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エピローグ

今まで読んでくださった方、長らくのお付き合いありがとうございました。

 教室に入ると、すぐにテストが始まった。

 無意識に前の席を見る。フクヌシユウガの座っていた席は無人である。だが、それを悲しむ者は七瀬以外にはいない。


 福主優雅の記憶を皆から消すこと。これが新たなメフィストフェレスの願いだったのだ。

七瀬は、水筒の分の願いをこれにあてた。席だけが残っているのは、七瀬の未練だろう。


「これでよかったのか? 優雅」


 本人の願いを尊重したが、七瀬には疑問符がつく。悪魔となったフクヌシユウガは、呑気のんきに学校に通える身分ではない。

 何より、かつて自分が殺してしまった少女に会う資格などないと考えていることも理解できた。理解できたが、それと心情とは別問題である。


「七瀬、クラスの提出物まとめといてくれよ」


 担任の教員から命令される。七瀬は、夜宴が終わると、いつの間にか学級委員にされていた。しかも、生徒会書記の役職まで押し付けられている。水筒で願ったことの弊害へいがいがこれだった。


 どうやら、フクヌシユウガが消えたことの弊害が全て七瀬にかかっているらしい。自分が発端であるだけに、慣れない生徒会業務もこなさねばならない。


《人1人消す、或いは産み出すには、莫大な代償を必要とする》


 七瀬は、オージンにそう言われているように思えた。だからこそ、フェレスを妹としたことを良かったと思う。何か不具合が生じた場合でも、身近にいれば守ることもできるだろう。


 テストが終わり、校舎を出る。全力で挑んだが、80越えが危うい科目は沢山あった。まだ甘えがあるのか、と自分に苦笑する。


 グランドは静かだった。テスト中なので部活は行われていない。部活の掛け持ちは認められているので、テスト明けには時期遅れの部活巡りをしようと画策している。手始めは陸上部である。



「優雅……どこに行ったんだ?」


 フクヌシユウガだった悪魔は、ヴァルプルギスナハトが明ける直前に姿をくらましていた。今もどこかの夜を彷徨さまよっているのか。


 デウス・エクス・マキナに裁かれてはいない、気がする。悪魔であるフェレスも、オージンは殺さなかった。おそらく、優雅アンムートも無害だと判断して、放置しているのではないだろうか。


 なぜなら、不意に高みから視線を感じたり、撮っておいた御祝優雅みいわい・ゆうがの写真がなくなっていることが頻繁にあるからだ。


「近くにいるなら、顔ぐらい見せろってんだ。そんなに神様のお仕置きが怖いかね」


 店に寄りケーキを購入する。たまには気を利かせても罰は当たるまい、と財布を開いた。


 ふと気がつけば、偉人の引用を忘れた自分がいる。いつからだろう。喧嘩屋ラーフボルドが消滅したときからか、フクヌシユウガがいなくなったときからか。あれほど頭に詰め込んだ言葉が、口をついて出ることはめっきり減ってしまった。久しぶりに口に上らせてみる。


「神様はサイコロを振らない、か――」


 店を出て七瀬が口に出したのは、名言ではなく、いつぞやのフェレスの言葉だった。世の中は全て必然で成り立っている、とする考え方である。

 ならば、フェレスが自分の使い魔になったことも、優雅の介入も、フェレスが救われたことも、全て神の掌の上ではなかったのか。

 つまり、最初から負けてやるつもりでフェレスの賭けに乗ったのではないか。救われるべき魂だったから。


「そして、優雅が悪魔になったことまで? いや、それはー?」


「あー、お兄ちゃん発見ー!」


 思考の迷路にまり込みそうになったときに、妹に発見、捕獲される。手にした箱を輝く目で凝視していた。


「ケーキだ! ねえねえ、イチゴのショートケーキある?」


「買ってるよ。でも、夕食後までお預けだからね」


「ケチー」


 言葉に反してご機嫌な妹だった。ふと、視線が絡み合う。


「ねね、さっき、あたしのことつぶやいてなかった? 優雅が悪なんとかにって」


 独り言を聞かれていた。慌ててごまかそうとする。彼女には縁のなくなった話だ。


「い、いや、それは、同じ名前だけど違う、でも僕達に縁の深いユウガってのが――」


『知っておりますわ』


 同じ声音。だが年齢不相応な妖艶ようえんさをたたえた、忘れもしない口調に思わず目を見張る。


 瞳と髪が銀に見えるのは、太陽光の反射だろうか。


「ん? どしたの?」


 だが、気がつけば、やはりそこにいるのは黒い髪、黒い瞳の御祝優雅だった。


「……いや、なんでもない」


 どちらでもいい、と七瀬は思った。少なくとも、妹の人生が輝かしいものになることだけは疑いようが無い。「メフィストフェレス(光を嫌うもの)」となったもう1人の優雅の分まで幸せになって欲しい、と思う。

 そのために、七瀬はあらゆる努力を惜しまないつもりだった。




「そういえばさ、今日学校でみんなと話してたんだけど」


 子ども特有の無邪気さで唐突とうとつに話題を切り替える。


「もし、なんでもお願いがかなう箱があったら、お兄ちゃんは何を願うの?」


 小さな子どもがよく交わす、無邪気な「もし」の会話。


「僕なら、自分の欲しいものは願わないな」


 はっきりと、夜を越えた少年は言った。


「ぶー、お兄ちゃん枯れてるー。いっつもガムテぐるぐる巻きのヘンなウエストバッグつけてるし。コレなにが入ってるの?」


 兄の野心が聞けなくてむくれた妹が、兄のウエストバッグを指差した。


「これは、何でもお願いを叶えてくれる、魔法の箱だよ」


 あれ以来、七瀬はこのバッグを肌身離さず持ち歩いている。


「ウソつきー! あたしが言ったことじゃんー!」


 手を振り回して怒る妹。夜宴の終わり、このウエストバッグの願いが残っていた。順当に考えれば、七瀬が好きな願いを叶えればよかった。


 だが、七瀬は何も願わなかった。この数日で受け取った報酬は、こんなちっぽけなバッグには収まりきらないものだったから。

 オージンは、願いを叶えない事に何も言わなかった。以来、お守り代わりに持ち歩き、弱気になりそうなときはこのバッグを見るようにしている。


 バッグの口は未だに開けていない。普通に考えれば、願わなかった以上、中身は空のはずである。だが意外と、神様のいたずらで願いの効力がまだ残っているかもしれない。


 いつか妹の前で開けてみるのもいいかもしれないな、と思う兄だった。


「もし、願いがかなう箱をもらったなら、本当に大切な人の願いをかなえるんだ。そしたら、自分が望む人間になれる」


 あの夜の自分たちのように。


「優雅は絶対にそれができるんだ。だから、一緒に頑張ろう」


 2人の「優雅」は、それができたのだから。


「うんっ!」


 つたない言葉で分かったのか、妹は力強くうなずいて、走っていった。


「やれやれ、僕の残りの人生、やたらと張り合いがあるものになったなあ」


 小走りに妹を追いかける。


 一部始終を見物していた高みの赤い人影は、満足そうな笑みを浮かべて静かにその場を去った。





第一部が完結したので、ようやくこの言葉を言うことができます。


「私の小説はいかがだったでしょうか?」

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