御祝七瀬の平穏な学園生活<楽園編5話>
遅れて、主人公の登場です。
視点がかなり頻繁に変わる予定です。
――サイドN 9月20日午後――
御祝七瀬は、放課後生徒会室で残務をこなしていた。「前任者」の仕事を強制的に引き継がされたのだが、彼女ほど手際が良くないため、手間取っているのだった。
「御祝書記、ここの文章は、“~という目的で”を入れると、OKが出やすいぞ」
対面に座っている女性がアドバイスしてくれる。濡れたように美しい黒髪をなびかせるのは、生徒会長の伊勢乃木貴美である。2年生で、均整の取れた長身だった。
「ああ、なるほど。……これでいいですか? 会長」
有能な生徒会長は、雑務を既に終えている。だが、2か月前、突如生徒会に編入され、右も左も分からない七瀬に、なにくれとなく手を貸していた。元来が面倒見の良い性格なのだろう。渡された書類に、丹念に目を通す。
「……よし、良い出来だ。89点だな」
万事につけ、得点を付けることでも有名だった。大雑把には、75点以上が合格であるらしい。
「よーし、今日のお仕事終了」
七瀬はペンを放り出し、腕を伸ばす。特急の要件をようやく片づけた。
カバンから、魔法瓶を出した。紙コップに中身を注ぐ。
「どうぞ、会長。賄賂です」
堂々と貴美に差し出す。
「“お礼です”と言ってくれなければ受け取りづらいぞ。貴美は日本初の、“悪いことをしない政治家”を目指しているのだからな」
生徒会長は、自分のことを「貴美」と名前で呼ぶ癖があった。貴美は歯切れのいい言動のせいで、教師間ではやや敬遠されている向きがあるが、生徒間での人気は高かった。
「主客転倒してますよ。みんな、“悪いことするために”政治屋になるんだから。はい、砂糖菓子も一緒にどーぞ。この安いのが一番合いますから」
安物の砂糖菓子を机に広げて、少年は魔法瓶の中身を飲んだ。
「ご相伴にあずかるが、貴美は御祝書記のようには、コーヒーの味は分からんぞ」
ことわっておいてから、一口飲んだ。飲み下した後、驚きの表情を浮かべる。
「これは……紅茶も入っているのか?」
確かにコーヒーの味がするのだが、強い紅茶の風味も含んでいる。
「当たり。コーヒーと紅茶をブレンドした、“鴛鴦茶”です。日本じゃまだ馴染みがないですけど。前に、会長がコーヒーの味がよく分からない、って言ってたんで、これならいいかな、と」
砂糖菓子と合わせて嗜むと、味は格別だった。
「ほう、よく覚えていたな。うむ、これは気に入った。95点だ」
一気に紙コップの中身を飲み干す。続けて、砂糖菓子を3,4つ一気に頬張った。豪快で好感は持てるが、色気は枯渇している所作だった。
「……ちなみに、足りない5点は?」
七瀬が紙コップに追加を注いでやりながら訊ねる。コーヒーには、彼もこだわりがあった。
「もっと紅茶の成分が強い方が好みだ」
きっぱりと断言する。
「ほぼ紅茶ですよ、ソレ」
ブレンド比率は5:5だが、基本的に紅茶の味の方が強く出る。ので、これ以上紅茶成分を濃くすると、コーヒーは添え物以下の存在になってしまう。
「しかし、随分業務に慣れてきたな。これなら貴美の負担も減って嬉しいことだ」
満足そうに“おしどり茶”のおかわりを飲む生徒会長。
「ははっ、会長が根気強く付き合ってくれたお陰ですよ」
七瀬は、お世辞抜きに感謝していた。「彼女」の代わりを務めようと気張る七瀬に、貴美は納得がいくまで付き合ってくれた。真面目だった「彼女」と生徒会長は、仲が良かった記憶がある。
「言っておくがな、御祝書記。貴美は誰にでも尽力するわけではないぞ。義務でしかない生徒会業務だからこそ、真剣にこなさねばならん。そんなことも分からん輩に、貴美の貴重な時間を割くわけにはいかんからな」
おかわりを催促する。
「けっこう、足を引っ張ってたと思うんですけど」
卑下する感じでもなく、七瀬は言った。
「御祝書記には、意欲があった。それを生徒会長が後押ししてやるのは当然のことだ。己の力量以上の何かを背負ってもいるようだがな」
「あの夜」を生き延びたことで、少年の何かが変わったのだろうか。背負ったのだろうか。1つ確実なのは、「以前の七瀬」であったならば、この生徒会長は手を差し伸べなかったに違いない、ということだった。
「うーん、そんなもんですかね」
七瀬は心中で、貴美の鋭さに舌を巻いていた。その「鋭さ」が、感心するどころではないと、すぐに驚愕することになるのだが。
「……なあ、御祝書記」
貴美が遠慮がちに切り出す。自信満々な言動が身上である彼女にとって、非常に珍しいことだった。
「なんです?」
努めて身構えずに応じる。その方が、貴美も話しやすかろうと判断した。生徒会長にも悩みとか躊躇とかあったんだな、と考えると、微笑ましく思う七瀬だった。
それでも生徒会長がほんの少し逡巡したのは、こんなことを訊ねて、相手が困らないか、という配慮によるものである。
ややあって、口を開いた。
「御祝書記。“フクヌシユウガ”という名前を知っているか?」
御祝七瀬は凍り付いた。
問題:伊勢乃木貴美の語源は何でしょう?
これはかなり簡単な部類だと思います。




