月に至る巨狼
ケダモノ回です。
魔獣の体長は2階建て家屋を超えるまでに至った。体積の増加具合が尋常ではない。最初はリスのように木の幹を齧っていたのが、今は根の植わった地面ごと丸呑みにしている。
その成長は際限がないように思えた。
「……七瀬、知ってる? この辺り、駅前でビル街が近いじゃない。8階建てのビルとかって、高さが26m超えてるらしいわよ?」
優雅の指摘を、純粋に受け止める余裕が七瀬には無かった。
「口を開けて見上げるしかやることのない僕を、怖がらせて楽しいか?」
もし、それらのビルをこの貪狼が呑み込んだら、体長が26m増えるということになる。町よりも大きくなるのは時間の問題だった。
「悪食だなあ。手当たり次第って感じだ。フェレス、君が打つ手がないってことは当然喧嘩屋も……?」
『所詮は悪霊です。フェンリルウルフは、アレでも神の眷属。悪魔や悪霊、人では、神をどうこうなど決してできません。神を誅し得るのは、神だけですわ』
「その神様は休業中なんだけどね」
手出しのしようが無いことは理解できた。木を呑み込むと、初めてフェンリルウルフの食事が止まった。盛大なゲップをすると、口から青い炎が噴き出した。七瀬の脇をかすめて、植わっていた街路樹に命中、炎上する。
「あ、危なかった。”死因:げっぷ”とか、末代までの笑い話になるよ」
何気に生死を分かつ一瞬だったことを察して、ゆっくりと胸を撫で下ろす。
「末代の心配するよりも、末期の心配したら?」
言いつつも、優雅もほっとしているようだった。
単なる事故だったらしく、狼は更なる攻撃を加えようとはしなかった。
『タ、食ベ、ニクイ! コノ口、厄介!』
辛うじて聞き取れる言葉を、狼の口が吐き出した。叫びながら喋っているようで、離れていても鼓膜が痛む。
狼はくつろいだ姿勢で寝そべった。気だるげな視線が、人間と使い魔を捉える。
『食休ミ、人間、話、スル! 話、飢エ、テル! 言葉、忘レカケ!』
喋ると、口の奥から炎が垣間見える。空洞の目や鼻からも炎が盛っていた。
寝そべった姿でさえ、既に小山に見える。
『初めまして、デカ狼君。わたくしはフェレス。貴方がフェンリルウルフですわね?』
優雅に淑女のポーズをとるフェレス。
悠長な、と言いかけて七瀬は口を噤んだ。手も足も出せない現状、出せるのは口ぐらいしかないのは確かなのだった。
『ウム! ふぇんりるうるふ、ダ! 栄エアル異名はふろーずぶぃとにる、ト、ぶぁなるがんどダ! 父、悪神、ろき、母、“鉄ノ、森、住ム魔女”、巨人あんくる、ほざ!』
寝そべった姿勢で勇ましく名乗る。異名と家系を誇るのは、眷属特有の習慣だった。
「こ、これからのご予定は?」
『体、大キク! 昔、アゴ、届イタ、天ニ! 今度コソ、おーでぃん、食ウ! 1度、呑ンダ! やつノ、息子、邪魔シタ! 惜シカッタ!』
長く喋ったせいか、せき込んだ。その折に炎の塊が噴き出される。熱さに汗をぬぐう七瀬の横で、優雅はわずかに眉をひそめた。
「あのさ、提案だけど……神様呑み込むのやめてくれない? 機械仕掛けから出てくる神がなくなるし、地獄もあふれてくるだろうし」
恐る恐る提案する。フェンリルは取り合わなかった。
『人間、ねずみ、対等、違ウ! 人間、ふぇんりる、対等、違ウ、同ジ!』
ネズミと話し合う人間はいない。それほど、自分と人間は対等ではない、と言っているのだった。会話しているのも単なる食休みの気まぐれで、話し合うつもりは毛頭ないらしい。
『交渉は成立しませんわね。そもそもテーブルがありませんもの』
フェレスが嘆息した。
『邪魔、勝手、スル! ふぇんりるうるふ、殺ス、デキル、神、ダケ!』
それが分かっているからこそ、この狼は人間と悪魔の前でのんびりできているのだ。
ただし、巨狼は、「オージン」ではなく、「神」と言った。
『アゴ、痛ク、ナイ! モウ、喰ウ!』
3人の反応を待たず、立ち上がって背伸びをした。既に七瀬の喧嘩屋の身長を超している。
七瀬は狼のアゴに、小さな傷があるのを発見した。フェンリルはパーキングに駐車していた普通車を、蛇のように丸呑みにした。見る間に体積が増す。
「こりゃ、絶望的だ。神様が休暇から帰ってくる頃には、日本より大きくなってるぞ。丸呑みされて終わりだ」
七瀬は天を仰ぐ。その天に主は不在である。優雅は先程からしきりに首をかしげていた。
「どしたんだい?」
フェレスも気づいていたようだが、声をかける様子がないので七瀬が実行する。
「気のせいかもしれないけど……あの狼の口の中で、何か光ってたの」
『炎の加減でそう見えただけでは?』
使い魔が口を挟む。どんな状況でも、優雅には懐疑と否定で受けて立つらしい。
「いえ、金属的な光だったと思うわ。多分」
「そういや、痛みがどうとか言ってたな……」
顎の傷を思い出し、七瀬に1つの仮説が浮かぶ。だが、確認するには材料が足りない。
「フェレス、さっきあの狼が言ってた事、詳しく教えてくれ。万に1つだけど、あのいやしんぼうを止められるかもしれない」
パソコンのそばにいると、暑い季節になりました(虚弱)




