浮上
登場人物
フリオ:水中ロボットのオペレーター。
ジェフ:同じく水中ロボットのオペレーター。チームのリーダー。
ジュニア:水中ロボットの技術エンジニア。上記二人の補佐、助手。ジェフの息子。
フレデリック:沈没船から財宝をサルベージする会社のCEO。経営難に苦しみ今回海賊まがいの依頼を引き受ける。貴族出身。
ひどい夢を見た。
何度となく眠りから覚めても暗闇でその闇が膜のようにまとわりつきまた黒いインク壺に落とされたような夢に引きずり込まれる。
どこまでも続くような悪夢
いつから眠りいつまで眠ればいいのか。
いっそこのまま暗黒に閉じ込められたままもう二度と目なんて覚めなければいいのに。
その日の朝からサルベージ船「アルフィリオ」のクルーは興奮と歓喜の熱狂に浮かされていた。
5年に及ぶプロジェクトの総決算とも言える作業の最終行程が執り行われているのだ。
この数日乗組員達の間で交わされる話題と言えばもっぱら、
「この仕事が成功すればもれなく億万長者になるが、一体何を買い揃えればいいのか」
という一点のみだった。いずれの乗組員も場所を問わず、時間を問わず、飽きもせず、同じような話題を繰り返していた。中にはまだ手にも入っていないクルーザーやコンドミニアムの維持費や部屋を掃除するために雇い入れるメイドの人数まで計算している者までいた。それは乗組員達の格好のジョークのネタにもなった。
そんな狂乱の中でもROV(水中探査ロボット)のコンソールルームはパーティの予感が始まったような室外と違い張り詰めた緊張感の中で淡々と自分達の仕事に取りかかっていた。照明が落とされたコンソールルームはモニターが6枚とギュウギュウに押し込まれたさまざまな装置やら機材やらでオペレーター3人が収まる座席はリクライニングもできないほどで、空調が効いているとはいえ息苦しく重たい深海に潜む蛸の寝床のような雰囲気だった。
「なあフリオ、あんた何か買う予定は?」
照明は海底を写すモニターの光だけというなかで顔を浮かびあがらせた痩せた若いオペレーターが唐突に話を切り出す。フリオと呼ばれた南米系の中年男はモニターから一切視線を動かさず手元の船外活動ロボットのマニピュレーターを操作するジョイスティックに神経を研ぎ澄ませたまま答える
「さてな、2年もガキと女房にあってねぇしな、カナダかどっかしばらく旅行にでも行くさ。あんたはどうなんだジェフ、まだあんたとこの話はしてなかったよな?そろそろ船に乗りっぱなしってのも3年だろう」
ジェフと呼ばれた顔が灰色の髭に埋もれた巨大と例える他ない白人がフムと考えつつ
「俺か?俺もいよいよ体にガタがきてな、視力も集中力も落ちちまった。もうここいらが潮時かもなぁ。なに、もう息子も一人前に育ったことだしな。なぁジュニア。」
3人の中では一番若いオペレーターが
「オヤジ、それ5年前から毎年言ってるぜ」
と呆れたような軽口を返すと3人ともモニターから顔を上げて笑いあった。
「しかしよ、最後になるかも知れねぇって仕事がこんな大仕事だとはな。沈没船の金塊を引き揚げるなんざまさにトレジャーハンター冥利に尽きるってもんさ。なにしろ前金だからな。フリオ、お前さんも嫁さんに苦労掛けてるんだろ?ミニバンくらい買って驚かせてやっちゃどうだ?ベントレーが買えるほど金もたまってんだからちょっとくらい贅沢したっていいだろうよ。」
「親父もな、別れたママに電話ぐらいしてやんなよ。」
ジュニアと呼ばれたオペレーターが茶々を入れる。
「まぜっかえすなバカヤロウ!深度落とし過ぎるなよ、着底させたらスクリューが巻き上げた砂煙で見えなくなるぞ!視界を確保しろ!」
ジェフが労いの言葉もジュニアの軽口も耳には引っかかる事もなくフリオの視線はモニターに貼り付けられたままだった。ROV(水中ロボット)「デイジー」と小型の探査機「リトルジーン」はトラブルもなく今のところ完璧な仕事を遂行していた。しかし「何かがおかしい 」とフリオは心のどこかにもやもやと違和感が沸き起こるのを感じていた。考えてみれば最初から今日に至るまで何もかもがおかしかったのかもしれない。
奇妙な依頼だった。始まりはフレデリックが拾ってきた突拍子もない依頼だった。フレデリックはこのサルベージ船アルフィリオ号のオーナーであり「トータルサルベージサービス」のCEOである没落貴族の末裔で、業界歴20年の筋金入りのトレジャーハンターである。
彼の原体験はまだ自分の名前のスペルも書けるか書けないかの頃に砂浜でブリタニア時代のコインを拾った事だろう。その小さなコインが彼の人生を決定づけた。普段は厳格だった父親は幼い彼の見つけたコインに刻印された横顔の主、アレクトゥス帝の生涯を語って聞かせ、コインをペンダントに仕立ててプレゼントしたのだという。父親もまた、夜中の書斎で毎夜かつて行われた歴史上の戦いや政争に密やかな楽しみを見いだすアマチュアの歴史家であった。
そんな父の下に育った幼い彼は小遣いを貯め、毎週末は手に入れた金属探知機で財宝を探そうと砂浜を歩き回る少年時代を過ごし、大学では当然のように考古学を専攻、30歳を目前に海中に沈した財宝目的のサルベージ会社を立ち上げた。フリオとジェフはその数少ない設立当時のメンバーである。しかし侯爵家出身の放蕩息子の放漫経営で最初の10年はなんとか成果を出せたものの、その後数年であっという間に資金は尽き会社が傾き、莫大な借金と中古のパナマ船籍のサルベージ船が残った。いよいよ侯爵家伝来の不動産も売り払いこれまでか…。そんな時に差しのべられた救いの手がこの依頼だった。クライアントはどこで調べたのかフレデリックのメールアドレスに直接調査依頼を打診した。条件と報酬は破格という他なかった。
『期間は3年、必要経費はそちらの言い値で、まずは前金で1千万ドル』
要約するとそんな内容だった
「怪しい」最初の懐疑的な社員達の意見は会社名義の口座に約束どおりの1千万ドルが振り込まれた事で吹き飛んだ。
しかしすぐに次の問題が舞い込んでくる。海域と荷物の持ち主、そしてその船自体の経歴である。 依頼された引き揚げ計画の最大の不安要素でもあった。
海域は深度約400メートルの比較的浅瀬であり問題はない、しかしそこに沈む船は70年前沈んだアメリカ軍の軍事物資貨物船「マクダネル号」だった。厄介である。明らかに現在も存続している軍の、その所有物の貨物船である。すでに除籍処分となっているとはいえ引き上げたところで持ち主が存在するものは返納せねばなるまい。付け加えるとこの引き揚げ作業は誰にも知らせず引き揚げ許可の届け出も出していない。全ては秘密裏に行われ、完全な盗掘であり犯罪行為である。表沙汰になれば恐らく投獄も免れない。そして積み荷も厄介だった。金塊が数トンの他に未確認の情報であるが廃棄予定の重砲の砲弾と爆弾──。火薬庫の中から金塊を取り出す事が今回のビジネスだった。
なぜそんな危険な積み荷を引き揚げさせるのにこんな弱小で倒産間近のベンチャーに任せるのかは大体分かっていた。トカゲの尻尾のように切り離されて運が悪ければ何十年も檻の中に繋がれるのは実行者であり最高責任者のフレデリックだろう。しかしそれを知ってなおこの怪しく危険な盗掘を引き受けたのは沈没船から金塊をこの手で地上に蘇らせるというトレジャーハンターとしての魂を慰めるには余りある 抗いきれないほど魅惑的なロマンがあったからかもしれない。
深海では三つの残骸と化したマクダネル号に積み込まれた金塊を船外に取り出す作業がいよいよ大詰めを迎えていた。 ROV『デイジー』は船の外板を強力な二本の油圧駆動のマニピュレータで引き剥がし、その隙間から小型の船内探査用ロボット『リトルジーン』が滑り込み船内の金塊を探し当てるという作業内容だ。
リトルジーンを操作するフリオはすでに7つの金塊が詰め込まれた鉄の箱を探し当て、デイジーを操作するジェフはそれを海上に引き揚げるため、特殊鋼でできたネットに器用に包み海上のクレーンに繋がれた鎖に結びつけて無線でクレーンのオペレーターに号令を呼び掛ける。
「甲板の海賊ども!今そちらに麗しのお嬢さんが向かう!歓迎の用意を済ませとけ!きたねぇ手で触るなんざ失礼だ、全員シルクの手袋つけておけよ!」
クレーンのモーターが唸りを上げて海面へ。甲板では20人の男たちがガス溶断のバーナーやハンマーとバールを持ち待ち構えている。その中には糊の効いた麻のシャツとズボンを纏い、厨房の冷蔵庫から取り出したばかりのシャンパンとグラスをカートに乗せたフレデリックもいた。水面に水しぶきをたてて海上に錆びた鉄箱を包む銀色のネットが現れた瞬間、船上に歓喜の渦が巻き起こる。甲板に降り立つと、ガスバーナーに火がつけられ解体に取り掛かる。5分も経たず鋼鉄の箱は缶詰のように切り開かれ金塊が70年ぶりに陽光にさらされる。およそ 200キロの金塊が眩いばかりに煌めくその力強い光は甲板作業員の視線を釘付けにするばかりか言葉を失わせた。太陽の光を詰めたような錆び箱から放出された美しい光に茫然とする荒くれ者達の後ろで軽い破裂音が響いた。栓の抜かれたシャンパンを手にしたフレデリックの目には涙が浮かんでいた。
「紳士諸君、今、我々はついに夢と思われていた馬鹿げた偉業を成し遂げた。私は雇用者として諸君の労をねぎらいたい。みんなにグラスが渡るようにしてくれ」
泡が吹き出るボトルから細いグラスに次々と淡い黄金の酒が注がれる 。この瞬間の為にダース単位で注文されたシャンパンが次々に小気味良い音を弾けさせてあちらこちらで笑い声が巻き起こる。甲板の日に焼けた男たち全員にシャンパングラスが渡った事を確認したフレデリックが咳払いをしつ
「金塊とわれらアルフィリオ号クルーの幸運に!」
とグラスをたかだかと天にかかげた瞬間、熱狂と歓声、というより怒号にも似た雄叫びが甲板から船内に響き渡る。
船底のコンソールルームでもシャンパンが開けられてはいたが慎ましい宴は数分で切り上げられ、ジェフ、ジュニア、フリオの3人は再び財宝の捜索活動に取り掛かっていた。モニターに釘付けになったジュニアが奇妙なものを発見する。今まで金塊に埋もれていた場所に赤い直方体が現れていた。
「フリオ、親父…これを見てくれ。」
神妙な口調でジェフにモニターに映る箱を指差す。
箱には『取り扱い注意 危険物に付き作業者においては…』と白いペンキでものものしい注意書きがほどこされている。
「これは…?まさかな」
一瞬悩み、上司であるジェフに伝える。
「ジェフ、甲板に連絡してくれ、事前の報告にあった爆弾の可能性が高い。」
4度目のクレーンに寄る引き揚げ、今回は特に慎重に行われた。防爆スーツに身を包んだ2人の作業員の額には汗がにじむ。それは暑さだけではなく極度の緊張に由来するものが多分に含まれていた。中身はTNTかトーペックス火薬か、はたまた信管が付いたままの砲弾か、いずれにしてもこの船をプラスチックの模型船のように吹き飛ばす事ができる量なのは間違いない。フリオもその開封作業を船で一番高い場所である操舵室に上がり、分厚いガラス越しに見守っていた。
甲板は静まり返り幾重にも張り巡らした帯状の鋼鉄できた封印を解く作業員の一挙一動に遠巻きに眺める甲板員達の怯えたような視線を集めていた。火気厳禁の解体作業に用いられる巨大な蟹の鋏に似た油圧式のカッターで最後の金具がゆっくりと火花を散らさぬように引きちぎられる。ベークライト製と思われる樹脂でできた重厚な赤褐色の箱の不気味な注意書きが彼らに息をするのも躊躇わせるほど静かに威嚇しているように見えた。
「まるでパンドラの箱だな…」
操舵室のガラス越しに睨みつけるフリオの横で腕を組み眺める船長の口から意図せずそんな言葉が漏れる。上蓋が二人の男の持つバールでいよいよ開封される。慎重に、だが手荒く軋むような音をたてて引き剥がされた箱の中には敷き詰められた毛布の中に沈むように女が眠っていた。
「なんてこった…」
額に汗を滲ませたフリオは絞り出すように呻いた。
つたない作品ではございますが以後よろしくお付き合いのほどよろしくお願いいたします。