5月1日への招待
5万字が見えてきました。
無人の家に帰宅を果たす。
「警察相手に嘘を通すなんて綱渡り、もう勘弁だね。優雅にも半分は嘘ついたことになるけど、しょうがないよな。警察に本当の事話してたら話してたで、今頃精神病院か臭い飯だ」
『あんな女のことよりナナセ、わたくしはお腹が空きましてよ』
主人より早くイスに座って催促する使い魔。やはり優雅との相性は悪いらしい。
「はいはい、ちょっと待ってて。寝かせてたシチューを温めるよ。それで、さ、フェレス。今度の契約で、僕に何か制約はあるのかい? ムシが良いけど、人間を棄てるのは勘弁だよ」
緊急避難的に契約を結んでしまったが、冷静になってみると不安な点だった。
『わたくしは粗野な小妖精ではありません。自分の影を見てくださいな』
「影?」
促されて床を見る。光源に照らされて床に寝そべった影は、本体である七瀬を無視して、背中合わせの甲冑の姿をしていた。
「……これは、喧嘩屋?」
試しに右手を上げると、何故か影は左足を上げる。
『はい、契約によって喧嘩屋をナナセに委譲しました。悪霊の一種である喧嘩屋は、ナナセの影に巣食うことになります。実害はほとんど無いでしょう。動物には生涯なつかれないでしょうが、馬に乗る時代でもないことですし』
悪霊、という言霊の響きに動揺する。動物に嫌われるのも猫好きの七瀬にとってはショックだった。
「言葉通りの意味で日陰者になっちゃったか。でも、命あってのモノダネだからなあ」
他人に発覚したら大騒ぎになるところだが、命が拾えて害がその程度で収まるのなら重畳と言わねばなるまい、と思う七瀬だった。
『後は精々、十字架を押し付けられると火傷をするとか、教会などの聖域に入れないとか、水に浮かばなくなるとか、強い日差しを長時間浴びたら溶け始めるとか、別段大した支障はないですわね』
「い、今スゴイの混じってたよ?」
まあ、何と言われようと、契約をなかったことにはできないのだが。
七瀬も疲れきっていたので、シチューを作り置きしていたことはありがたかった。鍋を火にかける。
「どんなに疲れてても温かいものは食べないとな。嫌なことは何もかも忘れて食べるのが一番だ。“憂いて食すべからず、食して憂うべからず”って貝原益軒先生も言って……ん?」
食事は安らかな心で摂るべきだ、という「養生訓」の名言を引用しながらシチューをかき回していると、おたまが何かに引っかかった。具が焦げ付いているのかとすくってみると、シチューの中から黒い封筒が現れる。
「うわあ。変わった趣向だ」
しばし絶句。悩みの種が、養生訓を唱えて舌の根も乾かぬうちに来訪してきた。シチューから出たばかりのはずの封筒は、なぜが一滴も濡れないままにおたまの上に居座っている。
「せっかく暖めたシチューが冷める。食べながら読むことにしよう」
ほとんどヤケである。
『図太くなりましたわね。あの下衆とのいさかいも良いカンフル剤になったようで、喜ばしい限りですわ』
フェレスの解釈はエコヒイキと言う方が正しかった。シチューをよそって、目の前に2つ置く。もはや当然のようにひざの上に座る使い魔。左腕のことを七瀬に話すつもりはないようだった。
『美味しいですわ。あえて時間を置いて食べるなど、人間は業が深いですわね』
左の皿はフェレス用である。例によって、スプーン等の給仕は主人であるはずの七瀬の役割だった。手放しで褒めないところも、彼女の言うところの「業」だろうか。
七瀬は左のスプーンでフェレスにシチューをすくい、右のスプーンで自分の口に運ぶという2刀流の新技を披露していたが、人心地つくと封筒に手をかけた。
本音は無視したいところだが、そうもいかない。封筒には、いつものように紙片が一枚封入されていた。
“ご連絡です。御祝七瀬様は、同じ魔女の樋口啓二様から資格を奪いました。よって、樋口様の分も責務を負っていただきます。5月1日は頑張って下さい!”
樋口を誅したことを、あまり咎めていない文面に面食らう。「責務」とやらの内容も分からない。
「大体、何で魔女なんだ? 樋口は男だぞ」
『本来、魔女に男女の区別はありません。魔法をたしなむものは皆、魔女と呼ばれるのですわ』
男の魔女を指してウォーロックと呼ぶこともあるが、それはあくまで狭義の解釈だった。
「つまり、使い魔を連れてる僕も魔女?」
スプーンで自分を指して尋ねる。
『無論、魔女ですわ。中世ならば香ばしく火あぶりにされてますわね』
何とも違和感のぬぐえない七瀬だった。不意にインターホンが鳴る。返事をするよりも早く、ドアが開かれた。
「七瀬、帰ってるんでしょ? 入っていい?」
声の主は、先ほど別れたばかりの優雅だった。
「優雅? どうぞ、リビングだよ」
迎えに出ようとしたが、ひざ上のフェレスが退去を頑迷に拒絶したので声で誘導する。
勝手知ったる何とやらで、優雅は迷うことなくリビングにたどり着いた。服装はジーンズにトレーナーというラフな組み合わせである。手には大きな包みを提げている。
「2人羽織、まだやってるの?」
優雅はけったいな食事風景を二人羽織と称した。言い得て妙な表現だと七瀬は感心する。
「まさかあんた達、晩御飯はシチューだけ? お腹一杯になるまで流し込むつもり?」
「細々したものを用意するのが面倒で……」
何となく、ズルがバレた子どものような心境の七瀬だった。
『ナナセの料理は美味しいので、貴女にとやかく言われる筋合いはありませんわ』
相変わらず、使い魔と少女の仲は絶対的に悪いようである。
『貴女の分のケーキなどございませんからね。わたくしとナナセはいちごのしょーとけーきを仲良く食べるのです』
まるで、縄張りに入ってきた侵入者を威嚇する犬である。優雅は白い箱を覗き込む。
「ここ、チーズケーキが有名じゃなかった? 違うの頼んで分ければいいのに」
口に出してしまうあたり、優雅も名前とは真逆に野暮に属する人間かもしれない。フェレスがギッ、と目を尖らせて睨む。
「“友情は成長の遅い植物である”ってワシントン大統領は言ってるけど、この2人の友情の芽は確実に根腐れしてるな、うん」
益体がなさそうなので間に立って修復することをあきらめよう、と思う七瀬だった。
「で、こんな夜に来たご用件は? 不毛な会話しに来たんじゃないんだろ?」
来客の意図をまだ理解していない七瀬。
「ご挨拶ね、あんたたち。大急ぎで用意してきたってのに、ほら」
提げていた風呂敷をほどくと、重箱が納まっていた。どうやら、別れ際そっけなかったのは、すぐに訪問するつもりだったからのようだ。
「栄養のバランスを考えて作ってきたんだからね、感謝しなさい」
お婆ちゃん直伝の腕前だ、と以前言っていたことを思い出す。
「おー、助かるよ。どれどれ」
喜び勇んで重箱を開けると、野菜の煮しめ、煮物がずらりと並んでいる。全体的に地味。
「……何だか、江戸時代の屋台のようなラインナップだ。地味で滋味がありそうな」
異常に渋い品揃えに、思わず本音が漏れる。
「なあに? 寿命まで人の七割引きにしたいようね。前の刑期も残ってたものね」
学校で言っていた「執行猶予」のことらしい。好意を失言で返したので、素直に詫びる。
「すいません。情状酌量の余地はないこともないと愚考するんで、寿命はせめて三割引きぐらいで」
『上納品ということならば、受け取るのが度量というものですわね』
フェレスは心なしか嬉しそうだった。意外に煮物の類も好きらしい。
優雅との会話に気をとられて、手紙の末尾のことは頭から追いやられてしまった。
“5月1日は頑張って下さい!”
明日である。明日の何を頑張るのか、七瀬には皆目分からなかった。
16日中に次話投稿します。




