第漆話 二人の宦官
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「その話、もう少し詳しく話してもらってもよろしいか?」
翠琅に問われた杖は、戸惑いながらも自分がここに来た経緯を簡単に話して聞かせる。
おそらく翠琅が歩いてきただろう廊下を杖も歩いていたら、洞門をくぐって奥の庭院から出てくる侍女の姿を見掛けたこと。
しかもその侍女は廊下から自分を見ている杖の姿に気がつくと、少し慌てた様子を見せたらしい。
不審に思って記憶を手繰れば、着ている衣装は最近入宮した辛貴人の侍女のもの。
このあたりは東側の建物と南側の建物の境あたりだが、南側の建物に部屋を持つ辛貴人の侍女が遣いで通りかかるような場所ではない。
そう思って奥の庭院を見に来たら、木の枝に箒が引っ掛かっており、そばに下女が一人立っていた。
もちろんその下女が琳瑶である。
杖の話をそこまで聞いて、また翠琅の視線が琳瑶に移る。
「……なるほど、そういうこと。
その侍女もつまらないことをするものだね」
事を大きくしたくない琳瑶は杖にも真相を言い渋ったが、杖の話だけで翠琅はなにがあったのか察しがらしい。
呆れたように小さく息を吐く。
そして大股に琳瑶と杖に近づいてくるのを見て杖が慌てる。
「あ、あの、翠琅様、自分が取りますので」
「言ってはなんだけど、あなたの背では届かないよ」
翠琅はそう言って木のそばに立ち、枝に引っ掛かった箒に手を伸ばす。
細かい枝に引っ掛かってすぐには取れなかったけれど、ブツブツと文句を言いながらも箒を取ることに成功した翠琅は、琳瑶のすぐそばに立って改めてその顔を見る。
「お前、名前は?」
「リンです」
父の昌子が付けたのか。
あるいは継母の艶麗が付けたのか。
それとも異母姉の蘭花が付けたのか。
わからないけれど、本名の 「琳瑶」 からとったことがわかるこの安直さは、安直すぎて余計に三人の誰の案かわからない。
そんな安直すぎるほど安直な仮の名前を名乗る琳瑶に、翠琅は一瞬の間を置いて意地の悪い笑みを浮かべる。
「そう、リンね。
まぁいいよ、今は返してあげる」
「ありがとうございます」
そう言って少し乱暴に箒を押しつけてくる。
翠琅の 「今は」 という言葉に引っかかりを覚えつつ、箒を受け取った琳瑶は素直に礼を言ったつもりだったが、やはりなにかが顔から出ていたらしい。
「なにか言いたそうだね。
言ってごらん、聞いてあげるから」
「いえ、なにも」
「そう?
腹芸の下手な子だね、全部顔に出ているのに」
それこそ (出てるなら訊かなくてもわかるでしょ!) と思う琳瑶だが、ここではぐっと堪えて口を噤む。
だがやはり、残念なくらい顔から不満がだだ漏れになっていた。
「腹芸が下手というより不器用な子なのかねぇ。
杖殿はどう思います?」
「さ、さぁ……わたくしには……」
返事に困る杖を見て翠琅は苦笑を浮かべる。
「あなたも不器用な人ですね。
アドリブが利かないというか」
「はぁ……申し訳ございません」
「こういう時は適当に合わせておけばいいのです。
そんな調子だから……」
なにかを言い掛けた翠琅だが、琳瑶の視線に気がついて 「まぁいいです」 と続きを飲み込む。
そして琳瑶を見て言う。
「このことは尹宮官長に報告しておきます。
辛貴人から注意してもらいましょう」
事を大きくしたくない琳瑶の口から、とっさに 「待って!」 という言葉が出る。
すぐにまずいと気がついて慌てて言葉を継ぐ。
「……ください」
仕事着の下女と官服を着られる宦官とでは身分が違う。
とっさに出た言葉を慌てて訂正する琳瑶に、翠琅は意地の悪い笑みを浮かべる。
「おやおや、これはこれは」
「翠琅様、あまり下女を苛めるのは……」
おそらく官女や下女たちと同じように、杖も琳瑶の年齢詐称に気づいているのだろう。
控えめだが、少し慌てたように琳瑶を庇おうとするのを見て翠琅はふふふ……と笑う。
またしても意地の悪い笑みである。
「杖殿、人聞きの悪いことを言わないでください。
ちょっとからかっているだけです」
「ですが……」
「後宮の人手不足はわたしも知っています。
無用な波風を立てるつもりはありません」
「では、リンも宮官長には言わないで欲しいと言っていることですし……」
「むしろ逆です。
下女虐めなんて、人手不足に拍車を掛けるような真似はやめさせなければいけません。
それにそんな侍女を側に置いておくことは、辛貴人の品位に傷を付けることになります。
教えてやるのが親切というものです」
だらしない格好をしている翠琅だが、言っていることは至極まっとうである。
その落差に戸惑いを隠せないのは琳瑶だけではないらしく、杖も 「仰るとおりです」 と戸惑いながら応える。
そして申し訳なさそうな視線を琳瑶に向ける。
その視線で辛貴人の侍女がした意地悪が、尹宮官長に報告されることが決定したと悟り琳瑶はうんざりする。
「さて、リンは仕事に戻りなさい。
杖殿は泰嬪がお呼びです」
「泰嬪ですか?」
翠琅に促されて庭院を出て行きかけた琳瑶だが、続く彼の言葉に足が止まる。
無意識のうちに蘭花の名前に反応したのだが、すぐに応える杖が戸惑っていることにも気づく。
なにかあるのだろうか?
これまた無意識のうちに杖を見る琳瑶を、口の端に悪い笑みを浮かべながらもチラリと見た翠琅は、気づかない振りをして杖と話し続ける。
もともと翠琅は泰嬪に言われて杖を探しに来たのだと。
「どうかしましたか?」
「いえ、別に……」
「なにもなければ早く行って下さい」
「はぁ……」
気が進まない様子の杖を急かす翠琅は、琳瑶にも視線を送って足を促してくる。
早く仕事に戻りなさい、と……。
無言で頷いた琳瑶は隣の庭院に移る二人に続いて洞門をくぐる。
すると先に見える廊下を歩いていた別の宦官が声をあげる。
「杖殿、そんなところにいたんですか!」
慌てて近づいてくる宦官を見て、翠琅は 「おやおや」 と呟くように言う。
そして揶揄するように続ける。
「杖殿は人気者ですね」
「いえ、そんなことは……」
困ったように応える杖に、近づいてきた三人目の宦官が 「探しましたよ」 と話し掛ける。
なぜかこの時、翠琅が前に立って琳瑶から三人目の宦官は見えなかったのだが、宦官三人の会話は十分すぎるほど聞こえてくる。
「そんなに慌ててどうしたのです?」
「これは翠琅様。
実は尹宮官長が杖殿を呼んでおられまして」
「え?」
泰嬪こと蘭花に呼ばれていることを翠琅から聞いた杖は、宮官長にも呼ばれていると聞いて戸惑う。
「あ、あの、わたしは今から泰嬪のところへ行かなければならないのですが……」
「ですが宮官長も呼んでおられまして……」
おそらくどうしたらいいのか、戸惑う二人は翠琅の顔を見て尋ねたのだろう。
その翠琅の広い背中に隠されている琳瑶から三人の様子は見えないが、なんとなくそんな感じがした。
少しばかり間があって、翠琅が二人に話し掛ける。
「では、杖殿はまず尹宮官長のところへおゆきなさい。
宮官長の御用が終わってから泰嬪のお部屋へ。
そなたは泰嬪のところへ行って、杖殿が宮官長の御用を言いつかっているから遅くなるとでも伝えてきなさい」
三人目の宦官も杖も翠琅に言われるまますぐに行ってしまい、続いて琳瑶も、改めて翠琅に言われて仕事に戻ったのだが、いつのまにかいなくなっていた琳瑶を心配して探していた先輩下女たちから、この三人の宦官のやり取りについて裏の事情を聞かされることに……。




