階(きざはし)を上る男<楽園編12話>
80話到達しました! めざせ100話!
メッセージで、「おすすめの本を教えてください」とリクエストをいただいたので、ちょいちょい書いていきます。反論はご自由に。
江戸川乱歩は「十字路」が面白かったです。乱歩の長編はダレることが多いんですが、導入はかなり引き込まれます。「魔術師」もおすすめ。
ファストフード店を出た大嶋剛司は、帰路についた。
『ねーねー、あっちから帰ろーよ』
「あ、ああ、いいぞ」
幼女の提案に、剛司は内心で渋い顔をしつつも頷いた。
リーノの希望した道は、昨日に不良といざこざがあった場所に通じている。また何かに巻き込まれると厄介だった。
「うげ……」
果たして、危惧の通り、緑頭と会話している赤髪の男がいた。剛司はわが身の不運を嘆いたが、単にここら一帯が赤頭らの根城で、同じ時間帯にダベっていることが多いだけである。
幸い、2人は会話で盛り上がっており、見つかる危険は低そうだった。安堵の息を漏らしつつ、こっそり通り過ぎようとする。
『ぐったいみんだよ、ごーしお兄ちゃん!』
手にしていたスマホから、リーノが叫んだ。
「へ? なにが?」
『ちょこっとだけ、この前の仕返しやっちゃおうよ! あの緑のオジサンになりすまして、かるくいっぱつ叩いてやる、ってのはどお?』
結構物騒なことを提案してくる。
「い、いや、でもゲージが溜まってないだろ」
気乗りしない剛司は、口実を作って断ろうとする。
『だーいじょーぶ! ちょーどたまってるよ♡』
スマホで確認する。剛司の知らぬ間に、ゲージが溜まっていた。ファストフード店で見た時には、ゲージは満ちていなかったはずなのに。
断る機会を逸してしまった。
「……あんまりやる気にならないな」
暴力を振るったことは1度もない。弱気の虫が住み着いている少年だった。
実を言えば、剛司はあまり赤頭を恨んでいなかった。痛い思いをしたが、非はこちらにあったのだから。
『だめだよっ、ごーしお兄ちゃん!』
珍しく強い調子で、幼女は言った。
『あの悪い奴は、私の大切なごーしお兄ちゃんを傷つけたんだもん!』
剛司は狼狽えた。声が、近い。まるで、耳元で直接囁いているような距離にいるようだ。蠱惑的な声音が、脳に沁みてゆくようだった。
『大ケガしたり、殺されてたかもしれないんだよ?』
リーノが、スマホの画面から抜け出て、立体化する。錯覚だったが、剛司にはそうとしか見えなかった。幻影の幼女が手を伸ばして、少年の顔を挟み込む。
『軽く叩いてあげるのが、あの悪い奴のためにもなると、思うよ? はんせーさせるのが、みんなのため』
脳が揺らされる。あらゆる方便で正当化を謀る。
「……そうかな? …………そうだよな」
逃げられない。逃げる意志さえ芽生えない。直接、精神を削られる。
確かに、殴られて痛かった。考えてみれば、昨日あの不良に実質的な被害を及ぼしたわけではないのだから、あちらの非の方が大きいのではないか?
泣き寝入りしていいのか? リーノの言う通り、今罰してやる方が、あの不良に更生の機会を与えてやることになるのではないか?
終に、思考が誘導される。
彼がミニゲームだと思い込んでいたのは、儀式だった。彼が何気なく撮影してリーノにあげた雀は、生贄だった。
譬え無自覚であろうと、儀式は契約と、心の亀裂を生みだす。どちらも、妖物の干渉を容易くさせる。そこに、リーノは負の感情を流し込んでやった。
「……よし! 一発だけ叩いてやろうか!」
『さぁっすがごーしお兄ちゃん!』
幼女が喝采を送る。
一発だけ。軽く叩いて仕返しをしてやる。剛司の決心はそれだけだった。
高校1年生の剛司は、今日、国語の授業で習った漢文の内容を忘れていた。
<悪の小なるを以て之を為すこと勿かれ>
わずかな悪事だとしても、行ってはならない、という意味である。真からの善人であれ、と言っているわけではなく、階1つ超えてしまったものは、もはや歯止めが効かなくなる(ズルズルと悪人になってゆく)、という解釈になる。
彼は今日、ごく容易く、無自覚に、無邪気に。階を超えた。
「おいー、ゴロー」
緑頭に呼びかけられ、山刷吾郎は舌打ちをした。ついさっき別れて、リラックスしていたのに。後ろを向いて、タバコを吐き捨てる。
「はいはい、どうしたんっスか、ドクさん?」
(もう話しかけてくんなよ、肉バカが)
不快感をおくびにも出さず――少なくとも、吾郎はそう確信している――笑顔で振り向くよりも早く、後頭部を打撃が襲った。ガツン、と殴られて、目の前が一瞬真っ暗になる。ズキズキ痛む後頭部が、意識を覚醒させた。
事態が呑み込めないまま振り向くと、「ドクさん」が折れ曲がった傘を手に立っていた。叩かれたのは明白だった。それも、傘が折れ曲がるほど強く。
「……なにしやがる!」
いつもの愛想笑いも敬語も忘れて怒鳴りかかる。
「……ふん」
「ドクさん」は、傘を投げ捨てて走り去っていった。予想してなかった行動なので、吾郎は追撃できずに見送ってしまった。
痛みに我に返る。まだジクジクと痛む後頭部に手を当ててみれば、手の平に血がついていた。
「あンの野郎……!」
頭に血が昇る。
元より友情関係に支えられた間柄ではない。それどころか、山刷吾郎は普段から「ドクさん」のことを馬鹿にしていた。
「俺がナニやったってんだ。バカにしやがって!」
「仕返し」は「仕返し」を産んだだけのことだった。
解答7:「大嶋剛司」⇒おおしまごうし⇒ごうしまおおし⇒こうじまおおし⇒好事魔多し でした。二重の意味で、今の彼の状況を現しています(笑)




