銀の弾丸<楽園編82話>
楽園編79話よりもさらに長くなりました。
でも、いい区切りまで書けたと思います。
「いい? 5月1日に?」
カイシャインは素っ頓狂な声を上げた。王様が酒の肴に語って聞かせた内容は、夢想だにしないものだった。
“魔法売ります!”という黒い手紙によって、魔法を取得した者たちが参加させられた、未曽有の夜宴。
そして、願いによって魔法を持ち越した者たちは、集団を形成しつつ息を顰め乍らも潜伏している。
「この町に、そんな危険な奴らがいるのか。最近妙なことばっかり起こるはずだ……あれ? 王様は?」
疑問にぶつかる。ヴァルプルギスナハトだけでは、王様の説明がつかない。
『我らは無関係ではないが、まあ、別口だ』
吟醸酒を呷ってご機嫌な王様は、『我ら』と複数形で言った。
右手には黒い装丁の古びた本。膝の上では猫が居眠りを決め込んでいる。
『無論、我ほどに強力なものはおらんがな』
常人が言えば誇張に取れる言葉も、この王の口から聞けば、真実に思えてくる。何せ、たったいま、強大な力の一端を垣間見たばかりなのだ。
カイシャインが魔法使いたちに興味を持っていると知るや、王様は懐からカエルを取り出した。黒っぽい色で体長15cmほどの、ヒラタピパに少し似ている。
王様がカエルの背中に何事か呟くと、カエルの口が異常に広がり、あの黒い本を吐き出したのだ。
王様は「חוכמה גדולה(全知)」と表紙に書かれた――もちろん、カイシャインにヘブライ語など読めなかったが――その本をめくりつつ、5月1日の内容を教えてくれた。
――なんなんだ、あの本は?――
カイシャインの不審な視線を受けて王様は、
『なあに、この本には、“塵界の総ての過去”が記録されておるのだ』
と、こともなげに言い放った。
「そんな便利なものがあるなら、<四方王陣>よりソッチを貸して欲しかったッスよ」
愚痴を言いたくなる男だった。こんな万能具があるなら、どれだけ出世の助けになるだろう。ヘブライ語が読めたとして、だが。
『戯けが! この本は獰猛だ。キサマが触ったが最期、腕から喰われて骨も残らんぞ』
「どんな本だ!」と言いたいが、冗談には聞こえなかった。
もっとも、君主は以降安易に「חוכמה גדולה(全知)」を持ち出すつもりはなかった。御膳立てはしてやる。
だが、勝利はおんぶにだっこの「棚ぼた」ではなく、カイシャインが自らの足と知恵で切り拓いてゆかねば意味がない。
「しっかし、そんな映画みたいなことがあったんッスね。蚊帳の外だった俺には、さっぱり関係ないけどな」
率直な感想を漏らすと。
『おい、何を呆けたことを言っておるのだ』
本を閉じた王様があきれ顔で言った。どこからともなくアルコール度数95度のアメリカ産エバー・クリアを取り出し、一息で瓶半分飲み込んだ
「ん? 何がッスか?」
『いいか! 魔法を持ち越した連中は、統率が弱く、有頂天になっておるばかりだ』
尊大な割に世話焼きである王様は、指を立てて説明する。
『我の同類を召喚した不運な人間たちも、てんでバラバラに我欲を満たすばかりだろうて。そういった者どもが選ばれておるのだからな』
2本目の指を起こす。カイシャインは深く頷いた。仕事柄、似たような人間の醜い側面を見てきた。
男は何となく、王の言わんとしていることを察した。
「つまり、俺が一番、全体の情報を手にしていると?」
正解を答えた生徒を見るような目で、王は見やった。
『そうだ! “カヤの外”などと言っておる場合か! キサマは云わば、神の視点に最も近い位置にいるのだぞ?』
そうか、とカイシャインは理解した。王様は、自分を神の視点とやらに押し上げるために、この町のことを具に語って聞かせたのだ。
『キサマは映画のようだとか抜かしておったがな、正しくは演劇だ』
2つの差は、目の前にあるのが味気ないスクリーンか、演者たちが存在するかということ。
『その気になれば、だ。舞台に、飛び入り参加することもできるのだぞ?』
そう、この提案をするために。
「……王様は、俺を参加させたいんッスか?」
『好きにしろ。もっとも、カイシャイン、貴様の今の生活が刺激的で恵まれていて且つ、微塵も不満がなければ関わる理由はないがな』
男の心底を見透かしたように、王様はニヤリと笑った。
「…………」
充実、どころではない。男は、現実に鬱積したストレスに押し潰されかけていた。
カイシャでは、それなりに使える男と評されているだろう、と思う。
だが、責任の重い仕事は生涯任されないのではないか、といった予感がする。
皆がそれを感じる。だから意識して、或いは無意識下で、安く、軽く扱われる。有能な先輩に。何も知らない後輩に。伝播して妻に。
何か重篤な失敗をしでかした、という覚えはない。小さな印象の積み重ねが、男を今の立ち位置に縫い付けた。
心中では「俺は有能だ。発揮する機会がないだけだ」と言いたくて仕方がなかった。音声化しなかったのは、失敗したときに、「それなりに使える男」という、控えめなラベルさえ失うことになることを恐れた故だった。
「……飛び入り参加、したいッス」
断ろうにも、条件がそろい過ぎていた。広い情報、強力な魔法。そして、後ろ盾は王様。
こんな好機は、人生で二度と巡ってこないだろう。後出してジャンケンをする権利を与えられたようなものだ。これで尻尾を巻いて逃げるようでは、この先の人生で挑戦などできはしない。
『その意気だ! ではカイシャイン、刺激的な日々を送ろうではないか!』
王様が満足そうに言うのと同時に、膝の猫がニャーと鳴いた。
「しかし、あの子どもが、そんな修羅場を潜ってたとはね。見かけによらないもんだ」
カイシャインは会ったばかりの御祝七瀬のことを思い出して言った。
「まあでも、使い魔とかは失くしたんッスよね? コワい援軍はなし、と」
今後の脅威に数えなくていいようだ、と楽観的に安心する。
レックスが言表したのは主に5月1日についてのことで、七瀬の現状やシジル魔術などについては口述しなかった。
星回りの指輪はレーシャに触れず語ることができない。妖物たちの友誼の上で、独断で漏らすことは避けるべき要素だった。
王様は皮肉な笑みとともにジョッキのハイボールを呷った。
『貴様は副王のクセに、悪魔の本質を全く分かっておらんな。男の悪魔は傲慢だが……』
例えば白のような。例えば赤のような。
『女の悪魔は嫉妬深く、独占欲の塊だ。見初めた男を、早々手離すものかよ。それに』
「他にも何かあるッスか?」
王様は暫し、黙考した。
『では訊くがな、カイシャインよ。もしヴァルプルギスナハトに、ミイワイナナセがいなかったと仮定したら、どうなっていたと思う?』
猫を撫でながら質問する。
「そりゃあ、石の花嫁を誰も止められなくて、ポロツク公フセツラクが好き勝手に暴れて、この世界のオワリ、だったんじゃないッスか?」
『偶然だと思うか? 小僧がいたことが』
「は?」
話の着地点が読めず、間の抜けた声を上げる。
『神は自殺をして甦ることで、未来視の力を手に入れたのだぞ。人外どもの跋扈を、予見できなかったはずがないのだ』
「つ、つまり?」
言わんとしていることが、ようやく理解できつつあった。
『ミイワイナナセは、単なる廃材ではなく、神の放った、銀の弾丸だったのかもしれん、ということだ』
銀弾。尋常な手段だけでは倒し得ぬ対象を一撃で葬るもの、という比喩である。
「夜宴とやらを、無事に乗り切るための?」
赤髪の王は大きく首肯した。
『問題は、その弾丸を死の国に“昇進”もさせず、未だに生かしておるということだ。死者の管理者、戦死者の父と異名をとる神が、だぞ?』
自問である。カイシャインに向けて問われたものではなかった。
『ヴァルプルギスナハト限りの、文字通りの使い捨ての弾丸だったのか。それとも……』
内容的に「ここまで入れたい」という部分まで入れることができたので、メリハリが出て良いと思います。




