第六話 レベルアップ
リリスは困っていた。
夢の中での主人公との対決後、精神が幼児退行した主人公を元に戻すためにレベルアップさせることにしたのだが、起きてみると肉体までもが幼児退行していた。
「これでは、既成事実の作成ももう・・・ くすん・・・」
リリスは両手を床につき涙を流した。
精神だけが幼児化した主人公の体を何も知らない5歳児への手取り足取りしての熱く、燃え上がるような教育ができないことに、リリスは無言で泣いた。
そんなリリスを心配してか幼児化した主人公がリリスを励ます。
リリスは気を取り直して主人公のレベルアップを実行しようとまたウサギに催眠にかけて殺させようとするのだが・・・
「ウサギさんをいじめちゃダメ!!」
そう言って幼児化した主人公はウサギを抱いて涙を浮かべる。
精神ばかりか肉体まで幼児化してしまいその可愛さは計り知れない。
特にリリスにとっては御馳走である。
(こ、これは・・・ なんという破壊力のある可愛さ・・・)
潤んだ瞳と振るえる小さな体、愛らしいウサギを抱いた美少年(リリス視点)
リリスは思わず鼻血を吹き出しそうになるがなんとか鼻を押さえて耐える。
「そ、そうじゃなぁ~。 ウサギを苛めるのはよくないの。 お主は優しいの~。」
満面の笑みを浮かべて主人公の頭を撫でるリリス。
その姿は我が子を可愛がる親馬鹿そのものだ。
「リリス~。 ぼくの名前はお主じゃなくてあるとだよ? おおやけあると!」
アルトはリリスに自分のことは名前で呼ぶように要求する。
「おお、そうじゃな。 アルトは優しくていい子じゃの~。」
リリスはアルトの頭を優しく撫で回して手を離すとアルトは突然、空中を見つめて不思議そうな顔をする。リリスはその視線の先を眼で追うが相変わらず周囲は霧に囲まれており何も見えない。
アルトにリリスのような千里眼の能力があれば霧の先にある何かを見た可能性はあるが、5歳児でそんな能力のある人間は存在しない。
ただ、リリスには何も見えないので不思議に思いアルトに尋ねる。
「アルトは何を見ておるのじゃ?」
「リリス。 これな~に?」
アルトはそういって空中を指さすが、やはりリリスには何も見えない。
リリスは不思議に思い首を傾げていると「ああ!」と声を上げる。
(そうか。名前を名乗ったからそれが登録されて表示されておるのか。ただ、今のこやつは非公開状態じゃからワシには見えんのか。)
リリスはアルトに非公開状態を解くための方法を教えるが5歳児には理解できなかったのか。それとも、自分の元いた世界に存在しなかった空中に浮かび上がる表示画面を触るのが怖いのか。うまくいかない。
しかたなくリリスはアルトに催眠をかけて強制的に公開状態にする。
すると、先程まで見えなかった表示画面が見えるようになる。
名前が入力されました。
名前 アルト=オオヤケ
画面にはそう書かれていた。
それを見てリリスはホッと一息つく。
この世界で名前はほぼ全員がカタカナで書かれる。
それはこの世界の文化としてそうなっているのだ。
もしこの法則から外れればアルトが異文化の人間として差別されるか変な目で見られるかしてしまう。
さすがに異界人であることに気づく者はいないだろうが、念には念を入れておいた方がいいということはリリスは今日一日だけで強く実感している。
その後、リリスは何とかアルトのレベルアップを図ろうとするがうまくいかなかった。
アルトはか弱い動物を殺すことは嫌がり、凶暴な動物は催眠状態だと説明しても怖がって近づこうとはしない。
採取は楽しそうにやってくれるが、採取ではレベルはほとんど上がらない。
そんなことでレベルが上がるのならば農家の子は収穫ごとにレベルが上がってしまう。
無論、経験値が入らないことはないのだがそれで得られる経験値は毎日やったとしても、一年に一度誕生日の日に上がるはずのレベルが4、5日早まる程度の話である。
(おおう。精神だけでなく肉体まで幼くなっては既成事実を作るというワシの夢が・・・)
リリスはあれこれと手を打ったがすべてうまくいかず、両手を地面につけてがっくりと項垂れた。
その日は結局いい方法が思い浮かばずリリスはアルトを寝かしつけて自分も床についた。
夢の中でリリスはまた真っ白な世界に行くのだろうと思っていたのだが、今度は違った。
巨大な本棚がビッシリと並べられた巨大な書庫にいた。
左右を振り向けば両端が見えず、奥を見ても先がどこまでも続いていた。
リリスはなぜこんなところにわからなかったが状況の確認のために散策することにした。
「よう、リリス。なかなか手を焼いているみたいだな。」
巨大な書庫の中を歩いていると後ろから声がかかった。
振り返るとそこにはアルトがいた。夢の中でのアルトは幼児化などしておらず16歳の青年の姿だ。
「お主。人の背後から出るのが好きじゃの。それとも、何かの能力なのか?どうやっておるんじゃ?」
リリスはこの瞬間移動にしか思えない能力のせいで先の夢の中での戦いに敗れたためか嫌そうな顔をしてアルトにそう尋ねた。
「いや、これはお前の精神の一部を間借りしている俺だからできるんだぞ? お前に会いたいから『会いたい』って願うと何となくできるんだよ。背後に現れるのは俺にもよくわからん。正直、会いに行っているのだから正面に出てくれた方がこちらとしても使い勝手はいい。」
アルトが真面目にそう答えるとリリスは顔を赤面させて顔を伏せてしまう。
アルトが心配そうに顔を覗き込もうとすると「アルトがワシに会いたいって・・・会いたいって・・・」
とリリスが小さくつぶやいているのが聞こえる。
アルトは溜息をついて頬を指で掻きながら「会いたい」の一言で耳まで赤くしているリリスを見下ろす。
(ここまでベタ惚れされてるとこっちまで照れてくるな。)
リリスを見下ろしながらアルトも頬を赤く染めてなんだか恥ずかしくなる。
アルトはとりあえずリリスが落ち着くまで待ち、それから外の状況を聞く。
「なるほど、レベルアップはこのままでは全く進められないと・・・」
「ああ、さすがに5歳児に無理やりやらせるのは無理がある。自暴自棄になって自殺する恐れもあるしの。」
リリスの言っていることは極端ではあるがあながち間違っていない。
幼い頃にトラウマを埋め込み精神を病んでしまい自殺するまたは心を壊すという可能性は存在する。
また、もしレベルアップしてアルトの記憶と精神が戻ったのちにそれがどのような影響を現すかは誰にもわからない。下手すれば廃人、良くても精神の一部がトラウマのせいで豹変する可能性はある。
ただでさえ、未知の出来事が連続で起こっているのだ。
慎重に慎重を重ねて行動すること自体は問題ではない。
しかし、この状況にいつまでも手を拱いているわけにはいかない。
なにせアルトの精神と記憶がいつまでリリスの中に居れるかわからないのだ。
肉体に戻らなければいずれは時間と共に霧散するか、リリスと同化してしまう可能性もある。
「そういうわけで、速攻でレベルを上げる方法を考えてたのでその方法を使ってレベル上げをしてくれ。」
アルトはにこやかに笑顔を浮かべて方法を説明する。
その方法を聞いてリリスは少し嫌な表情を浮かべるが、それ以上に気になることがあった。
「お主、そんな情報どこから仕入れてきたんじゃ?」
アルトの立てた作戦はこの世界の知識やリリスの使える魔術、この近くにいる魔物のことまで知っていなければ立てられない作戦だった。
「ああそれはな、この書庫で調べた。」
そういって書庫を指さす。
このいったい何冊の蔵書があるのか全く把握できない書庫の内容は実にさまざまらしい。
魔法の知識、武術の知識、薬学から天文学、政治に関する情報、魔物、魔獣の種類と数、生態などなどさまざまな事柄が書かれた書物があるらしい。
アルトはここでリリスが起きている間、ずっとこの世界で必要な知識と技術の習得をしていたらしい。
以前の夢の中での戦いでアルトが棒術を付け焼刃程度に使えていたのはそういう理由があったそうだ。
「なるほど、この書庫は仙人になったワシが得た知識の倉庫なんじゃな。」
この世界では知識を得るために書物を読んで学ぶ以外にレベルを上げて神から天恵を得ることができるらしく、知識を自分の中に置いて行ってくれるらしい。
ただ、それをただ知っているだけにするのか知性を生かして利用できるかは本人の努力次第ということだそうだ。
無論、この知識を本などにして出せば低レベルのものでもその知識を学ぶことは可能である。
リリスは最高位の戦闘系職業である仙人であるためその知識量は膨大で多すぎて逆に利用しきれないほどである。
「リリスのおかげでこの世界の知識はもう十分得たよ。あとは、体に戻るだけだ。だからリリス明日は頼んだよ。」
「任せておけ。ワシにかかればチョチョイのチョイじゃ。」
昼間、全くレベルを上げることができなかったリリスだが、アルトの提案はリリスにとってはものすごく簡単だった。
唯一の懸念といえば、アルトにまた催眠術をかけることへの罪悪感ぐらいだろう。
その後二人は、朝が来るまで夢の中の書庫で勉強会と模擬戦を行った。
朝目が覚めると、リリスは早速準備に取り掛かる。
リリスとアルト(子供版)は同じ布団で寝ているのだが、夢の中で瞬間移動の方法をアルト(大人版)から聞いたリリスはそれを実際に現実で使えるように魔法の術式を構築することに成功していた。
「ふむ、まだ視覚内の近距離しか飛べないが実に便利じゃな。」
リリスは一緒に抱きつく様にして寝ていたアルトを起こすことなく布団から脱出して家を出た。
数時間後、アルトは目を覚ます。
アルトが目を覚ますとリリスが朝食の準備を終えていた。
二人はいつも通り朝食を食べた。
「では、本日からアルトの修行という名の遊びを始めるかの。」
リリスはアルトに子供用の棍棒を渡す。
アルトはキョトンとした顔でそれを見つめる。
「今日の遊びはチャンバラじゃ、相手はすでに用意してある。」
リリスはアルトに強引に棍棒を渡して扉を開ける。
開け放たれた扉の先にはアルトと同年代か少し上の子供たちがたくさんいた。
その光景にアルトは目を輝かせる。
記憶には有ってもつい最近までなぜか見たことのない同年代の子供たちにアルトはこれから起こるであろう楽しいひと時を期待して眼を爛々と輝かせる。
「ふふふ。 うれしそうじゃの。 さぁ、遊んでくるがいい。」
リリスの言葉を聞いてアルトは棍棒片手に外へと飛び出した。
外に出ると子供たちも皆、同じように棍棒や剣などを持っていた。
「ぼくの名前はアルト! みんなは?! 何して遊ぶ?!」
今日初めてあったばかりだというのに名前を名乗り、尋ね、遊びの算段をつけ始める。
子供のころのアルトは活発で人見知りしない少年であったようだ。
「チャンバラ!」
外にいた子供たちはそい答えてチャンバラをして遊び始めた。
皆が皆、急に武器を手に取り乱闘が始まる。
アルトもそれに負けじと手に持った棒を振り回して参戦する。
そう、これがアルトの昨夜夢の中で言っていた作戦である。
ただ、子供たちがチャンバラをするここまでは普通の何の変哲もない作戦に思えるが実は違う。
実はこのリリスが連れてきた子供たちは人間ではない。魔物だ。
そう、今行われているのはゴブリンたちの乱闘に五歳児の子供が混じるという大変危険でかつ、傍から見て恐ろしい光景だ。
何せ緑色の肌をした身長1mほどの小人たちの中に一人だけ普通の少年が混じって戦っているのだ。
ゴブリン達は不気味な笑い声を発しながら武器を振るっているが、催眠術にかかったアルトには子供の笑い声にしか聞こえない。
ゴブリン達は皆催眠術にかかっていてアルトには魔法による肉体強化と魔法の障壁が展開されており棍棒には魔法による攻撃力増加が施されている。
あとはチャンバラと称して適当に振りました棍棒でゴブリンにダメージを与えて撃破していくのみ。
これで経験値を短時間で手に入れてレベルアップが可能となる。
「アヤツの考えた作戦はなかなかあくどいの~。」
遠くで鑑賞しながらリリスつぶやくように言う。
夢の中でアルトが考えた策はこうだ。
まず、リリスが近場で催眠にかけられるゴブリンを数匹から数十匹催眠にかける。
次に催眠にかけたゴブリンが幼児化したアルトには普通の人間の子供に見えるように催眠術をかける。
最後にリリスによる魔法強化を施したアルトがゴブリンと戦い撃破する。
戦わせるといってもアルトにはチャンバラで遊んでいるように印象と状況を操作する。
催眠と強化魔法だけの使用で強制的にゴブリンと戦わせてレベルを上げる。
この方法は魔物を催眠術で操れるリリスほどの魔法使いである故になせる裏ワザである。
おまけに、レベルは上がっても催眠にかかっている状態では体の動きなどはあまり意識しないだろうし、何も考えず棒を振り回している状態なので技術的な進歩はないのだが、リリスの中で知識と技術を身に付けつつあるアルトだからこそ意味を持つ方法ともいえる。
こうして、チャンバラはその日一日続き。
夕方になる頃にはアルトのレベルは20にまで達していた。




