錆び鉄の蛇
ちょくちょく出てくる少女のモノローグは、重要な伏線です(今更)。
少女はトランクを前に考える。原点に返ってみることにした。
自分が欲しかったもの。金銭でなく、具体的に。
真っ先に思い浮かべたのは、暖かい家族の風景だった。そう、少女の理想は、
暖かい両親のいる、近所のあの家のような家庭だった。
「……だったら、私が――になれば……」
少女は願いを決め、トランクを開けた。
七瀬は教会に立ち寄っておざなりに手を合わせた後、早々に辞退した。
「くそ、あと6kmぐらいはあるな」
再び線路に沿って自転車を漕ぐ。警笛が背後からした。
『ナナセ、この鉄道は稼動しているのですか?』
「いいや。何年か前、近くにJRができてから赤字で廃線になったハズ、だね」
心底嫌そうに振り返る。塗装が剥げた電車が、耳障りな音を立てながら錆だらけの鉄道を疾走している。
標的を発見するや否や、車道に駆け降りてきた。鉄輪から火花を吹きながらの追走。距離はまだあるが、すぐに追いつかれるだろう。
「自転車じゃ話にならないな。どっかに……あった!」
七瀬が見つけたのは国産の自動車だった。
自転車を止め、ドアを握ると難なく開く。キーは挿しっぱなしになっていた。見よう見真似でキーをひねるとエンジンがかかる。
「ツイてる、オートマだ。コレならアクセル踏むだけで進む」
靄のかかった記憶を頼りに、サイドブレーキを戻す。シフトレバーをDに合わせた。
「みんな大慌てで逃げ出してたから、鍵ぐらいついてると思ったんだ。大型ってのもいいな、死亡率が軽四より心持ち違う。さ、乗って」
『気休めですわね。でも、1度乗ってみたかったので丁度いいですわ』
促すと、白尽くめは助手席ではなく七瀬の膝の上に腰掛けた。背中を預けてくる。
『やはりナナセの膝の上が1番落ち着きます。アクセルはお任せしましたわよ』
ハンドルを握る。運転する気満々だった。列車は更に迫ってくる。
「いいよ、僕もゲームで2回経験があるだけだったし。どっちのミスでも恨みっこなしだ」
アクセルを目一杯踏むと、車体は弾かれたように飛び出した。
追突を軽く喰らい、後部バンパーが凹む。
列車のワイパーや窓が断頭台のようにガッシャンガッシャン往復運動をしているのが不気味だった。
「仮にも車両の端くれなら交通ルールぐらい守れってんだ」
かく言う七瀬も無免許運転であるが。
『そんな台詞は、交通るーるを守るつもりのある輩に言うべきですわね』
目が合うと2人は同時に笑った。七瀬と使い魔はどうにも馬が合う。
ふと正面を見て、七瀬の顔色が変わった。芋虫のように道路に這い出してきたのは、瓦が砕け壁がすすけた家屋だった。スレートの屋根が怒りに震えるように波打っている。
ブロック塀が雪崩をうって倒れてきた。
「前、障害物!」
『あいしーですわ!』
ハンドルを豪快に回し、どうにかやり過ごす。時速70kmは出ていた。道路に出た家を列車がひき潰していく。見れば、ガラスが全て割れ、表札を失った家々が無数に蠢動を始めている。
「しまった。この一帯、不況の煽りをモロに受けた商業地域だった。ほとんどゴーストタウンだ。こりゃ迂闊に止まれないぞ」
2人の乗る車を目指し、廃屋が群がりつつある。かといって少しでもスピードを緩めれば電車の餌食になってしまう。
『このすぴーどでは、悠長に喧嘩屋は出してられないですわね。たんかーのときのように、影へ干渉するのも難しそうです。どこかで撒きますか?』
撒ける保障はないし、その分時間を食うことになる。七瀬は強気に首を振った。
「よーし、こうなったらコイツを騎兵隊よろしく引き連れて、待ち合わせ駅に乗り込もう」
あら、と七瀬を見上げる。
『意外ですわね。ユウガさんの命が賭かってるから、慎重になると思っておりました』
「賭かってるから空手じゃ行けないのさ。無策で臨んだら、確実に僕は殺されるだろ」
パイロンのように林立する家々のスラロームをかわしてゆく。強引にハンドルは切るわ、アクセルは緩めないわでほとんど片輪走行になっている。
『あら、なぜそうお思いに?』
好き勝手にハンドルをきるフェレスと反対に、七瀬は車を横転させまいと必死である。
「先輩が言ってたんだよ。預り物の所有権は、持ち主が死ぬ時に触れてた人に移るって。僕も四ツ角の銃弾で経験したから間違いない。トランクが欲しいなら僕の死が大前提なんだ。で、僕を始末したら優雅にも用が無い。だから、敵の思惑を覆さなきゃ駄目なんだ」
自分の生に、優雅の命もかかっている。
『だから列車をぶつけると? 随分飛躍した考えですわね』
この思い切りの良さは、昨日までの七瀬にはなかったものだ。
「“人生の競技場に踏みとどまりたいと思うものは、創痍(傷つくこと)を恐れずに闘わなければならぬ”って芥川龍之介先生も言ってる。僕は僧都さんの生き方は真似したくない。もちろん、優雅を巻き込まないように直撃は避けるよ」
騙されて殺されたのに、安らかに死んでいった女性の顔を思い浮かべる。
『それだと虚を突けても、戦力的な底上げにならないのでは?』
「道理だけど、林道先輩相手には効果があると思う」
憶測にも関わらず、きっぱりと宣言した。
『根拠は?』
「先輩さ、魔女の箒とかビルヴィスとか、強力な魔法2つも持ってるのに、僕のことを味方だと謀ろうとしたじゃないか。僧都さんも背後からの不意打ちだったみたいだし」
林道は、琴音が争わない性質であるととっくに見抜いていたはずだ。だのに、わざわざ油断しているときを狙った。
「あれが林道先輩の本性なんだと思う。絶対的に有利で、反撃の余地がない状況を作り上げないと怖い。逆境に弱いんだよ、要するに。余裕ぶってるのは、単なるポーズ」
奇しくも、優雅と同じ人物評に達した。ビルヴィスで七瀬を殺しかけたのも、恐怖のせいで先走ったのが原因だった。
それに気づいていたからこそ、ロックブーケは“臆病者”と毒づいた。
「だから、目一杯かき回してやろう」
家が飛ばしてきた窓枠とセメントの瓦が雨のように降り注ぐ。サイドミラーが削ぎ落とされ、車のトランクに大穴が開く中、少年は強気に宣言した。
『ナナセもヴァルプルギスナハトの過ごし方が分かってきましたわね』
フェレスは内心で驚いていた。夜が始まったばかりの時にはタンカーに追いまくられて右往左往していた少年が、今では逆境を逆手に取ってやろうともくろんでいる。
『ナナセなら今すぐ死んでも、きっと良いメフィストフェレスになれますわよ』
彼女なりの、最上級の賛辞だった。
「よしてくれ。角が生えて、身長が高くなるんなら魅力だけどね」
七瀬はすでに開き直っていた。




