開封
特にありません
洋上からの照り返しでギラギラと乱反射する太陽光が目を覚ましたばかりの瞳孔を攻撃する。
眩しいというより真っ白で巨大な光の中に放り込まれたように前後不覚に陥った。ようやく目が暴力的な光に馴染んでくると目の前に二つ人影が現れた。逆光で見えないがどうやら覗きこんでいるらしい。体の節々が木でできたように強張り、軋むようにしか動けない。頭の芯が凝り固まったようにひどく痛い。
それをこらえてまとわりつく毛布の中でもがくようにどうにか体を起こすと人影が飛び退くようにあとずさりした。未だに眼球は調子を取り戻していないが眼に写った人影はとても奇妙だ。体全体に白い毛布か何かを巻き付けてブクブクに着膨れし、動くのもやっとという感じでサーカスのピエロのように滑稽に見える。顔を伺いたいが分厚いガラスのような帽子に覆われてよく見えない。喉も完全に乾いているのかかすれた声すらあげられない。だんだん周囲の状況もボンヤリとだが分かってきた。ハンドバッグから取り出した懐中時計を見てみると針は止まっているらしく秒針が時を刻む音もしない。状況から察するに時刻は恐らく昼で揺れる感じからすると船の上。しかしベッドがわりのあの「棺桶」は船底の貨物室にあるはずで港につくまで水兵達が警備するので開けられる事はないと聞いていた。周りを見回すと男達が数十人私を遠巻きに眺めている。どいつもこいつも皆一様に口を半開きにして目を見開いて固まっている。見知った顔が一人もいない。だがひとつだけ見覚えのあるものが男達の足下からチラチラと見える。出港前日に金塊を積めたあの鋼鉄の箱がなぜか缶詰のように開けられ中身の黄金のインゴットがこぼれていた。それが視界に入った瞬間突如怒りが沸き起こり気づいた時にはハンドバッグの底にしまっていた借り物のガバメントを抜いて振りかざし天に向かって1発撃ってしまっていた。
フリオは顎髭が濡れて滴り落ちるほど冷や汗をかいていた。自分が見ている光景が信じられなかった。約70年間数百メートルの深海にあった箱の中にマネキン人形の様に女が詰められていてそれが開けたと同時に動きだし拳銃を撃ったのだ。頭の中が混乱どころか熱暴走しかねない光景を目の当たりにしたフリオは思わず操舵室から甲板員に連絡するためのスピーカーにつながるレシーバーを引っつかみ叫ぶ。
「う、撃つな!銃を、銃を下ろしてくれ!」
どうやらフリオが甲板にいる作業員の安全の為に叫んだ必死の願いは届いたらしいが、今度は銃口が甲板のスピーカーに向けられた。次の瞬間スピーカー付近から火花が散る。明らかに威嚇ではなく敵意を持った弾丸による返答だった。女は銃を構えながら何かを訴えがなりたてているようだが分厚い操舵室のガラスに阻まれてあいにく甲板からの声は届かない。
「分かった!そちらに行く!話を聞く!お願いだから撃たないでくれ!」
まるでシージャック犯に対する命乞いだった。それだけ叫ぶとフリオは操舵室を飛び出し、甲板に続く階段を転げ落ちるように走り甲板に急いだ。ようやくたどりつくと凍りついたように物陰に隠れる者、両手を挙げる者たちの中心に女が銃を片手に待っていた。広い甲板の隅々に追いやられた男達は今しがたフリオが通ってきた道を逆流する形で船内に続くドアになだれ込む。誰も彼も狼に襲われた羊のよう必死の形相だった。先ほど階段をかけおり息も絶え絶えであったフリオのようやく息が整ってきた時、拳銃の照準をこちらに向けながらようやく女が口を開いた。
「さっきの声はあんた?この船の船長?なんで荷物が解かれてるのよ!許可もなしに!」
怒気をはらんだ質問が続けざまに浴びせられる。ぜいぜいといまだ呼吸もままならない中年のフリオが膝に手をついてかぶりを振る。
「頼む、もう、少し待って、くれ。あと少し、」
何度か咳込み、フーッと深呼吸して頭をあげるとそこにはまるで1930年代のポートレイト写真から抜け出てきたような格好をした女がギラギラした目でこちらを睨みつけていた。
ツバの広い帽子もシャネル風のアンサンブルもパンプスも純白で柔らかい淑女の雰囲気を持ってはいるが太く濃い眉と長い睫毛は怒りに満ち、ブラウンの瞳は直情的な性格を象徴するように視線を動かさなかった。襟元から覗く鎖骨は華奢な印象を植え付けるが軍用拳銃であるガバメントをピタリと支えるのを見る限りでは見た目以上に強靭なのだろう。
「ま、まま、待ってくれ、撃たないでくれ頼むから!」
銃口から覗く闇が見えた。つまり銃はフリオの眉間を狙っている。
「撃ちはしないわ。でも貴方の船の連中は私の持ち物を勝手に開けてるじゃない!説明してもらえる?誰の許可を得ればあれを船の上で開けていいことになったの!」
「許可?私の持ち物?それは…」
話は平行線だった。いやむしろ状況は悪くなっている。フリオに向けられた銃口からいつ火を吹くか分からない。その時だった
「待った!待ってくれ!貴女をお迎えに上がるように言いつけを受けた者です!」
今までどこに隠れていたのか後ろの方からフレデリックが呼び掛ける。撃たれないように、また撃たせない為に、その重装備ゆえに船内に逃げ遅れた防爆スーツを着こんだ部下二人を盾にしながら及び腰で近づく。
「あんたどこの馬鹿!?名乗るんなら顔を出せ!」
影にコソコソ隠れる卑怯者の声に、女の怒りにさらに火がついた。続けざまに3発撃つ。
女とフレデリック防爆スーツ二人の距離は約20メートル、1発は空を切り彼方へ消え、2発目は船上のどこかに当たり金属を鋭く叩きつける音が響いた。3発目は運が悪い哀れな部下の片割れ、防爆スーツの作業員の脇腹に命中、不幸中の幸いか当然の責務か防爆スーツは爆発物の破片から身を守るという本来の任務を全うしたらしい。幾重にも重ねた特殊繊維とセラミックプレートのおかげで45口径の弾丸をなんなく防ぎ使用者の命を救った。撃たれた男が声にならない悲鳴をあげて膝から崩れ落ちる。人の心までは防弾されないのだ。
力なく仰向けに倒れたあわれな甲板作業員は顔面蒼白で気絶していた。
まさか撃たれるなんて想定していない。もう一人の耐爆スーツの作業員があわてて駆け寄り船内の安全な場所に避難させようと泡を吹き失神する男をひきずり逃げるとフレデリクは丸腰で銃を構える女と対峙するはめになった。
「これを!これを読んでもらえば分かる!」と泡を食ったように叫びながら文書を頭上に掲げる。
まったく事態の飲み込めないフリオは必死で懇願するフレデリックと頭の先から湯気が上がるほど激情した女を交互に見やることしかできなくなった。
女がフレデリックに歩みより書類を奪いとりしばらく書類を凝視する。
「どういうこと?」
女はきょとんとした顔でフレデリクに説明を求めた。
「ですから、その書類に書いてあるのが全てです!」
甲板にはフレデリクとフリオと奇妙な女の3人しか居なかった。
特にありません