エピローグ 或いは赫奕(かくやく)たる魔女の誕生
予告です。
深夜2時。伊勢乃木貴美は、自室でスマートフォンを開いた。“Scooting Meed!(報酬へ駆け出せ)”のサイトへ飛ぶ。
かつて七瀬は言った。「伊勢乃木貴美は、WRレアを引き当てることはない」と。他の模造魔女たちとは異なり、彼女は堕落する魂を持ち合わせていないからだ。
七瀬の読みは正しい。而して、誤りでもあった。
今や、彼女は悪魔との契約者であり、魂が繋がっており、生命を共有している。
これは並ぶもの無き「堕落」であった。
彼女に落胆はない。寧ろ、それを嬉しく思った。
―――これで、お前たちと同じ土俵だ――
半身の悪魔は、一見比類なき実力者だが、その実弱味が目白押しだ。外見が目立つ。陽光の下では顕れることができない。また、本気で魔法を行使すると、周囲に尋常ならざる被害が及ぶだろう。隠せないことの危うさ・不利益は、図らずも今回の騒動で東洋一味が実演してくれた。
その点では七瀬の喧嘩屋も始末が悪い。5mの甲冑が隠密行動に向いているはずもない。貴美が同乗したとしても、その根本問題は解決しない。
半身に頼らない手段が必要だった。
リスクは高い。が、妖物に確実に接触できる手段が、これだった。
「レーシャ老のように、話の分かる御仁に当たればいいのだが」
覚悟を決めて、彼女は限定ガチャを回す。
【WRレア、ゲット!】
果たして、彼女の願いは叶った。
目に痛い派手な演出の後に画面に映ったのは。ドット絵の奇妙なフクロウだった。レーシャや亜子のように、本物そっくりというわけではない。古めかしいドット絵で、しかも粗い。
フクロウは左右で色が塗り分けられていた。右は黒、左は白。
その2色フクロウが、葉の一枚もついていない枯れ木に留まっている。
『『なぜだ……』』
フクロウの声は、奇妙にエコーして聞こえた。
『『なぜ我々を呼び出せる……? 今回の偽典、我々は“星辰の中央”にいなかったはずだ!』』
驚愕、怒り、好奇。ドット絵のフクロウからなぜかそれらが感じ取れた。
「では、それらを無視するほど、貴美とあなたは牽き合った、ということなのだろう」
今までの妖物たちとはあまりに違う。だが感情はあけすけで、リーノのような媚態や虚偽や欺瞞は感じられない。
しかし、妖物の中にあっても異質。
「彼ら」の中での強さの序列は判然としない。だが、レーシャ老とは違った「何か」を有している。それ故に御すのは至難。
「伊勢乃木貴美と申します。テーブルにつくつもりなら、お名前を」
貴美はこの出会いを、運命と思うことにした。
『『そうか……では、過言でないと証明してみせろ』』
フクロウは冷然と告げる。
『『我々の名はノア・エムァング』』
「ノア・エマング、ですね?」
『『勘違いするな、エムァング、だ』』
発音を訂正する。まるで、物事の根幹がそこにある、とでも言うように。
「失礼しました。それで、証明とは?」
『『いまより、我々の真名を当ててみせろ。すべての情報は既に与えてある』』
「いまから?」
レーシャの時とは違い順序がデタラメだった。
『『できなければ、貴様との“運命”とやらもここまでた。我々は去る。貴様の魂をもらい受けてな。だが……』』
フクロウが、器用に口の端を吊り上げた。
『『万一正答できたなら、我々の魔法を授けてやろう。万能にして無能、全知にして無知たる、“魔女ノ夜宴”をな!』』
――――――10月末日―――――
何もなくなったアパートの一室で、岸手れいりは“食事”を続けていた。
「ああー、おいしー……」
夢遊病者のような焦点の定まらぬ瞳で。緩慢な動作で、握った棒状のモノをかじった。大根ほどの太さのされは、末端が5本に枝分かれしていた。
もう、どのくらい食べ続けているだろう。
――いや、“何人”と形容すべきか。
れいりの腹は、再び膨れ上がっているが、単なる肥満ではない。まるで電柱がそのまま入っているかのように、ある箇所はありえないほどに突き出ていたり、また別の個所は昆虫のような蠕動を繰り返していた。
この有り様で生きていること自体がおかしい。
だが、不自然であることに、れいりだけは気づかない。
彼女は、かつてない幸福のただ中にいたからだ。飽くなき食欲が、満たされ続けている。
『愚生ノ魔法、オ気ニ召シテイタダケマシタカナ?』
「うん、幸せー……」
多幸感で言葉が少ないれいり。
『貴殿ノ“願イ”トヤラハ叶イマシタカナ?』
それは、ネハシュの最初の問いかけ。「あなたの願いは何か?」と問われたれいりは、「おいしいものを食べること」と答えた。
「うん。願いが叶って、幸せだよ~」
彼女の夢は叶えられた。もっとも背徳的な形で。
妖物たちには。それぞれが司る形象がある。
ネハシュの形象は「願い」。それを満たせるために、「ネハシュ」の偽名の如き甘言を以て、れいりを完膚無きまでに堕落させた。
本来、生贄の役目はそこで終わりのはずだった。願いを叶えた代償に彼女は身体と魔力を奪われ、ネハシュは肉の身体を得る。
使い捨ての供物。
そのはずが。
「……でも、まだまだ食べたい……」
れいりは至福のまま、食事を続けている。いつまでも。
(信ジラレヌ! マサカ、コノヨウナ化生ガオルトハ!)
体中の皺が一層深まった。嗤っているのだ。
ネハシュを驚愕させた位相外。それは、れいりが満足し続けていることだった。
どのような快楽であれ、至福であれ、苦痛であれ。人は刺激に「慣れる」生き物である。それは<害無キ乃午餐>とても例外ではない。
それは人間に生まれ落ちたものならば赤子でも持つ、強みであり業であった。
れいりにはそれがない。
――願いを叶え続けている存在――
他の人間にとっては何の意味も為さない。
だが、「願いの王子」ネハシュにとってそれが何を意味するか。
無限に契約を果たし続ける、無限食がそこにあるのと同義だった。
無限の魔力炉。無限の肉。これで負けようはずがない。
譬え、王を自称する序列1位であろうが。隠遁決め込んだ起源最古参の悪魔、ペルシアの偉大なるアエシュマ・デーヴァであろうが。かの「他に比類なき」「堕ちたる太陽」と呼ばれるかの双面魔であろうが。
『デハ、最後ニ1ツ。契約ユエ、愚生ノ真名ヲ披露イタシマショウゾ。真名ハヴぉらく。“願イノ王子”ナリ!』
れいりは無反応だ。だが、腹が不気味に律動を始める。
れいりの腹が裂け、猛烈な勢いで無数の化け物が飛び出した。30cmほどのネハシュ、いや、ヴォラクの群れである。それは際限なく、無限に腹から湧き出し続ける。
れいりは構わず、痛みも感じることなく、食事を続けていた。
『我ガ母上ヨ! ソナタノ願イハ、愚生共ガ引キ継ゴウ!』
ネハシュの肉を得てからの行動原理は、全て契約者の「願い」を反映する。誕生したすべてのヴォラクは、れいりの願いの化身となる。
奇怪な羽音で飛ぶヴォラクたちには、目がなかった。眼球があるはずの空洞には、牙を備えた口がある。手のひらにも、腕にも、腹にも。「ネハシュ」であった頃の皺だらけの外見。そのすべて皺が、ぱっくりと開いて口となっているのだ。体の表面に、数えきれないほどの口が、獲物を求めてガチガチと牙を鳴らしている。
『3億ノ愚生共ガ、世界ヲ喰ライ尽クシテヤロウゾ!』
ここまでこぎつけることができましたのも、読んでくださる方、温かい言葉をかけてくださるユーザー皆様のお蔭です。
毎週、感想や活動報告でコメントをいただくのが、とても励みになりました。
最終章のために間をあけますが、書くことから遠ざかることではなく、別の小説も書いて投稿する予定です。




