第六話『激突、ヒーロースーツ戦』・「前に出ると死ぬよ」(ロゴあり)
時間を止められたと感じた。
時間を動かしたのも額が全開で口は隠した女だった。
「前口上はこれでいいか。あたし本当は嫌いなんだよ、儀礼的なのは」
なに言ってる。
「けどあたしのやる気、湧いてきたぜ。どうよ」
瞬間的に観察した。
セックと名乗るマントの女、
髪はミディアムで日本人より白い額。眼は黄と青のオッドアイ。紫のフェイスベール。革鎧。中世みたいな服とスリムなズボンに均整のとれた手足。手袋、肘と膝の防具、靴、どれも革か。
俺が観察してる間も一人でぺらぺら喋ってる。
「なにせこのビッグ・セックが待ちに待った雌伏の時ッ。あッその前に。準備運動しなきゃ」
軽い口調でもデコ女の色違いの両眼は鋭い。
あの眼は堅気の感じがしない。ヤクザ、いや外国人ならマフィアかギャング。
紫のベールの下でニヤついてる表情の印象もはがれない。
女がぴょんぴょんと垂直にジャンプしだした。マントがバサバサと揺れてる。
俺は兎羽歌ちゃんを見た。
(知り合い?)
視線と表情、心の声で聞いたつもり。マスク越しだと伝わらないかもしれないが。
(知らない……)
伝わった!
スカルフェイスから覗く驚きの目と、横に振った顔が語りかけてくる。
マスク同士でも意思疎通できるのは新たな発見だ。
感動しながら女へ向き直って、今度は俺が言葉を投げてみた。
「あんたマスクフェスにいた客の人か」
「さあね。このセックは、ナオヤ・タナカ、アンタと話すことは特にない」
なんで俺の名前。
マスク女は喋りながら首と手首を回してる。ふざけてんのか。
日本語は達者な様子で逆に言葉足らずなフライヤを思い出す。
彼女以外で会場にいた客。
挨拶したマネージャーが浮かぶ。髪型や体格は似てる。
けど顔は能面の下だった。くそッ。
なら声は。この女と似てるな。
けど着替えがあんな短時間ですむもんなのか。
「俺たちと同じコスプレ、ファンタジーの冒険者みたいなその格好。余興かイベントですか」
本音ではコスプレのつもりはない。
「あくびが出るね、くだらない。あたしは好きに生きてきた。これからも自由に生きる」
それでケンカでもしようって。
「あたしに話しかける男よ。大した戦力にはならないだろうが、無駄口を叩くよりトワカ・オオガミと作戦でも練ったら」
彼女の名前まで。
「本気かよ勝負って」
何者かわからないが普通に考えて危ないやつ。どうする、逃げるか。
「このビッグ・セックを前にしてどうなるか。その子は鍵を忍ばせてる。錠前をどうする」
なんだよ錠前って。比喩なのか。
マスク女が地面につけた足首を回して準備を終えたふうになった。
女の両眼はさっきより輝きが鋭利になってる。あの眼。偶然じゃないのか。
さっきのマネージャーからも今も例の変な匂いはしない。
過去の記憶に繋がりそうで、
「鍵を待つのもあと一分」
線が切られる。
狙われてるのは俺じゃない、彼女だ。
彼女は強い。自分でなんとかできる。
だからほっとけばいい。俺はこのまま帰れる。
いや違う。
夢を売るにはまだ安い。
なにを目指してる。
俺がなりたいものはここでは逃げない。それはわかる。
思い出せ。
どうすればいいか導きだせる。
「トワカちゃんはそこにいてくれッ」
「一分がたった」
こいつが言ったな。
俺は男だ!
それだけで理由になる。
一歩前に踏み出すッ。
女のマントがひるがえって残像のようなものが見えた。
「アンタ、前に出たら死ぬよ」
耳の近くで囁き声が聞こえた。
一歩どころか三歩は踏み出して女との距離もまだあったのに。
全開の額と色違いの両眼、紫のベールがすぐ近く、
ドグンッ。
音がした。
女の拳。
腹部にめり込んで鉄板の歪みを感じる。
ヘラクレスのパンチに近い強烈な衝撃。もっと的確、速い。
体で女の異常さを感じた。
だが軽い気もした。腹筋と鉄板のおかげか。威力が違うのか。
でも意識が、
「直也さんッ」
兎羽歌ちゃんの悲鳴じみた声で踏み留まる。
「くッ、そッ」
俺はサンドバッグじゃないぞッ――
腹を押さえて苦しさも抑えようともがく。
マスクの中で呼気がこもった。
「アンタ、少し呼吸が違うな」
なんだくそッ、
「だからか、その鼻の良さ。狼の真似ができる利口な猿だね」
激痛で頭も回らない、意味もわからないってのに。要領を得たみたいな喋り方、しやがって、
でも頭の中であの言葉が鳴った。
「まあアンタは別にいい。あたしらの舞台はとっくに崩落してるんだ。あたしは延長された時間を味わい尽くす」
フフンと鼻息をたてた女は彼女へ向き直ってた。
「トワカ・オオガミ。お前はなにを欲する。今のまま進めるのか。見えない自分は信頼に相応しいか」
「よくも直也さんを」
「決断を迫られる。否が応でもね。この瞬間にも」
「あんたなんて」
「だったら見せてみなよ。半端な心でどこまでやれるか。己で選択してみせな!」
女が高笑いしてる。
兎羽歌ちゃんの雰囲気も変わった。
「絶対に、許さないッ」
オーラのような、まるで大気も震えてる。
震えてるのは俺かもしれない。
震えと一緒に頭の中の言葉が連なる。溢れてくる。
ドクロの奥にある彼女の両眼も怒りの色で変わっていったから。
彼女がフェイスガードを外して、ハッキリ見える。
左側の眼が徐々に黄色へ、右側の眼も青へ染まり――
彼女の存在感が感情と一緒に点滅するみたいに。
遂に見られる。
考えて作ったんだ。
赤ずきんとウサギが、
一緒に、
喰い、
破られる!
痛みに勝つために、俺は言葉を解き放った。
「くそォ! これでゲインだッ!」
同時に彼女も叫んでいた。
「私は、変、身、するッ!」
彼女の体が形を変える。
縮小から拡大みたいに。
みるみる大きく。
黒と灰の体毛がフードとスーツを喰い破る。
マントも外されて現れるのは。
牙のある、力を体現した姿。
三度目なのに度肝をぬかれた。
気迫のせいなのか。
色違いの両眼を光らせる狼人間。
最高にカッコいいな。
そうか、だから憧れたのかも。それで悔しかったのかもしれない。
気づいた。腹部に激痛はあるが、息は戻ってる。
もう少し、
「待ッ、てろッ」
俺のうめき声が聞こえてか合図みたいにヘラクレスが動いた。
弾丸みたいに速い。
飛び込んでいって剛腕のパンチをマスク女に見舞う。
異常に速い、
なのに当たらなかった。
左右の腕を繰り出し続けてる、
やはり当たらない。
相手はマントと一緒に舞いながらすんでの動作でかわしてる。
尋常な女じゃない化け物。
華麗に避けた化け物が叫んでいた。
「当たらなければ無意味ッ」
それでも兎羽歌ちゃんは無言でパンチを撃ち続けてる。
「遅い、関節がガラ空きよ」
マスク女の動きが変わった気がして、
突きと蹴り、
瞬時に放ったのがなんとか見えた。
強烈な殴打の音が四発。
くそッ化け物だ。
ヘラクレスの動きも止まった。だらんと両手を垂らして。
まさか両腕が。
「トワカ・オオガミ賢いね。そうやって油断を誘うのか」
兎羽歌ちゃんは喋らない。
「あたしが近づいたら仕留めようって魂胆かい」
紫のフェイスベールを揺らす女が、
「いいよ。そっちも賭けるんだ」
マントを外して放り投げた。
宙を舞うマント。
その時に女が背中からなにかを両手で取り出したように見えた。
違う。背中から引き抜いたのか。
マントが地面に落ちた今はハッキリわかった。
フェイスベールの女が両手それぞれに、鈍い光を放つ刀を握ってるのを。




