3対1<楽園編89話>
平和な日常は崩れました。山場の始まりです。
七瀬が愚連隊に緊張していると、
「おいおいおい、毒錆のダンナ。そんな急がんでくれえ。酔いが醒めっとたいぎいけえ」
妙な男がポケバイでよたよたとやってきた。坊主頭にサングラス、太りぎみの体型をアロハシャツで隠している、やさぐれた雰囲気の男だった。
缶ビールを飲みながらの運転で、泥酔寸前なのかハンドルさばきが危なっかしい。
「沼瀬ェ! これから強盗すんだぞ! 酒なんぞ飲んでんじゃねぇェ!」
「げ、増えた!」
口調が硬くなる。味方でないことは明白であるし、「タタキ」とやらの標的が自分たちであることも容易に想像がついた。
「いざって時に魔法使えなかったらしわいっしょ」
言いつつも、沼瀬海はポケットからさらに缶ビールを出して飲み始めた。
「ケッ、水で充分だろが。で、設楽はいつまでかかってやがんだ。……おせーぞ、設楽ァ!」
別方向から、自転車に乗った男が息を切らせながら追いついてきた。分厚い眼鏡をかけた男で、銀に染めた髪にパーマを当てている。小男だが、陰湿な目つきをしていた。
「そこいらのバイクパクッて来いっつったろーが!」
「だって、この自転車、8万4千円もしたんだ。置いて行って、盗まれでもしたら大変だよぅ」
バイクを盗んで移動するはずが、盗難を恐れてできなかったようだった。
「ケンヂが結界張ってんだぞ! 盗む奴なんていやしねーよ!」
毒錆が怒鳴るが、普段グループ内で何の役割も与えられていない爪弾き者の2人が、仲間の魔法を把握しているはずがなかった。
3人が3人とも若い。そして、暴力を厭わない者たちであるようだった。
尚且つ、最悪の情報が1つ蒔かれた。
沼瀬という坊主頭の発言。
(いざって時に魔法使えなかったら)
つまりは、使えるのだ。魔法が。おそらくは3人とも。
3対1。事態は最悪だった。
「ああもうメンドクセェ! 手足の5,6本もへし折りゃ、吐く気になんだろ!」
毒錆が癇癪を起こした。従来交渉事は苦手であるし、交渉をしに来たつもりもない。悪漢は上着を脱ぎ捨てた。
この時、2人の認識には大きな隔たりがあった。毒錆右近は「魔法を手放したただのガキ」と思い込んでいる。この時点では毒錆の警戒心は眠ったままだった。
一方、御祝七瀬は先の沼瀬発言から、「奇妙な3人組は魔法が使える」と考えている。
よって、単に殴り掛かった毒錆に対して、七瀬の反応が過剰になるのも無理はなかった。
拳をどうにかかわす。つい先日銃口を突き付けられた少年にとって、拳はまだしもマシな部類に思えた。
指を突き付ける。
「天蠍宮のシジルよ!」
正式な詠唱をする余裕はなかった。腕にでも手傷を負わせて退散させられれば、という意図だった。
ここに至り、「ただ指を突きつけようとする」行為の不自然さが、毒錆の警戒心を中途半端に揺り起こした。
首をねじって回避しようとする。それが、最悪の結果をもたらした。
熱線が前髪の一部を焼き、不幸にも右眼をかすめた。詠唱を省略したために威力はしれたものだったが、眼球は急激な温度変化に弱い。右の眼球はたちまちのうちに白濁化し、光を喪った。
「ぎゃあッ!」
さすがに目を押さえて悶絶する悪漢。
「ぎゃはははっ、ダッセー!」
指を差して嗤う沼瀬。こちらにまるで注意が入っていない。
「あっ、ご、ごめん?」
七瀬の意図しない「やりすぎた」展開だが、チャンスが生じた。相手は目を押さえて呻いている。取り巻きは馬鹿笑いしているだけ。
大急ぎで妹を抱えて逃げようとした。大通りまで出れば、人目も交番もある。
「沼瀬ェ! 逃がすな!」
指の隙間から目をギラつかせて、男が叫ぶ。
ほぼ同時に、逃げようとする七瀬の足に何かが絡みついた。足を引っ張られて横転する。
「たちまち、捕まえるっしょ!」
見れば、沼瀬の掌から伸びた半透明なロープが右足に巻き付いている。それは、水でできたロープだった。掴もうとしても、手はロープを滑り抜けるばかりでうまくいかない。
「めげねーっしょ! なんせ水なんじゃから!」
どうやらこれが、坊主頭の魔法のようだった。ビールを飲んでいたことから、身体の水分を操作する魔法、と七瀬は推測する。これがあったから、呑気に仲間を笑う余裕があったのだろう。
だが、非日常に足を突っ込んだ少年にとって、魔法は既に見慣れたものであったし、打開策を検索するのも困難ではなかった。
「宝瓶宮のシジルよ!」
叫んでロープに触れると、一部が瞬時に凍り付く。固体になった箇所を狙って叩き折った。
「はがえーの! 変な手品使うなや!」
「水芸してる人に言われたくないなあ」
方言混じりの罵声に七瀬はぼやく。しかし、しっかり毒錆が立ち直る時間を稼がれてしまった。
「ブッ殺してやる!」
左目をギラつかせて毒錆が吼えた。最後の理性が吹き飛び、「なぜ魔法が使えるのか」という疑問を押しつぶす。
3日前の毒錆右近であったなら、ここまで短絡的にならなかったかもしれない。後がない焦りと目を奪われた怒りが、彼を鈍麻させていた。
兵隊としてならともかく、指揮官としての適性が致命的に欠けていた。
「“シールケ村の魔女、樫の杖を持ち出せッ!”」
“樫杖の魔女”の文言を唱える。巨漢の身体が、更に膨れ上がった。
「おっきくなった!」
妹は驚きと悲鳴を同時に声にした。
「殺る気だよぅ、毒錆のダンナ」
設楽が眼鏡をずり上げて他人事のように言う。
「そういう魔法かっ」
明らかに戦闘に特化した魔法であることを察した。3mの巨人と化した毒錆が間近に迫ってくる。
「らあっ!」
兄妹にとって幸運だったのは、毒錆が直前に片目を失明したことだった。
遠近感の狂った一撃は、特段動かずとも2人に命中することはなかった。空を切った拳が家の塀を易々と粉砕したのを見て、七瀬は息を呑む。
「くそあっ!」
巨人が隣家の壁沿いに停めてあった軽自動車にとりついた。軽々と持ち上げて、投げつける。
「ウソだろ?」
やはり失明の影響か、投擲に適する形状でなかったからか。国産の車は七瀬の髪をかすめて自宅に命中した。車は壁を突き破って室内に侵入、幾つもの壁を貫き、最後には逆側の壁を砕いて飛び出していった。
「家を貫通した……?」
七瀬の知る「魔法」は、目や耳を封じたり、棒状のものを飛ばしたり、居場所を探知したり、どちらかというと搦め手や間接的なものが多かった。ここまで露骨に闘争のみを求めた応用性のない代物には初めてお目にかかる。だが、それ故に際立って強力なのだろう。
剛力も精神状態も尋常ではない。だが、投げ終わって隙だらけの今が好機だった。
「アルマデルの名に於いて招聘する! 天蠍宮のシジルよ!」
今度は詠唱込みの熱線を放射する。毒錆の胸に命中した。本来なら、内臓に甚大な損傷も与えうる魔術であるが。
「熱ィぞ、くそ!」
顔を顰めさせる程度の妨害にしかならなかった。巨大化したことで、耐久力も桁外れに向上していることは明らかである。
3mの巨体に直径1cmの火傷の跡は、いかにも頼りない。
(マトモに戦ったら不利だ。……それに、なにかおかしい)
そこでやっと、七瀬は近隣の異常を察した。この騒ぎの中、近所から誰も出てこない。人気がなさ過ぎた。
怒髪天の巨漢が、瞬く間に距離を詰める。拳を振り上げた。妹を強く抱き上げる。
「そ、双魚宮のシジルよ!」
咄嗟に叫ぶ。双魚宮は水の太陽星座に属する。シジルは、軽度の認識阻害。瞬間だけ思考に空白を強いる。
「うぅるぁあッ!」
毒錆は軽い立ち眩みを覚えた。渾身の一撃はまたもや空を切る。
「人馬宮のシジルよ!」
続いて、再度飛ばされた沼瀬の水縄を跳躍して躱す。
「わわっ! お空飛んでる!」
「詳しいことは後で話すよ」
幸い、抱き上げた妹は、目を丸くしただけで大人しくしてくれていた。おそらく、事態に現実感が追い付いていないのだろう。
「チッ! 設楽ァ! 家を漁ってカネェ探しとけ! 沼瀬はついて来い!」
命令して、駆け出した。自転車でやってきた設楽は追跡に使えないと判断したのだろう。
「じゃあ、先に行っておくよぅ。おじゃましまーす」
設楽は車の空けた大穴から家に侵入した。
「りょかいしたんじゃ!」
設楽もポケバイで追いすがってくる。車種にもよるが、ポケバイは時速40~50kmは出る。追跡に不便はなかった。
巨人は地面を砕きながら走る。怪力を持て余し気味なのか、感情が昂っているせいなのか、一歩一歩に無駄に力が入り、地面を砕いてしまうせいで機動力を殺している。長距離の移動は短距離ほど得意ではないようだ。
それよりも、小回りの利くポケバイの方が難物だった。
「よーし」
ポケバイの大きさと進路を見据えて、七瀬は一計を案じる。
一本外れた通りに着地すると、2歩後退し、追い上げてきた沼瀬に向き直った。
「アルマデルの名に於いて招聘する! 天秤宮のシジルよ!」
対象は七瀬が踏みつけたマンホールの蓋。大きさが2割縮小し、蓋が落下する。直後にポケバイが。
「追いついた、あ……ッ?」
沼瀬の声はポケバイともども、ビリヤード台のポケットに落ちる球のように、即席の落とし穴に消えていった。
「死んでないだろ、た、たぶん」
そこまで配慮する余裕はなかったが、ともかくも、追手が一人消えてくれた。
「すごーい! お兄ちゃん、まほー使い?」
妹が目を輝かせて尋ねる。
「違うよ。魔術師、だよ」
七瀬は控えめに訂正してみせた。
魔法との関連付けで沼瀬海は、名前に全てさんずいがついています。タコ頭もその連想だったり(笑)
なお、方言は広島弁です。




