第五十二話 女王の間
ガラハットさんの話した想定外の事態の内容は大したことではなかった。
一つ『足場が多少ぬかるんでおり戦いにくかった』
二つ『戦闘中に少しずつ体が重くなってきた気がする』
三つ『多少息苦しい感じがした』
この三つがガラハットさんのいう想定外の事態の内容だ。
これだけ聞くと「どこが想定外なの?」と疑問に思う人間もいるだろう。
特に二つ目と三つ目は「疲労により身体機能が落ちてきたからそう思うだけじゃないのか?」という意見もあるだろう。
特にガラハットさんはギルド長に就任して以降は、実践から遠のいている。
ペース配分をミスした可能性もある。
だが、これらがすべて事実だった場合は別の可能性が生まれてくる。
そのきっかけになるのが一つ目の『足場が多少ぬかるんでおり戦いにくかった』だ。
確かに、ガラハットさんの足元を見るとズボンの足首や靴には泥がついている。
ここはパラサイトアントの巣であり、地面を掘って作られている。
雨が降って地面がぬかるむことなどはまずない。
地下水脈の影響というのも考えにくい。
そんなのがある場所に巣を作るのは水没の危険があるので作成中に途中で放棄されるはずだ。
途中放棄されなくても、あの場所は巣に侵入してきた敵を迎撃する守りの要となる場所であり、女王の間から運搬用のパラサイトアントである四本腕の通り道でもあることを考えると納得しがたい。
もっと言えば、地面がぬかるんでいれば当然、壁や天井も濡れているはずだ。
親衛隊クラスは女王の護衛が主な任務のために巣内で一生を終える。
そんな彼らが足場の悪くなる場所に迎撃拠点を持つとは思えない。
なので、結論として『足場が多少ぬかるんでおり戦いにくかった』なんてことになるとは思えない。
あり得るとすれば、それは人為的な策略でありパラサイトアントとは無関係な奴の仕業だ。
(俺達より先に着た冒険者の仕業か?)
とも、一瞬思ったがそれはまずないだろう。
戦争の影響もあり、現状ではパラサイトアントの巣に潜れるほどの冒険者はそれほど多くはない。
ガラハットさんやリリスを要する俺達よりも進行速度の速い冒険者がいるとは思えない。
いたとしても、迎撃拠点の床を濡らすメリットがない。
そのことから、地面のぬかるみはここに侵入した冒険者の仕業ではないと断言してもいいだろう。
では、なぜ第三の勢力は地面にぬかるみを作ったのか?
その答えはおそらく、二つ目と三つ目に起きた事態と合わせて考えるとわかりやすい。
『戦闘中に少しずつ体が重くなってきた気がする』『多少息苦しい感じがした』というこの二点は、どちらもガラハットさんの体力を奪うのが目的だろう。
さらに敵は、ガラハットさんの疲労度に合わせて少しずつ威力を上げている。
そうすることで、ガラハットさんに気づかれずに効率的に体力を奪うことができる。
ガラハットさんが疲労で動けなくなれば、俺達の行動を大きく制限することができる。
なにせ、まともに虫の大軍を相手に戦えるのは彼だけなのだ。
現に俺達は迎撃拠点の虫達をプロミネンスアローで焼き払った今も、彼が動ける様になるまでここで待機している。
(そして・・・ 迎撃拠点の虫達を焼き払っても第三勢力が動かないということは、狙いは俺達を倒すことではなく足止めすることにあるってことだ。)
ドッペルにはすでに現状から第三勢力の存在を突き止め、その狙いもある程度は理解している。
だが、彼は動けないでいた。
動いたところでガラハットさんがいなければパラサイトアントの軍勢を前にしても勝ち目のない彼にはどうすることもできないでいた。
緊急事態が起きている現状で留まることしか出来ない歯痒さに彼は奥歯を噛みしめてただ、通路の先を見つめる。
そして、一人の少女の無事を切に願った。
おそらくではあるが、敵の狙いはもう一方の通路を進むリリス=クロニクルにある。
リリスに何をする気かはわからない。
彼女の持つ知識が欲しいのか。
それとも彼女を倒すことが目的なのか。
それは分からないが、彼女と戦う上でこの戦場は実に都合がいい。
洞窟という狭い限定空間であるが故の魔法使用の制限、奥に進むために魔力を使い戦闘を繰り返すことになるという状況、さらに彼女は現在、アーシェとアリスという足枷を二つつけている。
(襲う上でこの上ない条件が揃っている。)
ここまでの結論に辿り着いたドッペルが今にして思うのは、この街に来て起こった出来事だ。
ガラシャワ戦に始まりパラサイトアントの強襲、そして巣を発見しての討伐命令。
ガラシャワ戦でリリスの実力を測り、パラサイトアントをバラ撒くことで街全体の戦力の把握と減少を謀り、最後には得物を誘い込む。
それは確実に仕留める準備ができた証でもある。
(どうする?! 俺はどうすればいい?!)
ドッペルは最大まで頭を働かせて打開案を探るが、いい案は浮かばない。
ドッペルの持つ回復魔法では肉体に堪った疲労を癒すことはできない。
寧ろ、彼の持つ傷の治癒や体力値の回復魔法は体力を消耗させてしまう。
疲労回復系の魔法は彼の知識には合ったが使える様にはまだなっていなかった。
ドッペルにできる事は、この情報をいち早くアルトに伝えることだがアルトは未だに戻ってくる気配がない。
(いったい何してるんだよアルト?! まさか本当にプロミネンスアローで死んじまったのか?!)
ドッペルは一人、不安に胸を焦がすのだった。
「ふむ。どうやら辿り着いた様じゃな。」
ワシはそう言って後ろをついてくる2人に告げる。
2人は緊張した面持ちで辿り着いた最後の広間を見つめる。
そう、ワシらは遂に最後の広間である女王の間へと辿り着いたのじゃ。
辿り着いた広間で待ち受けるのはこの居城の主である女王とそれを守る親衛隊クラスが各10体ずつ。
空を飛んでいる煩わしい雑魚はいない。
「これまで同様。お主らはここで待っておれ。」
ワシはそう言って2人を入り口付近に残し広間へと足を踏み入れた。
(・・・かかった!)
その瞬間じゃった。
ワシは確かに何者かの邪気を感じ取った。
(どこか・・・?!)
どこからそれが・・・
そう考える間もなく、その瞬間から戦場は一変した。
「「「「「ギュルルルル!」」」」」
突如として奇声を上げるパラサイトアント達。
その体には全身から魔力が溢れその身を覆い鎧とかしている。
「対魔法装甲じゃと?!」
突如として展開される対魔法装甲に驚愕の声を上げるリリス。
「リリスさん!!」
だが、驚愕の声を上げたのはリリスだけではない。
リリスの後方にいる2人もすぐに声を上げる。
リリスはすぐに振り返って二人の状況を確認したかったがそうもいかない。
肺魔法装甲を装備した虫たちが一斉に彼女に襲い掛かって来ているからだ。
「く・・・!」
リリスは襲い来る虫達から逃げる様にその場を移動すると、状況確認のためと後方にいる2人の安全確保のために結界魔法を展開して二人を守りつつ、索敵魔法を展開して周囲の状況を探った。
判明したのは、現在の状況のまずさだった。
まず、後方の通路から大量のパラサイトアント達がこちらに向かっている。
しかも虫達からは異常な熱量と魔力を感じるここにいる虫達の様に対魔法装甲を展開している可能性があった。
そして、もう一つの事実はこの広間の中には・・・
「ああ、バレちゃったみたいだね。なら、隠す必要もないか。」
そう言って、どこかから声がした瞬間だった。
「「「「ギュルルルル!!」」」」
今までよりも大量の虫達が広間の中に湧いた。
しかも、その虫達は兵隊クラスの雑魚じゃない。
女王が6体、親衛隊クラスが各60体ずつ。
最初にいた奴も含めると、一つの巣に一匹しか存在しない女王が計7体、親衛隊クラスである四本脚と四本腕が各70体の計140体だ。
(後方の通路からは無数の蟲の群れ。前方には150近い敵か・・・)
対魔法装甲を展開する虫達に中途半端な威力の魔法弾は意味をなさない。
後方から来る虫達も何かしらの魔法を使用している可能性がある上に、こちらには2人の仲間がすぐ背後にいる。
(大きな魔法は撃てないか・・・? いや、撃って全滅させるのは容易い。 だが・・・)
「「「「「ギュルルル!!」」」」」
リリスは魔法を撃てないでいた。
四方八方を取り囲まれ絶え間なく襲い来る150近い敵の攻撃から逃げ惑いつつ大規模な魔法を撃つのは至難の業である。
特にリリスの様な後方支援型の魔術師は体を動かしながら魔術を討つことを苦手としている。
例え周囲に魔法をバラ撒いていようと自身が動かなければ複数の術式組み続けることができる。
だが、動き出してしまうとそうはいかない。
それは机に座って勉強するのと走りながら勉強を行うぐらいに違いのある行為なのだ。
(走りながらではこれが限度かの・・・)
そう思いリリスが飛ばした魔法は中級クラスの《雷の矢》だ。
その雷を矢のようにして放った一撃は虫達の纏った対魔法装甲を簡単に貫くと虫の体内で圧縮された電撃を解放し虫達の体を駆け廻ると全身を黒焦げにしていく。
「私の対魔法装甲を破るのか・・・」
その光景に虫達を操る謎の人物は驚嘆した。
予想では対魔法装甲を中級クラスの魔法では破れず、上級魔法を使う隙さえ与えなければリリスを仕留めることができる筈だった。
それだけ、私の予想以上にリリスが強力な魔法の使い手であるということだが、リリスが放った魔法はたかが一発。
虫達の数は一体減っただけにすぎない。
(それにそろそろ、後方からの爆弾が辿り着くはずだ・・・ そうすれば、勝機はこちらにある。
だが、念には念を入れておくか・・・)
私はニヤリと笑顔を浮かべて虫達に命令を送った。
「さて・・・ どうするかな・・・」
私は攻め手をどうするか悩んでいた。
ここまでの行軍では速度を優先したために魔力の回復が間に合っておらず、前回には程遠い魔力量しかない。
だが、目の前にいる虫達を全て葬るには十分だ。
問題はその後、私を罠にハメてこの場所に誘い込んだ見えざる敵の存在だ。
そいつの実力が分からない以上、魔力の消費はできるだけ最小限に抑えて戦う必要がある。
そうでなければ、魔力量の差で勝負が決する可能性がある。
(奴自体が虫達に攻撃されないのは敵の職業が猛獣使い(ビーストマスター)の類だからだろう。)
ビーストマスターの上級職である魔獣調教師でも、これほど大量の蟲を操れはしない。
だからおそらく、敵が操っているのはすべての蟲に命令を出せる女王のみ。
故に、女王さえ仕留めれば虫達は敵に襲い掛かる可能性がある。
(ここは女王のみを仕留めて相手の出方を見・・・)
ドゴォン!
リリスが狙いを女王に絞ったその瞬間。
後方から巨大な爆音がした。
リリスは一瞬だけ目線を切って爆発の方を見やるとそこにはリリスの張った結界にぶつかり爆発したと思われるパラサイトアントの兵隊の死体があった。
(何がどうなっておる?! 対魔法装甲ではないのか?!)
通路からやってくる虫達が異常な魔力を帯びていたのは女王の間にいる虫達同様に対魔法装甲を施されているためだと思っていた。
だが、リリスの予想は外れており、虫達が纏っていたのは大量の炎。
しかもそれを、体内に蓄積して体当たりと共に解放していた。
虫爆弾。
そう名づけるに相応しい、捨て身の攻撃だった。
「きゃぁああ!」
「く・・・?! なんなんだこいつら?!」
結界の中に居るアーシェとアリスが叫び声を上げて驚いている。
それはそうだろう。
今まで取ってこなかった戦法を突如として行ってきたのだ。
リリスの張った結界に守られていても恐怖を感じざるを得ない。
ドドドドドドドド
おまけに、虫爆弾は一発ではなかった。
大量の蟲たちが次から次にやってきては結界にぶつかっていく。
その威力は数発で結界を破るほどではないが、時間が経てば経つほど結界が壊れる可能性は高まっていく。
(女王を殺すのを急がねば・・・!)
そうリリスが判断した瞬間だった。
先程までと時の陣形が変わったのだ。
全員で四方八方から攻めてくる先方から女王を背後に下げ、その前に大量の糸による結界を張ると親衛隊クラスの何体かがその前に立ち肉の壁となる。
「全く・・・ やってくれおるわ・・・」
これでは女王だけを狙い撃ちしての乱闘に持って行くには時間がかかる。
時間をかければ、リリスの結界が持たず二人が危険にさらされる。
リリスに残された選択肢は敵戦力の速やかな殲滅のみであった。
「ワシに喧嘩を売ったことを後悔させてやろう・・・」
その瞬間、リリスの纏う空気が変わった。
(私の居場所に気づいた?! いや、違う。 これがリリス=クロニクルの本当の姿なのか・・・?!)
姿形は全く同じであるが纏う空気と雰囲気、威圧感が増している。
それを感じ取った敵は敏感に反応して魔力を僅かに漏らしてしまう。
(フフフ・・・ そこか・・・)
その僅かに漏れた魔力を感じ取ったリリスは喜びのあまり笑みを零す。
その笑みを見て、アーシェとアリスの2人は雰囲気を変えたリリスに怯えるかと思われたが、アルトという規格外を知っている二人は落ち着いて自分たちにできる最大限のことをするために何をすべきかを考える。
「「「「ギュルルル!」」」」
リリスの威圧感を感じ取った虫達は瞬時にリリスのことを警戒して先程よりも激しく襲いかかる。
襲う虫の数は減ったが、元々1人を襲うのに対して多すぎたのでそこまで手数は落ちていない。
寧ろ女王という気を使う相手がいなくなった分、虫達の動きはよくなっていた。
(その程度か・・・? 先程よりも遅く感じるぞ。)
それはリリスの身体能力が向上したわけではない。
女王が後方に下がり、虫達の連携が取れなくなったわけではない。
それでも、リリスの動きに虫達がついてこれなくなっていた。
雰囲気が変わるというのは何もその人の纏う空気が変わるというだけではない。
寧ろ空気が変わったのはその人の変化によって起こった副産物であり、雰囲気が変わったからと言って能力自体は上がっていない。
変わったのは集中力。
敵の狙いや場所、相手の次の行動や仲間の状況。
その全てを把握しつつ戦うのは面倒だ。
なのでリリスは、結界が壊れるまでの時間を概算で出し仲間の状況を決めつけることでそれを意識から外すことで他の部分に意識を集中した。
多くの物に意識を集中させることは全体を把握する能力が高いということでもあるが、逆に言えば一つ一つの者に対する意識が薄いということを意味する。
リリスは相手の狙いや仲間の状況を意識から消し去ることで、虫達の行動を把握する意識を増すことでその行動を予測し事前に手を打つことを可能にした。
これにより、状況は一変した。
先程までは逃げ惑うのが精いっぱいだったリリスが逆に虫達を翻弄している。
無論、これほどまでにリリスが意識を虫達に集中できるのは相手がリリスの威圧感に押されて魔力を漏らしたことによりその居場所を知らせてしまったことも原因の一つである。
(まだだ・・・! リリスは最初の一撃以降、まだ魔法を放っていない!! 虫達の攻撃を避けるのに集中して魔法を作れていない証拠だ! 虫爆弾で仲間達を一掃して集中力を削げばまだ勝機はある!!)
そう思い、敵が虫達に命令を出した数秒後だった。
「千雷雨矢 これで終わりだ。」
そう言ってリリスが魔法を発動した瞬間だった。
千の雷撃が矢となり雨を降らせた。
「「「「「ギャギャ?!」」」」」
ドドドドドドドド バリバリバリ
千の雷撃は虫達を全て飲みこみ消し炭へと変えていく。
虫達が女王を守るために必死に己が身を差し出して盾になろうとも、その後ろに糸による防壁を築こうとも、女王がどれほど強力な対魔法装甲を纏おうとも、千の雷撃はすべてを貫く矢となり虫達を蹂躙した。
「さぁ、これで私の勝ちだ。 出て来るがよい。 ワシに勝負を挑んだ愚か者よ!」
全ての蟲を黒焦げの炭素へと変貌させるとリリスはそう言って見えざる敵に宣戦を布告すると同時に、すぐさまアーシェとアリスのいる方を向き状況を確かめた。
「な・・・?!」
だが、リリスは状況を把握して絶句してしまう。
無数の赤黒く光る虫達がリリスの張った結界を取り囲み中に居る2人の姿が見えないのだ。
(まずい・・・! あの数に一斉に爆発されれば結界も中の2人も持たない・・・!!)
「・・・!」
リリスは声にならない声を出して二人の救出に向かおうと走り出した。
だが、その声は虚しく空気を振動させるだけだった。
「爆発はもう止められない・・・」
姿無き1人の指揮者が最後の指示を飛ばすと、無情にも虫達はその身を散らしていくのだった。




