神様の話をしよう
神様についての話をしよう
神様って言っても宗教的な物じゃないから安心して欲しい。自分を成り立たせてる根幹とでも言えばいいのかな。誰かが「人」という文字は1人だと倒れてしまう「ヒト」と「ヒト」が支え合って出来た文字だと言った。支え合ってるように見えるがどう考えても下側の人間が割りを食ってる。こんな不格好な物を綺麗事みたいに話す。まさに人間だ。人間とは汚くあるべきだ。綺麗な人間なんていない。他人を思いやれど自分より他人を優先するというのは生物的にも間違ってるから当然だ。子孫を残す為に自身が生きる。動物とはまさにそうだろう。人間も動物なんだから。
話がそれてしまったね。人間ってのは利己的だからこそ人間で動物なんだ。動物ってのは周りの模倣が最初にあって自我を獲得していく。その対象。それこそが自分の神なんだよ。神話には詳しくないが神様ってのは人間を作るんだろう?それなら自我を獲得させた。それは神の御技に等しいんだよ。勿論産まれたばかりの赤ん坊が模倣するのはほとんどが親だろう。でも自我が成立するのは思春期じゃないかな。何かの記事で思春期に出会った物とは一生付き合っていく可能性が非常に高いらしいね。
僕の話をしよう。
言ってしまえば僕は恵まれた家庭に産まれた。人格者で努力家である父。正義感のある母。その両方を兼ね備えた優秀な兄。でも僕は何か違ったんだ。勉強は昔から兄ほどではないが出来る方だった。運動も好きだったし文武両道ではあったのかもしれない。でも何かが違うんだ。努力を重ねる兄。それを褒める両親。それを眺めていても僕は同じくらい努力しようなんて思えなかった。努力は誰でも出来るなんて大嘘だよ。努力の仕方にも才能はあるし努力を続けることだって才能だ。そうじゃなきゃ「〜と出会って人生が変わって努力するようになったんです!」なんて話は美談にならないよ。勿論考え方が変わる人なんて山ほどいるさ。でも成功例は少ないんだよ。だから美談になる。考え方が変わっても努力するには才能がいるからね。どんなに継続して努力しても仕方が悪かったら結果は得られない。報われない労力の無駄だよ。話が別方向に進んでしまうのは僕の悪い癖だ。勘弁してほしい。
努力することが出来ない僕でもそれなりの結果を出してきた。それでも家族からしたら「努力してないのにこれくらい出来るなら努力したらもっと出来るじゃない!」こう思うんだろうね。
後から気付くんだけど僕は要領が良くて結果を出せてたんじゃなくて自分の本当に好きなものをほとんど制限されたから仕方なく勉強してたってだけだったんだ。高校生になるまで気付かなかったってのは本当に今考えると笑えるね。だからそれまで僕に神様は居なかったんだ。でも親は兄の成功体験を元に僕に最低でもその基準を求めてくる。機械的に考えればそうだよね。再現性をとらなきゃロジカルじゃない。でも残念ながら僕には兄を模倣することでは自我を得ることは出来なかった。
僕を形成する物「あるバンド」について話そうかなと思う。携帯すら与えられてなかった僕には音楽なんて物は学校の授業でやらされるクソつまらないものだと思ってた。でも違った。ある日友人が楽器を始めた。彼とは仲が良かったから学校で携帯を借りておすすめのバンドの曲を聴かせてもらってた。正直に言ってしまえば好みではあるけど…って感じだったね。でも動画配信サイトって大体1曲終わったら次にオススメが出るじゃない。そこで僕はそのバンドに出会ったんだ。当時は全然音楽に詳しくなかったから語彙力がなくて歯痒いけど初めて見た時から何かが違ったのは覚えてる。信じられないくらいカッコ良かった。制限された家庭でほとんどが制限されていた僕が初めて自分から好きになった物だった。その後の人生で何回家族へのコンプレックスで死にたくなった時に救われたか分からない。今ではもう家族と離れて暮らしてそういう機会もないけど僕の根幹には彼らが居て音楽を奏でてくれてる。彼らは僕という自我の芽生えだった。神様だよ。
でも、そのバンドはもう帰ってこない。神様だって死ぬんだよ。神様も人間なんだから。ボーカルが死んだ。自殺だった。今でもその日を覚えてる。やけに寝苦しい夜だった。当時の僕は一人暮らしで好きな物を好きなだけ摂取出来てた幸せな時期だったと思う。そのバンドの曲は毎日聴いても飽きることが無かったしその寝る前だって聴きながらパソコンに向き合ってた。翌日の大学の授業の出席数が危うかった僕はなんとか寝なきゃなぁと思いながらベッドに横になってた。寝れたのは結局午前4時くらいだったのかな。ギリギリとまではいかないけどそろそろ大学に向かわないといけないくらいの時間に目が覚めた。眠い目を擦りながら携帯に通知が来ているのに気づいた。短い文章でSNSの付き合いでは多分一番長い人から短いメッセージ「死ぬなよ」。何のことか分からずにとりあえず「?」とリプライを返しながらイヤホンにつけて大学へ向かった。勿論流すのはあのバンドの曲。名義変更前のトラックを手に入れてから当時の僕はヘビロテで聴いてたさ。校門をくぐる。僕の学ぶ校舎は他よりちょっと奥まったところにあるから構内に入っても10分くらいは歩く。一番手前の校舎に差し掛かるくらいにSNSとニュースを開く。さっきのメッセージは何だったんだろうと。目の前が真っ暗になるって表現があるけどあれはどういう意味なんだろうね。ニュースの一番上にそのバンドのボーカルが自殺したと記事があった。頭が理解を拒んだ。嘘と思いたかった。彼は今も僕のイヤホンの中で歌ってくれている。そんなはずがあるわけがない。必死で嘘だという情報を調べようとしたがすぐに答えは出た。「悲しいが事実だ」バンドメンバーの1人の投稿が目に入る。絶望という表現が正しいか分からないがどうしようもない感情が心を支配した。世界が色を失う。携帯を落とす。蹲る。側から見たら体調が急に悪くなったと思うだろうね。でもだからなんなんだ。僕を成り立たせてくれていた物の一つが突然ぐちゃぐちゃになったんだ。自我が揺らぐ。自分がなんの為に生きているか分からなくなる。支えてくれていた側のヒトがいなくなったら、もたれかかってる側の人間は地面に倒れ込むしかないんだよ。神様が死んだ。喪失感が僕を支配した。
今だってそうだ。今も僕の中では彼のぶち撒けられた脳漿が飛び散ってる。神様の形がわからないよ。キリストだって死んだけど祈ったら生き返るって言うじゃないか。釈迦だって仏像に姿を投影して祈るじゃないか。僕は何に向かって祈ればいいんだい?どうしたらこの喪失感を埋められるんだい?どうやったら彼を見ることが出来るんだい?偶像を作るしかないのかい。彼が僕に根差して作り上げた「僕」という自我。それを全部理解して埋めることが出来たらその残りの空白の部分が彼の形なんだ。それが偶像なんだ。それに祈ればいいんだ。そして彼の穴を埋めよう。今の僕の生きる理由はそれしかない。彼と同じ年齢を迎えるまでにそれが出来ていたら祈ろう、そして僕も新しい一歩を踏み出せるだろう。
でも出来なかったら?
彼と同じ年齢同じ方法で命を断つことが一番、僕の中の彼を埋められる方法なのかもしれないと今は思ってる。新しい生きる理由を教えてくれよ。
皆の神様の無事と安寧を願って。