第三話『カットガール』・「可愛がってやるがいい」(挿絵あり)
カット〔cut〕
切断。一部分を削る。髪を切り整える(切り整えた形)。洋服の裁断。宝石やガラス器の削磨。ダイヤの鑑定指標。映画・TVでひと続きの場面(ショット)。印刷物の小さな挿絵。トランプで一山を二分して上下を入れ替える行為。
イラだちを隠せない。
「どこに。フライヤ、返事してくれ!」
薄暗いし気配も感じない。
「ナオヤ君。人間には様々な顔がある」
静かな声が耳に入る。
「この地に足を踏み入る前、彼女と約束した。北の国々で、彼女が生まれた時にも」
「なんなんだ約束約束って」
師匠が人差し指をベールの前に添えてシーっと息を吐いたから、
「生まれてくる。それが必要だった」
我慢して聞くしかない。
「フライヤ・ハスは美貌と恵まれた体、明るい性格で道のりを照らしてくれた。彼女は人の注目を浴び、人から見つけられる者となった」
「同時に彼女が目的の者を見つけやすくなった。気づいてるだろうが目的の者とはトワカ嬢だ。ようやく見つけた。あたしとの戦いもあの子のためにあった」
「フライヤは明かりでレーダーで探知機。想定外のキミも見つけた。それでも役割はまだあった。一ノ瀬だ。彼女と芸能と金の各々がヤツの気を引いた。キミにも繋がった。女の敵は本筋のトワカ嬢でも絶好の相手だったな」
「キミのせいで約束も少しずつ変わった。一番は彼女の死。トワカ嬢なら死ぬまでは至らなかったが、キミは弱かったから」
呼吸を続けろ。
「キミを引き上げるために死んでもらった。現場で鉢合わせたのもキミのせいじゃない。落ち込むなよ、彼女は生きてる」
「なんでフライヤは生き――」
師匠が人差し指をベールに当てた。
「最後まで聞きな。約束を果たさせろ」
俺が黙ったから話も続いた。
「こう考えればいい。フライヤは可憐な姫。一ノ瀬は邪悪なドラゴン。ドラゴンが姫をさらった。よって王は騎士に任務を与えた。姫を救い出せー。王はあたしでナオヤ君が騎士」
「彼女は役割を果たした。死体が合図。あたしがヤツに送ったシュラウドも。二つが揃ってプロメテウスも起動した」
「冴えない顔してるね。喜べよ、キミは前より強くなった。前向きな努力は報われてる」
けど俺は、
「救えなかったと考えてるな。アイドルの彼女は死んだが、お隣さんの彼女は生きてる。キミが救ったのよ。もうわかってるんだろ」
「プロメテウスがフライヤだと」
やっぱりか。
「そう。彼女の精神がプロメテウスの中核になる。あたしが仕組みを作った」
黄と青の目がいつものイタズラっぽい形になった。
「フライヤ・ハスはこのビッグ・セックが作った」
俺は大事な呼吸を忘れなかった。
してなかったら取り乱してる。
「彼女の体と人格と人生を産んだ。あたしにはできる。得意分野なんだ。力がある。言ったろ、トリックがあるとね」
もう無意識でフローの導入部に入れる気さえする。
「あたしの力は残念ながら制限されてる。事情があってね。今は事情を話す気もない。好まずともあたしが精密に産める者は一人分だけ」
「自分の道のりを行くために彼女から自由を奪った。人生を産んでも人生は与えてない。故に約束が活きる。役割を果たせば自由を与える約束」
「記憶は操作した。たまに心もね。当時の彼女は役割や約束を自覚してない。キミが彼女を責めるのはお門違いで、責めるやつじゃないのも知ってる。生い立ちを知れば余計に可哀想な子なのよ。察してるだろうが、彼女の生まれは人間とは異なる」
「そしてあたしのフライヤが偶像になった。人の世とはなんと皮肉。
あたしの産んだ偶像が現代の偶像とは!」
「さあ続く場面を見せよう。作られた者がどう作られるか。スターの生まれ。見守るべき生命の泉を。約束の一部で彼女の望みだ」
ふっと師匠の目が緩んだのが見えた。
「儀礼的なのは嫌い。さてとナオヤ君が見るのは二度目だな。
焼きつけろよあたしの魔法を。秘術で彼女が自由になる姿を」
「ビッグ・セックは自由を重んじる者。彼女に自由を約束した者。故に束縛からも解き放とう」
言い終えた師匠がベールを外した、
瞬間、
見覚えのあるナニカが現れた。
手首を切断した時、
フライヤが頭を撃たれた時も、
似た光景を垣間見て、
合致した。
――銀色だ。
彼女の全身が銀色の液体に。
脈動するナニカに、
変わり果てた。
銀を混ぜた水のような、
水の人形。
異様な光景もすぐ終わって、
水から人間が産まれてきた。
立ってたのは、
昼間の姿のフライヤだった。
「ナオヤわたしね――」
なんで服まで変わった。
細かい考えが駆け回る。
「服が。どうして」
「あ、服の説明すればいいね。ナオヤのスーツと仕組みは同じ。服にセックの細胞がかなり入ってるんだよ。彼女の意思で変わる。昔から時間をかけて変わる羽衣を作ったんだって」
それで――
マスクフェスで彼女が立ち去ったら違う服の彼女が現れた。
同じ能面で。
戦った時の彼女の格好も。
兎羽歌ちゃんがマネージャーを見て反応したのも。
性質を感じたのか。
そうだよ彼女と初対面の時も。
彼女が初めて俺の部屋に入った日。
直前に彼女は帰った。
さっき散弾銃を持ってたのも。
事務所にいたからか。
色々なことが納得いく。
思い返せば、
セックとフライヤを一緒に見かけたことなんて、
一度もない――
「わたしも今は力の一部を許されてる。服装も少し変えられるよ」
「プロメテウスになった時から」
「うん。ねえ、ナオヤは前のわたしのほうが好き?」
「ああ、それは、いや」
「よかったぁ。だけどね、肌の色ならこうやって――」
彼女が左手で右手の先から体をなでていく。
指に沿って肌が褐色に染まっていった。
「元のわたしに戻れるよ。けどアイドルはもういらないから。わたし失踪しちゃった。肌を変えたのは他の人にバレないように。ナオヤの前ならこの姿でいられる。ややこしくてごめんね」
驚くよりも冷静に別の疑問を感じていた。
俺の推測が正しいなら、
「眼帯を。外してほしい」
「そっか。うん、見せるね」
フライヤが黒い眼帯を外し、
右手で前髪をかき上げた。
思った通り、
黄色の瞳。
「セックやヘラクレスと同じ瞳」
「うん。わたしはセックだから」
薄暗い中で黄色の瞳が青い瞳と同じく輝いて綺麗だった。けど憂いも感じる。
「わたしがヘラクレスの秘密も教えてあげたいけど、知らないの。知ってるのはセックだけ。ごめんね」
悲しげな表情が明るくなって、
「わたし自由になった。これで普通の女の子になれた。ナオヤのおかげ。わたしを自由にしてくれたのはナオヤなんだよ。彼女が言ったまま、ナオヤはわたしの騎士」
少しだけ気が楽に。
「だからわたしは……ナオヤが好き。大好き。わたしはナオヤのために産まれてきて死んだんだ」
なにかが胸に刺さる。
「ナオヤとこれからも一緒にいたい。プロメテウスの時もナオヤをサポートできる」
「ナオヤ君。感動の再会はよかったかい」
一瞬で彼女に戻っていた。
「ナオヤ君、彼女はもう自由だ。自由に生きられる上でキミを選んだ」
彼女は彼女じゃないか。
彼女が彼女。
どう解釈したら。
「彼女はキミのものだ。存分に可愛がってやるがいい。それとな一ノ瀬との関係は気にしなくてよい。ヤツの相手をしてやったのはあたしだ。彼女に似た姿の別人だったと思いなよ」
彼女がまた銀の液体になって、
水から脱皮したみたいにフライヤが飛びついてきたから、
「トワちゃんにどう伝えるかはナオヤに任せる!」
首に腕を巻かれた勢いでダンスみたいに回りながら、
「わたしの命はナオヤにあげる。ずっと仲良くしてね」
彼女と同じ囁き声だと感じた。
『カットマン(英語ではchopper)』は卓球で強打されても粘り強く拾い続けてミスを待つ守備型(観客を魅了しやすい)。
野球ではボールを中継する内野手(主に遊撃手や二塁手)。
ボクシングだと選手の止血を行うセコンド(付き添い人)。