第三話『突入!心身検証』・「触っていい?」(挿絵あり)
人から狼が産まれてきた。
そう感じる少し前。
後ろを見た。一瞬だけ。
女の子が服を脱いでるんだからルール違反なのはわかってる。
見てみたかった。背中ならいいだろうとも思った。
やっぱり、
綺麗なうなじだな。
髪の生え際と首筋。続く白い背中。
お尻は見ちゃいけない。見てないぞ。
肌がすべすべで柔らかそう。十九歳は若い。
若い肌がどんな感触か触れてみたい。
手を動かせば届く。
背中にこの指を。
実行してもしなくても結局同じだった。
うなじや白い肌からすぐ、黒い体毛が生えてきたんだから――
人から狼が産まれてきたら、きっとこんな感じだろう。
身長は二メートル近く。二足の大きな獣がいる。
顔には爛々と光る黄と青の両眼。
直に姿を見るのは二回目だけどまだ慣れない。
今回の兎羽歌ちゃんは服を全部脱いでる。恐ろしい姿のなにもかもがそのまま。
全身が灰色混じりの黒い体毛で覆われてる。今回も連想するのは狼だった。
「体、触っていい?」
狼の顔をしてても驚いたような彼女の表情があった。当然覚悟はしてるはず。
『うん、いい』
響く低い声と一緒にコクリとうなずかれる。
了承されたから触った。おそるおそる。
黒く艶のある体毛。柔らかでさらさらしてる。
生まれたての毛の感じ、これを毛並みがいいって言うのか。
同時に不思議な触感だった。柔らかいのにワイヤーのような。
もっと深く直に触れていった。次々と。
厚い胸板。
太い二の腕。
丸太みたいな脚。
女子に言ったら失礼な数々。
だけどありのままだ。女の子なのに。
どれも筋肉の塊で、軽く触ると鋼みたいだ。逆にゆっくり押すと柔軟。
『くす、ぐったい』
「ああっごめん」
実に奇妙な筋肉と感触。
「人間とは筋肉の性質が違うのかな」
『多分。あの、』
彼女の周りをぐるっと回ってまた背中を眺めた。
黒い毛並みの尻尾がある。狼なら当然か。
『あの、やっぱりボク、はずか、』
「ヘラクレスの時は服や手袋で肌を出してなかった。体毛を隠すためだよね。尻尾も」
『うん。腰に』
「腰って」
尻尾が蛇みたいに彼女の腰に巻きつく。
「うっわビックリした。尻尾が長くなった」
『大きさ、変えられる、から』
腰から離れた尻尾が半分以下のサイズになった。フリフリとしててなんだか可愛く思えてくる。
妙な気分になったが同時に疑問もわいた。
「大きさを変えられるのは尻尾だけ?」
狼人間の兎羽歌ちゃんが首を横に振る。
息を呑んだ。
予想通りと言うべきか。
彼女の体がさらに変わり、
『これぐらい、なら。大きく、なれる』
推定三メートル。天井に届いた首と背を丸めてる。
身長だけじゃない。腕も脚も全身の筋肉が倍以上は増してる。
「凄いな」
『この姿、力がある。けど、動きが』
「それってつまりはマイティモードじゃないかっ」
『マイティ、モードって』
二メートルに戻った彼女に説明した。
大昔ヒーロー物で見たのだと。
そのヒーローには別の姿があった。
スピードを犠牲にするがパワーは増すフォームだった。
話すと懐かしくて楽しくなってる自分に気づいた。
ハッキリはした。
伝承やフィクションで語られる人狼とは違う点が多々ある。既存の法則や条件はもう当てにできない。
「まだ確認したい。物語の狼人間が相手を傷つけると性質が伝染する。それって……トワカちゃんも」
『わからない。人を噛んだ、ことないから』
長くなった口の中にはイヌ科特有の白い牙が並んでる。特に大きな犬歯が目立つ。
よくよく考えると不思議だ。この口でどうして言葉を話せるのか。
『けど、大丈夫、だと思う。なんとなく。病気みたいに、移らない』
「そっか」
『それに映画、のオオカミ男。爪、鋭い。けどボクは、鋭くない』
差し出された黒く大きな手を見てハッとした。
そうだよ、覚えがある。
狼男は揃って鋭い爪があった。その爪で相手を傷つける。
この子には狼男の爪がない。
それでなんだヘラクレスのパンチは!
「そうだよ狼はイヌ科だよ! 犬には鋭い爪は生えてない。四足で歩いてたら自然に削れるから」
『爪が出るの、ネコだね』
ふと疑問が口から、
「ならどうして狼男の手には爪が。そっか、二足だから。二足歩行なら手の爪は削れない」
『でもボクも、二足』
「ああ……」
わけがわからなくなった。
少なくとも彼女はよく知られる狼人間とは違う。よって伝染の可能性も少ないはずだからひとまずは安心かな。
でイヌ科といえば。
彼女の伸びた耳を見たあと、鼻を見た。
「嗅覚の件だけど今はどうかな」
『うん。やっぱり、まだよく、わからない」
「そうか。感じるのは感情や場所と」
『悪い感じ。悪い感じ、もわかる。直也さん、にはない。嫌な匂い、だよ』
それって。
悪を感じとれるのか。
どうしてか理由はわからない。
なんにしたって凄い嗅覚だし悪人を嗅ぎ分けられるなんて。
まるでヒーローに必要な素質そのものじゃないか!
俺が悪人じゃなくてよかった。
「トワカちゃんって思ってたよりも凄い」
『そうかな。嫌だから、嗅ぎたく、ないけど』
「ああ! ヒーローみたいだよっ」
彼女が照れてる気がした。顔が狼なんだからわかるはずないのに。
「じゃ次はこないだの話の続き。トワカちゃんの変な匂いの話。今は感じな……い、これは。けど変な匂いとは違うか。ごめん、変な匂いって何回も」
『大丈夫、平気』
「俺は鼻がそんなによかったわけじゃないんだ。前は普通だった。トワカちゃんと似てるな。ごめんよ」
『ボクは、普通、はないから。トワカの時も、多分普通、じゃない。それでだ、多分ね。直也さん、ボクは気に、してない』
「わかった。それにしても気になるな」
『なにが』
「トワカちゃんは変身すると口調が変わるよね。タメ口になるしわざとかな」
兎羽歌ちゃんは普段自分を「私」と呼んでる。この姿では『ボク』だ。
なんでだ。タメ口もそう。
俺にも彼女の細かさが移ったのか。
『わざと、じゃない。この姿に、なるとこう。言葉が、うまく……。丁寧に、話したく、ても口に、こうでる。それに“ボク”と、いってしまう。少しはず、かしい。ゴメンよ』
「構わないよ」
変身は心に影響があるのか。
心か。気になる点がもう一つ。
けど情報が多いし今度改めてだな。
疑問を振り払って改めて彼女の全身を眺める。
最後に目を見た。ギロリとした目つき。
だが黄と青の瞳は綺麗だと感じる。
「トワカちゃんとりあえず戻って」
『わかった』
「あちょっと待った。そのまま戻るとあれだから、えーっと」
部屋を漁って彼女の専用スーツを持ってきた。あの時に渡したけど手を加えたいからと一旦預かった。
「はいこれ。着てみてよ。俺はまた後ろを向いとくから」
『ありがと、直也さん』
背後からまたフシューという不思議な音がして、ガサガサとスーツを着る音も聞こえてきた。
今度はちらっとでも振り返っちゃダメだ。