狼を狩る悪霊
終局が見えてきました。
大きい。剣は狼と共に巨大化していた。電柱よりも太い柄を、黒の甲冑が握る。
「よし、こいつは溶けてなさそうだ……! でも、溶けてそうだし、ちゃんと効くかな?」
「大丈夫よ」
優雅が即答する。勇気づけるように。
「狼自身が言ってたじゃない。“自分を殺せるのは神様だけだ”って」
「うん、言ってたね。それって、オージンのことじゃ?」
神は未だに死んでいる。
「チュールは古代ノルド語で、“神”を表す名詞よ」
あっさりとマニアアックな知識を披露する。
「神様の剣よ。だから、効くの」
自分に言い聞かせているようだった。
七瀬も弱気の虫をひっこめる。
引き抜こうと試みるが、ピクリとも動かない。しかも、舌に乗っているせいか溶けるのが早い。
既に喧嘩屋の足首までが消化されていた。踏ん張りがきかなくなりつつある。
「マズいぞ。この剣、喧嘩屋より大きくなってるみたいだ。くそ、もし抜けなかったら、腹の中に居座って腹痛の元になってやる」
悪態を吐いていると、喉奥から青白い炎が噴き上がった。異物をどうにかしようと、魔狼が頑張っているらしい。
「わっぷ!」
炎を全身に浴びてしまった。甲冑が焙られ、急速に溶けてゆく。次は、到底耐えられそうになかった。
再度、喉内に炎が噴き上がる。黒い甲冑で立ちはだかった。
「ここまでやって、諦めれるか!」
無駄は承知である。黒い甲冑は、錆色の甲冑ごと溶かし尽くされ、原形を留めず液状化し、今度こそ飲み下されるはずだった。
黒い矢のようなものが、甲冑から放たれた。
炎に命中したそれは、対消滅するように、炎を巻き込んで消える。
「……えっ?」
思わず唖然とする。
何故か、背中に冷たいものが走った。
「今のうちよ、七瀬!」
背面の声で我に返る。優雅の声は妙にかすれていた。
柄に新たに2本の錆色の籠手が添えられる。
「私も手伝うわ。ちょっと場所を調節して」
非常に不自然な姿勢なので、ややもすれば舌を転がり、胃の腑に落ちそうになる。
「よし、呑み込まれる前の最後のひと踏ん張りといこうか! ……剣が途中で折れてないといいなあ」
土壇場でも七割の意志力だった。
「ちょっと、不吉な予想禁止! ポジティブにいきなさい!」
籠手も溶けかかっている。抜くことに姿勢を集中しているので、手が滑れば胃にノンストップである。 そこに、一斉に飲み込まれたビルの破片が押し寄せてくる。
全身が溶けかけている状態で、2人は最後の力を篭めた。
フェンリルはイライラしていた。せっかく飲み込んだご馳走が、魚の小骨のようにどこかに引っかかって飲み下せないし、チクチクする。
『食ウ、邪魔! ゴチソウ、カタヅケ!』
倒壊したビルの残骸を限界まで口に詰め込み、一気に飲み下そうとする。
フェレスはそれを放っておいては危険だと判断した。
『やむを得ませんわね。車輪魚雷、射出!』
人間2人とトランクを担ぎ上げ、バイク上から跳躍、離脱する。バイクはフェンリルの後頭部に直撃した。
思わず口に含んだ物を噴き出す。
『ブッ! シ、舌、噛ンダ!』
こたえてはいないだろうが、食事の邪魔はできたようだ。大きな声を上げてむせかえる。
不意に、チクリとした痛みを残して不快感は去った。ノドを降っているのが分かる。
『ゴチソウ、カタヅイタ! 次、月、喰ウゾ! …………ウガ!』
喉より刃が生えた。黄金の刃に一拍遅れ、鮮血が噴き出す。
喉を裂いて、消化寸前の喧嘩屋が脱出を果たした。
『やれやれ、もう少し遅かったなら、ユウガさんの体を人間魚雷にするところでしたわ』
本気か冗談か判別のつかないことを言う白尽くめ。
『イ、痛イ! ソレ、痛イ!』
4本の腕には、7mに達する黄金の剣。喧嘩屋の持てる限界を超えた長大さに、宙で振り回されている。マンションの壁に、溶けた足を叩きつけることで、強引に方向転換し、再度フェンリルに突貫した。
「狼の首に、神様は黄金の鈴をつけてたってことさ! 悪霊には無敵でも、神様の剣は利くみたいだね」
めまぐるしく上下の入れ替わる視界でも、舌だけはもつれない七瀬だった。
「ほら、舌よりも頭回しなさい!」
神の剣を、真っ向から唐竹割りに振り下ろす。
巨体を持て余したフェンリルは鈍重だった。頭頂部から股間まで切り裂かれる。同時に黄金の剣も折れてしまった。喧嘩屋の4本の腕も砕ける。
『マダ、喰イ、足リ、ナ……』
分かたれた口がそこまで呟き、フェンリルの巨体は消滅する。
数秒後喧嘩屋は地表に激突した。フェンリルに斬りつけたことが、多少衝撃を和らげる効果になったようだ。
唐突に、七瀬の視界が切り替わる。地面に横たわっていた。
『生還おめでとうございます、ナナセ』
少年を抱きかかえていた使い魔が告げる。半身を起こせば、喧嘩屋がすぐ隣で倒れている。少し離れたところに優雅が寝かせられていた。
「ああ、地面があるっていいなあ。でも、何でいきなり喧嘩屋から戻ったんだろう?」
答えを待つまでもなく、疑問は解けた。喧嘩屋の甲冑は崩壊を始めていた。細かいヒビが走り、ポロポロと装甲が崩れてゆく。鎧の中はがらんどうだった。
『ロックブーケや、フェンリルウルフとの戦いでこの子には無理をさせました。……ありがとう、よく頑張ってくれましたわ』
優しく甲冑をなでるフェレス。喧嘩屋は容を失っていき、ついには金属の欠片だけが、小高い集積となってその場に残った。
自分の影を見れば、そこに厳しい甲冑の姿を認めることはもうできない。
「……さよなら、悪霊さん」
七瀬は万感の思いを込めて、感謝の言葉を吐いた。
地平が白々と明るくなりつつある。
『ユウガさんも間もなく起きるでしょう。あとほんの1時間ほどで、ヴァルプルギスナハトが明けますわね。わたくしとナナセの、別れのときです』
静かに、腕の中に潜り込んだフェレスが言う。
「うん……って、えええっ? ナニソレ?」
しんみりした声が、途中から驚愕に変わった。
猫派です(意味不明)。




