死の境界<楽園編92話>
タイトルは「きょうかい」ではなく「きょうがい」です。次回の予告も踏まえたタイトルになっています。
茂樹修也のイラスト描きました。筒<楽園編67話> に載せています。
「追いついたっしょ!」
横倒しになった杭が、サーフボードのように道路の上を滑ってくる。粘度と張力を調節して滑らせているらしい。頬を腫らした沼瀬が、杭の上に乗っかっていた。
精密な操作は得意そうではなく、あちこちにぶつけながらの乱暴な猛進である。
「ケッ、いっつもは大して使い道のねぇ魔法のクセによ」
遅れて追走している毒錆が悪態を吐いた。市内で水が豊富にある場所など珍しく、また使用するにも目立ちすぎる。使い勝手が悪い魔法ではあるのだが、今回のように型にはまると無類の強さを発揮する。
沼瀬海の魔法“溺死体”は触れた液体を操作できる。限界はおよそ20万リットル。25mプール容積の約半分の規模だが、粘性や張力の調節をしようとすると、操れる最大水量は大きく目減りした。
「突撃じゃい!」
沼瀬は、暴力の自由に酔っていた。一切速度を緩めることなく、水の杭が交番に激突する。交番を跡形もなく破砕するも、勢いが減殺されずに、そのまま奥のビルに突っ込んだ。
至極大雑把な突貫だったので、ふたりに簡単に避けられた。図体のでかい杭や警察署の瓦礫に邪魔されて、標的を失跡してしまう。
「雑なコトしやがって! 逃がすんじゃねェぞ!」
声を荒げたところで、着信音が鳴った。人除けの結界が働いている中で電波が届く相手は限られている。毒錆はスマホをイライラしつつ取り出す。巨人化した身体にとって、スマートフォンは小人の玩具だった。
「なんだよ、ケンヂ!」
声が大きいのは地で、相手の聴力低下を慮ってのことではない。
悠長に電話をしている隙に、獲物に逃げられるかもしれない。それでも会話に応じたのは、自分を敬遠しているはずのケンヂが、わざわざかけてくるほどの重大事を予見したからである。
「大変だ! 今、結界の一部が破られた」
通話相手は、ケンヂと呼ばれたことを怒る余裕も失っていた。
「ああ? テメェの結界は指定したヤツ以外は受け付けねーんじゃなかったのかよ!」
毒錆が電話口で凄む。注意力散漫な相方は、所在無げにうろうろしている。任せていても見つけられそうになかった。
「ボクだってこんなこと初めてだ! でも、何者かが結界内に入り込んだ、これは間違いないんだ!」
負けずに言い返してくる。動揺しているのは、絶対だと思っていた結界が破られたケンヂの方だった。
実は、別件でリーダーから「魔法使いの侵入を許可する」よう命令されているが、その変更をする矢先に起こった怪異である。さすがにそのことは口に出せなかった。
ケンヂのか細い絶叫を聞くまでもなく、毒錆も非常事態を察していた。
(ケンヂの結界が破られた。このタイミングで? 偶然のわけがあるかッ!)
「破られたっつー場所はどこだよ?」
「み、南の方。サイゼのあった辺り。それは分かってる」
土地勘がないなりに、頭に地図を描く。こんな時、猪寅カヲルがいれば、一も二もなく任せていた。彼女の“満月症”ならば、距離など問題にならない機動力がある。
だが、なぜか彼女とは朝から連絡がつかなかった。毒錆はリーダーから何らかの妨害があったのだろうと勘ぐっていた。
(クソがッ! どうにもうまくねぇッ!)
当初の予定では、30分で片が付く楽な仕事のはずだった。10分で獲物を締め上げて金の隠し場所を吐かせて、始末する。20分で金を回収して撤収する。
沼瀬と設楽を呼んだのも、本来は戦力としてではなく、「新毒錆軍団」の喧伝が主目的である。
だが蓋を開けてみれば、無力なはずな獲物がハナにつく抵抗をしてくるせいで、捕獲すらできていない。その上、奇妙な侵入者まで現れたようだ。
本来、ここまでケチがついたら、撤退するのが常道である。幾度も危ない橋を渡ってきた毒錆には、滑り落ちないための経験則もあった。
深追いは大ケガの元となる。普段なら、退いただろう。
(目ン玉まで潰されて、今更退けっかよ……ッ!)
毒錆が、ここまで追い詰められていなければ。
成功するはずの強盗で返り討ちに遭い、そのうえ片目まで取られたとあっては恐怖どころか物笑いの的になる。
それどころではない。今回の失敗で失うのは、金や信用に留まらない。行く末は警察に捕まるか、リーダーに抹殺されるか。いずれにしても、再起は不可能に等しい。
「わーった。コッチで始末つけっから、オメーは北に移動してろや」
ケンヂが殺されるようなことがあれば、すべては水泡に帰す。悪漢は、有無を言わせず通話を切り、続いて御祝家を漁っている設楽嗣也に連絡を入れた。
御祝七瀬の誤算は。
毒錆右近が、標的を見失ったからと言って、無策に走り回るような外見通りの単細胞ではなかった点にある。暴力で解決するのが手っ取り早いので好んでいるだけで、頭が回らないわけではない。幾つもの不測の事態が、頭に上った血を冷やす結果となった。
無策にうろつきまわっている沼瀬を尻目に、毒錆は思案する。
(あの野郎は、けったいな魔法を使う。だが、どれもオレ様に通じねぇこたァ分かったはずだァな。待ち伏せのセンはねぇ)
七瀬の魔法の出処に頓着しないあたりが、無駄に推測を巡らせてしまう七瀬との相違である。
(ならどうする? ……逃げるに決まってらァ。なにより、足手まといがいるしよ)
ミイワイナナセは常に妹を庇っていた。毒錆には終生理解しえぬ感情だが。
(んで、人除けの結界にはもう勘付いてるだろ。助けを求めるために、範囲外に逃げようとしてるに違いねぇ。どこへ向かって逃げるよ?)
兄妹は無人の交番や大通りに愕然としていた。あれで作為を疑ってない方がおかしい。
(“結界から抜け出た後”のことを先に考えやがるタイプだ……目指すのは、すぐに助けを求めれるように、人間が集まりそうな場所で、いざって時に逃げ隠れしやすい場所、だ!)
もう進路に迷いはなかった。日曜のビジネス街や住宅街は条件に当てはまるとはいい難い。
「沼瀬ェ! アイツらはF駅に向かってるはずだ! ついて来い!」
七瀬は既に住宅街を脱していた。人馬宮のシジルを活用しつつ、ビルの屋上伝いに妹を抱えて移動する。少し目立つかもしれないが、高低差を稼いでいれば、毒錆に見つかっても距離を詰められにくい。至近距離で対峙すれば死神に見える毒錆も、距離を取って逃げる相手には有効な攻撃手段を持ち合わせていないようだった。
それに、道路を走って逃げるには、沼瀬が危険だった。むやみやたらに乗り回す暴走杭に、偶然轢かれてしまう危険がある。
「もう少しで駅だ。ここまで逃げれば、結界の外に出るかな」
出さえすれば、助けを求められるし、電車に乗って逃げてもいい。
結界の中心である宇平ケンヂが移動していることを、七瀬は知らなかった。
「だいじょーぶ?」
優雅が心配そうに声をかけてくる。人馬宮で重力を操作しているとはいえ、妹を抱えたままの行動はかなりの負担だった。
「へーきへー……」
妹に視線を落とす。自然、下を見ることになった七瀬の視界に、巨人が映りこんだ。
巨人が持ち上げているのは、なんとクレーン車だった。クレーン部分をバットのようにつかんで持ち上げている。
「つくづく車好きだな!」
遠距離が苦手、というのは七瀬の楽観的な思い込みのようだった。
「うるぁああッ!」
ビルの屋上を走っている七瀬目掛けて、クレーン車をハンマー投げのように振り回して投擲する。クレーン車が屋上のわずか下の最上階に命中すると、尋常ではない衝撃とともに、4階と3階が吹き飛んだ。車は全損しつつ建物を突き破って落下していった。
会中こそ免れたものの、着地する予定だった足場がガラガラと崩れ落ちる。
「う、うわっ!」
衝撃と足場の消失に慌てる。吹き飛んでくる建物や車の破片が、いくつか身体に命中した。とりわけ大きめの瓦礫が、右膝を直撃する。
「いっ! じ、人馬宮のシジルよ!」
激痛の中噛まずに唱えられたのは、幸運と言うより外にない。崩れたビルに左足をかけ、できる限り遠くに跳躍する。
先にあったのは、コの字型の繊維ビルだった。内側部に着地すると、右足から全身に鋭い痛みが走り抜けた。妹を抱いて走ることはおろか、一歩も歩けそうにない。
「優雅、ケガはないか?」
「だ、だいじょうぶだよ!」
妹を降ろし、無事を確認する。七瀬の身体が盾代わりになったようだ。
だが、自身はひどい有様だった。腕や肩の打撲はともかく、右足の傷がかなり深い。出血もしていて、おいそれとは止まりそうになかった。
(マズい、どうにか優雅だけでも逃がさないと。僕が囮になるしかないとして……)
敵が思い込んでいるような大金は持っていない。真実だが、それで矛を収める輩ではない。しかも片目を潰されて、恨み骨髄だろう。
降伏も含めて、どうしても自分が助かる未来が想像できなかった。
「……大嶋君のセリフじゃないけど、死にたくないなあ。いざとなると、心残りばっかりだ」
自嘲気味に嘆息した。
佳境です。次回に注目お願いします。




