父の神、息子の神
チュールは、ゼウスやユピテルと同源の神様です。
―――僥倖かもしれない―――
喧嘩屋に2人が入ってしまったことについて、主は、お気楽にそう思っているようだった。
『……そんなワケはありませんわ』
喧嘩屋は、あくまでも七瀬と契約した悪霊である。他人である優雅が干渉できるなど、本来ならばあり得ない。契約の否定に繋がるからだ。
契約は、すべての霊的なものたちの、絶対の“法”である。
『それに、あの“影”は……?』
一瞬のことで記憶が不鮮明だが、優雅が七瀬に触れる直前、彼女の影からなにやら細いモノが飛び出したように見えた。
はっきり確認できなかったが、アレが悪戯しているのだろうか?
だとしたら、相当に得体が知れない。悪霊の契約に介入するなどと。
予断を許さない状況だったとはいえ、主への注意が疎かだったのが悔やまれる。
今、それを七瀬に伝えるわけにはいかない。
何故なら、あの女も喧嘩屋の中に“入って”いるからだ。こちらに疑惑を抱かれていると察知し、しかもそれが事実だった場合、七瀬に対してどのような行動に打って出るやら、予想もつかない。
だから、『魂がよほど近しくないと~』などと、適当な推測でお茶を濁したのだ。
『それにしても……悩みの種は尽きませんわね』
バイクのエンジンをかけながら、思惟を続ける。
今回に限り、七瀬が黒い甲冑の側に“入って”いる。
錆色の甲冑が“無価値”、黒い甲冑が“価値”の形象であることは、主である七瀬も知らない事実である。
『本来の居場所からナナセが“押し出されて”、黒い甲冑に入った? もしそうならば、ユウガさんの本質は……』
もうじき、夜が明ける。だが、疑惑はまだ晴れない。
「今ならきちんと動かせそうじゃない」
優雅はフェレスの言葉を気にしていないようだった。傾斜が10度増す。甲冑を支えていたフェンスが崩壊した。喧嘩屋が宙に投げ出される。
「フェレス、僕達の本体を頼む! 行くぞ優雅!」
「今日は七割で妥協したら許さないんだから!」
倒壊を始めた傾斜の、きついビルの壁を駆け下りた。
『後詰めはお任せですわ!』
2人を積んだ使い魔も、バイクでそれに続く。
背中合わせの2人は、驚くほどの呼吸でお互いをカバーし、不安定な足場を疾駆する。
「うわ、背中合わせの2人3脚だな、これ」
相手が見えない分、タイミングが難しい。
「ほら、足元に集中して。こけたら地上まで直通よ!」
叱咤するのはやはり優雅の役割だった。
「でも、順調。思ってたよりスゴいぞ、こっちの鎧」
単なる色違いかと思いきや、黒い甲冑は、錆色の方と比べて、遥かに高性能だった。膂力、精密さなど、段違いと通過して桁違いである。
何より、思い描いた通りの動作ができるのが大きかった。錆色の甲冑では、無様に足を滑らせて転落していたに相違ない。
使い魔はちらりとバイクに横たわる優雅を見た。
『ナナセと同類……? しかし、あの女は手紙に呼ばれていない。大いなる矛盾ですわね。自然に完成した人格とは思えません』
瞳を閉じた優雅の本体は、何も答えない。
フェレスは、譬えどのような経緯があろうと、優雅が「夜宴に参加している」という事実が気になって仕方なかった。
「七瀬、これ以上ビルが傾いたらフェンリルウルフに届かなくなるわよ!」
傾斜が増すことで、真下にいた狼との距離が開きかけている。
「壁づたいに行くのはもう限界だ! あとはニュートン先生に任そう!」
大きく壁面を蹴り、甲冑が宙に舞う。足はビルを離れ、あとは自由落下しかなかった。
狙い通り、軌道上に狼の頭。ビルを貪っていたフェンリルは、落ちて来る甲冑を見上げて歓声を上げた。
『ゴチソウ! 喰ウ! イッタダッキマース!」
食事を中止し、大きく口を開けて待ち構える。視界1面の口を見て、七瀬は安堵の息を漏らした。
「あー良かった。無視されたら、ただの間抜けな投身自殺になるとこだった」
「気を抜かないの! ここからが本番でしょ!」
大した抵抗も無く呑まれる。
だが、閉じられた口の中で必死に手足を伸ばして踏ん張り、嚥下されるのを防いだ。
口内は溶鉱炉のように熱く、燃え盛っていた。鎧の表面がうっすらと溶け始めている。
「もうちょっと下だったと思うわ」
優雅の記憶を頼りに、乱杭歯の林をつたう。盾やハンマーは邪魔なので捨てた。舌が波のように揺れ、空気の塊が吸い込まれているところを見ると、狼も七瀬達を飲み下そうとしているのだろう。
「いやはや、魚の小骨になった気分だね」
軽口を叩きながらも、なすべきことは心得ていた。
(フェンリルは1度神を呑み込むことに成功します。しかし、オージンの息子たるチュールに復讐されるのです。剣でアゴを貫かれ、流れる血は川になったそうです)
フェレスの説明を思い出す。そして、優雅が目撃した金属のきらめきと、狼の言葉。
(タ、食ベ、ニクイ! コノ口、厄介!)
(アゴ、痛ク、ナイ! モウ、喰ウ!)
あれは、「何か」のせいで痛むアゴを休めていたのではないか。
雲を掴むような七瀬の賭けは、
「やっぱりあった! これが、チュールが刺した剣、のはず!」
アゴの中央に埋もれている、黄金色に光る柱を見つけることで報われた。
次回で狼回終了の予定です。




