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魔女の契約

足が痛いと思っていたら、手首骨折してました。我ながら意味不明です。

「ナイトコバル、息を吹きかけろ!」


 下知(げちを下すと、黒い霧が湧き上がる。七瀬は振り返りざま、壊れた携帯電話を暴漢に放った。


「ナハトコボルト、こどもを寝かしつけたご褒美だ、ネグラへお帰り!」


 携帯電話が霧に触れると同時に、黒い風は雲散霧消した。


「お、おい、ナイトコバル!」


 狼狽ろうばいする樋口。

 和室で拾った携帯電話は壊れていたが、比較的新しい型だったため、リチウムイオン二次電池が使用されていた。

 原料の1つはコバルト。語源は妖精のコボルトである。


「コバルトは、ナハトコボルトの好物なんだよ、っと!」


 使い魔の受け売りである。本来ナイトコバルは子どもを寝かしつけるために召喚される。


 よって、職務が終わった旨を告げられ、好物まで放られては喜んで帰ってしまうのだった。


 事態がのみ込めていない樋口の背後に素早く回り、体当たりをかませた。たたらを踏んで数メートル後退すると、足が宙をかく。体ごと七瀬の視界から消失した。


「うおっ?」


 穴の底にしたたかに体を打ちつけて悲鳴を上げる。和室にあった恐ろしげな空洞。その穴を、樋口を叩き込む落とし穴に利用したのだった。柔らかい土なので、無傷で起き上がる。


「人を見下すことが多いんだから、これで他人と同じ目線になれたんじゃないかな?」


「畜生!」


「人を殺して、畜生に成り下がったのは君の方だろ。今の君にピッタリの位置じゃないか」


 樋口は叫んで土の壁にとりつく。むき出しの土だが、ボロボロと崩れて手がかりにならない。ナイトコバルの魔法を頼りに殺人を犯してきた樋口に、どうこうできる障害ではない。

 脱出に役立ちそうなものも、穴の底にはなかった。


 4度目の跳躍も徒労に終わった。


「観念しなよ、警察を呼んでから引き上げてやるから。更生するチャンスはやる。“よしどうあろうと人生はよいものだ”ってゲーテ先生も言ってるしな」


 人間賛歌にかこつけた勝利宣言だった。


 だが樋口は観念するわけにはいかない。捕まりたくはないし、何より格下と思っている七瀬相手に負けを認めることなど容認できなかった。


「ナイトコバル、息を吹きかけろ!」


 コバルトの効力が切れたのか、今度は霧が出た。

 が、霧の範囲は意外と狭く。穴の中さえも満たせない。射程内に人間が居なくては何らの作用も無い。詰んでいた。少なくとも、七瀬はそれを不動と思った。  

 しばし黙考した樋口は複雑な笑みを浮かべた。あきらめと狂気を内包した笑みだった。


「ナイトコバル……新しい契約だ。魂を宵闇よいやみにくれてやる!」


 叫ぶと、黒い霧がきあがった。新たな霧は拡散せず、樋口の体を覆ってゆく。


「ぐううっ!」


 苦悶くもんに顔を歪める。体は漆黒に包まれ、肩口から奇妙な脚が一対生えてきた。黒く、蜘蛛くものような長い脚だった。


「な、なんだ? 契約? 人間辞めたっぽく見えるぞ?」


 樋口の変貌を呆然ぼうせんと見守る七瀬。


『比喩でなく、ヒトを辞したのです。御存知ありませんでしたの? 魔女の契約は、段階を踏むのです』


 すぐ脇でフェレスが説明する。そういえば、使い魔はさいぜん、ナハトコボルトの別名が“魔女の甘言”であると言っていた。


『1度目はナナセがわたくしと交わしたような、重大なデメリットのない契約ですわ。ナイトコバルの息も、その契約の恩恵です』


 嬉しそうに、訳知り顔に説明する。


『ですが、2度目の契約は更なる助力と引き換えに、様々なせきを負います。ナイトコバルのような下等な妖精との契約ならば、あの通り人間を捨てねばなりません。あの下衆げすはもう2度とヒトに戻れませんわ』


 涼しい顔で説明する白尽くめ。


「そ、そんな大事なことを……この土壇場で……」


 この使い魔は、今の際になるまで、どうして黙っていたのか。


『あら、卓袱台ちゃぶだいをひっくり返すのは神様の専売特許ではありませんわよ? 試練を与えるのも、ですわね』


 少年の推測する限り、フェレスの心情は、「だました」よりも、「試している」と表現した方が近いようだった。


 この白尽くめの使い魔は、たまさか手に入れた七瀬という「資源」が何に適しているか、実験しているのではないか。


 あるいは「何か」を促したり、誘導しているのか。


 もっとも、彼女のそれは、測ったり磨いたりするような穏やかなものではなく、岩にぶつけて砕けるかどうか確かめる、というような乱暴な方法であるようだが。


 組み上げた計画も、勝利への確信も音を立てて崩れ落ちた。

 長い蜘蛛足を肩から生やした樋口が、鉄のきしむような声を出す。


「殺ス、殺ス、殺殺殺……」


 目の周り以外は全て黒いシミに染まっていた。狂気に支配されているようにしか見えない。


「で、でも、そんな未来のない2回目の契約、誰が、何の目的でやるっていうんだ」


『現にやってるやからが目の前にいるではありませんか。ナナセなら、目的はもう察しているのでしょう?』


 意味ありげな視線を向けられる。

そう、ここまで追い詰められた樋口の目的は1つしかない。


「……ありもしない、自尊心を保つため、に」


 樋口の性格を考慮せず、ここまで追い詰めてしまった七瀬の失策だと宣言されたのだった。


「ギャウゥゥッ!」

 

 黒塗りの口が奇怪な叫びを発する。虫脚がゴムのようにしなって跳躍した。穴から這い上がるどころか、天井に激突してようやく止まる。

      

 慌てたのは七瀬である。このような樋口の変容は筋書きにない。

 樋口だったものは、天井に空けた大穴から体を引き抜き、七瀬のすぐそばに着地した。虫脚で少年を蹴りつける。根性が七割の男に、格闘技経験などは無論なかった。


「ぐっ」


 脇腹に食った衝撃で吹き飛ばされた。しっくいの壁に叩きつけられてどうにか止まる。


「痛たた……骨が折れてないだろうな」


 左脇が鋭い痛みを訴えている。呼吸をするだけで痛みが走った。樋口は虫脚を振り回し、柱をなぎ倒した。天井の一部が崩れ落ち、切り取られた空が顔を出す。


「殺ス。全部殺ス。俺ガ死ヌマデニ、全部……」


 ついには、目元まで黒く塗り潰されてのっぺらぼうのようになってしまった。


14日中に次話投稿できそうです。

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