最後の魔女
いよいよです。
足を痛めている。優雅ははっきりと指摘した。
「い、いきなり変なこと言うな。何の根拠も無いだろ。バスケ休んでたのは、単にやる気が起きなかっただけで」
林道の反論は弱々しかった。
林道が左足首に痛みを感じ初めたのは1ヶ月ほど前から。歩く時分にはチクリと痛む程度だが、ジャンプやドリブルでは平静を装えないぐらいの痛みに襲われる。
医者にもかかったが原因は不明。よって、治る見込みもなかった。
「林道先輩にとってバスケはそんなものじゃないでしょう。自分の地位を手に入れ、そして保つための武器だから。ええと、すごく嫌な言い方になるけど、“縋るもの”です」
縋るもの。林道は亡者を連想した。地元のスポーツ弱小校を選んだのは、“少年漫画でよくみられるチャレンジ精神”とは真逆の思考からである。バスケの名門に行けば、自分の才能は埋没してしまう。それでは縋れない。
牛後よりも、鶏口を望んだ。
「ば、馬鹿だな。バイク乗ってただろ? 運転には足使うんだぜ?」
ヒーロー性を翳らせるような行為は決してしなかった。強豪との試合は欠場し、他のレギュラーは引き立て役で埋める。重要視したのは部でも試合でもない、自分だった。
「それも不自然だったんです。無免許で乗り回すなんて怪我しかねないこと、普段の林道先輩なら絶対にしないはずだから。まともに走ってられないぐらい、深刻な状態なんじゃないかって。そのバイク、右足でブレーキかけるタイプだから、多分左足を……」
夜宴が始まってから、林道は自分の足でほとんど走っていない。七瀬と出くわしたときもそうだったように、魔女の箒に乗って移動すれば、負担が少ないからだった。
優雅が言葉を濁す。林道は言葉もなかった。
「……」
仮面がズレた。別種の感情が覗いている。憎悪と恐怖。彼が最も恐れているのは、自分を追い落とすものの存在だった。
彼にとって、他人は、道端で転がっているモノ、ぐらいの価値しかない。ほんの少し興味があったら、“拾ってやる”程度の。
だから、簡単に捨てられる。
御祝七瀬は、彼にとっては小さな脆い軽石。拾ってやる価値もない。踏みつければ、あっという間に砕ける。自分の有能さを強調する比較対象物――テレビによくある、大きさの基準として映される、タバコや100円玉――だった。
福主優雅は、もうちょっと上等で、石炭の塊だろうか。役には立つ。ただし、重いし手が汚れるので、持ち歩きたいとは思わない。比較対象物として有用。力を入れて踏めば砕ける。
あくまでも林道の主観からくる評価だが、彼はそれを真理と疑わなかった。
だが、その石炭が、自分のもっとも弱い部分を撞いてくるのだ。
「今、すっごい危険じゃないですか。だからこそ、動き回って悪化させない方がいいです。無事終わったら、バスケ部だって辞めたほうが……」
優雅の言葉は真摯であったが、林道は受け取る心を喪っていた。
「だ、だまれええ!」
少女の頬を殴りつけた。石炭を砕くつもりで。ホームに倒れこむ。
口の端を切る程度の怪我で済んだのは、逆上の余りでたらめな姿勢で殴りかかったからだった。
「黙って聞いてやってりゃあデタラメばかり並べ立てやがって! 俺を蹴落とそうってんだろ! そうはいくか!」
逆上したのは、優雅の指摘が正しかったことの裏返しである。
「ち、違います。ただ、怪我をしてるなら早く治さないと……」
血を拭って立ち上がろうとする優雅を蹴飛ばす。
「逃げようとするんじゃねえ! 大人しくさせてやる。収穫しろ、ビル……」
言いかけて、止める。ビルヴィスの欠点は加減が利かないことである。足首を狙ったとしても、切断することになるので、ショック死か失血死は免れない。
それでは人質としての用をなさない。
「まあいい。今は、命だけは取らないでおいてやる」
バイクに手挟んでおいた鉄パイプを拾い上げ、照準を定める。
「箒よ飛び立て!」
キーワードを唱えるとパイプは発射され、右足の甲に命中した。骨の折れる鈍い音が響く。
「ああっ……!」
足を押さえて呻いた。気絶したのか、すぐに動かなくなる。
「これで逃げられねえだろ。あのクソガキを誘き寄せた後でゆっくり殺してやる。愉しみが延びたと思えば腹も……?」
歪んだ笑みが凍る。
倒れ伏す優雅の足首から、異様な物が生えている。それは一見すると、矢のようだった。
真っ黒な矢が、優雅の影から突き出し、砕けた足首を貫いている。
「何だあ……?」
訳も分からず呆然としていると、矢は影に沈みこんでいった。そして、少女が何事も無かったかのように立ち上がる。
「お、おい? どうして立てんだよっ?」
折れたはずの足首はしっかりと地面を支えている。ただ、顔に生気は感じられない。
「もう1回転がってろ! 箒よ飛び立て!」
鉄パイプを2本飛ばす。だが棒状の凶器は、激突する直前に消滅した。
優雅の影から突き出された矢が鉄パイプを貫いた瞬間、錆を撒き散らして朽ちてしまったのだった。
影から飛び出した1本の黒矢が、優雅の手に納まる。林道の余裕が吹き飛んだ。助けを求めるように視線を巡らすが、頼りになる石の花嫁の姿は無い。林道の茶番に嫌気がさして、姿をくらませていたのだった。
「……ごめんなさい、林道先輩。でも。やっと……なんです」
小さく小さく、独り言のように呟いている。
「あ? この石炭野郎、何を言って……」
絶句した。少女の目を見てしまったから。昏い昏い、光の差さぬ瞳。決して触れてはならない何かを、煮詰めつくした濁り。
いったい、なにを見つめ続ければ、こんな目をするようになるのだろう。
彼の知らない女が、そこにいた。
「やっと、やっと私は、“わたし”を殺せる…………!」
狂気。瞳の奥で渦巻いているのは、林道や四ツ角のような紛い物ではない、本物の狂喜と狂気だった。
(俺は、石炭を砕くつもりだった。だが、石炭ってのは俺の単なる見間違いで……本当は、火薬の塊を踏んじまったんじゃねえか?)
上級生は、自分が決定的な過ちを犯したことを悟った。
「くそ! 収穫しろ、ビルヴ……!」
途切れる。投げつけられた矢が、深々と胸に食い込んでいた。
「ごめんなさい、林道先輩。でも」
再び紡がれる謝罪の声。幽鬼のような少女が、か細い声で囁く。
「“福主優雅”は、幸せにならなくちゃいけないから……」
何言ってやがる。そう言い終わらないうちに、林道の意識は途切れた。




