わたしのくまちゃん
このお話は、
「地に響く天の歌〜この星に歌う喜びを〜」
https://ncode.syosetu.com/n4764fa/
のブクマ数が100となったのを記念して書いたものです。
なかなか時間が取れず、プロットを作ったままだったものを形にしました。
時系列的には上記本編の、第4部アルモニア合唱団【第16章 十人十色 】と【第17章 合唱団の噂】の間のお話になります。
本編はすでに完結しておりますが、応援してくださった皆様への感謝を込めて書きました。どうぞお楽しみください。
夏の終わりを感じさせる涼やかな風に乗り、学生たちの賑やかな声がアルモニアの町に響く。八年生となる始業式を翌週に控えたこの日、ニースとセラは音楽院のある山を下り、町へ遊びに来ていた。
瞳をキラキラと輝かせて歩くセラの足取りは、ニースと手を繋いでいなければ、スキップしそうなほど軽やかだ。喜びを滲ませるセラに、ニースは、ふわりと笑みを浮かべた。
「本当に好きなんだね、セラ」
「うん! だって可愛いもん。くまムジカ」
セラは、肩掛け鞄に付けている小さなクマのキーホルダーをそっと掴み、ニースに見せて嬉しげに笑う。
それはデフォルメされたクマが様々な楽器を持つ「くまムジカ」というキャラクター人形だ。人形はカルマート国内で作られているものの、一部に輸入素材を使っているため、それなりに値が張る。しかし、その可愛らしい形と手触りの良さから、音楽院の女子学生たちにも人気があった。
「このリコーダー、こんなに小さいのに本物みたいでしょ? こんな感じの楽器が、色んな種類であるんだよ。それにこの子たちはね、ひとつひとつ顔が違うの。表情も目の色も、ちゃんと個性があるんだよ」
セラの「くまムジカ」は、リコーダーを吹いているものだ。意気込んで語るセラからは、小さなクマの人形への並々ならぬ愛情が感じられる。ニースはそれを微笑ましく感じた。
「セラのその子は、すごく可愛いよね」
「そうだよね! この子でも充分なんだけど、手触りもすごくいいから、もっと大きいのが欲しいなって思って。でも、人気すぎてなかなか手に入らないし、パトリック商会でも扱ってないっていうから」
「パトリックさんがその職人さんと喧嘩しちゃったんだよね、確か」
「そうなの! だから、アルモニアに直営店が出来るのをみんな待ってたんだよ!」
ニースとセラが町へ出てきたのは、新しく出店された「くまムジカ」直営店を訪れるためだった。道を行く二人の周囲には、同じ目的だろう女子学生たちの姿がちらほらと目に入る。
楽しげに笑い合う女性たちを視界の端に捉えて、ニースは、ふと首を傾げた。
「僕はセラと一緒に来れて良かったけど、セラは本当に良かったの?」
「何が?」
「レイチェルとかミランダとか、寮のみんなと一緒に来なくて良かったのかなって思って」
不思議そうに問いかけたニースに、セラは苦笑いを浮かべた。
「それがね、レイチェルは興味ないんだって。子どもっぽいって言われたの」
「え、そうなの?」
「うん。だからミランダちゃんまで、自分も興味ないって言ってね。誘ったけど断られたの。本当は好きなのに」
「そうなんだ……。カトレアさんは?」
「カトレア先輩は、お金が貯まったら買いに行くって。今は先にバイトだって、張り切ってたよ」
「そっか。カトレアさんなら、サックスを持ってるのを選ぶのかな?」
「たぶん、そうなんじゃないかな? 色んな楽器のくまムジカがあるから」
「セラはどんな楽器にするの? またリコーダー?」
「まだ決めてないの。歌ってるくまムジカもあるらしいから、それも気になるんだけど……一番は、やっぱり顔で選びたいし」
木漏れ日の落ちる道は、お喋りを楽しみながら歩けばあっという間に過ぎていく。あれこれと話しながら歩く二人の前に、やがて目当ての店が見えてきた。
店舗が立ち並ぶ区画には珍しい、小さな庭付きの館風の店が、くまムジカ人形の直営店だ。遠目に店を見て、目を細めたニースは、店舗の前に佇む人影に目を見開いた。
「あ、あった。あそこだね……って、あれ?」
「あ……レイチェル」
店の前で日除けの帽子を脱ぎ、まさに今、中へ入ろうとしていたのは、レイチェルとユリウスだった。唖然としたセラの声に、はっとした様子でレイチェルが振り向いた。
「セ、セラ! これは違いますのよ。わたくしは、そう。ユリウスのために来ましたの! 敵情視察ですわ!」
「……レイチェル。私、まだ何も聞いてないよ?」
「あら? そうだったかしら?」
珍しく慌てた様子のレイチェルに、セラは、じっとりとした眼差しを向ける。傍らにいるユリウスが、苦笑して声を挟んだ。
「本当だよ。ここにはオレが誘ったんだ。まさかニースたちも、今日来るとは思わなかったけど」
レイチェルを庇うように言ったユリウスに、ニースは、なるほどと頷いた。レイチェルは、キリリと表情を引き締めて言葉を継いだ。
「そ、そうですわ! セラ。あなた今日、用事があるって言ってたではありませんの。なぜここにいますの⁉︎」
「その用事がここだったんだよ。レイチェルは、くまムジカには興味ないって言ってたから誘わなかったの」
「そうでしたの……」
レイチェルは気まずげに視線を逸らすと、コホンと咳払いした。
「いつまでもここにいては、お店にも迷惑でしょう。さっさとお入りになったら?」
「私たちが先でいいの?」
「もちろんですわ。わたくしは別に、買い物に来たわけではありませんもの」
「そう。じゃあ、先に行くね」
ツンと顔を背けて話すレイチェルに、セラは呆れたような目をしながらも頷いた。ユリウスに視線で促され、ニースは店の扉を開けて、セラを中へ通す。
そうしてセラが一歩店へと踏み込んだ瞬間、パンと音がして紙吹雪が舞った。
「いらっしゃいませ! 記念すべき、開店百人目のお客様です!」
「え? え⁉︎」
「さあさあ、どうぞこちらへ!」
割れたくす玉の下、わっと出てきた店員に引っ張られるようにして、セラは店内中央へ連れ出される。レイチェルとユリウスが唖然として見守る中、ニースは慌ててセラを追った。
壁沿いに様々なくまムジカが並ぶ店の中央には演壇が置かれており、セラは訳の分からぬまま、その上に立たされた。店内にいた客たちが、何事かとセラを見つめる。
皆の視線が集まる中、ぽかんとするセラに、立派な髭をたくわえた大柄な男性が恭しく頭を下げた。
「ようこそお越し下さいました! 私、店長をしておりますベアトイルと申します! お客様のお名前は?」
店長と名乗る、まるで熊のように大きな男は、瞳をキラキラと輝かせてセラに笑いかけた。ニースがはらはらと見守る前で、セラは気圧された様子ながらも、こくりと頷いた。
「あ、どうも……セラです」
「セラ様ですか! 可憐なお名前ですね!」
「あ、ありがとうございます?」
「セラ様は、当店でお迎えした百人目のお客様となります! 開店初日にして、これほど多くのお客様にお越し頂き、私、感激しきりでございます!」
「それはえっと……おめでとうございます」
「アルモニアでの出店成功を祝いまして、セラ様には記念品をお贈りいたします。どうぞ今後とも、当店をご贔屓に!」
「えっ⁉︎ 記念品?」
「はい。こちら、今回のために特別ご用意致しましたオルゴールのくまムジカとなります!」
驚くセラの前で、横から店員が大きめの箱を差し出す。店長はその箱から、そっと中身を取り出した。
「うわあ、可愛い……!」
箱から出てきたのは、木製の台座の上で踊るように向き合う男女のクマだった。店長が台座の横にあるゼンマイを回すと、軽やかなワルツを奏でながら、一組のクマはくるくると回り始めた。
「アルモニアといえば音楽院! くまムジカにはピッタリですが、忘れてはならないのが舞踏学科でございます! そこでアルモニア店限定商品としまして、舞踏会をモチーフにしたこちらの〝舞くま〟を制作致しました! こちらは百名様ご来店記念の特別製で、ドレスが通常のものと異なっております! どうぞお受け取りください!」
「私が? 本当にいいんですか?」
「ええ! 百名様記念でございますから!」
「あ、ありがとうございます!」
差し出されたオルゴールのクマを、セラは満面の笑みで受け取った。大きな拍手が鳴り響くのと同時に、店内の客たちが近場の店員に〝舞くま〟を買いたいと口々に問い合わせる。
店長と嬉しげに握手を交わし、オルゴールの箱を抱えて降壇したセラに、ニースは微笑んで歩み寄った。
「セラ、良かったね」
「うん! あ、でも……」
セラは、ちらりとレイチェルに目を向けた。レイチェルは、入り口の扉の前で呆然と佇んでおり、ユリウスが気遣わしげにレイチェルに寄り添っていた。
「本当はこれ、レイチェルがもらうはずだったんだよね。本当にいいのかな?」
セラの視線と呟きに、レイチェルが、はっとした様子で顔を歪めた。
「わたくしはいりませんわ、そのようなもの! 気にせずお受け取りになればよろしいのよ!」
「レイチェル……」
レイチェルの声音も表情も、どこからどう見ても悔しげだ。セラはどうしたものかと、視線を彷徨わせた。
するとそこへ、カラリとドアベルの音を立てて、店の扉が開かれた。
「あら。メグさん、レイチェルがいるわよ」
「ああ、本当ですね」
「ビアンカ先生。マーガレット先生も?」
店へ入ってきたのは、ビアンカとメグだった。振り向いたレイチェルに、メグは鞄からハンカチを取り出した。
「ちょうど良かったわ。はい、これ。落とし物だって預かったから、洗濯してたのよ」
「まあ……わたくしのハンカチ?」
「寮に届ける手間が省けて助かったわ」
レイチェルは不思議そうにハンカチを受け取り、はっとして胸元に抱え込んだ。ちらりと見えたハンカチの刺繍に、ニースは目を見開いた。
「レイチェル。それ、くまムジカだよね?」
「……っ!」
「やっぱり好きなんじゃないの? 記念品、本当にいいの?」
ニースが優しく問いかけても、レイチェルは苦しげに俯いたままだ。様子がおかしいのを見てとり、メグは首を傾げた。
「何かあったの?」
「レイチェル、くまムジカが好きだってこと隠してたみたいなんだ」
「それは……悪いことをしたわね」
何とも言えない気まずさの中、セラは意を決したように一歩踏み出した。
「レイチェル。やっぱりこれ、あげるよ」
「……いりませんわ」
「無理しなくていいよ」
「無理なんかじゃありませんわ!」
箱を差し出すセラを、レイチェルは強く睨み付ける。そこへユリウスが、穏やかに声を挟んだ。
「セラ。レイもこう言ってるんだし、気にせずに受け取りなよ」
「でも」
「レイには、オレから贈るから。ドレスも特注にしてさ」
「ユリウス! わたくしはいらないと言っておりますでしょう!」
「分かってるよ。オレが贈りたいだけ。嫌かもしれないけど、受け取ってくれない?」
「なんでそう、あなたは……」
宥めるようなユリウスの声を聞いて、レイチェルの顔が涙を堪えるように歪む。
気まずい空気の中、ビアンカが、ああと明るい声を上げた。
「なるほどね。記念品をどっちが受け取るかで揉めてたわけね」
「揉めてませんわよ!」
間髪入れずに声を上げたレイチェルに、ビアンカは愉快げに笑った。
「ふふ。そうね。揉める必要なんてないもの」
「そ、そうですわよ。わたくしには必要ありませんもの」
「素直じゃないわね。まあそれも、あなたらしいけれど」
レイチェルは悔しげに肩を震わせ、ユリウスが労るようにレイチェルを支えた。なぜわざわざレイチェルを挑発するのかと、ニースとセラは困惑して顔を見合わせ、メグは何とも言えない表情で小さくため息を漏らした。
ビアンカはゆったりとした足取りでカウンターに向かい、オルゴールを注文しようとする客の対応に追われる店長に声をかけた。
「ベアトイルさん、こんにちは。開店おめでとうございます」
「ビアンカ先生、この度はどうも! まさか来ていただけるとは!」
「部下がピアノくまのファンだから、無理やり連れて来られたのよ。それでお約束頂いたものだけれど、私じゃなくてあの子に渡してもらえるかしら?」
「ええ、構いませんよ」
店長は、にっこりと笑い、大きめの箱を手にレイチェルに歩み寄った。ユリウスに肩を支えられていたレイチェルは、ぬっと現れた大きな影にゆっくりと顔を上げた。
「お嬢さん、どうぞこれを」
「何ですの?」
「ビアンカ先生へのお礼の品でしたが、お嬢さんに渡すようにとのことでしたから。受け取って頂けますか」
「ビアンカ先生の?」
首を傾げながらもレイチェルは小さく頷き、ユリウスが代わりに箱を受け取る。蓋を開けたレイチェルは、中に入っていた品に息を飲んだ。
「これは……!」
「そちらのセラ様にお渡ししたのと同じものです。ビアンカ先生には、〝舞くま〟のポーズを決める際にご協力頂いておりましてね。それのお礼なんですよ」
レイチェルは唖然としながら、ビアンカに目を向けた。ビアンカは、ふっと笑った。
「私はいらないから、あなたにあげるわ」
「わたくしだって、別に欲しいとは」
「ああ、困ったわ。私は本当に興味ないから、あなたがもらってくれないなら、誰も受け取り手がいなくなるのに」
わざとらしく言ったビアンカに、レイチェルは不機嫌そうに眉根を寄せた。セラがキラキラと瞳を輝かせて、店長に語りかけた。
「店長さん。私のと同じって、ドレスもですか?」
「ええ。世界で二点だけの特別製ですね」
店長の返事を聞いて、セラは微笑みをレイチェルに向けた。
「それならレイチェルと私でお揃いになるね!」
「お揃い?」
「うん! レイチェルとお揃いを持てるなら、私は嬉しいな。レイチェルは、嫌?」
「嫌というわけでは……」
「それなら、もらったらいいよ! どうしてもいらないなら、ミランダちゃんにあげてもいいんだし。私は残念だけど」
「……仕方ないですわね」
レイチェルは申し訳なさそうに眉を下げて、ビアンカに目を向けた。
「ビアンカ先生。……ありがとうございます」
「お礼なんていらないわよ。不用品を押し付けただけだもの。ここに来たのも、メグさんの付き添いだしね。……さて、メグさん。あなたの好きなピアノくま、探しに行きましょうか」
「はい、ビアンカ先生」
メグとビアンカは、またねと手を振って去って行く。レイチェルは気恥ずかしそうにしながら、丁寧に箱の蓋を閉め、口を開いた。
「セラ……子どもっぽいなんて馬鹿にして、悪かったわ」
「ううん、気にしないで。レイチェルも好きになってくれたなら、嬉しいから」
「帰ったら、ミランダにも謝らなければなりませんわね」
「お詫びにそれをあげちゃう?」
「あげませんわ。……あなたとのお揃いですもの」
小さく膨れたレイチェルに、箱を抱えたユリウスが、ほっとした様子で笑みを浮かべる。ニースとセラは顔を見合わせ、くすりと笑みを溢した。