登録をすれば、ステータスバーやシステムウィンドウ内で確認出来るみたいだが。
「…………ヴォック? お前もしか……いや。ハハッ! ヴォックか。おし。よろしくな! それとな。タメ口でいいぜ。ゲームなんだから堅苦しいのはナシにしようや」
ヴォックの名を聞いたロクローは何かを言いかけたがすぐに止め、気を取り直すように笑うと、ヴォックの肩をバシバシと叩き陽気に言った。
「は、はあ。それじゃあよろしく」
妙な人に絡まれてしまったと思いながらも、ヴォックはロクローと共に神兵詰所に向かった。