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第三十二話 発狂

自身の体に戻ることに成功したアルトだったが、すでに肉体内の魔力はほぼ0だった。

パラサイトアントとの戦いでドッペルがすでに使い切っていたのだ。


(まずいな・・・)


魔力があれば状況を好転させることができるとアルトは思っていた。

体から霊体として出た時の魔力量は肉体にいる時と同じで肉体に残っているドッペルの魔力量には現象はなかった。

アルトはここからの推測で魔力は肉体ではなく霊体が保有しており、肉体は魔力を作るもので肉体に戻ればその肉体が現在保有する魔力をそのまま受け継げるのではないかと思っていた。

もしそれが可能ならば、肉体にいるドッペルとアルトが交互に霊体となって外に出つつ肉体内の魔力を一定量以上で保持し続ければ魔力を永続的に使い続けることができる。


(しかたないか・・・)


肉体内の魔力がないことにアルトはプランをあきらめながらも次の手を打つことにした。


「何か手があるのか?!」


ドッペルはアルトにこの状況下で打つ手があることに驚きを隠せず思わず叫んだ。

ドッペルは肉体内に留まっているのでその声はアルトの口から発せられる。

その声を聴いてすぐそばにいるセリスが体をビクッと震わせる。

セリスはドッペルが放った魔法の影響で少しばかり放心状態だったがその一言で我に返り周囲を見渡す。


パラサイトアント達は先程の風魔法の影響からすでに立ち直りつつある上に先程、逃げてきた方向からさらに多数のパラサイトアントたちがこちらに向かってきていた。

このパラサイトアント達は霊体であったアルトと戦っていた奴らなのだが、セリスはそのことを知らないので無傷の敵がさらに増えたと誤解する。

リリス達がいる方向を振り返ると姿はまだ見えない。

声もパラサイトアントの出す羽音のせいかはわからないが、聞こえてこないのでかなり距離があると予測される。


セリスは懸命にナイフを構えて辺りを見渡しながら敵の行動に注意を払う。

パラサイトアントは周囲を飛び交いこちらの出方を窺う。

その光景は勝利を確信しこれから獲物をどう甚振るかを考えているようにも見える。


(勝ち目がない・・・)


戦闘経験の浅いセリスにはこの状況を打破できる考えが思いつくはずもなく勝ち目のない戦いに対する絶望感が生まれ始めていた。

そんなセリスがふとアルトを見上げるとアルトは深く深呼吸をして目を瞑っていた。


(アルトさんでも・・・)


自分よりも死線を潜りぬけているであろう隣人がすでに諦めたのか目を瞑って最後の時をただ待っているようにしか見えないのその姿にセリスは両手に握っているナイフを落としそうになる。

だが、セリスはナイフを握り直して力いっぱいに握り込むと力の限り叫ぶ。


「アルトさん! あきらめちゃダメです! もうすぐリリスさん達が来ます! だから・・・・!」


それは悲痛な叫び声だった。

諦めないで一緒に戦って仲間の救援を待とうという作戦でもなんでもない。

ただの悲痛な叫び。

そんな悲痛な叫び声をあげた自分が情けないのか、アルトがすでに諦めていることが残念なのかはわからないが、セリスの顔は涙でクシャクシャになっていた。


ポン


そんな涙でいっぱいのセリスの頭を誰かが優しくなでた。

相手は無論、アルトだ。

セリスはアルトの表情と鋭い目つきから彼がまだ諦めていないことを悟った。


「大丈夫だ。俺が何とかする。」


アルトがそう言った途端、セリスはアルトからものすごい魔力を感じた。

その量はアルトの全魔力を体の外に押し出して相手を威嚇するように周囲に広がる。


(どうしてこんなことを・・・・?)


セリスにはアルトが何をしているのかわからなかった。

魔力は体内かもしくは自身のすぐそばの空中で術式を組むことで魔法は発動する。

そのため体外に出して相手を威嚇するこの行為は魔法を使う為の物ではない。

寧ろこんなことをすれば体内の魔力が減って魔法を使うことができなくなってしまう。


(いや・・・・ そんなことより・・・・)


アルトからあふれ出す魔力は先程から徐々に多くなっている。

その量はすでにアルトの全魔力量を超えている。

なぜそれだけの魔力をアルトが生成できるのか?

その謎だけがセリスの思考と心を奪ってはなさい。


(十分か。行くぞ、ドッペル。援護しろ。)


(了解。)


ドッペルはそう言ってアルトの体から少しだけ外に出る。

だが、周囲の魔力の拡散によりセリスにはドッペルの姿は見えない。

パラサイトアント達もここにきてようやくアルトの異変を察知したのか。

突如、攻撃態勢に入り襲い掛かってくる。


「セリス。周囲を警戒だ。中に差し込まれたらお前が応戦しろ。」


アルトは言葉を発すると同時に両手に持った拳銃で魔法弾を発射。

それと同時に霊体となってアルトの体から上半身だけを出したドッペルがアルトの体内から漏れ出た魔力を使って魔法を展開し周囲に攻撃を仕掛ける。

セリスはアルトの魔法弾発射と共に周囲を警戒しながらアルトの背中を守る様に立つ。


アルトは呼吸による魔力回復法で魔力を周囲の魔力を吸収しながら両手の魔法弾で襲い来る敵を迎撃、ドッペルはアルトの体から出る魔力と体とつながっている部分から流れてくる魔力を使用して魔法攻撃にのみ専念し周囲に敵を寄せ付けない様に広範囲攻撃を展開。

アルトは敵の排除のためにドッペルはあくまでも時間稼ぎのために魔法を展開するが、これが功を奏した。


ドッペルが周囲にはなった広範囲魔法によりパラサイトアントはアルトの左右と後方から近づくことができなくなる。

故に彼らはアルトの正面に集まり突撃をかけてくる。

それはつまり、自らアルトの魔法の射線上に入りに来るのだ。


誘導能力も追尾能力もない単純な無属性魔法弾の攻撃。

しかも、別に狙いをつけて撃っているわけでもない。

自身が担当する方角にただ乱射しているアルトの攻撃に唯一の突破口と誤解して飛び込んでくるパラサイトアント達はまさに言葉通りの『飛んで火にいる夏の虫』状態である。


その圧倒的に有利且つ合理的な攻撃にセリスは思わず息をのんで振り返りアルトを見る。

後ろ姿しか見えないがその圧倒的状況と全く衰えることのない魔力に何がどうなっているのかわからなかった。

ただ、相手がアルトの正面からくるのでそちら側に回ろうと少しだけ動いたセリスは思わずアルトの顔を見て立ち止まってしまう。


「え・・・」


セリスはアルトの顔を見て思わず声を漏らした。

アルトは口元に笑顔を浮かべながら眼は血走っており、さらに髪や瞳の色がだんだんと血の様に赤く変色している。

その光景は髪や瞳に血が流れ込んで赤く染めあげているように見える。

さらには笑顔を浮かべた口の犬歯がまるで魔族にいる吸血鬼や狼男の様に発達しだした。


それは呼吸による魔力回復法で負の魔力を吸収しすぎた人間が発狂する前に起こる現象なのだが、セリスはそのことを知らないためにアルトに起こっていることが何かわからない。


(わからないけど・・・ これは・・・)


ガ!


次の瞬間には両手でアルトの手を掴んでいた。

アルトに起こっている異常事態をセリスは咄嗟に『止めなければならない』と思い至ったのだ。


「ア・・・?!」


突如掴まれ動きを阻害されたためにアルトは機嫌を悪くしたのか。

セリスを見て怒りを顕わにする。

その眼は「離せ」と言っている。

セリスは怯えたように表情を歪ませるが、手を離そうとはしない。

手を離せばアルトをもう助けられない。

誰に何かを教わったわけでもそうだという保証もないが、そんな予感がセリスの中にはあった。


「邪魔をするな!」


アルトはいつまでも自分を怯えたように見つめて手を離さないセリスの手を振り払う。


「うわ!」 ドカ


セリスはアルトに強引に手を振り払われてしまい地面に倒れ込む。

アルトはセリスを振り払うとまた魔法弾を撃ち始める。

深く大きく呼吸を繰り返して空気と共に魔力を吸って吸収し弾丸に替えて撃ち出す。

ただそれだけの単純な行動。

最早それは戦いではなく作業に近い。


「アハハ・・・・ AHAHAHAHA!!」


やがて、髪と瞳が真っ赤に染まるとアルトは笑っていた。

何故かはわからない。

パラサイトアントたちは確かに地面に落ちて倒れていくが逃げてきた方向から次々と新しいのが襲い来ているし、数が多いために少しずつだがアルトの所に近づいてきている。


(なんだ・・・?! 何が起きている?!)


アルトの突然の笑い声にドッペルもまた異変を感じる。

だが、残念ながら現状では何もできない。

アルトの体に入って状況を確認しようとすれば周囲に放ち続けている広範囲魔法がなくなってしまうし、ドッペルはまだ防御系の魔法を使えない。


だが、現状はどう考えても異常だ。

どうすればいいのか考えながら周囲を見ていると地面にセリスが倒れ込んでいた。

そして、倒れたセリスの隣にはお守りが落ちておいた。

リリスから渡されていた『水神のお守り』だ。


(そうだあれを使えば・・・!!)


ドッペルはアルトの体に戻りつつも霊体の左手でアルトの持つ『水神のお守り』を掴む。

そして、アルトと同様に水の障壁を生成しながらもアルトが攻撃している一点だけを開け放つ状態にする。

本来ならば、泡の様に穴が開いた瞬間に破裂してしてしまうのだがアルトよりも魔法の扱いがうまいドッペルはこれを可能にした。

『水神のお守り』を使用しての防御もアルトの記憶を受け継いでいるドッペルだからこそできる技だ。


そうしてドッペルは左手の手首から先のみを残して後は肉体に帰って行った。

セリスは突如自分ごと包み込むように出来上がった水の結界に困惑しつつもアルトの奇妙な笑い声と行動に怯えて何もできなくなってしまう。


そして二人がこうしている間にリリス達がアルト達を目視で確認できるところまで捉えていた。


「いたぞ!」


先頭を走るアーシェがアルトたちを目視に捉えて走る。


「あれは結界?!」


「向こうも戦闘に入っているようです!」


アリスが水の魔法結界が張ってあることに驚き、アーシェが後方にいるリリスに声をかける。

リリスはここまで背後を向いて次々と迫るパラサイトアントを一撃で沈めながら追走してきている。


「やはり向こうもか・・・ しかし、こうも数が多いと厄介じゃの・・・」


リリスの予想通りアルトたちも襲われており感知の魔法を発動することによって巣がだいたいどの方向にあるのか、どちら側からきているのかを推測する。


「アルトさんの髪の色って赤でしたっけ・・・」


近づくにつれて水の魔法結界の中に居るアルトの髪の色の変化に気づいたのかアリスはそう言ってアーシェやリリスに尋ねるようにつぶやいた。


「何を言っておる。アヤツの髪は綺麗な黒髪・・・」


「本当だ。髪が赤いぞ。アルトじゃないのか?」


リリスは戦闘中だが振り返って一瞬だけアルトの髪の色を確認して途中で言葉を失った。

アーシェも水の魔法のせいでよく見えなかったが凝視することでアルトと髪の色が違うことにきづきアルトじゃないのかと疑いの目を向ける。


「アヤツもしや・・・ ファイヤーフォール!」


リリスは感知魔法でそこにいるのがアルトであるとわかっているので迷わずアルトが独学で呼吸による魔力回復法を身に付けたことを悟ってすぐさま後方に炎の壁を生成してパラサイトアントの追撃を振り払うと魔法で飛翔してアーシェとアリスを抱え込んでアルトたちの元に飛ぶとそこでは高笑いをあげながら一点だけ空いた結界の穴に入ってくるパラサイトアントを一方的に撃ち続けるアルトと地面に尻餅をついてアルトを見ながら怯えるセリスがいた。


リリスは結界の傍に駆け寄って2人を下ろすと同時に周囲のパラサイトアントを魔法で一掃する。

パラサイトアントは一瞬で消し炭となり消えていくが次から次へと湧いてくる。


「撤退するぞ!この結界を解け!」


リリスはそう叫んで結界の中に居る2人に声をかけるがセリスは顔をこちらに向けて助けを求める様に手を指しのばしてくるのみ。

アルトはまるで話を聞いていないのか高笑いをあげて銃を撃ち続けている。


「遅かったか・・・ 完全に発狂しておる・・・ このままでは・・・」


発狂した人間が元に戻る可能性は発狂が無事に治まって八割の確率だ。

こういうとかなり高確率で元に戻れそうだが、実は発狂した人間の発狂が収まるかが一番重要である。

発狂した人間は狂ったように発狂する前の行動を繰り返す。


理性も思考も吹き飛んでいるので先程までやっていた行為を繰り返すことしかほとんどできないのだ。

無論、攻撃してきた場合は回避行動も反撃も防御も本能で行うが基本的には先程までの行動の繰り返しだ。


つまり現状ならば魔力の吸収と砲撃、結界の保持だ。

結界の保持は実はドッペルがやっているので別なのだが事情を知らないリリスはそう感じている。

発狂は体内に吸収した負の魔力の発散により治まるが、魔力吸収をしたまま発狂したアルトには残念ながら発狂状態から元に戻る選択肢ほとんど自体がない。


自力ではまず不可能だろう。

ならばどうすればいいかだが、最早力ずくで止める以外に方法はない。


(問題はこの状況でどうやって止めるかじゃの・・・)


結界を破壊すればアルトはリリスを攻撃対象に選択するだろう。

いや、リリスだけでなく周囲にいるセリス達3人も攻撃対象になるかもしれない。

そうなれば3人を守りながらの戦いになり分が悪い上に2方向からのパラサイトアントの襲撃もある。

現状ではまずパラサイトアントの件が片付かなければどうにもならないだろう。


だが、時間が進めば進むほどにおそらくは発狂の影響での精神崩壊か負の魔力がアルトを蝕んで死に至る可能性もある。

最悪なのは『魔人化』することだ。

そうなった場合は肉体も精神も何もかもが変質した異質なものになってしまう。


そうなれば助けることは不可能だ。

仲間を見捨ててでもアルトを止めに入るかパラサイトアントたちを退けてから攻撃を始めるか。

リリスはこの二択をどう選択するべきかを考えていた。


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