魔法売ります!
書いてみました。
御祝七瀬はいつものように8時に起床した。首だけねじって机を見ると、開いたままのノートや教科書が散乱している。テキストやノートなどは、中途までは真面目にこなしているが、終盤は明らかな手抜きになっていた。
「あー、今日テストだってのに、試験範囲全部の復習できなかったな」
気だるげに身を起こす。ちなみに、睡眠時間はきっちり七時間とっている。もう2時間睡眠を削れば、範囲全てをフォローできたのに、10時の段階で早々に総復習をあきらめたのだった。
「ま、いつものことか」
緩慢な動作で制服に袖を通し、手ぐしで髪を整える。くしと整髪料を使えばもっとちゃんとするのだが、なで付ける程度にしておいた。
リビングに降りる。トーストに砂糖を敷き詰めてオーブンで焼く。
父親は単身赴任中、母親は夜勤で明日の朝に帰ってくる予定である。
コーヒーを淹れ、トーストをくわえてテーブルにつこうとしたとき、机上に見覚えのないものが鎮座していることに気づいた。それは、一通の黒い封筒だった。
黒地に赤い文字で“御祝七瀬様”と書かれている。
「昨日の郵便で手紙なんて届いてたっけ?」
封筒をひっくり返してみたが送り主の記入は無い。一瞬、架空請求サギなどを疑ってみたが、交友関係が狭く、収入も無い学生など、的にかける意味もないことに行き当たった。
「どうせ割引券とかだろうな、七割の男だけに」
“七割の男”。中学時代からの七瀬のアダ名である。“常時七割の力しか出せない”という不名誉な理由に拠るものだ。勉強しかり、スポーツしかり、警戒心までその範ちゅうだった。
指で乱雑に封筒を破ると、中には紙片が内蔵されていた。開いて見ると、
“魔法売ります!”
という突拍子も無い文面が飛び込んできた。
「な、なんだあ?」
面食らいながらも続きの文章を読んでみる。
“おめでとうございます! 見事当選なさいました御祝七瀬様には、特別に無料で魔法をお売りいたします。
魔法をご希望の場合は、「はい」「いいえ」の、「はい」をマルで囲んでください”
下の欄に“魔法をご希望ですか?”の一文の後に「はい」「いいえ」の2つが大きく書かれていた。手紙はその一枚きりである。七瀬は首をひねった。
「送り先も、返信用封筒も無し? サギにしちゃあ変だな」
そもそもサギならば、売り物が“魔法”などとは冒険が過ぎる。
「マルで囲むだけでいいなら、やってもいいか。“神は行動しないものには決して手を差し伸べない”ってソフォクレス先生も言ってるし」
都合の良い空想と知りつつも、七瀬は虫のいい考えを働かせた。「願いが1つ叶うなら」、「もし1億円もらったら」と同列の、逃避とも言える思考は誰でも有している。
偉人の名言を引用する癖がついたのは、小学校高学年の時分から。自己弁護に都合が良いためである。
ただし、納得させるのは他者ではなく主に自分だったが。
「今日のテストがどうにかできる魔法とやらがあるならぜひ欲しいです、っと」
テストからの逃避もあったのだろう、手近に転がっていたボールペンで「はい」に○をしてコーヒーを飲む。
「ま、送りようがないんだから冷やかしだな。……む、今日のコーヒー、濃過ぎたか」
濃厚な琥珀を覗き込んで顔をしかめる。
その、目を切ったわずか数秒のうちにテーブルから手紙が封筒ごと消失してしまっていた。
「あ、あれ? どこにいった?」
テーブルの下まで覗いてみるが影も形もない。
キツネにつままれた気分だったが、のんびりしている余裕はないので、無理やり気持を切り替える。
「まあ、帰ってから探せばいいや。さっさと出よう」
問題を先送りにして、カバンを片手に立ち上がった。
登校中は、日課である自販機の検分に勤しむ。
「お、このコーヒー初お目見えだ。保護しとこう」
家でコーヒーを嗜んでから10分もたっていない。重度のコーヒー中毒だった。
硬貨を投入し、ボタンを押す。ガタン、と落下音がした。手を伸ばして受け取り口に手を突っ込むと、缶の他に、何か固い手応えがある。眉をひそめて掴みだすと、指の間に黒い封筒が挟まっていた。
宛て先は同じく“御祝七瀬様”、送り主が記名されていないところも同様だった。
「……嘘だろ?」
封の切られていない新品同様の封筒であることから、家でのそれとは別物であることは間違いがない。どのような間違いがあったとしても、自販機の中に紛れ込む道理はないはずである。
「お、オカルトだな、こりゃ」
震える手で中身を取り出す。果たして、先と同様に一枚の紙片が封入されていた。
“ご契約ありがとうございます! お送りする魔法は、当方で吟味して、本日中に発送させていただきます。今しばらくお待ち下さい”
と、文章が添えられていた。
「ひょっとして、本物、なのか?」
期待と不安が押し寄せる七瀬だった。
すぐ次を上げます。