2 ゲームスタート
2021年4月12日17時58分。
一人の少年が自室のパソコンの前でマウスを握りしめ、そわそわと逸る気持ちを抑えきれずにいた。
それは、本日よりサービスを開始する新作MMORPG(大規模多人数同時参加型ロールプレイングゲーム)の開始時刻が迫っていたからだ。
そのゲームのタイトルは『ゴッドソルジャーアイランド』。
公式ホームページにでかでかと記された謳い文句は、
『これまでと、これからの全てのゲームを凌駕する究極のMMORPG』
一体どれほどの広告宣伝費をかけているのか、この強気なキャッチフレーズを、ネット上のありとあらゆる媒体で大規模に宣伝していた。
しかし、興味を持っていざ公式ホームページに飛んでも、サービス開始日時と、王道ファンタジー系MMORPGということが分かるようなイメージ画像しか存在せず、肝心のゲーム内容については一切触れらていなかった。
運営会社自体も不明瞭で、分かっているのは「Gods」という会社名と、ゴッドソルジャーアイランドに膨大な広告費を掛けられる程の資金力を持った会社という事だけだった。
大手ゲーム会社のサプライズ企画。ついに完成した意識転送型VRゲームなどの様々な憶測がネット上を飛び交ったが真相は謎に包まれていた。
そして、サービス開始日時まで残り10日になってようやく「先行プレイヤーを5000人募集する」という説明文と、応募フォームが公式ホームページに更新された。
応募要項も特殊で、当選通知用のメールアドレスや、年齢、性別といった個人情報には触れない程度の項目の他に、一人で複数回応募するのを防ぐためか、自己PRを五百文字以上で入力するという項目が存在した。
この特殊な応募方法も、噂の種となり、SNSやネット掲示板では、抽選率百倍以上とも囁かれた。
この春に高校二年生になったばかりの少年は、自己PRの欄に、中学生の間、学校にもほとんど行かずにMMORPGに没頭していた事。そして、高校受験の為に親からパソコンを取り上げられ強制的にMMORPGを引退させられた事。さらに、つい最近、アルバイトをしてこつこつと貯めたお金で最新のゲーミングパソコンを購入した事などを赤裸々に記入した。
駄目元で応募してから数日後。サービス開始日時5日前に少年のメールボックスに「先行プレイヤー当選のお知らせ」のメールが届いた。
そのメールには、当選IDが記されており、その当選IDがネット上で超高額で取引される珍事がニュースにまでなった。
そんな幸運に、少年はサービス開始日時まで気が気ではなかった。まさに、宝くじで高額当選して、現金が振り込まれるまで待っている間のようなものだ。
こうして少年は、サービス開始日時に、食事を済ませ、部屋着に着替え、飲み物を準備して意気揚々とパソコンの前に構えていた。
そして、ついにサービス開始日時ぴったり。公式ホームページ上に、新規プレイヤー登録をするためのフォームが更新された。
そこに、「先行プレイヤー当選のお知らせ」メールに記載されていた当選IDを入力する。
当選IDを入力すると、すぐにフォームが切り替わり、プレイヤーネーム入力欄が現れた。
少年は迷う事無くキーボードを叩く。
【Voc】
ヴォックと読むこのプレイヤーネームは、以前プレイしていたMMORPGで使用していた名前。好きだったロックバンドの頭文字を取った物で、長く親しんだ名前だったので新しく始めるゲームでもこの名前と決めていたのだ。
プレイヤーネームを入力し「次へ」と表示されているアイコンにマウスを持っていき、左クリックを押した瞬間だった。
少年の視界は突然真っ暗になった。
突如として、暗闇の中に突き落とされたような浮遊感を味わう。
座っていたはずの椅子の感触も、握っていたはずのマウスの感触も消えていた。
『ゴッドソルジャーアイランドの世界に転送します。しばらくお待ちください。繰り返します。ゴッドソルジャー…………』
闇の中に溶けていくように、次第に薄れゆく意識の中、少年――ヴォックは無機質に繰り返される声を聞いた。
◆ ◆ ◆
………………。
どれくらい時間が経ったのだろう。ヴォックがうっすらと瞳を開くと視界に映るのは灰色にくすんだ石の天井だった。
寝起きのせいか、ぼんやりとする頭を左右にゆっくりと振って辺りを見渡す。
壁も天井も床も、全てが石造りの狭い部屋だった。窓のない部屋の中を蝋燭の火だけがゆらゆらと灯している。
「…………っ!?」
見覚えのない部屋を見てヴォックの意識は一気に覚醒した。
「――いって! ……くう」
固いベッドの上に寝かされていたせいで身体のあちこちがひどく痛んだが、それでもなんとか身体を起こす。
「……なんだよ。ここ」
まるで牢獄のような石造りの狭い部屋。調度品らしいものと言えば、今、ヴォックが腰かけている簡素な木製ベッドと、部屋を照らす燭台だけ。
「……ん?」
ヴォックは自身の視界の中に違和感を覚える。それは、視界の左上にある、奇妙な、しかし確かに見慣れた物だった。
【Voc】と表示される文字体の下に、青色と緑色の横に伸びるゲージが二本縦に並んでいた。
青色のゲージにはHP、緑色のゲージにはSTとゲージの横に小さく表示されており、青色のゲージの中には125/125と、緑色のゲージの中には100%と記されていた。
不思議な事に、どこを向いても視界の左上に固定されて見える。
「…………これは、……ステータスバー、か?」
ヴォックは小さく呟いた。
そう。それは、ゲームなどで良く見るステータスバーにそっくりだった。
そして、その一番上部に書かれているVocの文字。
「そうだ。俺は――」
――自宅でゴッドソルジャーアイランドのプレイヤー登録をしていたはずだ。それが気づいたら見知らぬ部屋にいる。そういえば意識がなくなる直前に変な声を聞いたような気がする。ヴォックは記憶の隅にあった声を思いだした。
「確か、ゴッドソルジャーアイランドの世界に転送します……だったか」
ヴォックは、一昔前に流行ったテレビアニメを思い浮かべた。
そのアニメの中では、仮想の世界に意識を飛ばして行うというVRゲームが登場していた。
そういったゲームの開発が実際に行われているというニュースは目にした覚えがある。しかし、実現には技術的、倫理的な様々なハードルがあるという話しだったはずだ。
ヴォックはふと気になって自分の身体に視線を巡らす。
自室でプレイヤー登録を行っていた時と同じ、部屋着にしているジャージ姿の自分だった。鏡がないので映し出す事は出来ないが、見慣れた両手に、少し目にかかる前髪が視界に映る。ゲームの世界のアバターではない現実の自分の身体に間違いなかった。
ありきたりな方法だと思ったが、試しに頬をつねってみる。
「あいったぁ……」
頬に伝わるぴりぴりとした痛み。
「……とにかく、ここに居ても何も分からないか」
ヴォックはベッドから立ち上がり、部屋から外に通じているであろう木製の扉に手を掛ける。
「…………っ!?」
ドアノブを握ると同時に、目の前に半透明のホログラムウィンドウのような物が浮かび上がる。
『ゴッドソルジャーアイランドの世界へようこそ』
ウィンドウの最初の一文にはそう書かれていた。
「……ゴッドソルジャーアイランドの世界、ね」
ヴォックはウィンドウに書かれている続きの文章を読む。
『右手の腕輪をダブルタップすることでシステムウィンドウを表示できます。ゲームの詳細な説明は、システムウィンドウ内にあるヘルプから御覧頂く事が出来るのでそちらをご覧ください』
ホログラムで映し出されたウィンドウに表示されている文章はそれだけだった。
――右手の腕輪?
ヴォックはドアノブから右手を離し、ジャージの袖を捲ってみる。
そこには鈍い銀色の腕輪が手首に巻かれていた。
ウィンドウに書いてあった通りに、左手の人差し指で腕輪をとんとんと軽く叩いみると、先程のホログラムウィンドウと同様の物が腕輪から浮かび上がるように出現する。
「おお……!」
ヴォックはその光景に少し感動を覚える。先程思い浮かべたフィクションのVRゲームでは必ずこういった近未来的システムデバイスがあったからだ。
これがシステムウィンドウなのだろう。ヴォックは表示されているウィンドウをまじまじと眺める。
中には、ステータスや装備、所持アイテムと書かれた様々な項目があり、その内の一つ、ヘルプと書かれたアイコンを見つけてタッチしてみる。
ウィンドウが瞬時に切り替わり、再び様々な項目が表示される。
ヴォックはその中で、まず、【はじめに】と書かれた項目をタッチする。
すると、
『このゲームは、実際にあなたの身体を使用する多人数参加型のRPGゲームです。現実世界への帰還は、ゲーム中に設定されたラストボスが倒された時のみとなります。また、現実世界への通信、連絡等は一切出来ません』
簡素だが、いきなり核心に迫る説明が記載されていた。
「…………」
ヴォックはその文を読んで固まった。
つまり、自分はなんらかの方法でこの場所へ拉致され、強制的にゲームを行わされるという事だ。
「……まじかよ」
さすがは「これまでと、これからのゲームを全てを凌駕する」と銘打つだけはある。
明らかな異常事態にも関わらず、ヴォックの思考は冷静で、口元には小さく笑みさえ浮かんでいた。
ヴォックはウィンドウの右下に表示されている【閉じる】をタッチした。
腕輪の中に吸い込まれるように消えたウィンドウを見たあと、ヴォックは再びドアノブを握る。
――まずはここがどこなのか確かめよう。ゲームの詳細はその後からでも遅くはない。
ヴォックは小さく息を飲んで扉を開いた。
扉の外には、部屋の中と同じような石造りの廊下が伸びていた。
窓の無かった部屋の中と違い、廊下には蝋燭の火に加え、壁の天井近くにある天窓から光が差し込んでいる。
昼間なのだろうか。ヴォックは思った。
プレイヤー登録をしたのは日が暮れた後の事だ。サービス開始日時が18時ぴったりだったので、今が昼間ならば、少なくとも半日は過ぎていることになる。勿論、ここが現実世界と同じならば、だが。
廊下の左右を見回してみるが、緩やかなカーブ状になっており、奥の方の様子は窺えない。
壁にはヴォックが出て来た扉と同じ物が、見える範囲だけでも狭い間隔にいくつも並んでいる。
自分が今出て来た扉を振り返ると、扉には0027というナンバープレートが貼り付けてあった。
試しにすぐ隣の扉の前へ向かうと、そこにも同じプレートが掲げてあり、番号は0026。
見た所部屋番号のようだが、この部屋の中に自分とは別のプレイヤーがいるのだろうか。ノックでもしてみようかな、と思ったヴォックだったが、それよりも先に外に出てみようと考えた。
廊下を少し歩くと開けた場所に出た。
「……おお」
ヴォックは思わず感嘆の声を漏らした。
アーチ状の天井を持つ広大な石造りの広間。天窓から差し込む光が広間の中にいくつもの光の柱を作り、神秘的とも言える壮観さだった。
広さも相当なものだった。ヴォックが通っていた高校にある体育館の二倍は広い。その広大な広間の一角には椅子やテーブルが数多く設置されている待合場のような場所もある。
「出口はあそこか」
広間の壁に大きな門が口を開けていた。
広間より少し高い位置にある門の前には低い階段があり、ここからでは青い空が見えるだけで外の様子は窺えない。
広間の壁に手を突きながら石の壁をなぞるように出口に向かう。
指先に感じるひんやりとした石の感触が新鮮だった。
低い階段を上がり、門を潜ると、ヴォックの頬を爽やかな風が撫でる。
「…………っ!」
ヴォックはただただ、その景色に圧倒された。
門の外、眼前に広がる景色はヴォックが今まで見たどの景色よりも壮大で素晴らしかった。
先程、広間を見た時も驚いたが、この景観とは比べようがない。
門の先は地面よりかなり高い位置にあり、すぐ傍に地面へと続く大階段が伸びていた。
この建物自体が高い丘の上にあるらしく、かなり遠くまで見渡せる。
建物を出たプレイヤーに、まずこの景色を見せるための造りなら、建築者の思惑は見事としか言いようがない。
高い塀に囲まれた城塞都市。まるで中世ヨーロッパの街並みを切り取ったかのような光景がヴォックの目の前には広がっていた。街の先に見えるのは森と海。そして、雲一つない真っ青な空に浮かぶ白く巨大な月。地球上から見えるヴォックの良く知っている月とは大きさも模様も全然違っていた。
「…………こりゃあ。……はは、すげーな」
モニター越しに見るゲームの中でしか見た事のないような景色が広がる世界。どうやってここに連れてこられたのかも、これから自分がどうなるのかも分からない。不安な心が無いと言えば嘘になる。
しかし、ヴォックの心は昂揚感の方が遥かに優っていた。