廃屋の怪
話がややこしくなってきます。伏線を設置中。
屋内は薄暗かった。歩く度に不快な音を立てる床。張り巡らされた蜘蛛の巣。蛍光灯は残らず割れており、元より電気も通ってない。紛れもない廃屋だった。
「人が住んでる家の傷み方じゃないな、これは」
チョークやスプレーの落書きの類も散見される。肝試しを行った連中も少なからずいるようだった。
一軒家としては標準の大きさだろうが、ソファやテレビなどは取り去られており、閑散としていた。
なぜか、洋間にブルーシートが転がっていた。
「ここでじっとしてるんだ」
優雅の掌にゆっくりと字を書く。2度目の途中で優雅は内容を理解し、緊張した面持ちでうなずいた。
洋間の隅に座らせ、ブルーシートをすっぽりかぶせて偽装する。
「下手に逃げ回るより、こっちの方が安全だろう、たぶん。でも、迎え撃つのは別の場所じゃないとな」
七瀬自身は、別の部屋へと移動する。そばにいて守ってやろうかとも考えたが、路上で殺人をしていた樋口は、いたぶるのを喜んでいるようだった。
ならば、無力な優雅を優先して狙う可能性がある。別れて自分が引き付け役になった方が彼女の安全に繋がると考えた。
「こっちは……和室か。おや?」
和室はカセットコンロや食料品の残骸、壊れた携帯電話等が散乱していた。ただ、どれも随分とホコリをかぶっている。大方、ホームレス辺りが一時的に根城にしていたのだろう。
これは元の家主の忘れものか、汚れた人形や写真立てなどもあった。七瀬は人形を拾い上げる。くすんだ灰色の髪は元が白か銀髪か区別がつかない。北欧系の女の子の人形だった。
写真立ての中身は、さらに薄汚れていた。どうやら人物の写真らしいが、昼に撮ったのか夜に撮ったのかも定かでない。
変色した長方形の中心にいるのは、幼い少女であるらしかった。目を凝らして眺める七瀬。
「この子、ちょっとフェレスに似てるようにも見えるな」
なんとなく、そう感じた。
『失敬な。わたくしはもっともっと妖艶ですわよ。ナナセは美少女の見分けがつかないようですわね』
使い魔が抗議する。確かに、銀髪銀の瞳であることを除けば、フェレスの容貌は東洋系に近い。あくまでも、七割の注意力しか持たない男の感性で、だが。
「ま、まあ、今はいいか、そんなこと」
自分を納得させながらも、丁寧に写真立てを戻した。
奥の方を偵察する。暗がりに慣れてくるにつれて、少年の顔が弛緩してくる。
「どんな怖いトコかと思ったら、拍子抜けだな。幽霊見たり枯れ尾花ってヤ……」
言葉が途切れたのは、和室の奥に大穴を発見したからだ。そこだけ畳が取り除かれ、床板まではがされている。深さはおよそ3m。明らかに人為的に掘られた穴だった。
「家に、穴? なんだってそんな」
薄ら寒い気持ちが圧し掛かってくる。地獄に繋がる穴を覗き込んでいる心地だった。
『なんだか不思議な気分になる穴ですわね。死体でも埋まっていたのでしょうか?』
フェレスが恐ろしげもなく穴の縁ギリギリに踏み出して見下ろす。滑り落ちないかと七瀬はハラハラした。
穴の周囲にチョークの跡が残っている。単なる流言飛語ではなく、この家で何かしらの事件があったことは事実のようだった。
七瀬は頭を振って寒気を追い払う。穴の詮索は後回しにしなければならない。
樋口が廃屋に入り込んできた気配はない。
単に舞台装置として割り切るならば、屋内に穴、というのは樋口の意表が突けそうだった。
ただ、不意を突くにしても、彼の奇妙な「目と耳を塞ぐらしい魔術」のことが七瀬にはよく分からない。はた目には知れなかった「隠された何か」でもあったら、と不安になった。
「問題は樋口よりも、あの霧だよな。ナイトコバル、とか言ったか」
落ちていた携帯電話を拾う。案の定、壊れて電源はつかなかった。これでは警察も呼べない。
『ナハトコボルト、とも言いますわね。いたずら好きの、夜の妖精のことですわ。魔女が契約をすることもあります。ですから別名“魔女の甘言”とも呼ばれます』
フェレスが補足した。少年は拙いドイツ語の知識で日本語訳を試みる。
「ナハト、コボルト。夜の、コボルトか、成る程。オカルトに造詣が深いね」
正直なところ、フェレスから情報がもらえるとは思っていなかったので、七瀬は驚いた。単に守らなければならないものではなく、情報面で強力な支援者になるかも、と考えを改める。
『オカルトの代表格である使い魔を捕まえてご愛嬌ですわね。しかもわたくしは使い魔の中でも、さらに別格ですわよ』
何を根拠にか、薄い胸を張る。別格でも、代わりに戦ってくれるわけではなさそうだった。
「オカルト……そうだ、道端での話の続きだけど。怪異が放置されてるのは……」
怪異の先触れに問いかける。自制心が七割しかないので、気になるとそちらに意識が占拠されてしまうのだった。
『律に於いて例外を設定できるのは、律を定めたものだけですわ。ナナセの予想は間違っておりませんわ』
仮説を話す前に肯定されてしまった。状況を考えれば、実に的確な判断だった。
「神様? が、どうして、魔法なんて売りつけて回って……」
侵入者の気配を察して、ようやく思考を切り替える。“魔法売ります!”の真意は、今は余計な脱線である。
使い魔が味方にいることは、思いもよらぬ僥倖なのだ。
「今はひっ迫した問題だけを考えよう。ナハトコボルトについて詳しく教えてくれ」
『エンジンがかかってまいりましたわね。いい傾向ですわ』
目を輝かせる使い魔だった。
14日中にもう少し投稿します。