第八話『檻の外の女』・「殺してくれてもよかったのに」
ロキの宿敵、片眼の者。
呼び名は沢山あるが、ハールは僕とは違う形で古代から存続してきた。
アレは半身がアストラルのまま、生物の体に乗る。
そうして体が朽ちるまで乗り物にして、歴史を乗り継いできた。
利己的遺伝子みたいにね。
太古から存続するウィルスにも似る。
アレも誇示したはずだ。ウィルスは今では蔓延しきっている。
ヤツが社会の手であり社会は奴の足。
神には糧となる信仰心が必要なんだ。アレは人々が信じてやまない社会構造を作った。
人々が神の存在を忘れても信仰心は失われないように。敵ながら上手い機関だ。
欠点は神ではない点。半身が生物の神まがい。
完全に身体性を選んだ僕と違って、半身故に余計厄介なもの。
アレは数百年に一度、肉体を得る儀式を行う。アストラル体の万全な移行。戦いの条件。
アレは自分のために自身の犠牲が必要なのも知ってる。知識を得るのに吊るした体、捧げた片眼が証。
犠牲は結果、他者に変換される。他者がハールになるからだ。
自分のために他者を利用する様式はアレが作った階層の構造とよく似るね。
神としてハールが司るのは知識、
そして戦争と死だ。
後半は説明の必要もないね。
アレが神々の王だった僕らの世界にもあった。
ヤツが君臨するキミの世界にも起きてる。
僕の息子フェンリルの話をしよう。
僕ほどではないが息子にも変身の性質は遺伝した。
皮肉だけど彼の才能は異変の瞬間に開花した。予言にもないイレギュラーな出来事として。
彼が鳥になって亀裂に飛び込んだ時、時空間を移動する過程でアストラル体が他の者よりもっと分解された。
洗練されたんだ。
純度の高いアストラルとなった。
彼が選ぶでもなくアストラル体は魂になった。だけど特別な形になったんだ。
ハールとも似るが異なる、さ迷わない中間の存在。
彼の魂は思考をなくしたが目的は維持した。キミが感じた通り機械にも似てるね。
息子の目的は適者生存。キミの世界で生き延びるために。
そして予言を実現する。予言は宿敵にかかわるんだ。
ヤツと僕が現れた遥か後に息子はキミの世界に現れた。
時空間の概念はややこしい。
けどすべては一瞬。
指を鳴らすぐらいの。
僕の息子はヤツのように肉体を乗り継いだりはしない。
儀式も必要ない。
魂を秘めた人間としてキミの世界に生を受けた。
それがトワカだよ。
探すのに時間と手間がかかった。
時代、場所、僕の愛しい娘をやっと見つけた。
キミもいた。前に話したね。
僕の大きな目的の一つがフェンリルだ。
予言ではフェンリルがハールを喰う。よって宿敵を倒せる。
僕は息子が必要だった。娘ではなく。
トワカには白い狼になってもらう、息子を復活させる手はずだった。
やはりキミの介入で計画が変わった。
僕の娘は、もう息子である白い狼にはならないだろう。
彼女が望めば別だが、キミが望まない。キミが望まなければ彼女もフェンリルにはならない。
揺れていた彼女自身も望まなくなった。キミの影響で。
もしキミが強く望んでいれば彼女はキミのために白い狼へ転じたろうが、同時にハールの思惑にも近い。白い狼の抹殺のために。
キミも揺れていたね。方向性はヤツの祝福がある社員だからだよ。
破壊的衝動性をフェンリルに向ける。始末が望みだからだ。
けどキミはヤツに従順しなかった。正社員よりヒーローをとったのか。アレの配下ではないヒーローの概念を。
揺れていた胸中もすでに定まったね。
僕が真実をブラックボックスとしたのは、見極めたかったから。
どうなるかわからない展開をギリギリまで見て判断したかった。有利になるかどうか、情報を与えるかどうか。
僕は判断した。
白い狼が、フェンリルが復活しなくてもよい。
ヤツに勝てる見込みはあるとね。
キミと娘に賭けた。キミらのヒーローにも。僕とヤツが持っていない像だ。
トワカも僕の娘だからね。大事に考えてるよ。
こうして今は情報を与えてる。もう隠せもしない。
フェンリルの復活にはネックもある。
白い狼になれば、黒い狼や人には戻れない。
一度フェンリルになってしまえばトワカの姿にはなれない。
なぜだかわかるか。
キミも方向性には気づいてたはずだ。
トワカからヘラクレスに。
ヘラクレスからマイティやバレットに。
マイティからバレット、バレットからマイティにはなれない。
これはフェンリルの力を分散してるからだ。
マイティとバレットは半分ずつフェンリルの特長を備えている。
彼女も言ったね。先にナニカあると。
マイティとバレットの先にはフェンリルがいる。
黒を経て、白になるんだ。
白は神の色。ハールも白を好む。
銀色も白に近しい。
僕の真の姿もね。
銀色の流動物体。
ヘラクレスの手に爪がない理由。
もうわかったかい?
フェンリルが四足歩行だから。
息子の特長がマイティとバレットに分かれて、人の姿に近づいた。
それがヘラクレスだ。
半神半人、上手い命名だと言ったろう。
ヘラクレスもマイティもバレットも、
フェンリルになろうとする狼だ。
じゃあいいかい。
心して聞くんだよ。
ヘラクレスの先にはトワカがいる。
キミは今まで、
彼女がヘラクレスに変身したと考えてたろう。
違うんだ。
トワカはいつもヘラクレスに、
戻っていた。
一時的に変身してたんじゃない。
戻ってたんだ。
変身してたのは、
ヘラクレスだ。
ずっとヘラクレスが彼女に、
変身してたんだ。
息子の才能が目覚めて、鳥に変身したように。
僕のもう一人の娘、
プロメテウスならこう言う。
ヒューマンモードと。
息子はキミの世界に適応するために人間の姿になった。
開花した変身能力を誕生の瞬間に使ったんだ。
魂である彼に心はない。だから大上兎羽歌に心を持たせた。
独立化した精神性を。
やはり親子だね。僕の力の使い方に似る。
けど支配や主従関係はない。
むしろ彼女が息子を操っていた。
パイロットのように。
外からね。
彼女の中にある息子のアストラル体はひたすら待っている。
存在を彼女に預けたまま、目的が達せられるのを――
*
もう耐えられない。
無理やりマスクを剥いだ。
「うああああッああああッ!
そんッなことッ! あるかッ!
ああああッああああッー!!」
狂ったように叫ぶしかなかった。
「ナオヤっ!」
フライヤが肩を押さえてきたのは感じた。辛そうな顔も。けど、
兎羽歌ちゃんは人間じゃなかった。
やっぱり怪物。
怪物どころか。
存在もしてない。
いやハリボテみたいな存在。
わけのわからない怪物の目的のためだけに生きてきた。
どうして彼女の目が空洞みたいだったかハッキリわかった。
どうして彼女が自分をわからないと感じてたかやっとわかった。
胸が裂ける。
心が壊れる。
「ごめんね、ごめんね……」
フライヤが抱きしめてきたのを感じた。
「わたしもさっきまで知らなかった。最初から姉妹みたいに似てたんだね……」
彼女が泣いてるのも感じた。
それでもフライヤより兎羽歌ちゃんで頭が一杯で内側から爆発しそうだ。
「トワカちゃんは、今の情報、どうした」
「セックがナオヤに見せたものはトワちゃんのスーツに送ったって。彼女にも平等に知る権利があるから」
「そんッな……!」
重大な事実をメールみたいに。
簡単に送った。
くそッ。
抱いてくれてた彼女の体を離して、
「ごめんフライヤ。トワカちゃんは今どこにいる」
肩を掴んで目を見ながら言った。
少し悲しそうな目をしたのがわかったけど気にしてられなかった。
「わからない。部屋にはいないよ。トワちゃんはスーパーも今日は休みだから」
「電話してみる」
彼女の番号にかけてみたが、コールはしてるけど出ない。
音を消してるのか話したくないのか。
余計心配になる。
どこにいる。
思い当たる場所は。
「電話に出ないから探してくる。フライヤは俺の部屋にいてもいいし自分の部屋に戻ってもいいけど、もしトワカちゃんから連絡があったら俺に電話して」
「うん、わかった。すぐ連絡する」
俺は部屋から飛び出した。
スーパーも一応寄ってみたがやっぱりいない。
どこに。
兎羽歌ちゃんまでどれくらい。
どれぐらい距離があるんだ。
ヒーローまで。
ヒーローまで、
あとなんセンチあるっていうんだよ!
走った。
ペースも考えずに。
彼女とすれ違ったあの日みたいに。
がむしゃらに走ったが、
あの時と比べてずっと速く、
はるかに息も続いてる。
頭と比べて体には安定感があった。
超人みたいだと感じる。
お前は、
お前は無神経な超人か。
もっと感じろ。
俺があれだけ辛かったなら、
彼女はどれだけ感じてるか、
もっと感じとれ。
兆候を。
余韻を。
心のうぶ毛で、
感じられるようになれよっ!
神内川の河川敷にぽつんと一人の女の子が座ってる。
黄昏時の赤さと後ろ姿が重なってすごく寂しそうな景色に見えた。
今まで一緒に訓練もしたことがある場所なのに。
「トワカっ!」
肩がびくんと揺れたのが見えた。
「なんで電話でないんだよっ!」
あんなに走ったのに息切れせずに叫べるし歩ける。
自分の成長をこんな状況で感じるなんて。
「心配してたんだよ」
静かに彼女の隣に腰をおろした。
「直也……さん」
「話してくれよ」
「ごめんなさい。ちょっと落ち込んでて」
「ちょっとじゃないだろっ」
「うん……」
それからの俺はウォータンと話した内容を全部ぶちまけた。
きみよりずっと不幸だから気にするなと言わんばかりに。
言いたくても言えなかった全部。自分の破壊への渇望や彼女への攻撃性も。
「殺してくれてもよかったのに」
「いいわけない」
「私は怪物だもん」
「そんなことはない!」
言うしかない、
「きみはきみのままだよ。俺はきみがどんな子でもいい。気にしない。きみが俺にもそうだったじゃないか」
言うしかない、
「きみは俺のこと、好きなんじゃないのかっ! だったら気持ちを大事にしたらいいじゃないか。堂々としてほしい。俺も受け止めるから! 二人で頑張ればいいんだよ!」
恥ずかしげもなく言った。
彼女は少し黙ってたが、
「うん。直也さん、ありがとう」
返事をくれた。
これで前に戻れたんじゃないかと、バカみたいに思った。
俺の誕生日の数日前。
彼女がスーパーをやめたのを知った。