第七話『跳べ!トワカへ』・「アンタ。男だねぇ」(表紙絵あり)
人通りのない雑居ビルの合間にある通路。
両腕を広げて二本の刀を持つ革鎧を着た女。
非現実的すぎる。
それでも非現実は生々しく動く。
黄と青の目の女が、
紫のフェイスベールを揺らし、
兎羽歌ちゃんのほうへ――
いや、非現実なんて今さら。
狼人間が非現実的だった。
俺が目指すヒーローも。
狼に似せた黒いコスチュームを着るなんてまともじゃない。
麻痺してる。
だからこんな状況に足を踏み入れたんだ。
ああこれでいい。
麻痺してていい。
でないとついていけない。
今までの俺は、
世間から見ればクズかもしれない。
なにもないバカか。
じゃなくても無気力。
だが、
もうバカじゃない。
無力だけじゃないはずだ。
叫ぶことができる。
叩きつけてやる。
俺の力を叩きつける。
逃げださない。
非現実のあいつらについていく。
俺も非現実になって、
喰らいついてやるッ。
今度は止まらないぞ。
止められてたまるか。
内臓から変な音が出てもな。
知ったこっちゃない。
今この瞬間に命を賭ける。
俺の命を燃やすッ!
――痛みが和らぐ感覚がある。
覚悟したからか。感情が体内で沸騰してアドレナリンが出てるのか。
呼吸も整ってきた。
わずかな間、
マスク女は駆けていた。
刀をコンクリの地面に擦りつけながら。
切っ先で火花が散るのも見える。
頼む兎羽歌ちゃん。
ノーガード戦法はやめてくれ。
彼女が両腕を即座に戻す。
思いが届いたのか。
体をそらして刃を避け、後方に下がってくれた。
けどマスク女の攻撃も止まらない。
刀が速い、ナイフみたいな速さ。
左右から角度を変えた振り方。
兎羽歌ちゃんも刃をギリギリ避けてるように見える。
女はまるでカンフー映画の達人みたいな身のこなし。
日本の時代劇で見かける刀の扱い方と違う。
そうか。刀を重要だと思ってないんだ。だからできる。
けどあんなに軽く振り回せる異常な腕力――
くッ、二人が遠くに離れてく。
追わないと。
動け、動け足が。
内臓はもう痛くないんだ。
呼吸も戻ってる。
最後の一呼吸に力を込めて、足を踏み出した。
人目につかない路地裏。
よろよろしてても瞬時に悟る。ここなら誰にも気づかれない。
けど袋小路で逃げ場もない。
動き回れるだけの空間があるのは救いか。
狼人間が前傾姿勢になっていた。
四つんばいに近い格好。
獣めいて強烈な印象だった。
もしかしたら兎羽歌ちゃんは。
人目を考えてマスク女を誘導した。
かもしれない。
それとも。
俺から引き離そうと。
マスク女を。
危険だから?
けどダメだ。
俺が目指してる先。
それはあの女の向こうだ。
自問の直後だった。
女がヘラクレスに急接近して刀を浴びせかけた。
だが獣のように彼女が避けた。
よし、ビルの壁がいい具合だ。
壁を蹴って反撃ッ。
あっさりかわされた。なんでだ。
マスク女の卓越した回避。本当に当たらなければ意味がない。
加えて日本刀。刀で斬られたらヘラクレスもどうなるか。
なんとか活路は。
俺が手を出すには。
「トワカ・オオガミ。お前の攻撃はあたしには届かない。このビッグ・セックの足元には及ばないんだ。今この場には巨人と小さな獣、それほどの差がある」
女は両肩をそらせて二本の刀を広げて見せてる。
尊大なやつ。だが偉大なる英雄と自称するだけある。
にしても、兎羽歌ちゃんが変身した時には動揺もしてなかった。今も平然としてる。
やっぱりなにか知ってるのか。
知ってるなら捕まえて吐かせれば。いや。今はそんなの考えたらダメだ。
どうにか手を。
「あたしにはこの武器もある。日本刀。なかなかにいい。トワカ・オオガミ。これで斬られたらどうなる。見せてみなよ」
マスク女が踏み込んできた。
今までの動きと違う!
左右からじゃない、
上段から二本の刀を同時に振り下――
「トワカちゃんッ」
声と刀の金属音が重なった。
見た光景を不思議だと感じた。
ヘラクレスが両腕を掲げて刀を防いでる。
刀を腕で。
どうして。
フェイスベールの下から甲高い声がした。
「体毛を変えたか!」
女が後方に宙返りした。
変えた? 一旦離れた女も驚いてるのがわかった。
隙だ。
瞬時にヘラクレスが距離をつめて殴りかかっていく。
そうだいけッ。
今度は女が二刀を交差してガードした。
惜しい。
さっきと逆。
そうか。
「これもだトワカ嬢。拳の体毛の一部だけ、」
女が確信したみたいな声で、
「鋼に似せて変身させたな」
楽しげだ。
おかげで俺も理解できた。
「素晴らしい。トワカ・オオガミ素晴らしいよその適応力っ!」
女が軽やかに地面を蹴って距離ができた。
もう黙って見てられない。
後ろからでも、
「あたしは気に入った。このビッグ・セックが気に入ったぞ! お前と、そしてこの戦い。オリジンと与えられた環境をすくい上げてきたから今があるッ」
よく喋る。
そうかアイツ「前に出たら死ぬ」と言ってた。今俺は見てるだけで踏み込んでない。
だからこっちに見向きもしない。
それにあの前口上だから多分そうだ。
なんにせよダメ元で賭けるしかない。
仮面女の演説を無視した彼女が突進、
タイミングを合わせて俺も動いた。
この死角から巧妙に静かに、
けど迅速に。
背後から。
二人の拳と刀が混じり合う最中でも女の、ビッグ・セックの動きだけ見ると決めた。
背後から近づいてやる。
やつの右眼、黄色い残像がちらりとこちらへ向いた。
気づかれた。
けどやっぱりだ。眼が元の位置に。
即駆けだした。
ここしかない。
俺の攻撃は通じるだろうか。
ヒーローとしていい手とは言えない。
だが彼女を助けるためにはやるしかない。
死角から一撃を見舞う。
強烈なやつを一発、一発でいい。
右手を開きながら心で命令した。
閉じるんじゃない、
開け――
けど俺は察知した。
ビッグ・セックの右手の刀が、上段からヘラクレスの胴体を斬ろうとする、モーション。
近づく俺に兎羽歌ちゃんが気をとられたのか。右側の青色の瞳がこっちを見たのがわかったから。
ならどうする。
このままビッグ・セックの頭部を狙うべきか、
それとも刀を狙うべきか。
すぐに答えは出た。
そっちのほうがヒーローだから。
ヒーローなら、
こうする!
「ウオオオオォ!」
らしくない雄叫びをあげて右腕を動かす。
アンダースローの投手のように、
刀の軌道は捉えてる。
下から、
アッパーカットの要領で。
失敗したら、
二度と指は開けないかも。
裁縫やハンドメイドも、
できなくなる。
いい、
これしかない。
それに、
手遅れだ。
思考より、
体が速い。
思いきり、
いけ!
叩きつけるッ。
右の手のひらが刃に接触する。
ヘラクレスにはできない。
狼に爪はないから。
だが俺は違う。
俺には、
狼の爪がある!
キィーン、
音がして、
右手のひらに仕込んだ鉄板と刃が接触した。
接触した右手にわずかな衝撃を感じ、
次には頭より高い位置に手があった。
ビッグ・セックが振り下ろした右手の刀は半分の長さになっていた。
半分は折れて飛んでいったなざまあみろだ。
「ナオヤ・タナカ前に出たら、」
左手の刀と半身を引いたのが見え、
「死ぬって言ったろ」
突いてくる、
胸に向けて。
死ぬ、
死ななかった。
目の前に割って入ったのは、
黒と灰の太い左腕。
彼女が素早くかばってくれた。
代わりに腕が貫かれ――
叩き折らなくては。
頭の中が発火した。
反射的に屈んで、
腕を潜り、
全身で立ち上がりながら、
右腕を内側から外へ、
全力でッ!
息を吐き出し、
脳内が爆発する感覚。
キィン。
また高い音がして、
女が折れた刀を握ってる。
「これだからニッポンの安物はッ」
ビッグ・セックが声を発したと同時、
ヘラクレスの右拳がやつの頭部を捉えた。
セックがとっさに左腕で防いで、
腕がぐにゃりと湾曲するのも見えた。
派手に吹っ飛ぶ。
吹っ飛んだセックに向けて、
俺は走った。
この勢いを使って、
蹴りこむ!
パァン――
バカっぽい破裂音がした。
女が右手のなにかをこっちに向けてる。
あれは、
ドラマや映画で散々見慣れた、
武器だ。
先端から少しだけ煙が見える、
拳銃か。
こいつさっき、
腰から。
だから反射的に足も鈍った。
頭では横へ避けようとしたが、
無理だった。
弾が当たったのは腹、
いや胸か。
体の感覚が弱い。
これだと俺は、
――死ぬ。
こんなのって。
前のめりに倒れたのは感じた。
直後に、
女が感心するみたいに、
話しかけてきたのも。
「あたしにこれを使わせるとは。アンタ――」
声の記憶を最後に、
「アンタ。男だねぇ」
意識が途切れた。
『ノーガード戦法』は自らを無防備にして相手の攻撃を誘い、油断した相手に強烈な反撃を狙う戦法を指します。